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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

 

あなたの若い日に、悪しき日の来る前に、あなたの造り主を覚えよ。

              =伝道の書12:1=

 

皆様には、鮮やかな新緑をお迎えのことと思います。4月の9日にはイースターの恵みに与かり、信仰の思いを新たにさせられましたが、この「今月のことば」は、新しい旅たちを始めた若者のための聖句として、多くの人は、教会の礼拝の説教で、尊い神様からの指針として学ばれた方も多くおありのことでしょう。

 

この聖句は、若者にとっても、またもはや若くない歳を重ねた者にとっても、自分の歩み、若い日を考え、感謝と悔い改めへと導いてくれる「神様からの恵みの言葉」の一つではないでしょうか。同時に、今一度、「若い日とは・人生とは何であるか」を振り返る日」として捉えることにも意味があるのではないでしょうか。

 

若い日の年月は美しいと言われます。それは希望と多くの不安や迷いの時と言えるからです。人生という時間を用いて人は、真理・真実を求め、光を知りたいと情熱を注ぎ、生きようとしている時だからでしょう。しかし、また、それは責任と危険にも満ちている時でもあります。挫折と暗闇もそこにはあります。ですから、その前途に、この「あなたの造り主を覚えよ」というみ言葉は光となるのです。

 

若い日は、最も美しい朝、日の昇る時でもあります。険しい山や谷があっても、その先を求めて進むのが「若い日」であります。花は微笑み、野山は緑に映え、広がる畑には収穫が待っています。ビルの谷間にあっても、混雑の中にあっても、人の歩みは、汗という宝石がその額にあるのですが、それもまた「人生そのもの」です。

 

若い日は、生涯の春です。その時に、その人の生涯の方向を定める、良い時でもあります。この大切な時に「あなたの造り主を覚え、求めること」であると、神様はお語りになりました。歳を重ねた今、ふと若き日を振り返る時、その道筋に、神様の計り知れないお導きを見る人は、何と幸いなことでしょう。

 

 =主の恵みを=

 

 真の神を信じない 仰ごうとしない私を

   真の神を仰ぐものとされた 主の恵みをほめ讃える

 真の愛を求めない 触れようとしない私を

   真の愛に触れるも者とされた 主の恵みをほめ讃える

 真の道を尋ねない 歩もうとしない私を

   真の道を歩む者とされた 主をほめ讃える   水野源三「信仰詩」

 

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 「小閑記」

 

あなたがたもまた、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。
                    =エペソ1:13~14=

 

キリストにある信仰によって、神の子供となった者は、神の世嗣となり、キリストと共同の世嗣となったのです。神の持ちたもうすべては、キリストとその救われた人々との間で分かち与えられたからです。私たちの兄弟・姉妹と言われることを恥じられぬ主は、その世嗣を私たちと分け合ってくださるのです。

 

しかし、私たちがこの世にいる間は、この世嗣を受ける取ることは出来ません。神は、主の民が信仰によってこの世を通り抜けねばならないように、人生という道を用いて準備させてくださいます。信仰生活は、神様がお備え下さった道を、祈りと希望をもって歩むことでもあります。旧約聖書に記されていることですが、カナンへ至る荒野を通る道すがら、恵みのマナを空の器に毎日集めなければなりませんでした。その民たちは、これを翌日のために貯えることは出来ませんでした。神は新しい日が明けるとともに、恵みも新しくなる、と約束なさったのでした。

「主の祈り」にありますように、日毎の糧を今日も与えて下さったのです。しかし、まことの祖国へ入るまでは、嗣業は私たちのものとはなりません。

 

神様は決して私たちを空手のままで、この世を通らせはなさいません。神は封印の約束を私たちに送って下さって、ご自分につける者であるとの印を付けて下さいました。神様は、私たちが受ける嗣業の担保として、聖霊を賜ったのです。この印が私たちにある以上は、誰も私たちを神様から奪うことは出来ません。そしてこの保証を持っていれば、私たちは必ず嗣業を受けるのです。

今、私たちはこれを十分に理解してはおりません。ただ、言い表すことのできぬ大いなるものを備えられていることを知り、それを信仰によって感じることはできます。

 

私たちにとってこの事実は非常に重要なことで、封印と保証とを失わないことであります。私たちの祈りは、そのためにこそ、「主よ、あなたの聖なる霊を私たちから取らないでください」と日々祈らなければなりません。これが信仰の歩みだからです。

 

      遠く 遠く 遠く

 

父なる神の愛を 遠く 遠く 遠く 忘れて、

  むさしく生きるあの胸に み愛を慕う心を起こしたまえ

父なる神のみ旨に 遠く 遠く 遠く 背いて

  淋しく生きるあの胸に み旨を思う心を起こしたまえ

父なる神のみもとを 遠く 遠く 遠く 離れて

 悲しく生きるあの胸に みもとに帰る心を起こしたまえ  

 水野源三「信仰詩」

 


世田谷通信(236

 

猫草

 

 近所で高さ10mほどの崖が崩れた。雨上がりの夕方の工事現場、幹線道路沿いで交通量も人通りも多い場所だが、幸いにも人的被害はなかった。

 そこは次男の通所バスが停まるところの近くで、平日朝夕2回、工事の様子を眺めていた場所だ。崩れたのは古い集合住宅の壁面。建物は何年も前に取り壊されていて、背面の壁が国分寺崖線の段丘面に残されていた。そこに新たな建設工事が始まり、残った壁の撤去作業中の事故である。

 工事では、重機で壁面下部を掘って、鉄筋を抜いていた。大量の土砂を運搬するトラックも往復していた。急斜面だし、事故にならないといいなと思っていた。

国分寺崖線段丘面の高低差は10m以上。斜面物質は重力によって下方へ移動する。誘因としての雨も続いた。降雨は地中水となって重量を増し、さらに下方への運動を加速する。崩れた面には縦方向の亀裂もあった。いったいどれほどの質量が動いただろう。

 

関東平野は火山灰が堆積してできている。どこから来た火山灰かというと富士山や箱根の山々が噴火したときのものだそうだ。ずいぶん離れた場所まで飛来するのだなあと思う。いわゆる黒ボク土と呼称される。地層で言うなら武蔵野ローム層。長い年月をかけて堆積し、押し固められた地層。この露頭は、表面が乾燥と湿潤を繰り返すことでもろく崩れやすくなる。

崖の上は富士山を望める立地で眺めが良い。台地の上なので水を得にくく、米や畑に適さない。かつては武蔵野の雑木林が延々と拡がっていた荒地で、まとまった宅地開発がしやすかったという理由もあるだろう。住宅が立ち並び、中層のマンションも多い。昭和の初め頃の国分寺崖線沿いは、都心からちょっと離れた郊外の別荘地としても人気があったようだ。

さて、崖の崩れた場所には、現在たくさんの土嚢が積み重ねられている。毎日粛々と補強・修復の工事が進む。その様子を眺めながら、「とにかく、ご安全に」と思っている。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

テレビには、全国各地にある観光花園ニュースが多くなりました。広い畑には季節の花が咲き、多くの方が楽しまれている姿は、好いものですが、気になることは、ご自分の楽しみとしての花壇はお持ちなのでしょうか。

桜から新緑の季節になりますと、道端には新しい草が伸び始めても来ました。それを「雑草」と呼び、嫌われもの、迷惑がられていますが、この一つ、一つにも神様の創造の御業を見る時、「いのち」を思わされます。創世記の「・・・・はなはだよかった」には、草木に雑草、雑木の「雑」の文字はないように思えるのです。人間の基準で「雑草」と呼んでしまう恐ろしさは、人間社会の格差や差別や偏見を生み出しているかのようで、恐ろしい感じを禁じえません。

鳥インフルエンザの殺処分に係っていた友人からのメールに、駆除しなければならないことは分かっていても、最初は心痛んでいたが、それが当たり前に「殺処分」している自分が怖いと書かれていました。「頂きます感覚」は日常生活から薄れています。戦争、人権侵害、いじめ、などなどは、心の痛みがあれば・・・と「観光花園」のニュースを見ていて感じました。私の庭は除草剤は使いませんので、飛んできたのが地に落ちた「自然生えガーデン?」です。虫たちはよく遊びに来ます。因みに私は蚊が大の苦手で、蚊取り線香派です。  神奈川県 TYさんより


「美しい朝に」

 

♪  10日ほど前から、急に右ひざが痛くなり、車いす生活をしていました。整形外科を受診して、とりあえず薬で痛みの様子を見ています。手術は、難病もあり感染症もあるのでできません。それでも、駐車場から病院までの間、「車いす」で写真を写せました。車から美しい桜も見れました。ことができて気持ち良くなりました。以前、寝たきりの時から、トイレにもお風呂にも手すりが付けていたので助かりました。家の中は、狭いところは「駒つき」の丸椅子で移動します。丸椅子は、キッチンでも活躍します。

♪  今日は、血糖値が228と高くなりました。膝痛で動けなくなって、120まで維持できていた血糖値でしたが、動くと痛いので、運動不足だとこのようになります。情けないです。お医者さんも、痛み止めを1日 

 3回出してくださっているので、無理しないでとおっしゃいます。また、血小板が維持できなくなれば、手術中も血が止まらなくなり、そう簡単には現在の医学では完治しない難病で、やはり難しいです。最近は、整形外科で、水を抜いてもらったのが良かったのか?痛み止めが効いたのか?痛みが少しとれてきたみたいです。お風呂に入るは完治しない難病は、やはり難しいですね。ただ、血糖値が高いと何故か眠くなり、良く眠れるのは不眠症だった私には夢のようです。娘が桜の写真をくれました。満開の桜がきれいです。

 

=沙耶香のつぶやき=

 

 お母さんの庭には3種類のチュウリップが咲き始めました。そのためでしょうか、お母さんはとても機嫌が良いです。

 桜が散り、街路樹は桜に変わって今はアメリカハナミズキです。また庭やあちこちの広場には芝桜が咲いていて、お母さんに誘われて、散歩に出かける時、ああ~きれいだね!と叫びたくなります。

 また定期検診があります。6カ月前より1キロ増えましたので、良かったね!と言ってもらえそうです。薬ももらってきます。もう8年間になります。

 

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子


 

 『その愛のゆえに』たので   =時々の記= 

    (206)

 

3月14

 雨がやんで春らしい気候となっています。フキノトウが今や全盛期です。足元にはフキノトウの芽が出始めたので、どこへ足をもっていこうかとふらつくのです。いっせいに芽を吹きだした蕗の勢いがすごいのです。こぶしも花を咲かせ始めました。大きな木に咲く花たちは葉っぱを待たずに咲き始めるのですね。春爛漫です。

花の数バランス取れて山椿。

行く末の遠く思はじ薄霞。

エメラルド良き色見する春の湖。

陽炎や残る蚕室白き壁。

幼子の喜び走るフキノトウ。   馬場路哉

主人はリハビリを兼ねて村内を歩いているようです。

 

3月16日

 鶯の鳴き声があまりにも美しい響きなので、娘に電話を庭に持って行って聞かせてあげました。娘は何度もその鳴き声に感動して、そんな大自然の中に居られて幸せだね。と言ってくれました。

竹の秋吹かれて光放つなり。

マッサージ話題となりしイースター。(マッサージをしてくださっている主人の友達が信仰のことをよく聞いてくるそうです)

春雨に濡るる空き家の瓦かな。

青き踏む大地の応へありにけり。

生家ある町寂れたり翁の忌。(芭蕉の生まれた伊賀市上野のことです)  馬場路哉

温かい陽気に励まされて昼散歩に行ってきました。同級生に出会いました。今はお一人で暮らしているのだそうですが、寂しいと思う時もあるけれど、一日を大切にできることを楽しみながら前向きに生きておられる様子をうかがって、こちらも元気をいただきました。今日も20度近くになりそうです。一日一日を神さまに感謝して生き抜きたいです。

 

3月22日

 ご心配おかけしました。今朝もけだるさが残る中、何とかいつものように起きることができました。主人は散歩に出かけたほうが良いというのですが、途中でまたしんどくなったらどうしようという思いで、なかなか散歩に出かけられません。もうしばらく家で待機してみます。

疾く起きて勤しみにける受難週。

早天に一人祈りぬ受難週。

天上の命を信ずイースター。

感謝する神の選びや受難週。

聖霊の導きを信ず受難週。   馬場路哉

主人は眼科への通院です。白内障が進んでいますのでいつ手術をするかの相談中です。

 

4月1

 私は三重県と、奈良県の二つの県のものを買い求めています。というのも三重県には7年間務めさせていただきましたし、奈良県では17年間務めました。三重県での教え子たちが転勤したり、昇進すると、はがきで“おめでとう”を伝えています。段々小さな文字が見えづらくなってきましたが、それでも4月1日は半日ほど新聞とにらめっこしています。4月。転勤あり、退職あり、進級ありの月ですね。

庭を占むラッパ水仙一人住み。

無住寺を翁掃除す彼岸かな。

信楽の気温を聞くや春寒し。(信楽歯今朝氷点下4度でした。)

白樫の泰然として芽吹く前。

菜の花の畑楽しく過ごしけり。   馬場路哉

主人はよく勉強をするので感心しています。二年ほど前に図書館で借りてきた“イースト オブ エデン”の原書を読み続けています。毎日1ページを読み終えるのが精いっぱいだそうです。そんな姿を見ていると勉強嫌いの私は“よく頑張るな”と感心させられています。私は英語の聖書の4福音書を読むだけで精いっぱいです。なかなか辞書を片手に英語の原書を読むのは辛抱がいりますね。

 

4月4日

 歩いて20分ほどのところに歯科医院があります。良いお天気でしたので歩いて出かけました。いつもとは違った道です。国道ですので車の量が多くてスピードも出ていますので、少し怖かったです。できるだけこの道は歩くのはやめようと反省しながら帰ってきました。

お隣の方が散歩をしておられ、どこへ行ったのかと尋ねられました。歯科の定期検診です、と答えるととても感心されて、ほめてくださいました。

“あなたは偉いな。診療所では2か月に一度検診を受け。歯科医院では3か月に一度の検診を受け。きちんと自分の健康を維持しようとしているのが伝わってくるわ。別にそれほど意識しているわけでもないのだけれど、いつの間にかこのような生活が当たり前になってきています。それに先日から17年前に主人が大病をした時に読んだ本を読み返しています。その本は「食事療法」について書かれてあるものです。藁をもすがる思いでありとあらゆる健康食についての本を読みあさりました。その本の一冊をもう一度読み返しています。食事がマンネリ化していることと、これからこそ健康でいられるようにと食生活に気を付けたいと思ったからです。玄米がよいと書かれてあります。玄米はずーっと続けて食しています。それだけではだめでしょうが、今のところ一つのことしか守ることができていません。反省することしきりです。

白樫の泰然として芽吹く前。

こつ然と乙女椿の落ちにけり。

玄関で触れむばかりの初ツバメ。

水辺なる桜のもとを歩きけり。

早天の空気張りつむ受難週。   馬場路哉

主人は今日もリハビリと言って散歩に出かけました。良いお天気で軽装で出かけたのですが、汗が出たといって着替えていました。もう夏めいてきたこちらです。

 

4月10日

 今は、お日様がたっぷり顔を出しています。朝の散歩に行ってきました。すっかり若葉に移り変わっています。この季節まだ入学式のところがあるようです。今朝は賛美歌122番を賛美するにふさわしい自然界でした。母がこの賛美歌が好きでよく賛美していました。

深甚(しんじん)と祈り続けるイースター。

十字架の釘を思ひぬイースター。

めぐらなる大木の樫剪定す。

花吹雪今日のリハビリ終了す。

奈良七里祖父の歩きし山若葉。   馬場路哉

今日で主人は最後の歯科治療の日です。4か月ほどかかったように思います。これからもしばらく自分の歯で過ごすことができたら感謝ですね。

 

馬場暁美 

上野緑ケ丘教会会員


眸(ひとみ)

 

‍     二日続いた雨なのに久しぶりの晴れ間のように感じられます。開花宣言も今や桜は満開です。モクレンも満開。チューリップまでが咲き誇っています。やはり、雨に比べると気持ちが明るくなります。燕が一気に増えてきました。もう5、6羽はやってきています。なんだか話しかけてくれているので、こちらはそれに相槌を打つだけです。生徒数の少なくなった桜並木のある小学校の入学式に記念の写真を撮ったりしているご両親の姿があり、わが子のことを思い出します。「ジャーナル友」の皆さんのご健康をお祈りさせていただいています。  徳島県 K・Kさんから

 

  福祉タクシーを利用してイースター礼拝を守ることができました。本当に久しぶりの礼拝と聖餐の恵みに与かることができましたし、好きな讃美歌も皆さんには邪魔にならないように(実は音痴なのです)声で歌いましたが、音程が外れている声は目立つものですね。礼拝が終わり、短いお茶の会がありましたが、何だか懐かしい声が響いていたのでSさんだとすぐに分かりましたよと言われ、音痴効果ってあるんですね?とうれしくなりました。久しぶりでしたので、コロナなんか気にせず、何度も何度も皆さんと手を握り合って過ごしました。帰りは、役員の方が送って下さいました。さすがに疲れて、墓地

礼拝は失礼しました  和歌山県 SSさんから

 

⁂  イースター礼拝の時にお若い女性の方が洗礼を受けられました。私の受洗の時もイースター礼拝の時でした。まだ高校生の時でしたが、あの時の感激は今も覚えています。あれからXX十年の教会生活を守らせていただきましたが、きっと彼女も、時が経っても、忘れることはないでしょう。改めて、神様の愛とお導きを覚えさせていただくことができました。  埼玉県  KYさんから

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子


「十戒と主の祈り」

      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

=日用の糧=

第四の祈り③・失われるもの

       詩篇52:7~11

 

昔と違って、日本の国の全体が経済的に豊かになりました。神を知らない人々の多くは、日々のパンのために祈る必要を感じていません。私たちキリスト者はどうなのでしょうか。あの「愚かな金持ち」という主イエスの譬え話(ルカ12:13~21)を思い出すまでもなく、蓄えが保証にならないことは分かっています。それで、この祈りの意味を良く理解しておく必要があります。例えば、アーサー・ピンクも幾つかの理由を挙げて、十分な蓄えがあっても、この祈りをする必要があることを教えています。

 

 必要の第一の理由として、私たちの所有は失われる可能性があるからです。創世記の19章に記されているソドムとゴモラの町が、天からの火によって焼き滅ばされた時のことを思い出してください。ロトの家族は神の御使いによって、前もって警告を与えられ、この町から逃れるように命じられましたが、彼らはその警告を信じなかったため、強引に連れ出されました。関西・淡路大地震のように自然の災害が突然襲います。予期しない経済の変動があります。突然の病気や事故に見舞われることがあります。そのように予期しないことが起こりますから、私たちが豊かであっても、それは神の気前の良さのためであることを、この祈りによって教えられる必要があります。

 

 この祈りが必要である第二の理由として言えることは、私たちが持っている蓄えが、神に祝福していただくものでなければ、私たちに益にもならないということです。人は神と富とに兼ね仕えることは出来ませんから(マタイ6:24)、富が悪魔によって利用されて争いの原因や神から離れさせる道具になる可能性があります。キリスト者は誰でも、富のために神から離れた人々の実例を多く経験させられています。

 

 この祈りが必要である第三の理由は、「われらの日用の糧」の「われらの」という言葉から来ています。この祈りが個人で祈られても、個人の祈りではなく、「天にましますわれらの父よ」という言葉で始まっているように、共同の祈りですから、個人的な必要だけで終わってはならない祈りであることを意味しています。他の人々に対しても、同情や思いやりのために所有している心を持てるように求めている祈りです。その点をパウロはガラテヤ教会に宛てた手紙の6章10節で、こう述べています。

 「今、時のある間に、特に信仰によって家族になった人々に対して善を行いましょう」。

 

 この祈りが必要である第四の最後の理由として、天地のすべての物の本来の所有者は神だからです。私たちの蓄えは神から受けていること、あるいは管理を任されていることを自覚するために、この祈りが必要なのです。そうでないと、私たちは思い上がるか、富が神になる危険があります。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

25 改革派信仰修養会・・2・・

 

 主食の米持参ではあったが、戦後初めてのこの種の集会とあって、互いに数年振りの会合に手を握り合って喜び、また、一つ信仰にあるものの幸いを感謝して散会したが、マキルエン氏、マカルピン氏、モーア氏の三M(スリーM)によらずしては、こうした交わりの時は得られなかったであろう。この会合を通じて、戦後日本の前途に、改革派信仰の責任と決意を新たにさせられ、一致への歩みを固くしたと言えよう。マカルピン氏などは、この様な修養会を引き続き四国や愛岐地区で、たびたび開催し、教職、信徒の結束を固めて行った。

 

1948年(昭和23)6月12日、愛岐地区の伝道のためマカルピン氏は神戸から岐阜市九重町の米軍から返還された住居に移った。すでにこの年の2月1日には、岐阜県東濃地区の大井教会(現恵那教会)、中津川教会、土岐津地方、多治見教会と巡回伝道した。

当時岐阜県には、中央線に筆者と大垣教会に杉山豊胤教師、岐阜加納教会に伊達量平教師、岐阜市に浅倉重雄教師と飛騨高山に同盟教会の教職が一両名と言った状況で、戦火のために岐阜加納、大垣地方は会堂を失っていた。従って、集会することはとても不可能で、多く山地の中央沿線に、先ず強力な伝道が集中してなされ、マカルピン氏は毎月、箱型のステーションワゴンで悪路の山坂の険しい峠を越えて伝道を続けた。

一日も休みなく、廃墟の街、岐阜市内の伝道にもマカルピン夫妻は忙しかった。学生のため、児童のため、肺結核に悩む人々のため、病院訪問伝道が行われ、近所の婦人たちもポーリンさんに導かれ、宣教師間に集まって賑やかに楽しい集まりが開かれた。

そこには戦争による国境、人種の意識を少しも感じない主イエス・キリストによる暖かい愛の心と心の触れ合いがあった。聖書を読むことを学び、讃美する歌を共にし、涙をもって祈る信仰の一致と見えざる唯一の神を仰ぎ求める熱心が生まれた。戦争によって傷つき、敵意と憎しみと殺戮の声に駆り立てられた人々の心に、はじめて真の平和と安らぎと希望の光を見出すことができたのである。

マカルピン師夫妻の赴くところ、感謝と歓びがあった。

 

「外国の人がこんなにまで、日本の私たちを愛して、キリストのために働いてくださるのか」と感謝して、筆者に話しかけた山の中の農婦もあった。「全てが天地をおつくりになった、唯お一人の神の御栄えのため、また私たちを無条件で信ずるものを救ってくださるキリストの御為にです」と答えた。

 写真・・・岐阜県神淵地方訪問伝道とマカルピン夫妻・・・右は橋本隆三牧師・・・(1953年)


「いのり」

     救い主よ、わが心のやさしき間に 主にささげん、わが心を。
  すべてのわが力をとりて、主のものとしたまえ。
   
主よ、われを取り、今とりて、若さあふるる心を、君のものとしたまえ。
 まめやかなる僕と、われをなして、わが魂に、きよき愛を満たしたまえ。

  

*****************

 

  「改革者の祈り」・・・・マンシュレック編・・・・

 

=祈願と準備の祈り=

 

   わたしたちの無価値にもかかわらず神の助けを求めて

 

 主よ、わたしたちがあなたに祈り求めることは、あなたがほめ讃えられたもうあなたの栄誉であり、あなたが崇められたもうのは、あなたへの奉仕であります。それゆえに主よ、わたしたちの無価値をお思い下さることなく、あなたの助けを必要とするものであることを覚えて下さい。わたしたちは値打ちなき者であり、あわれむべき罪人であります。それでも、あなたの栄光のゆえに、あなたに祈り求めるのです。

 

 わたしは、あなたの助けなしには生きることもできません。あなたは助けを求める者に、それを与えようとなさるばかりでなく、与え得る方であります。わたしたちの窮乏とみじめさをご覧になり、あなたのほまれのために、どうかわたしたちをお助け下さるように。 
                    アーメン
                  ルター

 

 

説教の前のいのりのために                                     

父なる神を呼び求め、常に神の怒りを招いているわたしたちの多くの落ち度やつまずきから、神が御顔をそむけられるように祈りましょう。わたしたちは神の威光の前に出るにはふさわしくない者でありますが、神がわたしたちの主イエス・キリストの救いにおいて、わたしたちをごらん下さるように祈りましょう。そして神が、キリストの死と甦りとを、わたしたちのすべての罪の十分なあがないとして受け入れて下さるように祈りましょう。

 願わくば、神のみ言葉の理解にあたって、神が聖霊によってわたしたちを照らして下さるように、恵みのよってみことばを受けるときは、まことの恐れと謙虚とをもって受けることができるように祈りましょう。それはわたしたちが、神に信頼し、恐れかしこみ、生涯を通して神の聖い御名を崇めることを学ぶためであります。

また、神がわたしたちを召して、その僕や子供たちの数に加えて下さったことを覚えて、忠実な僕がその主人に、子供がその父親に、捧げるべき愛と服従とを神にささげることを学びましょう。そして、善い主がわたしたちに教えられたように、「天にましますわれらの父よ・・・」と神に祈りましょう。

           アーメン
           カルヴァン
                                                


聖霊とその働き   

           エドウィン・H・パーマー著      

鈴木英昭訳

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

第2章 聖霊と創造

 

聖霊に関する研究は常に実践的でなければならない。神の啓示は神の深淵な事柄に対する私たちの知識欲を満足させるためのものではなく、その偉大さのゆえに神の栄光を帰し、私たちを霊的に成長させるためのものである。聖霊はそのあらゆる活動面で明確に理解してはじめて、そうした目的が達成されることになる。聖霊がどういうお方であり、何をなすかという点で私たちの考えに混乱があれば、到底御霊に十分栄光を帰し、私たちの内に為される彼の種々の働きを十分経験することは出来ない。それで、これから御霊の働きについて学び始めることにする。

 

 第一に、一つの誤りに陥らないようにしなければならない。どういう誤りかといえば、聖霊の働きを信者の再生と聖化にだけ限定する誤りである。これが起こるのは、狭い意味の救いをこの世で最も重要なことだと考える時、すなわち、人間のことに終始し、その罪、その永遠の運命、キリストによる救いの必要だけを考えるときに起こる。そのような場合の考え方は神中心的であるよりも、おもに人間中心的である。こういう見解を持つと、聖霊を人間の観点から、自己のキリスト者としての経験の点から考え、したがって、御霊の働きをそのような面に当然限定してしまうことになる。

 

 しかしながら、これは聖書のやり方ではない。聖書は神から始まるのであって、人間から始まることをしない。神中心であって人間中心ではない。聖書は神にすべての栄光を帰し、日曜日と日曜日の間も含めて、神を永遠から永遠にかかわる方として記している。神は生活の一分野に制限されず、あらゆるものの上にある主権者―まったくあらゆるものーこの宇宙の主権者である。聖霊の働きはこうしたことと調和すべきであるから、聖化に限定されてはならない。

 

 彼はこの世界の創造・摂理・啓示・受肉・贖い・聖化、そして最後の審判の日に至るまでの出来事に過去、現在、未来にわたってかかわるのである。そういうわけで、この学びでは再生や聖化における聖霊の働きだけに限定しない。本書は聖霊の聖化だけの働きを考えているのではなく、聖霊の働き全体について論じるためのものである。


   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』  

    

  満開の桜から新緑と日に日に緑の姿が変わりますね。通所の高齢者施設の庭にも色とりどりの花や木が植えられていて、大きなガラス越しに見ていても無会話に陥りやすいのですが、会話にもはずみます。あの花の名前は???になると、物知りさんがいて、あれはね・・・と教えてくれます。分からないとトレーナーさんに聞くと調べてくれます。若い職員さんは嫌がらす、花を写真にして検索するとすぐに分かるのだそうです。便利な世の中になりましたね。もう花図鑑の時代ではないのでしょうか。施設に庭にある花の名前がだれもわからずの時は調べてもらいましたら、「ギョリュウバイ」と教えてくれましたが、女性の方なら「マヌカハニー」の蜜源と言えばわかるそうです。でも、なかなか覚えられないよね・・・と言っていたら、漢字名では「御柳梅」と書くそうです。80を超える品種の交配で大量に生み出された園芸種と分かりました。これではもう私たち世代の理解を超えてしまって、きれいだね!と楽しむことにしましょう、で一件落着でした。興味のある方はインターネットでお調べをお勧めいたします。   愛知県 TMさんから 

       

  私は、最近は、プランターの土作りをしています。種まきもしています。主人の部屋にカボ
   チャとひよこ豆をなんて考えています。今はいない主人の部屋で野菜も作ろうと頑張っていま       す。ハウス栽培、ハウ
ス農家?になります。今も病の中の日々には変わりありませんが、神様       は、私の大好きな畑仕事をこのような形でお与え下さりました。本当に感謝です。先の見えな       い病に信仰が揺れていた私に生きなさと野菜を育てることで励まして下さっているのです       ね。うれしいです。   奈良県 TMさんから

 

  山の残雪の形が日に日に変わり始めました。少し離れた庭先に初孫の誕生を祝うように鯉のぼり用の長い竿が庭に立てられていました。お嬢さんでしたが一度地元を離れたのでしたが、結婚されて両親の水田の仕事を継いで5年目になりますが、お子さんの誕生は、久し振りのことで、私たちみんなも喜んでいます。私たちの子供のころは、どこの家にも鯉のぼりが風に揺れていました。そういえば、最近、鯉のぼりが目に付くようになりました。若い方が地元に戻ってきているのでしょうか・・・・。  栃木県 LKさんから

       

      <匿名ご希望の方のコーナー>

 

 我が家のハナミズキが小さな花をいっぱい咲かせ始めています。ピンクです。2本植えましたが、そのうち1本は鹿に食べられてしまったのです。残された一本のハナミズキが例年よりもずいぶん早く花を咲かせてくれてとてもうれしく気持ちが明るくなりました。

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。= 編集子


 『ありがとうございます』

 

  土の眠りから目覚めた色とりどりのサツキの花が、競うかのように咲き始めています。もう初夏なのですね。衣替え、職場替え、クラス替えと忙しくもあり、落ち着かない5月を迎えた方もおありでしょう。

  神様のお導きとお守りが与えられますように、お祈りいたします。頂いた献金で5月のために記念切手も、50枚買い求めました。大体半月分になります。このように活動できますのは、尊い献金のお陰です。本当に感謝です。

 

2023年3月16日から2023年4月15日までにお送りくださいました方々です。     

川田あまみ様 青木美智子様 加納さおり様 渡部真一様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名4名様

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

「つのぶえジャーナル」の文書伝道事業は、キリスト教の名の下に行う霊感商法など旧統一教会・歴史的キリスト教の聖書を軽視するエホバの証人(ものみの塔)とは、一切関係はありません。どうぞ一人で抱え囲まずに公的機関か伝統的キリスト教会か、「つのぶえジャーナル」宛にご相談ください。

 

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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