2018年11月  №136号 通巻821号
    〈つのぶえ社・出版物案内〉
 
さんびか物語                             ポーリン・マカルピン著  3000円
ジャパニズ・ヒムス・
イン・イングリッシュ                    ポーリン・マカルピン著 1500円
日本伝道百年史
                 バラ・マカルピン宣教記念誌発刊編集委員会 1500円
田舎牧師の記                                              諏訪武臣著 3500円
初歩教理問答書                                    (日曜学校用)  250円
解説ウェストミンスター信仰告白                 岡田 稔著   500円
緑のまきば
=絶対者なる神を求めて=                            吉岡 繁著 2000円
聖霊とその働き                                   E・H・パーマー著
                                                                         鈴木英昭訳 1500円
初めて学ぶキリスト教                 ヘリクマ・テュック共著
                                                                        鈴木英昭訳 700円
死後と終末                                        W・ヘンドリクセン著 
                                                                       鈴木英昭訳 1900円
ウェストミンスター小教理案内                    鈴木英昭著1500円
十戒と主の祈り                                             鈴木英昭著 1800円
カルヴィニズムの5特質            ・H・パーマー著
                                          鈴木英昭訳 1500円
教会における女性のリーダーシップ スーザン・ハント著
                                         鈴木英昭監修          
                  三谷澧子・新美すえ子共訳 1300円
             =注文先 つのぶえ社=
           465-0066 名古屋市名東区梅森坂西2-616-E号
              TRL・FAX 052-893-9585
              Eメール osamura@kind.ocn.ne.jp
     
 〈つのぶえ社・出版物案内〉
 
 
 
旧約婦人物語
ポーリン・マカルピン著
550円
新約婦人物語
ポーリン・マカルピン著
350円
さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
3000円
ジャパニズ・ヒムス・
 
 
イン・イングリッシュ
ポーリン・マカルピン著
1500円
日本伝道百年史
 
 
バラ・マカルピン宣教記念誌
発刊編集委員会
1500円
田舎牧師の記
諏訪武臣著
3500円
初歩教理問答書
(日曜学校用)
250円
解説ウェストミンスター信仰告白
岡田 稔著
500円
緑のまきば
 
 
=絶対者なる神を求めて=
吉岡 繁著
2000円
聖霊とその働き
E・H・パーマー著
 
 
鈴木英昭訳
1500円
初めて学ぶキリスト教
ヘリクマ・テュック共著
 
 
鈴木英昭訳
700円
死後と終末
W・ヘンドリクセン著
 
 
鈴木英昭訳
1900円
われらの教会と伝道
C・ジョン・ミラー著
 
 
鈴木英昭訳
1000円
ウェストミンスター小教理案内
鈴木英昭著
1500円
ウェストミンスター信仰基準
鈴木英昭訳
1100円
 
小教理問答
 
 
大教理問答
 
 
信仰告白
 
ウェストミンスター小教理問答書   
   信仰規準翻訳委員会
      650円
十戒と主の祈り
鈴木英昭著
1800円
カルヴィニズムの五特質          
   E・H・パーマー著    
   
 
      鈴木英昭訳
1500円
男女の役割の関係
ジョージ・W・ナイトⅢ著
 
 
鈴木英昭訳
1000円
 

「つのぶえジャーナル」に提供してくださる門間 亨さんの写真を適宜掲載し、ご紹介いたします。尚、PCの方は写真の上をクリックしていただきますと拡大されます。
 
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 1月号でご紹介いたしましたM・I・ケリー宣教師の写真がありましたので、掲載いたします。(「ラジオ放送「キリストへの時間」協力委員会時のものです」

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 〈つのぶえ社・出版物案内〉
 
 
 
旧約婦人物語
ポーリン・マカルピン著
550円
新約婦人物語
ポーリン・マカルピン著
350円
さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
3000円
ジャパニズ・ヒムス・
 
 
イン・イングリッシュ
ポーリン・マカルピン著
1500円
日本伝道百年史
 
 
バラ・マカルピン宣教記念誌
発刊編集委員会
1500円
田舎牧師の記
諏訪武臣著
3500円
初歩教理問答書
(日曜学校用)
250円
解説ウェストミンスター信仰告白
岡田 稔著
500円
緑のまきば
 
 
=絶対者なる神を求めて=
吉岡 繁著
2000円
聖霊とその働き
E・H・パーマー著
 
 
鈴木英昭訳
1500円
初めて学ぶキリスト教
ヘリクマ・テュック共著
 
 
鈴木英昭訳
700円
死後と終末
W・ヘンドリクセン著
 
 
鈴木英昭訳
1900円
われらの教会と伝道
C・ジョン・ミラー著
 
 
鈴木英昭訳
1000円
ウェストミンスター小教理案内
鈴木英昭著
1500円
ウェストミンスター信仰基準
鈴木英昭訳
1100円
 
小教理問答
 
 
大教理問答
 
 
信仰告白
 
十戒と主の祈り
鈴木英昭著
1800円
男女の役割の関係
ジョージ・W・ナイトⅢ著
 
 
鈴木英昭訳
1000円
 
  写真館

「つのぶえジャーナル」に提供してくださる門間 亨さんの写真を適宜掲載し、ご紹介いたします。
尚、PCの方は写真の上をクリックしていただきますと拡大されます。



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詩編を祈る  12編
 
「彼らがあえぎ望む救い」
 
 この詩編の背景は明らかではありませんが、ダビデがサウル王に追われていた時のこと、ケイラやジフの人々から受けた仕打ちを背景にした詩編と考えられています。
ダビデはペリシテの襲撃からケイラの人々を救ったにもかかわらず、彼らはダビデを裏切ろうとし、ジフの人々もダビデの居場所をサウルに通報し、彼を窮地に追い込もうとしたのです。このような経験からダビデは、人間の言葉と神の言葉の違いを自覚させられたのでした。
 
 「主の慈しみに生きる人」「神を敬う人」(口語訳)は、自らがその神の真実と慈しみに生きる中で、そこに他者をも引き入れます。隣人に主の慈しみを施す者でもあるのです。
「信仰ある人」ア-メンである人、真実で信用できる人です。そのような人は「絶え、消え去」ってしまったのでした。そして「偽りを言い、滑らかな唇、二心をもって話」す者が横行し、我が世を謳歌するのでした。ダビデは、宮廷に渦巻く権謀術策と人間の裏切り、不真実、偽りをいやというほど見てきて、その人間の不真実とへつらいと人を平葉、うわべやおべっか、悪口や中傷、批判や暴言、陰口、そういった言葉に、私たちはいやというほど苦しめられてきたのでした(箴言26章19~28節)。
いやそういう私たち自身、気づくところで意図的に、あるいは気づかないところでも、同じ言葉を発してきたのではないでしょうか。十戒における「殺すなかれ」は、言葉の暴力による人格否定をも含み込んでいます。神を賛美する、その同じ口をもって、神にかたどられた隣人を呪います(ヤコブ3章2~10節)。これが人間の言葉の現実です。
 この人間の偽りの言葉の苦しみから、神は「立ち上がり、彼らがあえぎ望む救いを与えよう」とされます。かつてエジプトの苦役に服し、その過酷な苦しみから神に叫び訴えたとき、神は立ち上がって救ってくださったのでした(出エジプト2章23~24節)。同じ神が、今や不真実と偽りと暴力の言葉に苦しむ民のために立ち上がり、救いだしてくださるというのです。彼らがあえぎ望んだ救いとは、二重の救いでした。それは一方では悪しき者の言葉が裁かれ、絶やされることであり、同時にこの悪しき者からの誘惑に屈しないで、正しい言葉、真実な言葉を語り続ける者とされるようにとの神の守りです。かつてイスラエルが、荒れ野でマナ、つまり神の言葉によって日々養われたように、神の真実な言葉によって私たちも養われ(マタイ4章4節)、日毎にその「生命のパン」(ヨハネ6章22~28節)をいただくことです。
 
 神の言葉は「土の炉で七たび練り清められた銀」つまり完全に精錬されて、中に不純物や汚れが一切ない聖いものです。「混じりけのない言葉」(新改訳)偽りがなく、信頼しうる確かな言葉でもあります。その言葉は、この世界を創造した力ある言葉(創世記一章)であり、言われたことは必ず実現する言葉(イザヤ55章)でもあります。しかもその神の言葉が、肉体をとって、私たちの間にまで来てくださったのでした。私たちはこの真実な言葉にこそ、私たちの言葉を基礎づけ、またこの言葉を慕い求めて養われつつ(第一ペトロ2章2節)、この言葉を語る者とされていきたく願います。その時、私たちの言葉は、塩で味つけられた真実な言葉(コロサイ4章6節)とされていくのです。
              
                       稲毛海岸教会牧師
                      三川栄二
 
d964298b.jpg「つのぶえジャーナル」に提供してくださる門間 亨さんの写真を適宜掲載し、ご紹介いたします。尚、PCの方は写真の上をクリックしていただきますと拡大されます。

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詩編を祈る 11編

「主を、わたしは避けどころとし」

 この詩編は、ダビデがサウル王に命を狙われ、追われていることを背景にした詩編と考えられています。いわれのない理由で都を追われ、妻や友、家族とも別れて放浪し、王とその取り巻きに命をつけ狙われているという理不尽な境遇の中で詠われたものです。社会の基盤である法と秩序と正義が、その実行者である王自身によって公然と破られ、無法と不法がはびこる世となってしまったのでした。無実の人、誠実な忠臣をその地位から追い落し、政務をほったらかしにして、ひたすらその命を狙うという異常な事態によって、「世の秩序が覆っている」のでした。そのような中で一体何ができるというのでしょうか。

 このような事態の中で人々は「鳥のように山に逃れよ」と勧めます。小鳥が不安に駆られて、小さな物音にも敏感に反応し、本能的に逃げ去るように、自分を守れというのです。ユダヤの荒れ野にはあちこちにほら穴や洞窟があり(創世記14章10節)、社会的逃避者の避難所となっていました(サムエル上22章1~2節)。
この「山に逃れ」るとは、かつてソドムとゴモラが滅亡するとき、ロトに命じられたことと重ね合わされています(創世記19章17節)。町は神の裁きにゆえに、火と硫黄によって滅ぼされたのでした(19章24節)。

 しかしダビデは明言します。「主を、私は避けどころとしている」と。この世の秩序は覆り、「拠り所」が壊されたとしても、それを自分の拠り所とするのではなく、主なる神をこそ避けどころとするというのです。詩編は繰り返し、神が私たちの避けどころであると告白します(46編1節、59編17節、62編7~8節など)。この世がその基から崩壊し、揺れ動くとき、この世の基準が壊され、秩序も道徳も混乱していくとき、自分が一体何を「拠り所」「避けどころ」としているかを問わなければなりません。私たちは、主を避けどころとしているでしょうか。

 地上の混乱のただ中で、ダビデが主を見上げていったとき、ただ一人変わることなく、揺らぐことのない方をそこに見ました。天の御座にいて、この世を見据え、公正に裁かれる神こそ、私たちの「避けどころ」です。「人の子らを見渡し」とは、物を詳細に調べることで、その背後まで見透かす目をもって見極めることです。人は見かけしか見ませんが、神は人のすることの全てを見通す方です。「人の子らを調べる」とは、金の精錬に用いられる言葉で、一つ一つの出来事に目を留めて注目される神の目配りが語られています。
神の裁きは、その初めから終わりに至る全てに渡って正当なのです。その神が「主に従う人と逆らう者を調べ」、それにふさわしい取扱をなさるのです。従う者には「調べる」とは「試みる」ことですが、それは彼らに「義という平和に満ちた実」(ヘブライ12章11節)を結ばせます。しかし逆らう者には神の適正な裁きをくだされるのです。

 ここで神の裁きが「火」のイメ-ジで語られていることに注目しましょう。聖書で「火」は、神の臨在を現わし、この聖なる神の臨在はそれ自体が恵みであると共に裁きにもなります。それは神の近づき難い「聖さ」「栄光」を示し、それに触れる者をそれにあずからせずにはおかないものです。だから神の聖なる臨在そのものが正しい者にとっては恵みであり、逆らう者にとっては裁きとなるのです。それは私たちを「浄化する火」です。それは苦しみでもありますが、それによって私たちは神に近づけられていくのです。
「見よ、わたしは火をもってお前を練るが、銀としてではない。わたしは悩みの炉でお前を試みる。」(イザヤ48章10節)神の火は、私たちから「不純物を取除く」(箴言25章4節)ものです。それは「吟味の火」(コリ第一 3章10~15節)でもあります。こうして神は「御顔を心のまっすぐな人に向けて」「避けどころ」となってくださるのです。
          
稲毛海岸教会牧師
             三川栄三

ded873f5.jpg「つのぶえジャーナル」に提供してくださる門間 亨さんの写真を適宜掲載し、ご紹介いたします。今回は、ひるがの、京都です。ba232fe4.jpg

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詩編を祈る 10編
「御手に労苦と悩みをゆだねる人を」
 
この詩編には「貧しい人」が多くでてきます。標題もないこの詩編は、まさに「貧しい人」の詠う詩編です。貧しい人が神に逆らう傲慢な者に責め立てられて、その策略に陥ろうとしている」(2節)時に詠った詩編です。「神に逆らう者」は「何事も神を無視してたくら」(4節)みながら、欲望、貪欲、高慢、呪い、詐欺、搾取をもって繁栄し、富み、栄えています(3-7節)。にもかかわらず、神の裁きは高くて(5節)、彼とは無関係であり、揺らぐことなく、幸せで(六節)、「罰などはない」と心に思うのです(13節)。しかも彼らの繁栄と富は、まさに「貧しい者」の犠牲と搾取によって成り立っているのです。
 
 正直者が馬鹿を見る、まさにそれがこの世の現実です。そこで逆らう者の「手に陥り」倒された「不運な人」は、率直に神に訴えます。「主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか」(1節)「神は私をお忘れになった」(11節)と。これが正直な気持ではないでしょうか。そこで苦悩にあえいでいるのに、神は何もしてくださらない。正しい者ばかりが虐げられて不幸であり、悪事を働く者が栄えて、幸福なのです。この詩編は、まさにそのような神への問いかけの中で詠われたものです。
 この詩編を詠った詩人は、そこから訴えました。「立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。
貧しい人を忘れないでください。」(12節)しかし彼は、この切なる訴えと祈りの中から、神への信仰に至らせられます。神は我らの労苦と悩みを「必ずご覧になって」(14節)くださると。神は「貧しい人に耳を傾け、その願いを聞き、彼らの心を確かにし、みなしごと虐げられている人のために、裁きをしてくださ」(17-8節)ると。
 
 まことの神は、「貧しい人」「不運な人」「虐げられている人」の神です。神は常に彼らの側に立ち、彼らを支え守られる神なのです。富む者、幸福な者には、神はいりません。彼らは神を必要としないで生きていくことができますから。しかし「貧しい人」とりわけ「みなしご」は違います。彼らは神なしには生きていくことができません。神だけが彼らのよりどころです。彼らはその自分の弱さと欠けを自覚すればこそ、神にのみ寄り頼みます。
神だけが彼らの生命です。その彼らを、神も慈しみ、守られるのです。こうして主イエスが語られた言葉が真理となるのです。「貧しい人は幸いです。天国は彼らのものだからです。」   
  
                  稲毛海岸教会牧師
                      三川栄三

詩編を祈る 9編
「彼らが人間にすぎないことを」
 
 「ご覧ください。私を憎む者が私を苦しめているのを」(14節)から、この詩編はダビデが敵対する者によって苦境に陥っているときのものであることがわかります。
しかもその敵とは、ダビデとその民を取り巻き、虐げる「異邦の民」です。そこでダビデがまず詠ったことは、過去における輝かしい勝利です。しかもその勝利は、神によってもたらせられたと、賛美します(2節)。ダビデにとっては「あなたの賛美をひとつひとつ物語り、御救いを喜び踊ることができる」(15節)、その神の恵みの勝利があるのでした。その1つ1つを数え上げることができる、神の確かな救いの出来事があったのでした。それを根拠にして、ダビデは再び、神による助けと救いを求めるのです。神が敵に御顔を向けられれば、「敵は退き、倒れて、滅び去る」からです(4節)。
 
 さらにダビデがこのように神に訴える根拠は、神が彼の「訴えを取り上げて裁いてくださる」(5節)ことです。なぜならダビデに敵対する異邦の民は、主を畏れる者を虐げ、血を流し、貧しい者を圧迫する者たちだからです。まことの神を畏れない者は、神が造られた人間を恐れることなく、むしろそれを虐げるのです。神との関係が崩れたところでは、隣人との関係も崩れ、倒錯していくのです。ここでダビデが神の求めることは、神の正義と公正です。神の公平な裁きが、国々の中に行われるように、そうして「御自ら世界を正しく治め、国々の民を公平に裁かれる」(9節)ことです。
ここにはイスラエルのみならず、世界を支配したもう神への信仰が脈打っています。まことの神は、イスラエル、神を畏れる者だけの神ではなく、神を恐れない民、神を知らず認めない者にとっても神であられること、全世界の主な神であられることを表わします。多神教の、強大な偶像国家に囲まれたイスラエルにとって、それは驚くべき信仰でした。弱小国にすぎないイスラエルの神こそ、世界の主、世界の神であるとの信仰告白なのです。しかもその神が全世界を裁かれる方でもあり、その裁きは公正であるというのです。驚くほど大胆な信仰です。
しかしこの神への苦難のうちにある者を支え、強めるものでした。主こそ「砦の塔」なのです。「苦難の時の砦の塔」(10節)となってくださる神こそ、力強い国々をもお裁きになる生ける神、それらを御手のうちにあって支配したもう世界の主なのです。その主が臨在されるのはシオンの門です。それ以外の門がどれほど強固でも、それは「死の門」にすぎません。それがどれほど強くとも、所詮人間にすぎないものを恐れる必要はないのです。                                                                                                                           稲毛海岸教会牧師
                                                                                                                                          三川栄二 
詩編を祈る 8編
 
「乳飲子の口によって」
 
 「ギディトにあわせて」の意味には諸説がありますが、ぶどうしぼりのときに歌う陽気な歌、豊かな収穫を喜ぶ調べと考えることができます。この詩編では満ち溢れる喜びが歌われているのです。
 
 この天地を造られ、その威光が「全地に満ちている」神の栄光の輝きは、この天の万象と星振によって表わされているばかりか、それがいとも弱く小さな人間によっても表わされていることの驚きを、この詩編は語ります。天地を造られた神は、ご自身の栄光を、私たち人間によって表わされることをよしとしてくださったのでした。神が御心に留められる「人間」とは、エノ-シュ、弱く死ぬべき存在にすぎない無力な人間であり、「人(アダム)の子」、土の塵から造られた空しい存在です。土にすぎない人間を、なぜ神は顧みてくださるのか。「神に僅かに劣る者」として、「創造の冠」として、神は人間をお造りになられたのでした。それは人間が神に似せて、「神の像」に造られたということです。その「神の像」とは、神の被造世界と万物に対する支配権でした。神の地上における代理人として、神の統治権をもって支配する、その「栄光と威光」を与えられたのです。それを謙虚に受け止めて、「地を治めよ」との神の命令を忠実に果たすところに、人間の栄光と誇りとがありました。しかし罪によって堕落した人間は、神から与えられたこの栄光の使命、地を治める支配権を、己が栄光と己が益のために用い、横暴に支配し、無益に殺生し、自分勝手に搾取することで、結局今日の環境破壊と自滅の道に至ったのでした。
 
 しかしこの詩編で詠われている本来の人間の姿を、神が再び回復し、取り戻してくださいました。神は本来あるべき人間、まことの人間、神の像としての人間を、イエス・キリストにおいて成就してくださったのでした。この詩編は、実は主イエスについて語っている詩編です。キリストこそ「見えない神の像」(コロサイ1章15節)であり、キリストにあって、人間は神の栄光とその代理者へと高められたのでした。人間に与えられた、地を治める務めは今やキリストに与えられました(マタイ28章18節)。主キリストこそ、神によって高められた人間そのものとなられた方なのです。5~7節がヘブライ2章6~8節に引用され、それはキリストのことであると理解されています。キリストこそ、栄光ある神の御子であるながら、乳飲み子となって、つまり最も弱く小さい姿をとってこの地上においでくださり、貧しさのうちに生き、神に従って、地上での贖いの御業を果たしてくださいました。受肉、受苦、十字架、死、葬り、よみ下りという一連の「キリストの低い状態」をもって、罪にある人間を贖い、ご自身が低くされることによって、人間を高めてくださったのでした。それによって神はキリストを高められ、ご自身の代理者としての支配権を与えられたのでした(フィリピ2章6~11節)。
 
 それにしても神の偉大な栄光が、「幼子と乳飲み子」
によって表わされるとは、何という恵みでしょうか。主がエルサレムに入城されたとき、主をほめたたえたのが幼子たちでした(マタイ21章15、16節)。神は幼子たちによって、その栄光を表わし、賛美させるのです。幼子とは、人間の最も小さく弱い姿です。であればこそ神だけが彼らの依るべであり、彼らは己の弱さと無力さを自覚するゆえに、神にのみ依り頼むのです。だから神の国は、彼ら幼子のものとなるのです(マタイ18章1~5節)。そして偉大の神の栄光は、実に彼ら弱く小さき幼子によってこそ表わされるというのです。己の弱さと無力さを自覚して、ただ神に依り頼み、神だけを信頼して生きる彼らこそ、神の栄光の器なのです。神はこの世の知者、力ある者を辱めるために、取るに足りない者を選んでくださいました(コリント第一1章26~29節)。死すべき人間、塵にすぎない人間、それも最も弱く取るに足りない者を選んで、神の栄光の器としてくださる、その恵みを感謝したいと思います。弱い者なればこそ、神に依り頼んで生きる私たちを慈しみ、憐れんで、ご自身の尊い栄光を表わす者として高めてくださる、その慈しみを覚えて賛美したいと思います。乳飲み子が、乳を求めて力一杯泣き叫ぶ、あの泣き声が神の栄光を賛美していると、この詩編は語ります。私たちも、力の限り主の恵みを感謝し、主を賛美する者でありたいです。
 
                稲毛海岸教会牧
                     三川栄二
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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