201810月 号 №135 通巻820号 号
「つのぶえジャーナル」へようこそ
涙をもって種まく者は、
     喜びの声をもって刈り取る。 詩篇126:5
 

  今月のことば

 

 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。

        ~Ⅱテモテ4:7~

 パウロは一生の旅の終点に立っておりました。彼は疲れ果てるまで日毎に労し、多くの困難な戦いを経てきました。そうして今、戦いの終わりも日の暮れるにつれて見えてきました。このような確かさ、このような平穏な、信仰の勝利をもって、生涯の終点に立つ特権を得ることは、素晴らしいことです。それはちょうど、上なる空は、明るい金色の雲に覆われている大空の夕陽を見るようだ、と詩人は詠っています。

 

 パウロが最も喜ばしく感じていたことは、生涯の戦いを通じて信仰を守り通したことでありましょう。これは、彼が信仰に「よって」戦わなければならなかったものばかりでなく、信仰の「ために」戦わなければならなかった者の一人でもあったことを知らされたことです。この戦いをしてきた者は、すべての戦いの中で、これが最も困難なものであることを知っています。

 

 神への信仰、キリストへの信仰、天国と死後の命に至る信仰が崩れ始めると、すべては夜の闇となり、逃れる道が見えなくなります。しかし、信仰者はこの道を通らなければならないのです。「わたしが命である」と言われたイエス・キリストへの道です。

 

 しかし、これを安全に、安らかに通り抜けるとは、なんと驚くべきことでしょう。もはや、弱った足がわたしたちを運ぶことができなくなっても、目が真昼の中に暗闇を見つめる時、平和な国、温かい家庭・家族との憩いの時と、そうして永遠の日を見る信仰を持つことは、言い尽くせない大いなることです。

 

 大切なことがあります。それが長い短いという生涯ではなく、自分の旅路の終わりを知り、「喜ぶ」ことのできる信仰が与えられ、持っている今であることを知っていることです。

 

 わたしたちの唯一の拠り所を知り、そこに生き、それを証しすることに尽きることを、パウロは語っています。

 

  小閑記

 

 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は二度と外へ出ることはない。

           ~黙示録3:12~ 

 「柱」という一文字には、人それぞれに重みをもち、その時々に意味を持つ言葉と言えます。

 言うまでもなく、「柱」というものは、支えであり、力であります。「柱」は家をまとめ、強くします。大建築物には「大黒柱」があり、また装飾のためにも用いられます。

 

 この10月号のみ言葉では、単なる建物や生き方にかかわることではありません。神様からの「恵み・恩寵」とも言えるお言葉のことです。イエス様は、勝利を得る者を、「わたしの神の聖所における柱にしよう」と言われます。これは単に、勝利を得る者が神と共にいる家で、上席を得るということばかりでなく、現在、ここで、地上の神の宮で、勝利を得るキリスト者は、「柱」となることを許されるという、深い恵みのお言葉・約束です。

 

 神の民は、聖書によりますと「神の宮」であります。「あなたがたは神の宮であって、神のみ霊が自分のうちに宿っていることを知らないのですか」。と言われているのです。

 

 神の宮が支える力を必要とする場があるとすれば、それはこの地上であります。わたしたちの中の神の家が完全に立っているためには、勝利を得るキリスト者によって支えられなければならないのです。

 

 わたしたちの中に、そういう方がおられるのです。それは「あなた」です。人それぞれの信仰の歩みがあります。人は、わたしはだめだ、信仰心が弱い、と言われる方がおられます。しかし、本当にそうでしょうか。信仰の歩みの中で、神を愛し、讃美しない信仰者はいるでしょうか。「主の祈り」を口にしない人はいるでしょうか。

 

 信仰者の歩みは、その生涯を通して、祈りと隣人への愛ととりなしの祈りを捧げてきた歩みなのです。人からは何の報酬もなく、時には敵意に満ちた非難も受けるでしょう。それでも、祈らされ、祈らずにおれないのが「信仰者」なのです。

 それは、神から賜った「柱」の感謝のしるしだからです。「神の国」は、こうして受け継がれて来たのです。そうして後に来る人へと受け継がれていくのです。

 

 

世田谷通信(181

猫草

夏休みの土曜日、次男と一緒に代々木まで出かけた。「ミダシナミクラブ」というイベントに参加するためだ。これは特別支援学校の先生達の発案によるもので、障害のある子ども達が自分の服装や身だしなみにどうやったら関心を持てるか、という授業の一環から始まったものだ。

  電車や街中で、こんなことはないだろうか。ちょっと年齢にそぐわないキャラクターの服や小物を持っている人、Tシャツをズボンの中に全部入れている、逆に下着がちょっとはみ出している人。なんだか違和感があって、ちょっと観察しているとどうも障害のある方のようで、ああそうか仕方ないかなと思ってしまうこと。それは、家族や身近な人たちがちょっと気をつけてあげたら改善されるのではないか、本当は本人がかっこよくなりたい、周りに素敵と思われたい、と自覚すれば一番良いのではないか。

 そこでプロのモデルさんやカメラマン、ファッション業界の方々に協力していただき、障害のある子どもとその保護者が参加するイベントが企画されたのだ。会場は代々木にあるホール。そこにはたくさんの服が並んでいるスペース、撮影用の白い幕のあるスペース、スタッフはモデルさんやスタイリストさん等の他に先生や保護者など有志がたくさんいる。受付後、名前を呼ばれ、子どもが自らたくさんの服からモデルさんと一緒にコーディネートする。小物の帽子やサングラス、靴も。そして着替えて白い幕の前でプロのカメラマンに撮影してもらうのだ。

服はシンプルな物が多いが、色が抑えてあるので、どう組み合わせても、びっくりするぐらいお洒落になる。かっこいいね、素敵だね、いいね!と声をかけられてシャッター音が響くうちに写真が苦手な子も、皆モデルのようにポーズを決めて笑顔になっていく。物怖じせず堂々としている。家族写真も撮影してくれる。皆が幸せそうに笑っていて、それは奇跡のような瞬間だった。

実は次男と電車で出かけるのは数年ぶり。行きは落ち着いていて、会場でも待つことができて、服も選んで、写真もスムーズ。かっこよくポーズを決めた我が子をみて、なんて夢のようなイベント、来て良かったと思った。この試みが長く、全国で、いえ世界で続き、拡がるといいのにと願う。

 

 

   『美しい朝に』・・47・・

8月15日

 こんばんは。本当に秋の気配が感じられますね。どんどん気温も過ごしやすくなってきました。寝苦しさは楽になってきました。久しぶりに、仕事の電話でしたが息子の声を聞けました。元気そうでホッとしました。

今日は、また、雨が降りました。台風がまたきているようで大雨のところも

あるようですね。精神的に疲れていたり、身体も限界の時の「頑張って下さい」の励ましは辛かったですね。「何も出来なくてもそのままでいいですよ」「大丈夫。大丈夫。」「マイペースでいいから」「30年もたてば今よりも楽になっているはず」などが、楽だったかもしれません。後は、一時的な現実逃避がいいですね。

まじめな性格の人ほど「普通」に出来ないことに悩みます。眠れなくてもいいのです。1日の睡眠時間とか体内時計とかどうでもいいと思います。4日間、全く眠れなくても、朝でも昼でも「ほんの少し」うとうと出来たら幸せだと思える自分になれたらいいと思います。

8月23日

台風の進路になりましたので、大阪も雨風が強くなってきました。大雨・暴風・波浪・高波警報が発表されたようです。台風が大きくて心配なので懐中電灯を枕元に置きます。携帯と充電器も近くに置いておきます。念のため、避難の用意は玄関に置いておきます。

8月30

昨日29日は、神経科でした。9月ももうすぐというのに晴れていて猛暑で、
やはり頭がふらふらしました。今日30日は内科でした。2日続けて病院だったので睡眠不足もあり体調は最悪でした。かなり身体もだるくてのども痛くて下痢嘔吐もあり、お薬をだしていただきました。
 最悪の体調でしたが、なぜか体重もキープでしたし、血糖値は下がっていました。体調が悪かったので食欲が出なかったのがよかったのではないかと勝手に思っています。お祈り感謝です。
95

昨日4日は、病院はキャンセルしました。今までにない大きな台風で、壁が飛んで落ちてきてうちのベランダの屋根が破れ、網戸も破れました。色々なものが強い風で飛ばされ落下しているみたいです。ベランダの割れたプラスチックの屋根は、金具で固定されていてかなり分厚いのですが、重い壁(どこのおうちの壁かまだ確かめれていません)が、飛んできて割れたみたいです。
 重い壁は風ではがれたのか、いくつも飛んできて3階にも2階にも1階にも落ちていました。(20cm~30cmぐらいの大きさで)うちの屋根の上のアンテナもまがってしまいました。
 近くのおうちの屋根も前のマンションの駐輪場の屋根も同じように割れていました。家の裏も大きな木の枝が折れて、どこから飛んで来たのかトタン板が2枚落ちていました。昨日の台風の中では、どこから飛んで来たのか家の前の電線に「すだれ」が引っかかっていて停電しそうな気配でしたが、しばらくするとその「すだれ」も飛ばされたみたいです。
 大阪でこんな大きな台風ははじめてでした。母の住んでいるマンションも色々と被害が大きかったようです。

98

 こんばんは。近くの公園の木が折れていたそうです。娘が写してくれました。知り合いの方の家の屋根も飛んでしまったようで家財は水浸しになったそうですが、修理は予約でいっぱいで、いつになるかわからないそうです。店先のテントが曲がったり、シャッターがこわれていたりするお店もあります。

910

 こんばんは。また、真夜中に寝れません。4日の台風で11日に血液内科の予約をかえていただいたのですが、鼻血が出たり足の湿疹が気になったり、ITPの血小板が減ってきた症状のようで不安です。3か月前に「血小板を攻撃する数値が増えてきた」と言われたので、余計にそう思うのかもしれません。再発した場合、もう1度頑張る自信がありません。

913

 こんにちは、11日は血液内科でしたが、体調が悪くて大きな点滴をしていただきました。ステロイドの点滴ではありません。ITPという難病は自分の身体の中で自分の血小板を攻撃する数値が上がり、血小板の数が減少すると血が固まらなくなる病気です。こけたり、ぶつけたりして身体の外のけがの出血でも身体の中での内出血でも血は固まらないのでとまりません。

難病指定されている病気は、原因も治療法もわかっていないのです。数値が落ち着いていても、無理をしてはいけないのだと思いました。血小板が下がりすぎると、輸血とステロイドの点滴ステロイドを多量に服用をするのが対処方法ですが、ステロイドで血糖値が上がると、ステロイド糖尿になります。

食事で血糖値をコントロールしてきたことがふり出しに戻るのが、いたちごっこのようでむなしくなります。ステロイドで効かなくなると、新薬を試すことになります。原因も不明ですが精神的なストレスや睡眠不足・体力の低下も

関係するのかもしれないようです。今は、水分以外うけつけません。先生の指示で点滴のスピードは「1時間以上」と言われていましたので、大きな点滴でしたが、ゆっくりと1時間30分以上かかりました。

点滴は何回もしていただいていると「ゆっくり」は数値が悪いのだと察してしまうのが、自分でもいやになります。点滴をして頂いたのに、身体のだるさは軽くはなりませんでした。眠れはしないですが、家で安静に過ごしています。

残念ながら、今は「祈る」ことも出来ないようです。

通院の途中でも瓦が落ちている被害が目につきました。どうも、瓦を直すのに使う「土」も不足しているようです。

(このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)  

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

    (150)

8月20日

 3匹いた犬たち。それぞれ長生きでしたが、そのクロが亡くなってしまった(18年10か月)・・・。今は犬たちの姿はどこにもありません。大好きだった庭に埋めてあげました。昨日は緊張していたのか、苦しむ姿が安らかになったのを見終えて、ほっとしていましたのに、今朝はいつもいるところにいないクロ、苦しんでいたよう様子をうかがわせるクロの動き回った後を思い出すと、もう涙でいっぱいになってきます。動物でしかも、何も言えない犬なのに、姿が見えないのはとても悲しく、つらくなります。一日、一人で家の中にいると、気持ちが落ち込んできます。我が家の犬のことで、このように悲しんでいたのでは申し訳ないのですが・・・。

 甘えん坊のクロ。モモたちと、仲良く過ごすんだよと、一日に何度もお墓に行っては話しかけている私です。

老犬に涙の溢る秋の暮れ。

老犬の苦しく鳴きぬ秋の夜。

最後まで老犬歩きぬ草の花。

しもつけの残りを供ふ犬の墓。

散歩せし犬との年月秋深む。

再会を約す別れや秋の風。

クロの死を悼んで。       馬場路哉

自宅に帰ってくると必ず玄関に寝そべっていた最後の犬のクロの姿が見られなくなって、主人も只今と語り掛けても返事をする相手がいなくなってしまったというのです。本当にこのような犬のことで悲しんでいる私をお許しください。気持ちを切り替えて、今日から夕散歩に出かけようかなという気持ちだけは勢い込んでいるのですが・・・。

826

 今日も、こちらは35度越えの蒸し暑さです。皆さん朝早くから頑張りました。たくさんの捨てられた空き缶、ごみを集めると一袋では収まりません。田舎の道に車から投げ捨てるなんて、マナーの悪さに愕然としました。その後、草刈りを手伝うと、その草の中からまた空き缶やごみが出てくるのです。自分の出したごみを自分で処理できないなんてとあきれた暑い一日でした。

クロがいなくなって一週間がたちました。毎日、クロやモモ、桜と一緒に過ごした楽しかった思い出を柱の傷や玄関のドアをかんだ痕を見ては寂しさを感じている私です。

829

 三年ぶりでしょうか。娘が山添村の空気を吸いに帰ってきました。朝から大忙しです。埃だらけの部屋を掃除しなければなりません。主人と二人で掃除機をかけたり、雑巾がけをしたりと。掃除嫌いな私たちにとっては大変な朝でした。

幹登るありの高きに至りけり。

小鳥来る樫の大樹に潜みもし。

井戸替えや水は命を持てるとも

蓮の花短き命輝かす。

灯火親し青畝風土記に旅心。     馬場路哉

いつもジャーナルにたくさん載せていただいてとても喜んで励んでいる主人です。

830

 八月を終えようとしています。昨日はとても不思議なことがありました。娘たちと台所で話をしている時にです。最近はめったに見ない大きなトンボ(オニヤンマ)が私たちのいる部屋の中に入ってくるのです。それを見た娘はとっさに、“クロがトンボになって帰ってきたんだね”というのです。私ははっとして、そういう考え方もとても良いものだと思いました。

楽しそうにしているところへトンボも加わりたかったのでしょう。なかなか外に出ようとしません。そのダイナミックな姿から、犬のクロのことを私もふと思い出していたのです。“長い間ありがとう”とでも言ってくれているかのようでした。

 灯火親し老いの読書は少しずつ。

朝顔や夢を見るよな淡き色。

福音書我を励まし灯火親し。

良き日和忙しくなりぬセミの声。   馬場路哉

ようやく秋めいてきて、主人は読書三昧の生活を送っています。午前中は俳句の関連の本を。午後からは図書館で借りてきた本を読みふけっています。リハビリにはその合間を縫って出かけています。朝の散歩は犬たちがいなくなって、一人、ラジオが友達です。台所は犬たちの写真があちこちに貼ってあります。いつでも、あいさつできるようにです。元気だったころの写真を眺めては、“楽しかった犬たちとの日々”を懐かしんでいます。

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

  眸(ひとみ)・・91・・

 <身近な出来事を「眸」に投稿してください>のお誘いに参加させていただきます。私は現在67歳です。東京育ちで故郷を持たないことはいつも心に寂しさを感じながらサラリーマン生活を送ってきました。会社の早期退職者募集に定年前に応募して、そのお金で茨城のこの地に土地付きの一軒家を購入して子供たち家族を残して住み始めました。最初の頃は、念願かなっての田舎暮らしで、家の周りの草取りや今では恥ずかしい限りの畑を始めました。毎日、パソコンから情報を得て、楽しい時間が過ぎたのですが、ふと思ったのは、会社人間と同じで、仕事関係の人との付き合いだけの生活と、この地に居ながら地域の人とのかかわりや関係のなさでした。もともと社交性のない私、仕事人間で、土地の言葉になじめません。だんだんと孤立感が大きくなり、何とかしなければと焦ってしまいました。お酒も飲めない、周りからは気難しいと人間と思われていた私ですから、後悔ばかりの日々でした。そんな私に助け船を出してくれたのが妻でした。土地の人と挨拶を交わすような時間を作ってくれました。それが切っ掛けで、私の畑の作り方やいろいろのノウハウをもらえるようになりました。地域の集まりにも声をかけてもらえるようになりました。今では、パソコンの先生(自認?)で広報係や作物の通販のネット作りを若い方々とやっています。今は畑も広くなり、東京から当時の会社仲間や息子夫婦や孫たちが、自分畑?を作っています。土地の言葉は使えませんが、家内曰く、それ土地の訛りだよ・・・と家内の手作りの夕飯の会話に出てくるまでになりました。何だか「マイふるさと」ができた感じがします。 茨城県 LOさん

 定年退職して6年になりましたが、今は経験を生かして何か仕事を・・・と思ったのですが、以前の仕事の肩書と変なプライドで仕事もなく、家ですごしたのが定年後2年目までで、その後は、町内会の役員をしたりしている時に、町内のごみの不法投棄の汚れが問題になり、有志で清掃することで対応することとなりましたが、忙しい人ばかりで、今は数名で続けています。家では、何一つしなかった私がそんなことを始めたので、家族はその内にやめると・・・と思っていたようですが、今はもう私の健康維持と人との関わりの大切な場になりました。最初は、あの人いやいやしているみたいだね、と通りかかった数人の小学生の声が聞こえたのです。掃除の後を見ると沢山の汚れが残っていたのです。自分の傲慢さが嫌になりました。それから、自分から仕事として申し出ることにしました。今は、いつもご苦労様、と声とかけてくれる人の笑顔で、楽しみにしています。 神奈川県 TTさん

   近くの保育園の園児が散歩の途中にトイレを借りに来たのが縁で、数か月に一

度、施設訪問してくれます。ひ孫くらいの園児の訪問は、訪ねてくれる人のない皆さんには楽しみの日になります。表情のないAさん、感情を表に出さないBさんもこの日ばかりは笑顔、笑顔で、夜もよく眠れてくれると夜勤の職員が言っています。私たちもうれしい一日になります。 神奈川県  ぽっこりXXより

☆ 職場の友だちに「ジャーナル」の「眸」のことを話したら、読んでもらえました。うれしくなってまたメールしました。職場の人は今の職場に就くまでいろいろの仕事を経験しておられることが分かりました。ご家族の病気の関係とか、自分に体調とかもあったようです。主婦が働くということはいろいろのハンデ―を負うのは自分だけではないと思いました。私のお友達の中には果物農家の人もおります。天候に左右されるので、とても気にしているとのことです。雨は嫌だとか、暑い暑いという感覚でぶつぶつ言っていますが、そんな苦労もあるのですね。  愛媛県 TMさん

☆  父が老人施設でお世話になり5年目になりました。わたしたち子供3人でお金を出し合って賄ってきましたが、もう一つの約束事は、月に2回は父の様子を見に行くことと、様子を知らせ合うことと、職員さんにお礼を言うことです。最初の頃は不安そうな父でしたが、今は笑顔も多く、皆さんと楽しそうにしています。子供としてできる最小限のことですが、お仕事とはいえ、職員さんには本当に感謝しています。 佐賀県 A・Sさん

☆  健康で市バスの運転手として30年ほど働いてきました。時代とともに交通事情や環境も変わりましたが、変わらないことは多くの方の足となり、人命を預かっているという思いです。降りるときに、ありがとうございました!とお声をかけてくださる方が大人も子供さんたちも多くなりました。そうなんだ!ありがとうございました、と声をかけていただける仕事をしているのだという、何だか誇れる気持ちになりますが、さて、自分が乗客になった時、つい、もっと注意して運転しなさい!になっていて、ありがとうございました、になれていません。健康である限り、当然ですが、無事故でありたいと思っています。 愛知県  K・Jさん

☆  今年の東濃地方は猛暑と大雨で、なんだか変な全国区の仲間入り?それでも名物の柿(富有柿)と栗には被害も少なく、老舗の和菓子店では、全国に出荷する栗のお菓子作りで大忙しとテレビのニュースでした。それが過ぎると秋から冬です。古語藻のころの思い出として今も浮かぶのが、どこの家にある軒先に吊るして作る柿のカーテンは秋の風景、風物詩でしたが、今はあまり見ることはありませんね。 岐阜県  H・Eさん

    <身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子

 

十戒と主の祈り・・4・・

             鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

=わたしのほかに=

  第一戒③・全能の神

           Ⅰペトロ5:6、ヤコブ5:11

 私たちは異教社会に多くの神々があることを知っています。その神々は、どれもみな人間に幸いをもたらしてくれるものと期待されています。不幸や災いは神からではなく、別のところからもたらされるものであって、それを防いだり、そこから救い出してくれるのが、神々であるということになっています。そのために、いわば幸福を与える分業を割り当てられたいろいろの神々が挙げられることになります。

 ところが、現実の生活には願っていない不幸が多くあります。そうなると、その原因は悪魔であると考えるが、神も悪魔も存在しないとする人々は、偶然に起こったものとして、運が悪かったと言って諦めます。私たちの人生や世の中には、偶然と思えるようなことが起こります。クリスチャンも偶然という言葉を使いますが、文字どおりに偶然であると信じているわけではありません。偶然を信じているなら、神の支配が届かないところがあることを信じていることになるからです。それは、明らかにこの第一戒の戒めに反することになります。

 

 しかし、神は聖書によって、このように御自身だけが神であることを、はっきりと宣言なさり、御自身だけが幸も不幸も、生も死も、慰めも懲らしめも、すべて両面を行っておられることを表明しておられます。

 具体的な例を挙げれば、エデンの園で、第一に、神は悪魔がアダムとエバとを誘惑することを許可されました。第二に、堕落した罪のため、彼らへの罰として、彼らに苦しみを送られました。そして第三に、神はその憐みから、彼らの裁きと共に、彼らを救う道を備えられました。

 神は悪を憎み、死を憎んでおられながら、神はこの悪と死を支配しておられ、それらを与えることがおできになります。私たちがこの関係を十分理解することができないとしても、神がこのように全能の力をもって、すべてを治めておられることを知ることは慰めです。

 したがって、私たちは、「へりくだって」(ウ大教理の問104)、この聖書の神と共に歩むことが必要です。また神の統治に「忍耐して」(ウ大教理の問105)従うことが必要です。

 「だから、神の力強い御手のもとで自分を低くしなさい。そうすれば、ちょうど良い時に高めていただけます」(Ⅰペトロ5:6)。自分の努力でへりくだるのではなく、全能の神を思って、へりくだります。「忍耐した人たちは幸せだと、私たちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちたかただからです」(ヤコブ5:11)。神は、悪魔の働きを許された神ですが、悪魔がヨブを自由に支配することはお許しになりませんでした。

 

 第一戒④・偶像からの解放 

          ローマ1:21~32

 

 経験のない人から見ると、キリスト信者になったら、さぞ不自由な生活になるのではないかと思われるかもしれません。ところが、実際はその逆で、まことの神を畏れ敬うようになると、だれでもある種の自由を実感します。

 例えば、自然界や、死んだ人や、あるいは動植物に魂があると思って頭を下げ、それらを恐れる人は多いのですが、真の神を知ってからは、そういうことはなくなります。

 真の神を畏れ敬う人は、神でないものを恐れる必要がなくなります。大地は神ではありませんから、地下資源の開発をすることも問題はありません。同時に「地を治める」責任を考えますから、日本の商社のように無計画に森林を伐採させて自然破壊をするようなことはしません。しかも、神が創造され、そして摂理の力をもって守ってくださることを知っていれば、神への感謝をもって開発することになります。開発そのものが大義名分になって、無制限になることからも抑制されます。

 真の神を神としないとき、人が生み出した高度の技術、例えば、原子力にしても、生命医学の技術にしても、やがては恐ろしいものになって、人をその奴隷とするようになってきましたし、これからもそのようになるでしょう。先日のNHKのテレビで北米でのクローンのペットのことが報道され、猫は250万円で予約待ちだそうです。つまり、真の神ではなく、技術が偶像化され、それは神の栄光のためでも隣人の益のかめでもなく、個人の利益のために利用されるようになります。私たちがそれらを支配することができなくなり、反対に支配されるようになるからです。

 技術だけでなく、神の賜物である経済も政治も、神と人々に仕えるための手段です。真の神への畏れがないとき、技術、経済、政治、異教の神々、欲望という偶像が、これまで人をその奴隷にしてきました。これからもそれは繰り返されます。

 

 こうした偶像から解放されるには、第一戒が出発点になります。神と共に歩まなければなりません。神の契約を喜び、神の愛を知って生きることが必要で、すでに述べたように、「神などない」といって、高慢な態度で生きることは、必ずさまざまな偶像を恐れる生き方になります。人は神を崇めるか、それとも自分自身を崇めるか、そのいずれかをとるものだからです。

 ローマの信徒への手紙の1章21~32節は、神に造られたものを崇める人間の姿が描かれています。自分を誇る、被造物に似せた偶像を拝む、欲望の虜になる、さまざまな罪の奴隷になる・・・と言われています。ですから神の戒めの真理だけが信じる者を偶像から解放することができます。

 

 バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・11・・   

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

8 バラの伝道・・3・・

 次に御殿場と三島の中間、神山宿の伝道は、明治12年(1879)から土屋喜平氏(海岸教会名簿には喜八)宅を中心にされたようで、毎月1、2回、三島から伊藤伝道師が出張して伝道した。明治128月、バラ先生より、土屋喜平、太田直平、平沢 淑、沢田敬太郎、甲田正方、甲田つね、甲田はまの7名、明治13312日、三島伊藤伝道師宅で太田鉄五郎、太田こう、太田いと、太田むら、土屋ふで、勝俣惣作、勝俣くら子、太田重吉がバラ先生より受洗、明治1344日には小飼正作、高橋元平、土屋賢吾が同じく受洗した(横浜海岸教会名簿には小飼莊助、高橋元平、土屋謙吾とある)。

これによって、神山、三島地方に伝道が進展したことを示している。明治133月には神山講義所の会堂が建った。これは米国オランダ改革派教会ミッションよりの借入金120円で建設されたものであった。

御殿場教会史によると、その年の夏に県下に旱魃(かんばつ)があって、村民は雨乞いの祭りを氏神神社で行い、これに参加しない村民は、村八分にして、今後交際しないと申し合わせをした。ところが信徒の土屋喜平氏、太田直平氏は、この申し合わせに従わず、「祭りは無益な偶像であり、これに従うは大罪であると告白して、自分たちは天地の造主なる神に、朝夕祈っている。真の神をすてて、偶像の神を拝む罪を犯すことはしない」と語ったので、とうとう村から除け者にされ交際を絶たれてしまった。

しかし、これに耐えていたところ、しばらくして村民から交際を求めてくるようになり、また、後に村長になり、あるいは村会議員として村民から信頼され、教会の長老としてもよい奉仕を続けられたということである。明治175月には、会堂を丘の上に移築し、その二階にはバラ先生夫妻が避暑に来て住まわれた。

富士山麓の御殿場に福音が伝えられたのもバラ先生によってである。それは明治153月で、8月にはバラ先生、フルベッキ博士、奥村昌綱、三浦徹氏などを講師にしてキリスト教大演説会が持たれた。明治179月、村井いと子がバラ先生より受洗し御殿場の初穂となった。他に勝又米吉、八左京門の2名がバラ先生より受洗し、10余名の求道者が与えられた。

御殿場講義所は明治2556日、御殿場劇場の出火で類焼してしまったが、その夏、避暑に来た宣教師たちによって、教会の信徒と戸別訪問して、伝道用パンフレットを配布したという。

バラ先生の伝道について、園部丑之助氏のおもしろい話があるので記してみよう。

「バラ先生の日本語は難解であるが、その熱烈さには皆が敬服した。博士の着用している服はツギハギだらけ、雨傘は、よくもこんなに使い古したものだと思うものを平気で使用して居られた。(…中略)。博士は福音を説くだけでなく、忠実に行わんとして、日本人と同じようにワラジばきで伝道旅行をされた。駿河、伊豆地方だけでなく信州各地をも受け持っていた。

私は最初ワラジばきで四里の道を毎週神山伝道に通ったが、どうしても自転車を使用したいと思ったので、その旨をバラ先生に申し出た。すると先生は「パウロは自転車で伝道しましたか?」と仰せられた。これには参ったが、私もすかざさず、「でも先生は汽車に乗って伝道されるでしょう」と言った。もう東海道線はその頃は通っていた。それには先生も閉口された。私は自分の謝金を割いて、自転車を購った。そのために毎週の神山伝道が、どれだけ楽になったかわからない。

そのあとバラ先生が説教に来られた。「ソノベよ、わたしは横浜から歩いて来たよ」

私はその言葉を聞いたとき愕然とした。パウロ先生の伝道の苦心にあやかるため、往年のように、20数里の道を歩いてきて来てくださったのである。バラ先生とは、そういう先生である」。

           (御殿場教会八十八年の歩み23頁)

 

 

 

「キリスト教百話」

問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。

答・・13・・

 この文章は、テサロニケ教会の中に、復活を信じないという人がいたことと、「主は近い」と言ってキリストが再び来られる(再臨)日が間近に迫っていいるというのが、その時生き残っているわれわれはどうするのか、という質問に対して答えたものと言うことができます。しかし、この文章表現は、まだ起こっていないことをあたかも既に見たように書いているわけですから、詳細に語れば語るほど、逆に「本当かな」という疑問が出てくるのを禁じ得ません。

 この手紙を読んだ人たちは、これをパウロがこう言ったから「はい、そうですか」と素直に信じたとすれば、パウロに対する信頼度が深かったせいかと思いますが、わたくしにはどうしてこういうことが言えるのか、単なる幻想か主観に過ぎないのではないかと思えてなりません。

ただし「読む者は悟れ」ということであるなら、納得出来ます。それは、復活ということは、どういう説明をするにしても、一つの説明でもって集約されることではなく、どんな風にも説明できることであって、パウロもパウロなりの苦労をしながら、彼の表現の仕方で説明したのだと受け止めればよい、ということです。

 ですから、復活ということを、このパウロの説明だけに限ると言ってこれに固執するなら、その一方的な偏りには同意し得ませんが、復活という言語表現では言い尽くすことができないことを言語で言い表そうとしている努力の一つであるなら、これはこれとして受け止めて良いと思います。むしろ、様々な仕方での説明がなされることの方が、復活信仰に生きる命の多様性を示すこととして受け止めて良いのでないかと思います。

 以上の考えに基づいて讃美歌の歌詞を読むと、復活信仰の表明が実に多彩であることを改めて思わされます。その幾つかを揚げてみます。

489番1 清き岸辺にやがて着きて、天つみ国に遂に昇らん。

      その日数えて玉のみ門(かど)に、友もうからも、われを待つらん。

      やがて会いなん、愛でにし者とやがて会いなん。

    3 親は我が子に、友は友に、妹背相会う父のみもと。

      雲はあとなく霧は消え果て、同じ姿共に写さん。

      やがて会いなん、愛でにし者とやがて会いなん。

 よく「天国でまた会いましょう」か「向こうで待っててね」など言うことがあります。向こうにいる人は何億と数知れないのですから、どうしてそんなに会えると言えるのか、「あの人とは同じ墓に入りたくありません」という人に 

とっては、向こう岸も別々が良いことになります。地上の彼方に「清き岸辺」があることや、彼方も地上も同じではないかと思うことも、どうしてそういう風に言えるのか、その確証があるか、と問われたら、返答に困るのではないでしょうか。

Ⅱ136番1 われ聞けり「かなたには麗しき都あり」

       輝けるかの岸に、われは間もなく着かん。

       「ハレルヤ」と歌いつつ、歌いつつ進み行かん。

       わが足は弱けれど、導き給え、主よ。

     3 われ聞けり「み冠と真白き衣を着け主を褒むる民あり」と、

       われも共に歌わん。

       「ハレルヤ」と叫びつつみ声聞きて喜びみ国へと昇り行かん。

       わが旅路終わらば。

 仏教では「極楽浄土」という世界があることを言いますが、この讃美歌に即して言えば、キリスト教では「麗しい都で、冠をかぶり真っ白な衣装をまとって神様をほめたたえている人々がいる輝かしい、かの岸」があることを歌うのですが、そういう世界や彼岸があるということの確証があるかというと、誰にも納得できるような説明は出来ません。妄想であり幻想に過ぎないと言われたら、それを跳ね返すだけの論理は残念ながら持っていません。

 しかし、信仰というものは、そういう人間の側での確証によっているのではなく、人知を越えたところによっているものでありますから、各自各様自由にその表明が出来ますし、してよろしいわけです。復活についての証言も、その意味において、自由な多様なものであるのが当然であると理解してよいのではないかと思います。

  篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

<2018年10月のラジオ放送予定>  

10月 7日 木下喜也  (日本基督教団金城教会牧師)

     14日 木下喜也  (日本基督教団金城教会牧師)

21日 横山良樹  (日本基督教団半田教会牧師) 

28日 横山良樹  (日本基督教団半田教会牧師) 

     (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

 

第86課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・38・・・

E 弱い兄弟たちに対するキリスト者の義務 ・・14:1~13・・

       ・・・5・・・

 「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものである」(14:8)。

この節は7節の思想をより明確な形で、繰り返して述べています。ここにある「主」という言葉は、明確に主イエス・キリストを指していることは文脈から分かります。

8節に述べられていつ献身(devotion)は、被造物が創造主に対して負うているのであり、その献身が主イエス・キリストに対して捧げられるべきであることが言われていることで、ここにキリストの神性が証明されていると言えます。すなわち、このことはキリストが神であることを証ししています。6~9節において、「神」と「主」とが相関的に用いられていることに注目すべきです。このことは、キリストの神性を力強く証明されていることになります。

 

「なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである」(14:9)。キリストはその死によって、その民を自分の者としてあがなわれた。その復活によって、キリストはすべてのものの王・主として現在の栄光を獲得されたのである。キリストの栄光と高挙と支配とは、キリストの服従と苦難と死の代償として提供されていたものであると聖書は教えています(ピリピ2:8~9)。

ここの9節では、パウロは、救い主・王としてのキリストの権威は現世に限られたものではなく、死後の生涯にまで及ぶものであると教えています。何故ならば、キリストは死んだ者と生きた者との主であるからです。

 

私たちはここで、ここに述べられているキリスト観が、近代自由主義的プロテスタント教界に広く浸透しているキリスト観と如何に相違しているかを認識しなくてはなりません。近代自由主義キリスト教の見解は、イエスが真の神であることを否定し、偉大な人物であると見るのです。彼は贖い主ではなく、単なる教師・模範者と見られているにすぎないのです。しかし、パウロが信じたキリストは死者と生者との主でした。イエスは真の神でした。 

J.G.ヴォス著

    玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師

 

 

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

☆ ご無沙汰してしまいました。今年のこの過酷な暑さで身も心も焼け付いていまいました。夏の疲れで毎日がつらいです。夏の休み中は、母の介護でした。離れていろいろ考えているより、疲れた母を見るのですが、側にいる方が安心できます。これからも頑張ります~~。大阪府 HTさん

☆ 友人とのメール交換の内容は、健康のことでの弱音と愚痴が多くなったと反省していても、ついそんな内容のメールを送信している自分に気がついて、反省すると、メールが送れなくなりますので、お互いの今確認の意味でメールを送るよ、とメールしたら俺も同じだよと返信があり、ほっとしているこの頃です。・・・。埼玉県 B・Hさん

☆ 虫の声と共に秋が来ました。これからまた秋の野菜の収穫で忙しくなります。孫たちも日焼けした顔で学校に通っています。何とか宿題も間に合ったようです。秋田は高校野球の準優勝でおお盛り上がり、ご無沙汰していた友だちから連絡があり、金足農高OGとして、今もまだ浮き浮き、ドキドキ感が残っています。思い出深い夏のひと時、青春時代に戻れました。神奈川 NKさん    

☆ 「ほっとひととき・・・」の「我が物顔の猪・・・・」の文章を読んで、ふるさとを離れてしまった自分の心が痛みます。離れたのではなく、見棄ててしまったのですから。でもやはり汚染は怖いです。お盆にも帰れませんでした。福島県 SDさん

☆ 機会を得て、岩手県、宮城県、福島県を巡り、帰宅中です。今更、震災地域を訪ねてどうかと思いましたが、復興が進んでないのに驚きました。福島県に至っては、状況は悪化するばかりではないかと思ってしまいました。宮城県の方に、南海地震を心配されたのには、頭が下がるばかりです。機会を得られたことに感謝するとともに、せめて、思い、祈ることを忘れないようにと思わされました。仙台平野の見渡す限りの緑の田んぼと、福島県の除染した赤土の作付けしてない田んぼが悲しいですが印象的でした。 愛知県 TYさん

☆ まさかこんなことに…が今です。震度7の大地震、もうだめかと思いました、今、こうしてやっとメールできるのが信じられません。これから寒くなります。不安です。全国にいる「ジャーナル友さん」、お祈りで支えてください。 北海道 YOさん

☆ 経験のない地震に出くわしてしまいまして、驚きと怖さにおびえています。それに住まいが高層のビルですので、余計不安がつのります。早く何とか 一日も早くおさまって欲しいと祈るばかりです。早速にお見舞い頂ましたのに、停電になったりで、パソコンを開けなくて申しわけなさでいっぱいです。まだしばらく落ち着かない日々が続くと思いますが気をしっかり持って頑張ろうと思います。ここ札幌も寒くなりました。テレビでは今回の地震のニュースばかりです。 北海道 OTさん

**********

   秋の雲は多くなりましたが、片付けにも疲れてしまいました。毎晩考えることは、これからのことです。考えても何も浮かびません。不安ばかりです。どこか小さな部屋を借りて老後を過ごすしかないのかなあ~。

   今年のお盆休みは、有給も含めて1が月を子供の時に育った家の片付けに行きました。家の傷みは少なくて済みましたが、両親の気持ちの張りを失った姿は、本当に心配です。ぽつんと残ってしまった家にこれから住み続けられるのだろうか。生き甲斐にしていたその畑も土砂に流された両親を残して、今は東京です。毎日メールしています。

   不思議ですが、ボランティアさんとは古いお友達の様に、お付き合いの出来る人になっているのがとてもうれしく思います。周りの変化に一喜一憂していた心にも、時間と共に安らぎが感じれるようになれました。人とのふれあいがそんな気持ちにさせるのですね。  

   一日の仕事を終えて寝転んで、ボーっとしていたら、ああそうか、と思ったのです。病気や高齢等のため、臥しておられる方々、外界に触れる機会のない方々、看護や介護を担っておられる方々、また、様々な事情にある方々にとって、「ジャーナル」は心の拠り所なんだなぁと、ふとそんなことを思いました。そして、その真ん中に主イエス様がおられるのだなと感じました。何だかほっとした気持ちです。

   2時過ぎから 風が泣いています。雪ではなく雨で泣くのは久しぶりで少し怖いです。何キロメートルなのかな…。今台風は神戸だって人的被害の少しであることを 祈っています。

   台風21号でまたブルーシートが飛ばされ、部屋は滝の様な雨が入り込んでしまい、気力もなにもかもなくなりました。こんなメールで、ごめんなさい。

   もう冬です。灯油のタンクも壊れてしまいました。まだ水道は出ません。洗濯もできません。一軒あったコンビニには品物はありません。何とか電気は復旧しましたので、メールを送れるようになりました。

*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

 

   『ありがとうございます』

 台風や大きな災害に遭われた方々のメールやお手紙に接する9月でした。本当に何もできませんでした。この小さな「つのぶえジャーナル」が、時に支えになり、慰めになります、というお言葉に、改めてこの働きに感謝するものです。

 御霊とみ言葉をもってなさる神様の御業であることに尽きます。

 ここに、神様のお守りと祝福をお祈りしつつ、10月号をお届けいたします。

 

 2018年8月16日から2018年9月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。

西口義昭様 馬場暁美様 藤掛朔生様 佐藤のり様 加納さおり様 稲田喜水様 

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの方々の「ジャーナル友」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

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緑を大切に!
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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