2018年12月  №137号 通巻822号
「特別寄稿」 
 
主の名を心から賛美致します。本を開きますと、「この本は神学者や学者のためのものでなく」、「神が普通の人が使えるように、普通の人を用いて、この本を書くようにされたのです。この本はキリスト教教育110番です」とありました。
 本の主旨に納得、思わず、笑いがこぼれ、そして引き込まれました。
この本『契約の継承者たち』(スーザンハント著 聖恵授産所出版)には、みことばが散りばめられています。みことばが記されている所に付箋をはりました。付箋だらけになりました。
昨年(2009年)婦人会の学びが終わり、婦人会長さんが「次年度学ぶとしたら、実践的な本と教理的な本のどちらがいいですか」と聞かれました。私は、「実践と教理を兼ね備えた本がいいですね」と言ってはみたのです。
でも、(身近にそんな本あるのかな)と思っていました。しかし、この本を読み終え、(ああ、この本こそ、実践と教理を兼ね備えている本ではないかしら)と思ったのです。
興味はページを追うごとに増しました。けれども、途中、ふと、(何ページあるのかな)と思いました。339ページです。読むのが遅い私は時間がかかりました。けれども、1章ごとにまとまっているので、忙しい人でも1章ごとに読めますし、読み進むほどに魂が充足します。
本文に、「クリスチャンを両親に持つ子どもたちは、今教会をはなれています。彼らは、この世との言葉、活動、そして、関係に吸い取られています。教会の玄関に、改宗者を何人連れて来たとしても、教会の裏口から自分の子どもを失ってしまうのであれば、私たちはあの大命令の出発点を見失っていることになります。われわれは、エルサレムから始めるべきです。私たちは今いるところから始めるべきです。私たちは、自分の家庭と教会の子どもから始めるべきです」(p162)
自分の足元を照らしてくれる本です。この本は自分の祈りの弱さ、曖昧さ、実践の弱さを思い知らされる本でもありました。
著者スーザンハントが、信仰の継承者を育てるために、神様と教会に献身されている姿が生き生きと見えてきます。教会における女性の働きがみごとに証しされているのです。それだけでなく、世代と性別を越えて、心からお勧めしたくなる本です。
翻訳本なのに読みやすかったです。「あとがき」から知りましたが、翻訳は三谷澧子姉妹と新美すえ子姉妹。鈴木英昭先生が、訳語に手を加えておられます。また、出版のために、金田幸男甲子園教会牧師のお力があったことを知りました。
敬愛する諸先生・姉妹たちのお働きを通して、神様のみ名がますます、あがめられますように。
この本をご恵贈くださいました岸上姉妹に心から感謝しつつ。
主の2010年1月
津島教会員  竹澤芙美子128d5cd1.jpg
 
 
スーザン・ハント著
     教会における女性の働きの会 訳
   「契約の継承者たち」
      次の世代に信仰の遺産を残す
出版 聖恵授産所・ 販売店 全国キリスト教書店 ・価格1800円+消費税
(最寄のキリスト教書店でお求め下さい)
 WIC 代表 岸上とし子(〒500-8223)
           岐阜市水海道2-12-2 ℡058-245-7609
「契約の継承」(61)
第8章 村人と村の生活
 神の契約にそって生き、教える(6)
村人と村の生活
 
生徒というもの(3)
 
私たちが生活している今の文化的状況は、私たちの生徒がその種の成熟さを追求するようし向けるのを難しくしています。しかし、実際の障害というのは文化ではありません。問題利己主義へ心が傾くことです。しかしながら、これらは大いなる希望を与えます。私たちがの世にいる限り、文化は私たちに対峙するでしょう。しかし、心というものは聖霊の力によて、大きく直ちに変えられことができます。私たちの方は罪の力に気づくべきであって、罪合わせるのではなく、それと対決すべきです。私たちの生徒が五人であろうと、五十人であうと、「彼ら」「私たち」も罪人たちであることを理解しなければなりません。
 S.G.デグラーフはこう書いています。
 
子どもの典型的な罪は自分のことを第一に考えることである。子どもは神bde75a7c.jpg
が第二番目である限り自分の生活において神のための場所を持っている。
私たちは罪に傾く子どもたちの行動の性質に順応しているとき、責任をも
って行動しているだろうか。あるいは、私たちはそれに反対すべきか。適
切な視点から、聖書の物語を子どもたちがしっかりつかまえることが、子
どもにとって困難なのは彼らの理解力がそこまで至っていないからではな
く、心が受け入れないためである。小さい子どもたちは大人にくらべ彼ら
の生活の中で神について考える余裕がない。私たちが人生において、神が
中心であることを子どもたちに見せるなら、私たちの中心のゴールに到達
したことになるであろう。
注三S.G.デグラーフ『約束と救い』第一巻(オンタリオ・パイデイア出版1977)20頁
 
 生徒たちの必要に合わせることが今日多く強調されています。ルカ2章51~52に見られる4つの成長の分野(知恵がみち、知識が増し、神に愛され、人に愛される)は内面に焦点を当てたものではありません。もし、私たちが、聖書的な知識を得るのを切望するように、生徒たちに挑戦するつもりなら、彼らに神の清さと、彼ら自身の罪の現実に絶えず対面させなけばなりません。
 フィラデルフィアのキリスト教カウンセリング教育協会のスタッフの一員であるエドワー・ウェルチ博士は、彼の『人が大きく、神が小さいとき』という題名の著書の中で、奉仕にして、人の自尊心と、困窮というような問題について、神中心の方向へ私たちを導いてくれす。彼はこのように書いています。
 
 罪よりもむしろ、必要が私たちの第一の問題となっているとき、私たちの
自己認識が影響されるばかりではなく、福音それ自体が変えられてしまいま
す。
……神を思い描くことの本質は、神のご臨在を喜ぶことであり、すべてのも
のにまさって、神を愛することであり、私たち自身の栄光ではなく、神の栄
光のために生きることである。人間存在の最も根本的な問いかけは、「どのよ
うにしたら、神はわたしの心理的な願いを満たしてくださるか」ではなく、
「どのようにしたら、わたしは神に栄光を帰することができるか」というこ
とになる。こうした違いは、私たちの心を、非常に異なった方向へ引いてい
くことになる。すなわち、一方はいつも私たちを外の方に向けて、神の方へ
と引き寄せるが、他方は、まず私自身に向かって、内面へ引いていくのであ
る。……私たちの心理的な必要を満たすために、キリストに向くことは、私
たちの渇望をキリストにある者とすることである。……
 自己中心的な要求は、満たされることはなく、結果として死に置かれるこ
とになる。
注四 エドワード・T・ウエルチ『人が大きく、神が小さいとき』(Phillipsburg,NJ:Presbyterian &
 Reformed .1997)157、165、172、174頁
 
 ウェルチ博士は、私たちが誰であるかという点で、聖書が持つ見方は、私たちの中にあるの似像に焦点があるという説明しています。「神の似像につくられているということは、私ちがあらゆるところで、神を愛し、創造物が彼を愛し、神の栄光を誉め讃えるためであるとうことを意味する。」(エペソ1:12、14)このことは、神が、私たちが仕えられる要より、むしろ仕える賜物を私たちに与えられたことを示している。他のどんな展望も、聖書には及ばず、最終的には喜ぶよりも、むしろ悲惨な方向へと私たちを導いてしまう。」
 注五 エドワード・T・ウエルチ『人が大きく、神が小さいとき』(Phillipsburg,NJ:Presbyterian &Reformed .1997)179頁
 
 これ以外の他の見方は私たちの生徒たちを喜びよりも、悲惨へと導くでしょう。契約によ扱いは生徒たちに自分たちのことよりも、むしろ彼らの救い主を指し示します。私たちがイスを見れば、見るほど、私たちの罪深さがわかります。罪の認識は悔い改めに導きます。悔改めの喜びは直ちに許しが続きます。
 契約による展望の重要性を説明して、S.Gデグラーフは次のように書きました。
   
    その物語は子どもたちが理解することが困難であろう。彼らの知性がそれ
  らをそれらを理解することができないというのではなくて、彼らの心がそれ
   を受け入れないためである。罪は私たちを分離させてしまったため、どの子
   どもも生まれつき個人主義者である。私たちは一人一人独立した存在として、
   この世に生きており、自分自身の思想を形成する。
   あなたが物語を語るときに、個性主義を力説するなら、子どもたちはあな
  たが言うことをたやすく受け入れるであろう。しかし、私たちは罪のために
   負わされた状態にいることや、宣伝マンの美しい石けんを売るような方法で
   福音を売るようなことに我慢できるだろうか。それとも、私たちが物語を語
   ることが、その個人主義に戸を閉ざそうとすべきなのだろうか。
注6S.G.デグラーフ『約束と救い』25頁
 
 私たちは生徒たちにイエスを示さなければなりません。彼らがキリストに属するゆえに、仰という村の一部分であることを示さなければなりません。私たちは、彼らが村の共同体の務を負っているということを示さなければなりません。
 
  『契約の継承者』連載終了のお知らせ
主にある兄弟姉妹の皆様、長い間「契約の継承」の連載をしてきましたが、このたび出版することが出来ましたので、この「つのぶえジャーナル」での連載をひとまず打ち切り皆様には本を読んでいただきたくご案内申しあげます。
『契約の継承者たち「信仰を受け継ぐ」』
出版 聖恵授産所・ 販売店 全国キリスト教書店 ・価格1800円+消費税
お問い合わせ WIC 代表 岸上とし子(〒500-8223)
           岐阜市水海道2-12-2 ℡058-245-7609
 
次月号から「ポーリン・マカルピン著「旧・新約聖書婦人物語」を連載いたします。 
 
 
「契約の継承」寄稿
「ベンソン・ケイン元宣教師よりのイースターメッセージ」
                              
ab91cd84.jpg親愛なる友へ
4月12日の日曜日、創造主、養い主、贖い主、裁き主、そして救い主であられる主イエスキリストを記念し祝してよき復活祭をお過ごしください。もし、あなたがこれを読まれたことがあるならばどうかお許しください。以下のサイトにアクセスしてくだされば他のものを手に入れられます。http://sites.google.com/site/bensoncainminisries
敬具
ベンソン&コーリン ケイン
愛は憎しみを越えて  
 
私は太平洋第二次世界大戦において日本人と戦っていながらも、その後にアメリカ長老派教会の宣教師として日本に来ることがどのようにしたらできたのかと よく尋ねられます。日本人に対して今日まで憎悪の念を持ち続けている人たちに私は会ったことがあります、彼らは日本人の残虐行為を目の当たりにしたからです。日本人は真珠湾(パールハーバー艦隊)を奇襲攻撃して たくさんの船舶、航空機、他の軍備、そして3000人以上もの命をなきものにしてしまいました。太平洋戦争で彼らは非人間的な残虐行為、米空軍空士の生の肝臓を仰々しく食することまでしていたこと、でよく知られていました。どうしたらそのような行為が見過ごされたり許されたりすることができたのでしょうか。
 
ダグラスマッカーサー大将は、日本の問題は神学に関することであり、また日本には福音を伝えるためにたくさんのキリスト教宣教師が必要であることを述べました。たくさんの方が行きました。しかし、異教徒日本兵のせいで苦しんだ多くのアメリカ人には、まだまだ憎しみが纏わっていました。一人の大佐は、日本人に対する憎しみは絶対に消えることはないと私に話してくれました。彼の使命は彼ら(日本人)を憎むことでした。アメリカはその戦争に勝ち、そしてその結果として日本国民を内部破壊から救いました。公平とモラルの原理に基づいた民主主義が確立されました。戦争責任者らは最高責任者であるヒロヒトを除いて、処刑されました。彼(ヒロヒト)は便宜を図られ国民を統制することで
免れました。
 
LST(戦車揚陸艦)621に乗船し、私たちはフィリピン方面作戦に参加しました。1945年4月1日沖縄侵入の初日から加わり、36日後にそこを去る指令を受けました。戦後、私たちはLST621で二度日本へ行き、壊滅した横浜や東京を見ました。国は荒廃し、人々は穴の開いたブリキ板と煉瓦の仮設で暮らしていました。食べ物は不足し毛布や他の必需品も同様に欠乏していました。死臭がいたるところに立ち籠めていました。民衆は悲惨でみじめでした。私たちは邪悪な政治と社会制度から彼らを救いました。
 
彼らは今ではより良い時代の希望を得ました。アメリカ人はあらゆる面において彼らにとても親切でした。この敗戦国占領は征服した者がかつての敵に対して優しく愛を示していたという点において記憶にとどめられるものでした。私はどの日本人も個人的には知りませんでした。私は彼らを信頼していませんでしたし、尊敬もしていませんでした。しかし、神学校を出た翌年に、神さまは彼らのために私の心に真の愛をお与えになりました、神さまは私に日本へ戻って福音の恵みと平安を伝えるようにと召してくださったのです。
 
神の恵みと神のゆるしと神の愛にもかかわらず、憎しみに固執してしまった人たちもいて、そのため憎しみの塊となってしまい、多くの問題についての正しい判断が台無しにされてしまいました。神は制限なくおゆるしくださいます。キリストは 私たちがゆるさないなら、私たちはゆるされないでしょうと言われました。その憎しみの重荷をおろして生きなさい。あなたの敵に食物を与えなさい。彼らのために良いことをしなさい。このことにおいて私たちは神御自身から祝福を受けるのです。
 
ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の期間、コーリン テン ブームは憎しみで蝕まれてつぶれそうになっていましたが、彼女はキリストに心をゆだねました。キリストは 迫害者が持つサタンのようなひがんだ彼女の思いのために憎しみの代わりに憐れみと愛を与えられました。同じことが戦争開始直後の東京大空襲を指揮したドゥーリトルと一緒にいたジェイコブ デシャツェルの場合にも本当にありました。彼の航空機は予想通り燃料切れになりましたが、運悪く着陸した所は日本人が中国を占領していて、彼は戦争の残存者捕虜となりました。日本人に対する彼の憎しみが 仲間が拷問にかけられ斬首されたのを見た時に 心の奥底にまで染みわたっていきました。彼は神の恵みによって新約聖書を入手でき、そこで神の示される道と神の愛について読みました。彼はキリストに心をささげました。憎しみが彼をつぶすことはありませんでした、というのも残虐行為をうけたにも拘わらず日本人を愛するようにと キリストが彼を自由にされたからです。彼は日本への宣教師となり、真珠湾奇襲攻撃を指揮した淵田(フチダ)の救いの器となりました。神は憎しみを愛へと変えられました。二人のかつての敵はキリストにある友となり、   人々に福音を伝えるために日本とアメリカを旅しました。
 
1953年私が宣教師として単身日本へ行ったことは今までにない最高の恵みとなりました。実際私の人生は日本でキリストに仕えることに満たされていました。このことのうちに神は私にコーリン・ガンという素晴しい妻を与えてくださいました。彼女は既に日本にいて日本語を巧く使って働いていました。私は 女の子を説得して一緒に行ってもらうという煩わしいことは必要ありませんでしたし、難しい文化に慣れる必要もありませんでした。彼女は既に神から召しを受け私を待っていました。私は心から彼女を愛しています。神は私たちに5人の優秀な子供たちをお与えくださり、家族を祝福してくださいました、そのため今日私たちには14人のクリスチャンの孫がいます。全員がイエスさまを愛しイエスさまに仕えたいと願っています。私たちは日本に数十人の真の友がいます、それで彼らと宣教するために1989年以来11回戻っています。彼らは大変多くの点で私たちを祝福してくださいました。一度に14人の日本人を迎え、数日間フロリダの我が家に泊まっていただきご一緒したことがあります。また8人の方が数日間メルローズに訪ねてきてくださいました。年中何人かの方々が何ヶ月もご一緒して我が家で過ごしました。彼らは私たちの誇りであり喜びです、多くの方々が宣教中に洗礼を受けられたからです。神は実に私たちを召してくださり、日本で豊かな実を結んでくださったことを何回も確かなものにされました。
 
神は 彼らが福音に好意的でなかった時には 彼らを愛するための愛を与えてくださいました。彼らは福音に抵抗して少しも好意的にみえない時や 好戦的にみえる時さえよくありますが その愛は今日まで続いています。しかし神がこの愛を私たちに与えてくださっている故に 私たちは彼らを愛し続けられるのです。キリストは憎しみを愛におきかえることのできるお方です。もし神が私たちのために 御子に死を与えられるほどまで私たちを愛してくださったとしたら、私たちの愛はそれに比べたら比較にならないほどとても小さなものなのです。
         ***************
 
  スーザン・ハント著
     教会における女性の働きの会 訳
   「契約の継承者たち」
      次の世代に信仰の遺産を残す
 
定価 1,800円(税込み1,890円)
聖恵授産所出版部(最寄のキリスト教書店でお求め下さい)             
 
 
「契約の継承」(60
第8章 村人と村の生活
 神の契約にそって生き、教える(5)ff9c828f.jpg
村人と村の生活
 
生徒というもの(2)
 そこでパッカーは私たちがピューリタンの成熟さから学ぶことのできるいくつかの教訓をべています。これらのものは、私たちの生徒たちに教えることのできる成熟の指標です。
 
 第一に彼らの日常の生活にみられる統一性の点で、私たちにとって学ぶ
べき点があります。彼らのキリスト教は包括的なものでしたので、彼らの
生活は首尾一貫していました。彼らに関する限り森羅万象は聖なるもので、
どんな種類の活動もみな清められなければならないものでした。すなわち、
神の栄光のためになされなければなりませんでした。
 第二に霊的経験の質という点で、私たちが学ぶべきことがあります。ピ
ューリタンがおこなった神との交わりにおいては、イエス・キリストが中
心にあったため、聖書は至高のものでした……ピューリタンの聖書の黙想
は、ピューリタンの説教をモデルとしていました。黙想において、ピュー
リタンは、自分の心を探り、心に挑戦し、罪を憎み義を愛するよう心を揺
り動かし、自分自身を神の御約束で励ますのでした。……
 第三に効果的な行いへの情熱の点で、私たちが学ぶべき点があります。
……彼らは純粋な改革派の特性をもった行動の人たちでした。すなわち、
自分に少しも頼ることなく、ただ聖戦に参加する活動家たちであり、彼ら
のうちに、彼らを通して働いてくださる神に全くより頼んで、神のために
働く働き人であり、振り返って、正しいことであったと思われることをし
たことに対し、常に神に栄光を帰す人たちであり、自分の誉れのためでな
く、神の誉れのために、彼らの力を神がお用いになられることを切に祈り
求めていた人たちでした。
 第四に堅固な家族のための彼らのプログラムという点で、私たちの学ぶ
べきことがあります。……ピューリタンの結婚倫理は、一時の情熱や感情
で、愛するパートナーを探すのではなく、人生の最良の友として、しっか
り愛することができる人を見つけることでした。そして、ただそれをする
ように神の助けを得て歩むことでした。ピューリタンの養育の倫理は、子
どもたちに彼らがゆくべき道に沿って育て、子どもたちの心身を共に配慮
し、彼らを節度があり、信仰的で、社会的に有益な大人の生き方をするよ
うに教育することでした。……
 第五に人間の価値の意識から学ぶべき教えがあります。大いなる神を信
じることを通して……彼らは道徳の問題や、人間の魂や、その永遠性につ
いての尊さに生き生きした感性を得るのです。……
 第六にピューリタンの教会の復興という理念から学ぶべき課題がありま
す。……「復興」という言葉を彼らは使ってはおらず、ただ、「改革」ある
いは「改革する」という言葉だけを使っていました。この種の改革の要点
は、神の真理を理解することが豊かになることであり、神への思いの高揚
であり、献身の思いの増進、より多くの愛、喜び、各個人の召命と生活に
おいてキリスト者の目的強化にありました。教会に対する理想というのは
……各個教会のすべての会員たちがが「改革される」べきであるというこ
と、つまり私たちが信仰復興と呼ばれる段階にまで、混乱することなく、
神の恵みによって到達すること、真実に十分な回心であること、神学的に
は正統で健全であること、霊的には目を覚まし、期待をもっていて、性格
の点では賢く堅実で、倫理的には進取的気性に富み、従順であり、そして
謙虚であるが、彼らの救いの確かさに喜びを持って確信している。……と
いうふうにでした。
注二J.I.パッカー著『信心深さを求めて…キリスト者生活へのピューリタンのヴィジョン』
(ホィートン・イリノイ・クロスウエイブックス1990)23~27頁。
 
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
 
 
 
「契約の継承」(59)
第8章 村人と村の生活
 神の契約にそって生き、教える(4)
村人と村の生活
 
生徒というもの(1)
 
 少年イエスをエルサレムに残して、宮で教師たちを教えていた彼を見つけるまで、必死でしていたマリヤとヨセフのエピソードに続いて、「それからイエスは、いっしょに下って行れ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」(ルカ2・51~52と語られています。
 私たちの子どもたちは、イエスが育ったと同じように、四つの点で成長する必要がありますけれども、この成長が起こるのはどの場所であるか注意してください。それは愛した両親と、従順に従った子どもに起こります。私たちは私たちの家庭と、クラスで、権威を愛し続けなればなりません。私たちの生徒たちとの契約の関係を育むこと、そして、彼らが知恵を増し背丈を伸ばし、神と人とに愛されるように、彼らに指導と適応と機会を提供しなければなりせん。この四つの成長の分野はどの時代にも当てはまります。
 「賢い」という言葉に当たるヘブライ語「ハカム」は知識とか知性といったものよりもっ多くのことを意味します。それは知識を正しく用いることを意味します。人生経験に関するえ方や反応が含まれます。旧約聖書の「知恵」は他の古くからの世界観とは違った世界観ですなぜなら、聖くあり、義であり、正しい人格的な神の教えを示しているからです。また神と契約関係にある人々が実生活において、神の性質を反映するのを願う人格的な神の教えを示ているからです。知恵とは、神が私に知ることを願っておられることを知り、神が私に考えことを願っておられることを考えることである、と定義することができます。詩編の作者はう言いました。「神に逆らう者はそれを見て憤り、歯ぎしりし、力を失う。神に逆らう者の望は滅びる」(詩編111・10)。
 背丈が伸びることは確かに、身体的な成長と関係しますが、「ヘリキヤ」というヘブライは「成熟」という意味もあります。9ecf4048.jpg
 「愛された」と訳される言葉は、ギリシャ語では「カリス」という言葉であり、「恵み」いう意味です。神に愛されて育つことは、彼の恵みのなかで育つことです。ヨハネはそのこを簡潔に言っています。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3・30)。リストがより大きくなるために、わたしがより小さくならねばなりません。彼はこのためにえをして下さいました。「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担っくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためですそのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(Ⅰペテロ2・24)。私たがキリストの恵みにより多く満たされれば、私たちはそれだけ多く互いにその恵みにふれるとができ、こうして、神と人とに愛されて成長するのです。
 知恵も背丈も成長して、神と人とに愛されること、すべての人が、パウロの弟子たちに対て描いたゴールに達するように結びあわされること、……キリストにある完全とか、成熟をらわすことです(コロサイ1・28)。
 『信心深さを求めて:キリスト者生活へのピューリタンのヴィジョン』という本の中でJ.I.ッカーはピューリタンの成熟さについて描いています。この文章は私たちが生徒たちに神の真理を教え込むように、全力をもって働くための判断基準を示しています。
 
成熟というのは、知恵と善意と快活さと創造性の混ざり合ったものです。
ピューリタンたちは成熟さの模範を示しました。…彼らは偉大な神に仕え
る立派な人たちでした。彼らには頭の冴えた情熱と、心の暖かい同情心が
結び合わさっていました。ヴィジョンと実践があり、理想を持ち現実的で
もありました。ゴールを決めることと、実行の方法を持っていました。彼
らは偉大な信仰者、偉大な待望者、偉大な実行者、そして偉大な受難者た
ちでした。しかし、受難は…熟して実を結び、英雄的行為の名声を得るま
でになりました。私たちの豊かさが今日私たちにもたらしている安易さと
贅沢は、成熟さを生み出すことはありません。困難と努力が生み出すもの
です。そして神が彼らをそこに置かれた霊的、そして状況の荒れ地に対し
てのピューリタンの戦いは、失意や恐れを超えてひるむことも、沈むこと
もない活力を生み出しました。
注一J.I.パッカー・『信心深さを求めて:キリスト者生活へのピューリタンのヴィジョン』(ホィートンイリノイ・クロスウエイブックス1990)22頁。
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
 
 
 
「契約の継承」(58)
第8章 村人と村の生活
 神の契約にそって生き、教える(3)7b479cc2.jpg
村人と村の生活
 
教師というもの(2) 
 
 教師というのは、数学を嫌うこともできるし、彼の生徒たちを嫌うこともできます。それいて、彼らに数学を教えることができます。私は「生ける者と死ねる者とを裁かれる神とキストのみ前で、彼の出現とみ国とを思って」、非人格的で無関心な態度で神のみ言葉を教えることは決してできません。聖書を教えるということは、神のみ霊が私たちに教えていること分かち合い、私たち自身の生活に当てはめることです。それはきわめて個人的なものです。
 第三にテモテへ当てた手紙の全体に散りばめられていることですが、パウロは信仰深い教の特性をあげています。私たちの生活の中でこうした品性をますます積み上げるように私たちは祈りをあつくして神に求めなければなりません。
 教師の特性① 生きた信仰「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」(Ⅱテモテ1・5)
 教師の特性② み言葉の勤勉な生徒であること。「あなたは熟練した者、すなわち、真理みことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう努め励みなさい。」(Ⅱテモテ2・15)
 教師の特性③ 信仰深いことの模範。「かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。…聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。…老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物軽んじてはいけません。これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。」(Ⅰテモテ4・12~16)
 教師の特性④ 感謝している奉仕者の精神。「私は、私を強くしてくださる私たちの主キスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、を忠実な者と認めてくださったからです。」  (Ⅰテモテ1・12)
 教師の特性⑤ 常に自分自身の罪深さと神の憐れみを知っていること。「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主のこの恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。「キリスト・イエスは、罪人救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値うるものです。私はその罪人のかしらです。(Ⅰテモテ1・13~15)
 教師の特性⑥ 弟子を育てること。「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にもえる力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(Ⅱテモテ2・2) 
 教師の特性⑦ 一致をつくりあげる人。「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。愚かで、無知思弁を避けなさい。それが争いのもとであることは、あなたが知っているとおりです。主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対す人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理をさとらせてくださるでしょう。それで悪魔に捕えられて思うままにされている人々でも、目ざめてそのわなをのがれることもあるでしょう。」(Ⅱテモテ2・22~26)
 教師の特性⑧ 伝道への心。「しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」(Ⅱテモテ4・5)
 パウロとテモテは「十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」(ルカ・40)という積極的な例を示しています。テモテはパウロとよく似ています。その教師と弟子の関係はおそろしいものです。他の人々へ与える私たちの感化はこわいものです。それはまた素晴らしいものでもあります。「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」(ダニエル12・3)
 弟子に対するパウロの強い献身の証しは、彼がイエスを手本として従ったために、パウロ模範に続くよう私たちを駆り立てます。「…それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。」(Ⅰテサロニケ・7~8)
   わたしは、わたし自身の心から湧き上がる抗議を聞くので、あなた方のうめきも聞いていくことができます。:私はおそらくこのことができません。私たちの救い主はそのことをご存じで、キリストはそのために備えをしてくださいました。明らかに、パウロはテモテが同じような頼りなさを持っているということを知っていました。というのは、彼がテモテに挑戦をもとめたとき、備えがあることに、彼の注意を向けさせたからです。「そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。」(Ⅱテモテ1・14)
 私たちの導き手であり、教師であるのは聖霊です(ヨハネ14・15~26)。聖霊は私たちが自分で生み出すことのできないものを私たちに生み出してくださいます。「…御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5・22~23)。私たちの生徒たちが真理を信じることができるようにされるみ霊は、また私たちにも信じ、生き、真実を語ることができるようにして下さいます。
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
 
「契約の継承」(57)
第8章 村人と村の生活
 神の契約にそって生き、教える(2)
村人と村の生活
 
 神が私たちに対して持っておられる契約関係は、私たちの相互の関係に反映されるべきです神は御言葉において、このことを語っておられ、それがどのようなものか、イエスの人格にいて私たちに示されました。示すことと語ることは、人を教えるための強力な方法です。
 私たちはみな、常に信じていることを見せたり話したりします。 時には、私たちは聖書真理を語ったり、示したりします。時々、私たちは聖書の真実を語り、行為では真理でないとを示すことがあります。もし、私たちが何も言わず、何も示さないことを考えるなら、そ黙っていること、受け身の態度が、私たちの表すメッセージです。
 契約の村では、その村のみんなが、教師であり、みんなが生徒であるという考えがありますもちろん、その教師と生徒の関係は、公式的な教育の場ではもっと親密でより計画的ですが次に述べる原理はすべてに当てはまります。それらは、私たちが信じていることを示したり語ったりするとき、これらの原理は家庭でも教会でもあてはまるものです。
 
 
教師というもの(1) 
 
 イエスは言われました。「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はな、自分の師ぐらいにはなるのです。」(ルカ6・40)。このみ言葉について、興味深い1のことは、イエスがこれが良いとか、悪いとか、と言っておられないということです。ただのようになります。あるところまでは生徒は彼らの師のようになれるでしょう。
 ヤコブがこう語るのも不思議ではありません。「私の兄弟たち。多くの者が教師になっていけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」(ヤコブ3・1)
 パウロは、彼が大胆にこう語るとき、私たちがこの呼びかけから後退して行かないよう励しています。「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(Ⅰコリント11・1)
 イエスは次のように言われるとき、私たちに注意を与え、注意を喚起しておられます。すわち、「戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えりする者は、天の御大な者と呼ばれます。」(マタイ5・19)。
9b6c665c.jpg キリストの栄誉と契約にあずかっている人たちは、彼の命令を実践し、教えることによって他の人々と情熱を分かち合わずにはおられません。ある人は、非公式な立場で、養育の関係中でこれをします。公的な状況でそれをする人もいます。彼らはそうせずにはおられません彼らの心は燃えていて、イエスが生きておられることを他の人に伝え、また彼らの生き方でします。
 私たちがもっと有能な教師たちになれるための道を探っていくにつれて、この議論が方法よりも、原理的なものに関係することに気づいて欲しいと思います。そのため、それはあらる年代に、またあらゆる人間関係に当てはめることができます。私たちの成人した子どもたち孫たち、私の教会学校のクラスの生徒たち、教会で私がふれあう子どもたちや大人たちにもてはまります。
 第一に私たちは「わたしの生徒たちに対してわたしの目指すゴールは何か」を問わなけれなりません。その答えをパウロは示しています。「私たちは、このキリストを宣べ伝え、知を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキストの力によって、労苦しながら奮闘しています」(コロサイ1・28~29)。
 即座に私たちは、とてつもなく大きな時間と感情のエネルギーを投入する現実に直面します「労苦」と訳された言葉はギリシャ語のコピアノという言葉で、その意味は、労苦するとか疲れるという意味です。「尽くして」と訳されている言葉はギリシャ語のテレイオスという葉で、目的地に着いたとか、完全であるとか、成熟したという意味です。私たちはキリストある成熟さより低いものに、決して良しととしてはなりません。そういうことでは、生徒たが天で栄光を受けるまでは、最後の完成に達してはいないのですから、私たちが最後まで教通したことにならないのです。それが究極のゴールです。つまり、『よくやった。良い忠実しもべだ。……主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ15・23)とキリストがいうこができる私たちの天の父に生徒を見せることです。
 第二に、私たちは内容・文脈という原理について、絶えず注意しなければなりません。聖的な真理は愛の文脈の中で教えられるべきです。パウロは若いテモテにこのことを強調しまた。「御言葉を伝えよ」(Ⅱテモテ4・2)という命令のすぐ前で、パウロはテモテに、彼が教えられたかということと、誰が彼に教えたかということを思い起こさせました。アレンカーリー博士は、パウロがテモテに教えた言葉や、彼の教師たちについて、彼に思い起こさたのだと言っています。
 
  けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなた
  は自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころ
     から聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵
  を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることがで
     きるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と
  義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのた
     めにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
                                  (Ⅱテモテ3・14~17)
 
 テモテは契約の子でした。彼の教師たちは、彼の祖母ルイスと、母ユニケ、そしてパウロ身でした。これら三人がテモテに自分たち自身を投資しました。テモテは幼少から信仰の言を教えられてきました。彼は、信頼と服従を学ぶ過程をたどって来ました。彼は自分自身が何を教えられてきたか確信を抱くようになりました。彼が今や、自分で教える働きをはじめるとになったので、パウロは内容・文脈の両方を彼に思い起こさせます。彼に聖書の権威と教た人たちの信頼性の高さとを思い起こさせます。パウロはテモテや、そして私たちにも聖書生ける神の言葉であるからこそ、その神の言葉に従う責任があることを教えます。教師たち従順や不従順に関係なく、御言葉が私たちの権威であるため、それに従わなければなりませんそれが私たちの信仰と実生活のルールです。しかし、テモテには、彼の前に生きて彼を教え人たちを思い出すことができるという大きな強みを持っていました。そのためパウロはテモに他の弟子たちがする以上のことをするように求めました。
 
  神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イ
     エスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
     みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
     寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
                                         (Ⅱテモテ4・1~2) 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
 
 
 
「契約の継承」(56)
第8章 村人と村の生活(1)
  神の契約にそって生き、教える(1)
 
グラニー 
 
 十年前に、質問にはほとんど何でも答えることのできる契約の子たちからなる青年のグルプがありました。この賢い、創造性のある、言葉もうまく、生意気で、物知り顔をする高校のグループの中に、(ペニー・パッパスという名でも知られた)グラニーが加わりました。女はやって来た最初の日曜日に、私たちが古い長いすの上にぼんやりと座っているのを見つました。グラニーは、私たちに自分のテーブルの周りに寄ってくるようにと言いました。私ちの中の頭のきれる青年たちの一人がその要求をはねつけて「どうして?」と言い返えしまた。おそらく、ここで、グラニーパッパスとジョン・パッパスが四人の子どもたちを育て上た人であることを言っておくのが良いでしょう。彼女はまた教師でもあったし、私たちのクリスチャンスクールの校長でもありました。言うまでもないことですが、彼女は私たちの反抗な言葉や質問、かしこぶった態度をはねつけることはありませんでした。
 グラニーは、私たちに多くのことを教えました。まず第一に、彼女は誠実に一人一人に関ってくれました。私たちが言っていること、私たちが考えていることを彼女は気にかけてくていました。私たちはすぐに、彼女がここにいるのは、私たちの教会の長老たちが彼女に頼でいたこと、もっと大切なこととして、その生意気なグループに、主が彼女に愛を与えるよにさせたのだということがわかりました。彼女は要素を示して、私たちは神のみ言葉からのっきりした教えと共に、正しいエチケットと、権威を敬うことと、そして互いに忍耐しあうとを学びました。
 私たちの中に僕としての心を育てるために、グラニーは教会の中で、義務として、私たち常に仕えてくれました。家族での夕食会を催すことや、訪問すること、年配者たちのために用をすることや、子ども部屋で助けることなどで。……この十代のグループは私たちの教会彼女が結婚式に料理を整えるときには、グラニーを助けるほどまでに上達してきました。私ちが取り組むことができないような仕事はなく……テーブルを飾ること、花をいけること、の駐車のこと、台所できざんだり、調理することさえできました。16355bf8.jpg
 私たちが一緒にいるときは多くの楽しいこともありました。グラニーと彼女の主人は骨董で溢れる素敵な田舎風の家を持っていて、台所にはいっぱいの料理ができる調理場があって入っていった人たちが愛されている、歓迎されていると感じさせるような暖かい雰囲気があました。この家で、グラニーは私たちを年越しの夜ももてなしてくれました。そこには、基的なきまりがありました。女の子たちはパーティー用のドレスを、男の子たちはスーツか、キシードを着なければならないことでした。私たちは彼女の家の素晴らしい食器で食べ、彼の夫は夕食をつくって、給仕をしてくれました。私たちは、本当に成長して大人になって、別扱いをしてもらえたように感じてうれしかったのです。またあるときには、彼女とジョン私たちが日曜学校で教えられていることについて話し合うために、私たちの両親を夕食に招て下さったこともあります。グラニーは、私たちみんなが、心を開いて話を続けるようにと生懸命でした。
 時として、グラニーは特別な主題を語るために、いつもの日曜学校のカリキュラムからはれることもありました。一つの例をあげれば、デートとか、結婚、性道徳に関することでした。
私たちは、聖書的な原理に注目し、パネル討論に参加して下さる教会の古い幹部会員たちをき、彼らが私たちの年齢のときに遭遇した幾つかの誘惑について、難しい質問もすることがきました。このことでは、かずかずの有益な結果を得ました。そのことは、まず第一に私たは長老たちの経験から有益な学びをしました。彼らは私たちに、かなり率直でした。第二番にそれは、世代間のギャップの橋渡しをし、お互いに分かち合い、違った視点で互いを見るに役立ちました。
 私たちは変わり始めました。彼女の不屈な指導と模範に結果が出始めました。グラニーにする深い愛と尊敬と感謝の思いは大きくなり、それは今日に至るまで続いています。この素らしい婦人のおかげで、より包括的な世界観を聖書的にさらに身につけた23歳~26歳の人たちが今では8人います。
 わたしは、神が真実であって、ペニー・パッパスをお用いになったことを証しします。彼は退職後も喜んで、再度奉仕しようとしていました。
                          ローブ・ペイテテ
                          マイアミ・フロリダ
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                   
 
 
 
「契約の継承」(55)
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
神学的な一貫性と組み立ての調和(5)
讃美せよ。畏れるな。(5)
 
キリスト教教育の考えe8fd107d.jpg
 
 以下はキリスト教教育委員会が誠実と巧みさをもって強力なプログラムづくりができるための実践的なアイデアです。
 
1   キリスト教教育のプログラムのどの部分もすべて委員会で説明されるべきです。
   それは、その仕事をしている人たちが決定に参加するためです。また、そうす   ることが、人々に委員会で教育訓練をしてもらうのに役立つかもしれません。
 
2  委員会は教会の長老たち(または治めている組織)のヴィジョンとゴールを知   るべきです。またキリスト教教育委員会には、独自のヴィジョン、目的を記し   た文書があるべきです。
 
3  委員会の委員長は一致の霊をもたらすようエネルギーを投入し、委員会のメン   バーの間の一致と支え合いの精神面の強化にエネルギーを投入すべきです。誰   もが委員会の他のメンバーからの攻撃を恐れることなく、オープンに、そして   正直に話すことができる雰囲気がつくられるべきです。委員会の各メンバーが   約束すべきことは、お互いに祈ること、プログラムの一部だけでなく、プログ   ラム全体にとって、何がベストであるか、よく祈ってさがすこと、互いに敬う   こと、機密を守ること、そして、いったん決定されれば、「一つの声」となったその会合を閉じることです。委員長は一人か二人に話し合いを牛耳らせてはいけません。時には、みんなに自分たちの考えを30秒にまとめたものを一回り聞いたりして、話し合いを進行します。ケン・サンデ著の『平和を創り出す者は話し合いの対立を扱っていて、聖書的手順を学ぶのにとても優れた情報源です。
 
4  どのプログラムが相応しあるのか、各プログラムの中でどのカリキュラムが用   いられているか評価して、必要と機会を検討しなさい。そして、ギャップを判   定しなさい。それから、はっきりした目的を持ったプログラムを企画し、その   目的達成を促進する教材を見つけなさい。
 
5  プログラムに焦点をあてたキリスト教教育のテーマをもつように考えなさい。
   (2章の終わりのキリスト教教育のアイデアを参照してください。)
 
6  各章の終わりにあるキリスト教教育のアイデアの項をもう一度読んで、あなた
   のプログラムをより強固にさせているところがあるかどうか調べなさい。
 
7  この章にあげられている利点をもう一度読み、あなたのプログラムに適用でき
   ることを話し合いなさい。
 
8  教師を採用するときには、プログラムの目的や、使われるカリキュラム、教師
   への期待、祈りの支援委員会からの約束について明確に書かれたものを手渡し   なさい。
 
9  契約に基づいた取り組みが示されるときは、教師の訓練の時間をとりなさい。   委員会のメンバーと教師たちに以下のプリントを用意して契約的な展望を守れ   るように手助けしなさい。
   契約の内容を教える助けとなるそれぞれの学びについて、教師が尋ねる質問事   項:
   ●これは神のご性質について何を教えていますか。
   ●これは契約の仲保者のイエスについて何を教えていますか。
   ●聖書を学ぶ者に適用する契約の特権と責任は何ですか。
    少なくとも一つの分野で共同体を築いていることを確かめるために、それぞれ
    の学びや、活動や、プロジェクトや、行事について、教師が尋ねる質問
   ●どのようにしたら、私たちのクラスでは共同体が築かれますか。
   ●どのようにしたら、私たちの教会の他の会員と共同体が築かれますか。
   ●どのようにしたら、この世で神のみ国が発展しますか。
   (本書のための「指導者の手引き書」は教師たちを助けて、これら二つの質問を学びと合わせて、完全にするために書かれています。この手引き書における考えと構成は他の学びを教えることに用いることができます)。
 
10 教師の集まりや、書かれたメモを通して上記の質問や、キリスト教教育のテー
   マについて思い出しながら、頻繁に教師と連絡を取りなさい。集まりでは、教   師たちにどのように実践していて、その効果が生徒の間で見られたかというこ   とを教師たちに証しをさせなさい。
 
11 その目的が達成されているか、また公にした目的がまだ有効かどうか、を確か   めるために、それぞれのプログラムについて年間の評価をしなさい。
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                   =複製厳禁=
 
 
「契約の継承」(54)
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
 
神学的な一貫性と組み立ての調和(4)
讃美せよ。畏れるな。(4)
 
 結びのことば:
 
  それから、ユダとエルサレムの人々はひとり残らず、ヨシャパテを先頭にし
  て、喜びのうちにエルサレムに凱旋した。主が彼らに、その敵のことについ
  て喜びを与えられたからである。彼らは、十弦の琴、立琴、ラッパを携えて
  エルサレムにはいり、主の宮に行った。地のすべての王国が、主はイスラエ
  ルの敵と戦われたということを聞いたとき、神の恐れが彼らの上に臨んだ。
   このようなわけで、ヨシャパテの治世は平穏であった。彼の神は、周囲の者
    から守って、彼に安息を与えられた。
                                 歴代誌下20・27ー30
 
 私たちはしばしば大軍に直面します。時々、自信を失います。時には、み国の働きの重荷に打ちのめされたと感じて恐れを抱きます。また、時には疑いを持ちます。ー結果に関係なくこの若い青年に神のみ言葉に従うよう本当に励ますべきなのかと。時にはクラスで救われていない人や、言うことを聞かない契約の子どもが大変な重荷なこともあります。時には契約の共同体の一致が壊れることを恐れる心の葛藤があります。疲れる時もあります。時には、霊的戦いのために暗く塞ぎ込むこともあります。ヨシャファトの祈りは何度もわたしの祈りとなります。「わたしは力がありません…何を為すべきかわかりません…ただあなたを仰ぐことしかできません」。それからわたしは気がつくのです。ソロモンとヨシャファトの肩を借りて、主のみ前に立ち「主は恵み深く、慈しみはとこしえに」と繰り返し言っていることに。
 わたしは他者にわたしと共に立ってくれるよう頼むなら、わたしがもっとしっかりと立つことーこれが契約に基づく方法ーを学んできました。集められる祝福の数々は金銀よりも遙かに価値があり、長く続くものです。
 
覚えておくべき点
 9d9afab1.jpg
 巧みな手と、全き心をもって人々を養うためのビジョンと情熱のある人を、私たちは何処で見つけるのでしょうか。羊の檻の中を見てください。それをしている人々を探してご覧なさい。呼んでご覧なさい。助けてあげなさい。励ましてあげなさい。祝福してあげなさい。
 月並みに甘んじてはいけません。祈りの場所で心を高く揚げ、讃美して、ベラカの谷へ進み出て、神の恵みによって、あなたの努力に聖なる油注ぎの祝福を受けなさい。スコットランドの神学者が次のように讃美の力について説明しています。
 
神殿の奉献の時には、多くの祈りがささげられ、神に受け入れられたこと
を示す何の聖別のしるしもなく、多くのいけにえが献げられた。しかし、
詠唱者と奏者がまるでひとつであるように、一つの響きをつくり、主を讃
美し、感謝して「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と言うと、主
の栄光が降って神殿に満ちた。
 
問い:  私たちは教会においてどのようにキリスト教教育の働き計画し、実行した     ら良いのでしょうか。
 
答え:  キリスト教教育委員会が包括的なプランを巧みにつくることです。それは   神のみ心の全体が神学に基づき、関連性をもって誠実に教えられるためで     す。プランとプログラムと人が祈りで満たされなければなりません。
 
 契約を守る人になる
 
1  詩編百篇を読み瞑想しなさい。
2  歴代誌下20章を読み瞑想しなさい。直面している大軍のことを考え、ヨシャ   ファトの祈りをしなさい。
3  この章の終わりにあるスコットランド神学者からの引用文をもう一度読んで下
   さい。主を讃美する考え方で全生涯を見るように祈りましょう。
4  キリスト教教育プログラムのよく練られたプランが与える益を振り返って見て   ください。あなたの教会でこの分野で働いている人たちのことを神に感謝しな   さい。どのようにしたら彼らを励ますことができるのかを考えなさい。神があ   なたに参加を求めておられるかどうか祈りなさい。
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                 
 
 
 
 
 
 
「契約の継承」(53)
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
 
神学的な一貫性と組み立ての調和(3)
讃美せよ。畏れるな。(3)
 
ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのよう
に一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシ
ンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深
い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その
宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこ
に立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。
 
 ヨシャパトの戦略は本当は奇想天外ではないのです。彼はおののきません…彼は讃美することが、神のみ前に近づく相応しい方法であることを歴史を通して知っているので、王の王を讃美して民を導きます。詩編の著者はそれを美しくうたっています。
 
  感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名
  をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代
  々に至る。
                               詩編100篇4~5
 
 わたしはこの物語が好きです。話はますます良くなっていきます。ヨシャパトと彼の軍隊は進行中です。敵はもう見えません。しかし…
 
  彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻
    めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち
    負かされた。アモン人とモアブ人はセイル山の住民に立ち向かい、これを聖
    絶し、根絶やしにしたが、セイルの住民を全滅させると、互いに力を出して
    滅ぼし合った。
                                    歴代誌下20・22~23
 
 神の契約の民は荒れ野を見渡せる山頂に来て大軍が見えるのを期待していましたが、「その地には、死体が横たわり、生き残った者は一人もなかった」(24節)
 話はなお更に良くなります。
 
   ヨシャパテとその民が分捕りをしに行くと、その所に、武具、死体、高価な
  器具を数多く見つけたので、これを負いきれないほど、はぎ取って、自分の
  ものとした。あまりにも多かったので、彼らはその分捕りに三日かかった。
                                            歴代誌下20・25
 
 610f2453.jpg人の目線による観点からは風変わりに見える人たちにもかかわらず、彼らは契約に基づいて考え祈り行動しました。自分たちの力によるのでなく、主にまったき信頼をおいて前進しました。そして戦利品を集めるのに、三日もかかりました。その地を祝福を意味するベラカの谷と呼ぶのは当然です。
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                   
 
 
 
「契約の継承」(53)
第7章 キリスト教教育のための方策
  神の契約にそって生き、そして教える
 
神学的な一貫性と組み立ての調和(2)
讃美せよ。畏れるな。(2)
 
  ヨシャファトの祈りに続いて、主の霊がヤハジエルに臨んで、会衆の前に立って言いました。
 
「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞き
なさい。主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただ
しい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあ
なたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。あす、彼らのところに攻め
下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエル
の荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。この戦いではあなたがたが戦うの
ではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救い
を見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならな
い。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。』」
                          歴代誌下20・15ー17
 
 見たところつじつまの合わないヤハジエルの言葉に注意してください。彼は戦いは自分たちのものではないと告げていますが、すぐ続けて攻め下れ、陣地を定めて、堅く立てと言っています。大軍が攻めてきている時の相応しい陣地とは何でしょうか。ヨシャパテの瞬時の行為から、学ぶことができます。
 
それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの
住民も主の前にひれ伏して主を礼拝した、
                                            歴代誌下20・18
 
 この教訓の妥当性は大昔から誇張されることにはなりません。大軍が私たちを攻めてきているとき、ここにその戦略があります。他の信者たちを集め、ヨシャパテの祈りをしなさい。それから、私たちの主権者のみ前にぬかずいて、礼拝しなさい。
 物語は更に良くなります。大軍は攻め進んで来るとき…s-200809150816001.jpg
 
…ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエ
ルの神、主を賛美した。こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣し
た。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレ
ムの住民よ。わたしの言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠
を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」
                              歴代誌下20・19ー20
 
 ヨシャパトは民と相談し、それから今までに聞いたこともないような奇想天外な作戦にでます。前衛部隊に一番強い戦車を置くのではなくて…
 
 それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着け
て賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌
うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
                                             歴代誌下20・21
 
  こんな光景を想像できますか。もしその動きを見ている敵の偵察がいたとしたら、その報告書をどう書くか考えてみてください。けれども契約に基づいて考えている人にとっては、これは全く特異なことではありません。契約の民たちは過去の人たちの肩を借りていただけであって、契約の見地から、その状況を判断したのです。この特別な場合にあって人々はソロモンの肩を借りました。彼らは神殿が完成したときにうたわれた、まさにその歌を歌いました。そしてもちろん、同じ効果を期待したのです。ヨシャパトが心に抱いていたに違いないという心の絵を手に入れるために、歴史の時計を百年位もどしてみましょう。歴代誌下5章13~14はこう記しています。
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                   
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日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
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本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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