2012年2月号 №55 (通巻742号)
「つのぶえジャーナル」へようこそ
涙をもって種まく者は、
     喜びの声をもって刈り取る。 詩篇126:5
    今月のことば
 d320eea6.jpgかわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
            ­=ヨハネ黙示録22:17=
 
私たちは疑い深い者です。「価なしに」といわれるとかえって疑います。代価を払ってといわれると、その値段が気になります。この命が地球よりも重いといわれても、実感が伴わなければ、単なる言葉になってしまうことを知っています。価のないものは、値打ちのないものになるのです。もし誰かが無代価で何かをくれたり贈られたりすると、それは元々何も貴重なものではないのだと、信じ込んでしまいます。
 なぜなら、誰でも、貴重なものは自分の手元に取っておいて、人にくれるのは、せいぜい傷物か屑物にすぎないと思ってきたからです。
 
 しかし、キリストは、そのような私たちの疑い深いこととは無関係に、ここで「かわいている者」に対して、「いのちの水」を無償で与えるというのです。疑い深い私たちは、代価を払って「いのちの水」を得なさいと言う申し出なら、納得するでしょう。「無償のいのちの水」と「有償のいのちの水」を人は比較するのです。そうして、有償を信じるのです。
 
 しかしその水は「いのちの水」ではないのです。キリストの「いのちの水」は、有償です。神の子キリストというお方が、ご自身の命を代償として支払ってくださった「いのちの水」を、支払い能力のない者のために、憐れみによって、愛によって与えてくださる「有償のいのちの水」です。それを受けよと提供されているのです。
 
 疑って拒否するか、感謝して受け取るかの決断は、あなた次第なのです。
 
acd63026.jpg    小閑記
       
こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国はかれらのものである。
                    =マタイ5:3=
 
このみ言葉は多くの人に知られています。その意味についても、いろいろな理解・解釈がなされています。また、人生経験や信仰生活の長い方には、それぞれの思いで、このみ言葉が心の糧となっていることでしょう。
 
さて、こころの貧しいとは、どういう状態と言うのでしょうか。心に欠けているとところがあるという意味でしょうか。全くそうではないと言えないでしょうが、もっと大切なことがあると思います。聖書が教える「こころの貧しい」とは、ある完全な状態にないという人間の姿をしめしています。あるべき姿、あるべき関係にない状態と言いかえることも出来ます。
聖書が私たちに教え、示している心の欠けている姿とは、神様との関係、関わりのある生活が弱く、病んでいること、また、その状態が貧しさとして知らないこと、餓えていても、渇いていても知らない生活のことだとするなら、それは、不幸であり、不健康な状態と言えるのではないかと思います。心が貧しいということが、真実で健全な神様との関係から考えるのであるなら、今自分を見つめることはとても大切です。
 
今年という日を、神様に対して餓え渇いているかどうか検討し、考えてみることは何にもまして重要だと思います。神のこの求めに対して、素直に自己吟味できる人は、自分の心が、単なる自己満足かどうかを問うでしょう。そうして、謙虚に、心の貧しい姿、弱さを自分の中で見つけ出すことが出来るとすれば、素晴らしい勇気といえます。
 
「わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている」。また、「あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることに気がついていない」とするなら、これこそ本当に不幸なことと言えるでしょう。
しかし、不幸や不安の向こうには光が、希望が待っています。
 
                         上河原立雄 
478b3181.jpg (ひとみ)
私の楽しみの一つが、毎月更新される「つのぶえジャーナル」を見ることです。1月号も12月26日に見ました。それからプリントアウトを3セット作ります。一つは自分用であとの二部は、月はじめに訪問する幼友達に手渡すものです。お茶受けと一緒に届け、ひと時楽しい昔話をして帰ります。パソコンを使うようになって三年目ですが、便利になりました。娘や孫たちの様子も画面で見ることも出来るのですから・・・・。これからもよろしくお願いいたします。
                   和歌山県 S・Kさん
 
寒さのせいでしょうか、外に出る回数や時間が短く少なくなりました。インフルエンザの流行の季節なのかマスクの人が多くなりました。私もその一人です。 
2012年を迎えましたが、昨年の3・11以降の事柄を解決しなければならないという気持ちが例年とは違った緊張感があります。1月号の「期待と確信を持って・・・」というフレーズに思わず嬉しくなるほどに共感し、強められています。主人と話すことですが、私達は、目に見えない未来の不安を噛みしめながら、それでも力強く一歩を踏み出す勇気を持っています。主に期待と確信を持って生きることの幸いを感謝しています。どんなにか多くの人が、声にならない勇気を与えられていることでしょう。
 「閉塞感」という言葉がいろいろの所から聞こえてきた昨年でしたが、そうであるのでしたら、心に明るい何かを作り出したいと思います。・・・。
                    山口県 T・Yさん
 
見慣れた山々の雪景色ですが、何か不気味な感じがする。降り積もった雪の下にある放出された放射能の物質、その汚染の調査は県の殆んどを占める山林では調査はなされていません。何時もなら春の来るのを待ちながら、希望をもちながら春の作業の支度を考えていたのが、ことしは山から流れる水は使える程度の汚染数値なのだろうかと考えると暗い気持ちになる。市街地の除染作業はされても山間地域は全く目途が立たない。この状況では難しい。国や県の方針は、「住民生活が復旧していない現状では、森林復旧は後回しになってしまう」と話す。雪どけと共に流れ出る水は大丈夫なんだろうか。それが海の汚染にもなる、そんな不安が気持ちを暗くする。
                    福島県 K・Kさん
 
 
=ともしび=・・2・・
・・過去を照らし、今を照らし、未来を照らす・・
 
私たちは、吹けば飛ぶような塵芥(ちりあくた)の類の習慣とか、社会常識とかいう鎖に繋がれている。これらから外されては生きて行けない辛さの中に、良きものを手探りしている。そこには患難がある。「患難」について、神のみ言葉に聞いてください。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを知っているからである。(ローマ5:3~4)
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。(同2:12)
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。(Ⅱコリント4:17)
 
希望は天国にあり、喜びは内住のイエス・キリストにある。永遠に続くのは「信仰」。ただそれだけである。
                                          青森県   北岡一夫
 
 
 
8807814a.jpg    自閉症者のひとりごと
                   (56)
 
12月16日
昼間ふわふわしたおかしな感じがした(今もしている)、変な身体感覚と考え方は、就寝前の薬を飲み忘れたことにあるようです。ようやくそれに思い当たりました。
とにかく、脳に直接はたらく系統の薬なので、匙加減ひとつで、ハイになったりローになったりします。だからこの日のメールはまともじゃないです。
ご迷惑おかけしました。このなんとも言えない気持ちの悪さを過ぎ越さなければなりません。はやく助かりたい。
 
12月23日
生協の注文用紙を外に出しておいたら、行方不明になってしまい、職員からもらった注文用紙に、カタログをめくって書き込み、Faxして、一段落着いたところです。
石鹸くさい紅茶をすすって(臭覚、味覚が戻ってきた)、ごろりと横になりました。
クリスマス、花屋さんが美しいアレンジフラワーを持ってきました。贈り主は主人でした。わ~、わたしが喜ぶものをちゃんと知ってたのね。それにひきかえ、わたしが用意したのはぐしゃぐしゃの貧弱な包みのベルト。慌てて、残ったクリスマスカードをくっつけました。はぁ。一気に疲れました。
 
1月3日
年末年始の移動が堪えたのか、ストレスからか、病は気からとはよく言ったもので、腰が痛いです。ひょっとして、今度の主の日は礼拝に行けないかもしれません。あらゆるものから解放されたい気分です。
 
1月6日
わたしの通院先は、数の少ない児童精神科なので、予約の一時間以上待つことはざらです。家にいるよりは落ち着くので早めに来ています。大人の発達障害も診察してくれるからです(コロニーの紹介)。というより、一般の精神科では引き受けてくれないからです。まだまだ発達障害は認知度が低いのです。
                                           
                                                                                               加納さおり

f0c02c5a.jpg 世田谷通信
(100
猫  草
 
子供むけの絵本は単純明快、かわいらしいものが多いのだが、中にはちょっと難解な、そして味わい深いものも少なくない。「ぜつぼうの濁点」(原田宗典作・教育画劇)もその一つだと思う。「絶望」の「せ」に付いている「濁点(てんてん)」が、ある日所在なく道端にいる。自分の存在が人を「絶望」させることに思い悩んでのことだ。自分さえいなければ「絶望(ぜつぼう)」は「切望(せつぼう)」という悪くない響きの言葉になれるのにと・・。そして自分だけでは意味をなせない「濁点」はどこか別の字にくっついてやりなおせないかと試みるが、どの文字にも断られてしまう。やがて「濁点」は沼に放り込まれ、ぶくぶくと沼に沈む中、水底から立ち昇ってきたのは「気泡(きほう)」。気泡が濁点とくっついて「希望(きぼう)」になり、光射す水面へと浮上する。・・そんなお話である。小さい子供にはちょっとした言葉遊びのようで楽しく、大人にはその内容が心に響く、かわいらしい絵本である。
「読み聞かせ」という時間が近隣の小学校から消えはじめている。「脱・ゆとり教育」とのことで授業時間数が大幅に増え、始業時間から下校時間まで隙間なくぎっしりと授業を詰めないと年間で消化できないのだそうだ。かくして登校してから1時間目が始まるまでの朝の会も短縮され、結果「読み聞かせ」などと悠長なことをしている時間がない。そういわれれば仕方ないのだが、保護者による「朝の読み聞かせ」の楽しさと有益さを知っている人からは「残念だ」という声も少なくない。
もちろんPTAで運営する大変さはあった。参加する保護者が限られる、それぞれの学年に対して何を読んでいいかわからない、経験がなくうまく読めない、当日の朝、急に都合が悪くなり慌てた・・などなど。しかし緊張しつつやってみた多くの保護者は「子供たちが真剣な目で最後まで聞いてくれて感動した」「本を音読することで、自分も理解を深められた」などの声が寄せられ、先生からも「読み聞かせの後は、子供たちが聞くモードになっているので、授業に集中しやすい。お母さんやお父さんから声に出して読んでもらうことは高学年でもとても有益。」と賛同の声があがっているのだ。
もちろん質の高い教育は大切。そして「ゆとり」も大事。本来、二者択一ではなく、両輪でいいような気がするのだが。一日たった15分の中休みと昼休みに必ず図書室に来て「ここが一番ほっとするよ~はあ~」とため息をつく小学生たちに「読み聞かせ」の楽しさを復活させたい。
   その愛のゆえに
   =時々の記=
    (71)
 
1月6日
「つのぶえジャーナル」ご覧の皆様、明けまして、おめでとうございます。一週間遅れのご挨拶となりました。年末年始は子供の仕事が一日も休みなく、その上、朝早くから、夜遅くまでと、厳しい仕事でしたので、私も一緒にダウンしてしまいました。
朝、起きようとすると、めまいでぐるぐる回り、まっすぐに歩けません。何とか、あちらこちらに掴りながら倒れずに済みましたが、昨日は、そのようなわけで、一日、休んでいました。子供も、ようやく休みでしたので、お昼ごはんを、わたしの寝室まで運んできてくれました。なぜか、涙があふれてきました。
私の信友たちが、我が家が喪中であるのを察して、寒中見舞いが今次々と届いて、信仰の励ましをいただいております。Tさんからは、ご自身も体調がすぐれず大変な中、気遣ってくれました。K先生の奥様からは、言葉すくなでしたが、何とか越年できました。皆様のお祈りにささえられて。感謝ですとありました。
まだ、本調子ではありませんが、ジャーナルが私たちをはげましてくれているように、多くの方が、このジャーナルによって、厳しい社会を生き抜いてくださいますようにとお祈りしています。
10日は、主人は三重大学病院に行きです。一人で行ってくると申しますので、私は家で待機ということになります。神様のお守りを祈るばかりです。
山頂の白さ確かむ初景色
朝まだきストーブのつく音たちぬ
ボールけり一人の稽古はじめかな     馬場路哉
主人は、今朝からは私に代わってたくさんの洗濯物を干してくれました。
味噌汁も上手に作ってくれまして、何とか朝ごはんを頂くことができました。
ちょっとしたことですが、二人で、何とか力を合わせることができ、感謝しています。
検査結果が願わくば、良い結果として、報告できたらと祈りつつ、過ごしています。
 
1月9日
心身ともに弱いので神様は、少しずつ本当に薄皮をはぐように、めまいの頻度が減ってきているように思われます。このまま、めまいが続いたら、一度、検査に行かねばと考えていますが、何とかなることでしょう。犬たちだけは、飼い主として放っておけないので、朝の散歩は、めまいに振り回されながら、犬が支えてくれているようで、安心して行っています。余り無理せず徐行運転で過ごします。確実に、加齢に伴って、何やら次々と弱さが出てきますが、神様に与る確信と期待を抱いて、生かされていることに感謝して、祈りつつ、歩んで行きたいものです。人間の、自分の弱さという十字架を背負って生き、復活の喜びに至らせてくださいとお祈りしています。小さなことに感謝できるように成長していくことができますようにと、祈りを深くしております。
 
1月10日
有難うございます。お言葉から、温かい励ましをいただいて、大分元気を頂いています。
今日は、主人の検査の日でした。予定より、はるかに遅れて、今、午後4時少し前に帰宅いたしました。神様のお守りと、皆様のお祈りに支えられ、ちょうど、5年目の今日の検査の結果も異常なしということでした。感謝いたします。
めまいも、ずいぶん、少なくなり、今日は、お天気がよかったので、犬の朝の散歩以外に、家の周りを散歩できました。
 
                                          馬場暁美         (上野緑ヶ丘教会員)
 
bdf9aada.jpg星とたんぽぽ
 青いお空の底ふかく、
 海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
 
見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。
 
散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のしきに、だアまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
 
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。        金子みすゞ童謡全集3 空のかあさま・上
cbb495c7.jpg                   キリスト者の生活綱要  (30)
               
                                             ジャン・カルヴァン著
                 ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
                 吉岡  繁訳
 
  第4章 来るべき世への希望
 
  2 われわれはこの世を高く評価し過ぎがちである
  1  この地上の生活を低く評価するのと、過度に愛するのと、この両極端の間には中庸はない。それで、永遠について関心があるなら、この世の鎖から自分自身を自由にするため、われわれは熱心に最大限の努力をしなければならない。
 さて、この世には数多くの魅力的なものがあり、われわれを喜ばせる楽しさ、美しさ、甘美の見せかけがある。そのため、その魅惑に連れ去られてしまわないよう、しばしばそれから呼び戻されることが、われわれの最高の関心事にとって、非常に必要である。
 というのは、もしもわれわれがこの世の生活の祝福を楽しむことに、常に幸福感を味わっているなら、その結果はどうであろう。そういうことであれば、絶えず悪に引き回されてしまい、その不幸を十分考えるよう高められることさえ出来なくなる。
  
2  人生が霧か影に過ぎないと言うことは、ただ学識ある人に知られているだけでなく、一般の人々さえ、そうした格言を多くもっている。彼らは、この知識がきわめて有用だと思っているので、人生について、またその虚しさについて、多くのうまい警句や詩をもっている。しかし、こうしたものぐらい、われわれが疎かにし、記憶から直ぐ消えてしまうものはないのである。というのは、われわれは、あたかも自分が死なないことを願っているかのように振る舞うからである。
 葬式を見、墓の間を歩いて、眼前にはっきりと死の姿を見ると、われわれは、生命の虚しさについて哲学するようになる。しかし、それすら毎日は起こらないため、われわれは、全く心を動かされないことがよくある。
 たとい心を動かされても、われわれの哲学は短命で、われわれが歩み去るや否や消滅して、ごく小さな足跡さえも後に残さない。劇場の中の劇に対する拍手のように、消え去ってしまう。
 
  3  われわれは死を恐れるばかりでなく、あたかもそんな事については何も聞いたことがないかのように、われわれが死ぬべき者であるという事実を忘れてしまい、永遠に生きるかのような愚かな夢を持ち続ける。
 そんな時、誰かが、人はほんの一日だけの生き物に過ぎないという格言を思い出させてくれると、われわれは進んでこの真理を認めようとするが、それでいて心の中に、いつまでも生きているかのような思いがあるため、それほど気にも留めないのである。
 
  4  したがって、この世の生が悲惨に満ちていることを、単に言葉によって警告されるだけでなく、できればあらゆる証拠によって確信させられることが必要である。このことを誰も否定出来ない。
 あまつさえ、このことを悟らされた後でさえ、人生は大きな祝福の累積したものであるかのように、愚かにもそれに憧れるのを、どうしたらやめられるか分らずにいる。しかし、神に教えられなければならない場合、この世に背を向け、心を傾けてやがて来る世を瞑想出来るよう、神が語り、われわれの重い腰を上げさせようとなさる時、神に耳を傾けるべきで、これもわれわれの義務である。
   
(つのぶえ社出版)   この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
    f9008482.jpg                                    『旧・新約婦人物語』(30)

 神を欺いたサッピラ
        (使徒行伝5章1~11節)
 
初代キリスト教会での、一番恐ろしい事件は、使徒行伝5章1~11節に記されている、アナニヤと妻サッピラの話です。この夫婦は、どうして神様に罰せられ、急に倒れて息絶えたのでしょうか。どういう罪を犯して、死ななければならなかったのでしょうか。わたしたちは、その問題点を知るために、よく聖書を学ぶべきでしょう。
先ず知っておくべきことは、当時のエルサレムの教会の運営のあり方であります。使徒行伝4章34節を読むと、彼らの中には貧しい者、乏しい者は一人もなかったとあります。何故かと申しますと、地所や家屋を持っている人たちが、それを売って得た代金を持ち寄って、使徒たちの足元に置きました。教会はそのお金を必要に応じて、誰にでも分け与えたからです。
クプロ生まれのバルナバは、自分の所有する畑を売って、その代金を使徒たちの足元に置いたと言う実に立派な献金の例が、使徒行伝4章37節にあります。これはもちろん強制的ではなく、本人の自由意志によるものなのです。自由だからと言って神に献げることを、疎かに考え、いいかげんにしてよいと言う意味では、決してありません。かえって、わたしたちは献金について、もっと深く考えなければなりません。
信者の多くは、収入の内の使い残りを献げているのではありませんか。10分の1献金(収入の一割)は、聖書に明らかに指示されていることで、この神に献げなければならない10分の1を、自分の生活費として使っている人が、如何に多いことか想像以上でありましょう。この意味で、わたしたちは初代キリスト教会のクリスチャンたちのあたたかい犠牲的行為を思う時、感激させられるのであります。
 
さて、アナニヤとサッピラは、他の信者たちのあたたかい行為を見て、彼らも神様に対する責任を感じたことでしょう。彼らにも資産がありました。しかし、前にも述べましたように、このことは強制されてするものではなく、また規則でもありませんでした。だから、5章の4節に記されていますように、売らずに残しておいても、売って得たその代金も、アナニヤとサッピラの自由になるものでした。
二人はともかく、資産を売ることに決めましたが、売った代金の全部を献げるのでなく、二人でしめし合わせて、代金の幾分かを自分たちのために隠しておくことを決めました。これで彼らの強欲がわかります。
アナニヤは土地を売ったお金の全部を、教会に献金するように見せかけて、一部をごまかし、隠して、使徒たちの足元に置きました。けれども神様から彼ら二人の心根を示されたペテロは、アナニヤに「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか」と問いただしました。すると、アナニヤはペテロの厳しい言葉を聞いている内に倒れ、息が絶えてしまいました。このことを伝え聞いた人々は、大変恐れを感じました。
 
若い人たちが、アナニヤの死体を葬ってから3時間ばかり過ぎた頃のことです。この恐ろしい出来事をまだ知らなかった彼の妻のサッピラが、そこへ入って来たのです。サッピラは自分たちが土地を売って、献げたこの行為に、きっと感謝され、歓迎されていると思って、部屋に入りました。しかし不思議なことに、そこに夫のアナニヤが見当たりません。ペテロがうろうろしているサッピラに尋ねました。「あの地所は、これこれの値段で売ったのか」と。彼女は、「そうです、その値段です」と答えました。
ペテロは彼女に「あなたがたふたりが心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」(9)と告げました。すると、サッピラも倒れて息が絶えました。 
このように、彼らがただ嘘をついて、欺いただけで死ななければならなかったことを、わたしたちが思い起こします時、嘘そのものがどんなに重い罪であるかが、よくわかります。また神様を欺こうとしたこの二人の罪によって、わたしたちが教えられます教訓は、わたしたち人間は決して、全知全能の神様を欺くことができないこと、もう一つの大切な教えは、義の神は決して、少しの罪もお見逃しにはならず、その罪を罰したもうということです。
この出来事での一番悲しい点は、サッピラの心の弱さであります。もしサッピラが、主人と示し合わせず、主人の誤った考え方に反対して、夫のアナニヤを正しい道に導くことができましたなら、この話は、こんな悲劇には終わらなかったことと思います。わたしたちは、この事件によって、初代キリスト教会の信者全体が抱いたと同じように、嘘や偽りの恐ろしさを、痛切に感じます。わたしたちも、欲張りな気持ちや、ごまかそうとする心を捨てて、主の示したもう正しい光の道を歩み続けたいものであります。
 
ーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
     ビルマ
  戦犯者の獄中記  (13)  遠山良作 著
 
昭和21年
 
5月31日
判決-
今日は判決の日である。私たちは弁護士の言葉でもあり、無罪を信じて判決にのぞんだ。その判決は
憲兵大佐  出田直也      8年
憲兵大尉  東    登        8年
憲兵少尉  中山伊作      8年
憲兵曹長  小林  崇      6年
憲兵軍曹  遠山良作      6年
陸軍軍曹  中島時善      6年
憲兵軍曹  馬場 満    1カ月
憲兵軍曹  塩田利弘     無罪
陸軍上等兵 小川            無罪     の判決である。

意外な判決にみんな驚いた。こんな無茶な裁判がどこにあろうか。全く一方的である。15日間にわたる裁判で、証拠としては、検事側のでたらめな証人の証言のみを採用し、私たちの証言は一考だにしない。彼等が「お前たちは戦争に敗けたから仕方がないよ」と言うなら裁判なぞ必要ない。彼等は、ただ裁判したよ、との形式を整えていればよいのであろう。裁判は名を借りて復讐しているとしか考えられない。
今後もこのような裁判が行なわれるとしたら、どんなことになるのか心配である。
 
P1120153.jpg6月2日
 -東独房に入る-
 判決のあった翌日、有罪になった私たち7名は東独房に移された。先に判決を受けた人たちが監禁されている房である。カラゴン事件で死刑の判決を受けている市川少佐たち4人と埠頭分隊事件の上野大佐たちの顔は薄暗い鉄の扉を通じてさだかではないが見ることが出来る。
 この棟は24の房が北面に向って一列に並ぶ独房である。床も天井も壁も土とコンクリートで囲まれている。入口は鉄の頑丈な6本の鉄棒からなる格子戸がある。南側の上方に明りとりの小窓がある。一番奥に洗面器大の陶器の便器が備えてあるだけで電灯もない。
 モールメン刑務所以来の独房生活には馴れているとは言え、囚人としての生活が始まるかと思うと孤独-寂寥-万感胸せまる。これから一体どうなるのか。自分で取調中に死亡したアオンバの事件、タキン党事件等、幾回も取調を受けているから、このままで終わるとは考えられない。
 これを運命と言うのかもしれない。敗戦国民の誰もが負わなければならない責務でもある。これからまだまだ茨の道が続くであろう。だが、負けてはならない。全てを乗り越えて生きていかねばならない。新しい日本が生まれるまで生きるのだ、と自分の心に言い聞かせる。
 戦犯の 刑受けたれど 我耐えん 日本男子の 任果たすまで
 たまに来る 蟻みてをれど 薄暗き 独房の奥には 行かず戻りぬ
 
6月10日
寝られない。真夜中である。突然誰かの叫び声に飛び起きる。隣りの房から「N軍曹が発狂したらしい」という。望みのない暗い独房生活。そして連日厳しい取調が続くこの独房、人間の耐え得ることのギリギリの限界かも知れない。強く生きなければと誓う自分も前途のことを考えるとキリキリと頭が痛い。発狂しないのが不思議なくらいでもある。
 何ごとか 解らぬ言葉 くり返す 独房の戦友 今日も狂えり 
 
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
 
   あなたに聖書を
 
わたしたちは、それぞれが「どう生きたらよいか」という問題を抱えています。それは、「揺るぎない人生を送るにはどうしたらよいのか」ということであります。
 
聖書の中には、ある金持ちの一人が、キリストに「先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか」と尋ねたという話が載っています。この人は、財産がいくらあっても、それだけでは本当に自分を支えることにはならない、と思い、「永遠の命を受け継ぎたい」と願った人でした。
 
「永遠の命」という言葉は、普段わたしたちが使わない言葉で、お互いに共通した理解をしているわけではありません。私なりに言いますと、これはさっき言いましたように「どういう時代にあっても、揺るがない確かな生き方をさせるもの」と言ってもよろしいのではないかと思います。
 
そういうことを言いますのは、例えば、わたしなど太平洋戦争時代に生きていた世代の者は、軍歌で「天皇陛下のためならば、何の命が惜しかろう」と歌いました。それが戦争に出かける支えとなったのでした。教育の力というものの凄さを思わされますが、その力は今では失われてしまっています。そのことはわたしたちの国に限ったことではありません。歴史を振り返って考えますと、何か一つの主義や制度に固執して、ほかのものを締め出している頑なさが人間や集団の問題ではないかと思わされるのであります。
 
キリストは、さっきの金持ちに対して、「あなたが持っている物を売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」と言われました。これは、「あなたが、今の自分のままで、その上に確かなものを得ようとしてもそれは無理です。そういうあなたを解放して、あなた自身に対して自由になりなさい」という勧めではないかと思います。そして、それは、キリストに従って生きることであり、そこから新しい世界が展開する、ということを、聖書は語っているのであります。
 
 
篠田 潔
 
(参照聖句・マタイ10:17~22)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
 
 
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)P1030142.jpg
 
2月
   5日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
  12日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
  19日 金 承哲 (金城学院大学宗教主事)
  26日 金 承哲 (金城学院大学宗教主事)
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
P1020126.jpg  「ローマ人への手紙」研究 (87)
 第52課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
E ユダヤ人の拒否は全員ではなく、残される者はやがて救われる。
       11章1~10節 (6)
 
 「そして、他の者たちはかたくなになった」(7)。神は罪人をかたくなにされることによって、彼らを罰せられることがしばしばある。すなわち、彼らを罪の状態の中に放置されて、その結果、彼らがますます悪くなるままにして置かれることによって、彼らを罰せられるということは、聖書の中に示されている明らかな原則です。「彼らは神によってかたくなにされた。すなわち、神は彼らの心をかたくななままに放置されたのだ」(C・ホッジ)。
 
 8節は旧約の各所から引用されたものです。例えば、イザヤ書6:9、10、申命記29:4、イザヤ書29:10などです。これらの旧約の聖句は、一つには、それらが記された当時の状態に適用されるとともに、未来的な意味をも持つもので、パウロの時代のユダヤ人に適用されうるのです(比較マタイ13:14)。
 これらの多くの聖句は、はじめに小規模に成就し、後に大規模に、あるいは完全な形態において実現しているのです。旧約時代に起こったことが、再びパウロの時代のユダヤ人の間に、より完全に起こったのです。すなわち、霊的に見えない目を持ち、霊的に聞こえない耳を持つということです。その盲目の故に、彼らはメシヤとしてのイエスを見ることが出来ず、紀元70年のエルサレムの破壊の時の災害と破滅が彼らに及ぶまで、彼らは不信仰の中に陥っていたのです。
 
 「このかたくなさは、決して単なる災害ではなく、また彼らの罪の自然的な帰結に過ぎないのでもありません。それらは課せられるべき刑罰なのです。神は言われます。わたしはあなたがたに見えない目を与える。生ける神の御手は魂をかたくなにし、惑わし、盲目とされるのである」(C・ホッジ)。
 このことが真理であるからには、神を怒らせることや、神の恵みにつけ込むなどと言うことのないように気を付けることは、いかに大切なことであろうか。わたしたちの神は焼き尽くす火であられるのだ(ヘブル12:29)。
 
 J.G.ヴォス著
           玉木  鎮訳
         (日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
                                        祈 りP1020122.jpg
 
♡  ・・・。自分の感じ方が少し変になったのでしょうか、今までとは違う片付けられていく住み慣れた街並みの変りようにも、瓦礫の山に積もる雪を見ても悲しみや絶望や不安の感情が湧いてきません。もう復興なんてしなくてもいいや、という気持ちに支配されてしまっています。・・・。 
♡  母からの電話の声が弱々しくなっているのが気になります。テレビから流れるニュースは、町の復興、元気な方の声や笑顔ばかりで、子供や孫たちの成長を楽しみにして生きてきた母には、取り残されている感じとこれからどう生きて行けるのかという淋しさ、悲しさや思いの不安がそうさせるのでしょう。そんな思いを抱えて生きている方々を忘れないで下さい。    
♡  仮設の殆んどは、高齢者と呼ばれる世代ですが、数少ない子供たちが元気に走り回っている姿に元気を少しもらいます。何か声をかけてやりたいのですが、言葉が頭に浮かんで来ません。ただ気持ちだけですが、がんばれ!!です。
♡  今年の年賀状の言葉には胸が打たれます。困難を克服して頑張ります、未来に希望を託して、家族の絆を力に変えて、など困難な状況への自分への激励のように感じました。自分の言葉の軽さに、申し分けない気持ちと今の恵まれていることを深く思わされています。 
♡  あのさア、最近・・・、何か友だちとメール交換していて、自分が変ってきた感じがするんだよね・・・。よくわかんないが、じっとしていられない気持ちになるんだよね。これって、喜びかな・・・。 
♡  澄みきった空、雪の南アルプスを見ながらの生活。身体を動かさなければ何一つ手に入れることの出来ない生活を、人は不便と言いますが、私たちには心身ともに健康であることを実感できます。都会ではあじわえない生活を、自然の中で与えられた仕事に向き合えるのとは、本当に感謝そのものです。・・・・。 
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
私のところでは、例年通り田植えが始まりました。テレビで天気予報を見ていますと、日本という国は南北に長いのが気温の高い低いや雨とか雪でわかりますが、日常の暮らしは東京中心の物が中心ですね。わたしの住む沖縄も毎年の成人式で騒ぐ若者のことや、基地問題が皆さんに知られているのではないかと思います。沖縄の冬は半袖や薄手の長袖だけで過ごせる日が多いです。しかし、まれにコートが必要なほど寒い日があります。気温は那覇で寒いときでも8度程度ですが、海から吹いてくる冷た~い北風が猛烈に吹くと、さすがに寒いんですよ。県外の方から寒いときは寒かったと感想を頂いています。
                       沖縄県   K・Tさん
 
・・・。娘が結婚して福島県におりますが、食べること、飲むことに毎日数値を調べて生活することに疲れています。今年会社が東京都に移転するので、それを機に転居を考えていますが、そう出来ない多くの人を思うと後ろめたさを感じてしまう娘の姿を見て、原発の悲惨さをSH3J06750001.jpg改めて思い知らされています。何年も、何十年も続くことでしょう。・・・。                       
                      神奈川県  I・Tさん
SH3J10010002.jpg  『ありがとうございます』
 2月を迎えようとしています。子供たちにとっては、春は希望と不安の中、未来へのスタートの時でもあります。そのドキドキ感こそどのような時でも持っていたい思いでもあります。古里や親元を離れる人、それを見守る人、新たな活動の場を求める人、病と戦いながら次のチャンスを待つ人など、それぞれの春を待つ季節です。
今月号の写真は、Kさんのお母様の作品とAさんが朝晩愛犬と散歩するコースの小さな橋と公園の写真などです。身近な様子を写メールでお送りください。大歓迎です!!
     
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
和田順一様 和田貴美子様 石黒功三様 藤掛朔生様 山本 充様 田村早蓉子様 
井上義明様 森谷千文様 島田祥子様 太田敏子様 古屋愛実様 匿名2名様
 
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
***************
 
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
犬山教会男子会様 匿名1名様
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
2011年12月16日から2012年1月15日‘まで
 
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付金で2011年度は4つの団体と5人の方々に支援金として使わせて頂きました。特に老人施設訪問活動の4つの団体は活動を開始して10年以上になりますが、自前の活動でしたので少しでもお役に立てばと考えました。原則として、頂いた寄付金は2011年12月15日で残金ゼロ円にして、2012年に向けて活動してまいります。今後ともよろしくご理解ください。
    〈つのぶえ社・出版物案内〉
 
さんびか物語                             ポーリン・マカルピン著  3000円
ジャパニズ・ヒムス・
イン・イングリッシュ                    ポーリン・マカルピン著 1500円
日本伝道百年史
                 バラ・マカルピン宣教記念誌発刊編集委員会 1500円
田舎牧師の記                                              諏訪武臣著 3500円
初歩教理問答書                                    (日曜学校用)  250円
解説ウェストミンスター信仰告白                 岡田 稔著   500円
緑のまきば
=絶対者なる神を求めて=                            吉岡 繁著 2000円
聖霊とその働き                                   E・H・パーマー著
                                                                         鈴木英昭訳 1500円
初めて学ぶキリスト教                 ヘリクマ・テュック共著
                                                                        鈴木英昭訳 700円
死後と終末                                        W・ヘンドリクセン著 
                                                                       鈴木英昭訳 1900円
ウェストミンスター小教理案内                    鈴木英昭著1500円
十戒と主の祈り                                             鈴木英昭著 1800円
カルヴィニズムの5特質            ・H・パーマー著
                                          鈴木英昭訳 1500円
教会における女性のリーダーシップ スーザン・ハント著
                                         鈴木英昭監修          
                  三谷澧子・新美すえ子共訳 1300円
             =注文先 つのぶえ社=
           465-0066 名古屋市名東区梅森坂西2-616-E号
              TRL・FAX 052-893-9585
              Eメール osamura@kind.ocn.ne.jp
     
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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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