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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

 

さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、・・・・。(主はあなたがたをよみがえらせたもうた。)

                               =エペソ2:1=

 

わたしたちの主イエス・キリストの贖いの死と甦りによって神はわたしたちのために、この救いという恵みをくださいました。こうして、神は再び永遠の日に至る扉を開いてくださったのですから、感謝以外にありません。

自分の罪過と罪によって死んでいたわたしたちのため、我がまま勝手にやって来たわたしたちのため、全てのことが主イエスに負わされたのです。

何の罪も知らない主イエスが、わたしたちのために、罪ありとされたのです。死の果実を知らないお方が、全ての人間のために死を味われました。そしてわたしたちにとっては永遠の死が、永遠の命ととりかえられたのです。

 

主イエスが死をその足の下にされ、踏まれた時、わたしたちは命を受けました。神の約束は、「わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(創世記3:15)と言われました。その約束の完成のために神は、「わたしたちをキリストとともに生かし、キリスト・イエスにあって、ともに天上で座に着かせてくださった」のです。アダムに滅びと地獄を与え、キリストは天をくださいました。「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされたのである」とされたのです。そして、このすべてのことを、わたしたちは何の功績(いさおし)なしに、ただ悔い改めて、回心して、神のみ子のみ名を信じることによって得られる者とされたのです。

「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ6:40)。

 

そこで、自分の命を救いたいと思う者は、主のもとへ行くことなのです。何も躊躇することなく、功績を携えずに、ただ、主イエス・キリストを救い主と信じ、わが罪を認め、罪赦されることを願い、悔い改めの心をもって生きることです。

命の扉は開かれています。

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  「小閑記」

 

 そこで天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちよ。あなたがたは、わたしたちが告白する信仰の使者また大祭司なるイエスを、思いみるべきである。

                          =へブル3:1=

 

 「聖なる兄弟たちよ」と言うこの呼びかけは、私たちにとって思いもよらない名称であり、招きの言葉と言えます。これほどの美しい名は他にありません。清さに欠けることの多い私たちにとっては、むしろ、相応しくない呼び名です。しかし、私たちを救い、清いものとして召して下さる方が、この「聖なる兄弟」という名をもって呼び、感謝の召しをもって私たちを取り扱ってくださるというのです。この名によってもたらされる恵みは数知れません。

 

わたしたちが大切にしなければならないことは、自分の心を支配している罪を素直に認めることです。これは、決して恥ではありません。神を喜び、敬い、従って生きる者とされたことは、ただ神の愛とイエスの十字架の死と苦しみと甦りの救いの御業です。この一つ一つを蔑ろにしたり、日々の生活の外の出来事として忘れる罪に気付くことです。この神の招き、信仰へのお導きのみ言葉から、御霊の導きを信じることです。

 

これらの言葉を用いた目的は何でしょうか。また、「そこで、・・・聖なる兄弟たちよ」。と呼びかけていますが、どうしてでしょうか。

ユダヤ人のキリスト者たちは、キリストから離れ去って、旧約の律法へ帰ろうとしておりました。「真実なものの影」が彼らの目をくらませたので、イエス・キリストのみ顔の栄光が見えなくなったのです。そこで彼らを親が子を教えるように熱心に、罪の惑わしに陥らないように勧めているのです。「聖なる兄弟たちよ、イエスを見て最初の確信を、最後までしっかりと持ちつづけなさい」と言われました。私たちの信仰と生活を惑わす様々な誘いに対抗し、最後までしっかりと持ち続けることを、信仰への励ましとしてお示しくださいました。

 

私たち信仰に生きようとする者のまわりには、巧妙な罠が仕掛けられています。その悪の誘いは強力です。不可能ですが、それに自分の力と意志で抗して生きることよりも、むしろ、イエス・キリストへの愛を探り、頂くことに熱心な人でありましょう。キリストを失うことは、永遠の栄光と命を失うことにほかなりません。


世田谷通信(235

猫草

 

 生き物の名前には、不思議なものがある。トゲアリトゲナシトゲトゲという羽虫がいるそうだ。体全体に棘のあるトゲハムシの仲間。ところがこの個体は本来の特徴であるはずの棘が一部分にしかない。なので、上記のような名前になったという。

スベスベケブカガニという蟹もいて、体に毛の生えているケブカガニの仲間だが、毛が無いのでスベスベ。要するに、最初に名前を付けたとき、見た目重視で、棘があるから「トゲ」、毛があるから「ケブカ」、しばらくはそれで順当に分類できていたのが、生き物のバリエーションが名前を凌駕した例である。

 途中で分類が変わったり、名前が変わるのもしばしば。ええと、この草は、この虫はなんだっけとフィールドで迷うことも多い。

 そんな個別の話どころか、生物の分類自体が大きく変わっていて、昔は動物界、植物界、菌界・・と言っていたのが、遺伝情報に基づいた分類、3ドメイン説になってから30年以上も経過するそうで。学生時代を過ぎたら生物の教科書なんて開く機会がないし、と言い訳しても不勉強の一言に尽きる。

 それもまた、やがて新しい知識体系に整備され、こちらの分類が妥当、とアップデートされていくのだろう。浦島太郎はこんな気持ちか。

 里山農園で葉物の種まきをした時に、レタスといっても「グリーンカール」「ロメインレタス」「チシャ」など何種類かあって、「覚えられないわ」と種のそばに細く竹を削った10cmほどの名札を立てた。育った時「これは何?」と混乱しないようにとの配慮だったが、収穫時期になって思わぬ事態になった。名札を差した場所のレタスだけ明らかに育ちが悪いのだ。名札のない場所の葉っぱは大きく、背丈も葉の拡がりも全然違う。名札の陰が日照時間の差を生み、その積み重ねが結果として成長に大きな差をつけてしまった。「ごめんね、この野菜には名前なんてどうでもよかったのに。北側に札を差せば日が遮られなかったのに。」そんな後悔とお詫びを言いながら収穫した。名前や分類は役に立つし大事だが、それはヒトにとって、という条件がつく。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

 

 裏山からは若い鶯が独唱(ひとりなき)を始めていましたので、当分、辛抱して聞いてあげることにしています。上手になったね・・・までは、まだまだの程度で下手ですが、これも若さですね。健気に啼いています。春の芽吹きを裏山の木々の枝えだに見ることができますので、朝の目覚めが楽しみになりました。さあ~、今日も一日頑張ります!と言い聞かせています。高山の今です。   岐阜県  KOさんからのお便りです。


「美しい朝に」

 

  こんばんは。春らしくなりましたね。歌は、好きでしたが、4年前、ICUで寝たきりになってから、声が出なくなり声を出す発声練習をしていました。話せるようになる保証もないリハビリはつらかったですね。前にも書きましたが、折り紙は出来るので、それを今もリハビリと思って楽しんでいます。

手も足の指も動かぜず・・・ベッドで寝たきりでしたので、床ずれができないように、人の手で体位を動かしてもらうだけの日々も辛かったですね。だから、神様を信じられなくなりました。なぜ、こんな状態で生かされているのか?でも、自殺すらできない。生きていてもしかない状態なのにと思ってしまったのでした。そういう私を献身的に看護してくださった病院の方々には感謝しかありません。4年たった今は折り紙のでき、手足のマヒもなく1歩1歩・・・亀さんのようにゆっくりと歩みを続けています。継続は力なり、と信じています。

 

=沙耶香のつぶやき=

 

 スギ花粉で、目はかゆいし、鼻水は出るし最悪です。家族みんながそうなのです。コロナでなくてよかったと思っています。

 暖かくなりましたので、二枚重ねのマスクで学校に行っていますよ。

 お母さんの楽しみの庭作りに少しだけ手伝いました(そう思っているだけの・・・)。花が咲き出したら虫たちが蜜を吸いに来てくれるでしょう。蟻ん子はまだ土の中です。

 

       ********

 

   何とか高校卒業まではと思っていた娘が、幼い頃からの夢の看護師さんになるための学校に合格しました。親元を離れての生活になりますが、応援したいと思っています。不登校を繰り返していた子が、と思うと信じられません。神様に感謝しています。  香川県 T・Tさんのお便り

 

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子


 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (205)

 

2月14日

 朝の寒かったこと。冴え返るという言葉がぴったりでしたね。空を見ると小雪が舞っているではありませんか。せっかく花を咲かせた梅たちが震えあがっています。思いきって耳鼻咽喉科へ行ってきました。そこで、ばったりと教会の求道の信仰の友と出会いました。私とどこかで話をしたかったようでしたが、申し訳ないのだけれどと言って待合室の中でだけの話となりました。8か月も入院されていたというのです。とても元気になっていました。でも手が震えておられるし、よだれがマスクの下から落ちてきているのです。薬の副作用ではないかなと察したので、先生に、お薬を減らしてもらうか変えてもらったほうがよいのではと伝えました。どこも悪くないのにどうしてそんなに長く入院されたのかも不思議です。教会へは行っていないというのです。どうして尋ねると、教会に来る人は皆さんお金持ちなので行きたくないと言いました。何かを感じ取っておられるのでしょうから。あまり突き詰めてのお話はしませんでした。また行けるときに礼拝に行こうねとだけ伝えました。

少年期遊びし小川猫柳。

金色の目だって来る竹の秋。

夕焼けの後や厳しく冴え返る。

鳥の巣を求む望遠カメラとも。

東へ広ごる窪の梅早し。   馬場路哉

2月17日

今は久しぶりにお日様が出て暖かさを感じます。200メートルほど離れたお家の庭に紅梅が咲き始めていました。よそのお家のお花ですが、なんだかうれしくなりました。

春立つや朝の祈りを読みにける。

志あり忍耐強く老いの春。

煌めきて傾く夕日春立ちぬ。

東へ広ごる窪の梅早し

鳥の巣を求む望遠カメラとも。  馬場路哉

2月25日

 こちらは今は雨が止んでお日様が射しています。春の陽射しを感じています。うれしいことですね。春を迎えられるというのは・・・・。

シューマンの曲穏やかに春立ちぬ。

角張れる岩白々と春の川。

椿の葉、白樫の葉も風光る。

梅の花過疎なる村に咲き誇る。

春立つや白鷺谷の川に沿ふ。   馬場路哉

春は人生の節目でもありますから、悲喜こもごもの日々をおくっておられることでしょう。それを乗り越えて新しい次のステップへと進んでいくのですね

2月27日

 今日は春の陽射しがいっぱいです。昨日とは打って変わって温かい一日となっています。寒い冬を忍耐して過ごしたからこそ、この日を迎えることができるのですね。

向き合へる日の傾きて谷朧(おぼろ)

公園の散歩道外れ青き踏む。

鹿二頭眠る山より現れぬ

枯れわらの絡まり切られ固められ。

万太郎励ましにける荷風の忌。  

死に勝てる信仰を謝す受難週。

先達と召天されぬ睦月かな。

つかの間の緩和ケア経てイースター。

苦労と工夫重ねし生やイースター。

隣人への愛に満つ生イースター。  馬場路哉

3月6

 今日の最高気温は18度とか4月並みの気候です。一気に暖かくなってきたのでセーターを一枚減らしました。つい先ほど、中学校の時の友から電話が入りました。その友も高校時代も教会の礼拝に出ておりました。そのようなことで今だに関係が続いています。礼拝後には青年会で、ビラ配りのために残っていたものです。

鎮魂の響きのありぬ春の雨。

隣人への愛に努めむイースター。

信仰と愛を捨てまじイースター。

見上ぐれば青空を背に梅の花。

大形の魚浮かぶや水温む。  馬場路哉

3月7

鶯の鳴き声も日ごとに滑らかになってきました。静かな山あいに鶯が声を響かせてくれるだけでほっこり慰められます。庭の八重の椿が今年もたくさんの蕾を付けてその咲き誇る時期を楽しませてもらっています。その重みで枝が倒れ掛かっているように見えます。それでもしなやかにじっと耐え抜いてピンクと白のグラデーションの椿の花を間近に見せてくれるのを楽しみにしています。小さな我が家の庭ではスナップエンドウを今年初めて作ろうかとチャレンジしています。まだまだ朝が寒いので沿道の苗の周りには黄色いゴミ袋をかぶせて霜にやられないように注意しています。それを見てご近所の方たちは、クスッと笑っていきます。よほど、下手な野菜作りなのでしょうね。失敗しても一度やってみることが大切ですから。失敗を恐れては何もできませんからね。

早天に只菅祈る受難週。

イースター死んでも生くる教えとは。

白梅に黒き古木の落ち着きぬ。

はんなりと山に広ごる春入日。

花の数バランスとれて山椿。

3月8

 これで3日連続お隣の方がお話をしに来てくれます。私は聞き役に徹しています。それがうれしいのでしょうね。ずいぶん明るくなってきました。ちょっとしたことで、人は気分がよくなったり、逆に悪くなったりするものですね。

日向ぼこ力を得たる厨事。(主人は決まって午後2時過ぎから夕食の準備を手伝ってくれます)

竹切って野菜の苗の枝作る、

蝋梅や予後順調を願いける。

淡雪や玉つげ羊如なれる。  馬場路哉

昨日は眼科、今日は歯科と連日病院通いです。白内障の手術の時期を決めかねています。歯科のほうはまだまだかなり時間がかかりそうです。何とか自分の歯を土台にしてつぎ足しての義歯になりそうです。

 

馬場暁美 

上野緑ケ丘教会会員


眸(ひとみ)

 

   近くにある広い公園には、たんぽぽがいちめんに咲いています(西洋たんぽぽだそうです)。黄色い可愛い花に、虫たちの食事の時間なのでしょうか、忙しそうに飛び回っています。子供のころ、お友だちと花を摘んで花束を作ってはしゃぎまわっていました。母はたんぽぽで卵焼きを作ってくれました。その当時、家々では鶏を飼っていて、産み落とした卵探しをしたものです。母が残してくれた忘れられない卵焼きの味を思い出しました。 徳島県 KKさんから

 

  私は難病で、2カ月に一回精密検査を受けに通院をしているのですが、毎回行くたびにかわいい鉢植えが受付に置かれているので、病院の方にお聞きしたら、お近くのお花屋さんが、もう何年も前から届けて下さっているそうです。聞くところによると、ご本人さんが若い頃、この病院に入院なさっていて、今はお元気にお花屋さんをされていて、入院当時、どなたかのご家族が、病院に来られる都度届けて下さっていたそうで、それを聞いて、私に出来る恩返をしてみたいと思い立ち、負担にならない程度にされているとのことでした。私もこの病院の通院は数年になりますが、受付のところにあるのです。そのご親切なお花屋さんにお礼は言えませんので、帰りに立ち寄りお花を買わせていただいています。祖母にどこか似ている小奇麗な白髪の方で、いつもニコニコされているのを拝見し、次の定期精密検査まで頑張ろうと思っています。 埼玉県 TMさんから

 

  睡眠導入剤を服用して熟睡してもう10年になります。神経科の先生は処方で依存性
          に注意してくださっています。睡眠導入剤を飲んでよく眠ることができたほうが気持ちよ             く起きられるし、元気に家事の仕事などができますので服用
するほうを勧めてくださいまし
   た。
    今朝、春をまた見つけましたよ。小さなフキノトウが土手に土を盛り上げているではあ
   りませんか。嬉しかったのでメールさせていただきました。関西地方の春は高校野球の選
   抜大会の甲子園と、奈良の
「お水取り」の行事です。毎年お願いしてある有田ミカンの香
   りが届くとうれしいです。  和歌山県 S・Sさんから 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子


「十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=日用の糧=

第四の祈り①・霊的な必要のために

       ルカ12:13~21

 

 後半の三つの祈りに移ります。「日用の糧を今日も与えたまえ」という第4の祈りに始まるこの後半の祈りは、私たちにとってより身近な事柄の祈りになります。それでもそれらの個々の求めはそれ自体が最終的な目的ではなく、これらの祈りを聞いていただける目的は、やはり第一の祈りである神の御名が崇められることのためにあります。ですから、これからの後半の祈りにおいても、私たちのそれぞれの求めることの目的が第一の祈りにあることを理解することが必要です。

 アーサー・ピンクは、これらの後半の祈りに関連してこう述べています。「われわれはこれらの祈りにおいて、三位一体の各位格に言及していることははっきりと識別できる。私たちのこの世での必要なものは父なる神の厚意によって与えられる。また、私たちの罪の赦しは御子の執り成しによって与えられる。そして、試みから守られ、悪から救われることは、聖霊の恵み深い働きによる」。そういうわけですから、三位一体の神が、文字通り一体となって、この後半の祈りを聞いてくださることを思い、それだけに「御名が崇められる」ことに関心を持たなければなりません。

 

 それにしても、私たちの肉体的な必要が、「罪の赦し」と「悪よりの救い」という霊的な必要よりも先に求めるように言われています。それは霊的な必要のために体の支えが必要だからです。言い換えれば、霊的な必要の方が重要であって、そのために体が必要を満たされるということです。それはまた物質的なことで満足してしまってはならないということでもあります。

 従って、日毎の糧を与えられていることは、霊的な働きをするように備えられていて、次の「われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく・・・」「われらを試みに合わせず・・・」という霊的な歩みに食物があるということです。

 ルカによる福音書12章13節から21節を読んでいただきました。遺産の分配のために助けを求めた人に対して、主イエスは愚かな金持ちの譬え話をなさいました。

 金持ちであること自体は少しも愚かではありません。彼の愚かさは、自分の命を主なる神が定めておられることを知らず、自分の蓄えの量によって保障されていると思っていたことにありました。そのような思いであれば、このように、「日用の糧を今日も与えたまえ」と祈ることが、無意味であるだけでなく、偽りの祈りでさえあります。

 原文ではこの金持ちが「わたし」という言葉を6回も繰り返しているのを日本語ではなぜか訳されていません。17節の「わたしの作物」、18節の「わたしの倉」、「わたしの穀物」、「私の財産」、19節の「わたしは」、「わたしの魂」(新改訳ではここだけ「自分の」魂)です。蓄えは確かにこの金持ちの所有ですが、神から与えられたことがわかっていなければ、その人生は不幸で愚かなものになります。あ


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

25 改革派信仰修養会

 

これより先、11月18日(火)から21日(金)の3泊4日に亘って、神戸市垂水区塩谷の山の家で、改革派信仰(リフォームド フェース)修養会が南長老教会ミッションの主催で開催された。

 

戦後、(昭和21年4月28日)日本基督教団から脱退して日本基督改革派教会を組織(教職9名、長老3名)した群れに、戦後の混乱や周囲の事情から同一信仰を有しながら交わりを持つ機会がなく、また加わり得なかった者たちの集会を目指して開かれたものであって、食料、寝具などの不足する時代とあって、マカルピン氏は自動車(ステーションワゴン)で寝具など何回となく駆り集めて会場に運ばれた。

                                   

第一日(18日)

 開 会 式  夕6時30分~9時30分  説教 マキルエン氏

                      司会 伊達量平氏

第二日(19日)

早天祈会   午前6時~7時30分    司会 大山忠一氏

 講 演    午前8時30分~11時30分 

「ウエストミンスター信仰告白の神学」 岡田 稔氏

                  司会 藤井重顕

聖書研究   午後2時~3時        橋本 亘氏

 懇談協議   午後6時30分~9時30分 司会 岡田 稔氏

    「伝道牧会上の諸問題」       発題 水垣 清氏

                         松田輝一氏

第三日(20日)

 早天祈会   午前6時~7時30分    司会 野田辰夫氏

 講 演    午前8時~11時30分   

    「長老制教会政治」         司会 杉山豊胤氏

 発題 田中剛二氏

聖書研究   午後2時~3時       マカルピン氏

懇談協議   午後6時30分~9時30分 司会 田中剛二氏

   「日本の教会の将来」        発題 モーア氏

第四日(21日)

 早天祈会    午前6時~7時30分  司会 朝倉重雄氏

 講 演     午前8時30分~11時30分

   「改革派信仰とデモクラシー」    司会 春名寿章氏

発題 マキルエン氏

 総感話会

 閉会式(聖餐式)             司会 山崎米太郎氏

                        以上


「いのり」

 

    誰よりも深く深く

 

 誰よりも深く深く 悲しみを味わった主イエス様

  悲しみの中にあるあの友を 御愛によって慰めたまえ

 誰よりも深く深く 貧しさを味わった主イエス様

  貧しさの中にあるあの友を 御恵みによって満たしたまえ

 誰よりも深く深く 苦しみを味わった主イエス様

  苦しみの中にあるあの友を 御力によって助けたまえ    水野源三

 

*****************

 

  「改革者の祈り」・・・・マンシュレック編・・・・

 

  =祈願と準備の祈り=

 

  みことばに導かれるための

 

 全能の神よ、あなたは御心に従って、わたしたちの生活を形造るため、正しいことの何たるかを、律法と預言者によって証して下さいました。そればかりでなく、全き義の何たるかも、福音によってわたしたちに十分に示して下さいました。

 願わくば、聖霊に支配されることによって、わたしたちがあなたに服従し、ただあなたのみことばにのみ黙従して、右にも左にも迷うことがありませんように。

 わたしたちの愚かさと虚栄とを認め、みことばによって教えられますように。かくして、わたしたちがあなたのみに忠実であって、この世の旅路を終わった時、あなたの独り子の血によって、わたしたちのために得られたあの天の休息に入

ることができますように。  アーメン

                          カルヴァン

 

    キリストによる祈り

 

   愛しまつる主なる父よ、わたしたちは、御子われらの救い主イエス・キリストを愛しますので、あなたがわたしたちを愛しておられることを明らかに知ることができます。この信頼と信認のため、あなたがわたしたちの祈りに耳を傾け、わたし

たちの求めをお与え下さるよう、心勇んでお祈りします。

   わたしたちはあなたがすべてを喜んでお与えくださることを知っております。それは、わたしたちが聖く信仰深いためではなく、御子イエス・キリストのいさおしによるものです。

   わたしたちが誰であろうとも、わたしたちの祈りは必ず聞かれることを少しも疑うことなく、あなたの御前に出でて、御子の御名によってお祈りいたします。  アーメン                                                                                                                                                                                                                  ルター


聖霊とその働き   

           エドウィン・H・パーマー著      

鈴木英昭訳

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

第1章   聖霊と三位一体

 

Ⅳ 聖霊は父と子から出る***3***

 

 ペンテコステの日に、教会に吹きかけられたのは聖霊であって、父や子ではなかった。そのことは三位一体において、聖霊が父と子から出ていることから理解されよう。この点は次の事実とも符合する。すなわち、三位一体の第二人格は子であるため、彼は地上で肉体をとった御子でなければならなかったし、同じように三位一体の第一位格は父であるため、信者の父であるという点である。

 以上の点は三位一体の他の二つの位格に対する聖霊の関係においてみられる側面である。この関係について、私たちは非常によく理解しているわけではないが、聖霊が明らかにしていることを無視すべきではなく、明らかにされている点に限界はあっても、彼が教会を導いて、ご自分につき、また他の二つの位格との関係について明らかにしてくれたことを喜ばねばならない。彼の啓示にはすべて目的があり、軽視されてよいようなものではないからである。

 この神の御霊が父と子から出るという教理の実際的な効果について言うと、その与えた影響は非常に大きなものであった。1054年に、キリスト教世界はローマ・カトリック教会と東方正教会に分裂した。そのようになった背景には多くの要素があったが、つまずきの石は、東方教会が聖霊は父からのみ出ると信じ、西方教会のトレドの会議(589年)で、聖霊は父「と子」、(filioqueすなわち、子からもという意味で、その相違を象徴する用語となった)から出ると告白した。

 この相違の結果、東方教会は西方教会と分裂し今日では、この東方教会は1億6千万人以上の会員を有している。したがって、この教理は実際的には大きな影響力があって、今から千五百年前に、教会教父たちによって明文化されていなかったら、今日の私たちの教会に大変な問題をもたらしていたかもしれない。それで私たちは、聖霊がこの点に関して私たちに与えてくれた知識に感謝しなければならない。

 このほか、アブラハム・カイパーが鋭く指摘しているように、このfilioqueの否定は不健全な神秘主義を生み出すことになる。私たちの生活における聖霊の働きと、イエスの働きを分離する傾向を生むからである。キリストによる贖いは背後に押しやられ、聖霊の聖化の働きが前面に押し出される。私たちの歩みの中で聖霊の働きがますます強調され、それがキリストと教会と聖書から独立したものになる傾向がある。聖化が義認よりも大きくのしかかってき、御霊との主観的な交わりが、客観的な教会生活より大きく見え、御霊による啓明が御言葉による啓明より大きくなる。アブラハム・カイパーは、御霊が父とともに子から出るのを否定した結果として、この事が東方教会において、ある程度見られると信じている。

 このように、教会会議でなされる長い神学的論議が、ときには多大な影響を及ぼすことがあるのがわかった。会議の決定は、論争があいまいな表現になる責任を問われる危険に陥ることはあるにしても、上から下まで広く浸透する。私たちは聖霊が三位一体においてその立場を明らかにしてくれることに、感謝しなければならないが、単なる知的な知識だけで満足してはならない。むしろ、その知識に基づいて御霊とその働きを経験的に知らなければならない。そのために、この章および次から続く章が書かれたのである。


   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』  

    

  テレビのニュースでは10年振りの大雪で、各地は大騒ぎでしたが、ここ新潟は例年通りという感じでした。その雪も解け始めて沢の水嵩(みずかさ)が多くなり、段々畑に流れ始めていろいろの形をした畑や棚田一枚、一枚が陽の光に照らされた鏡のようです。土の中で春を待っていた生きものや、土手の枯草の下には青い草の芽が顔を上げて空を見上げています。雪国の春は、息吹の春でもあります。「ジャーナル友さん」の春の目覚めは何ですか。雪国では、軒の氷柱の先から滴り落ちる雫と勢いを増して流れる小川です。  新潟県 TMさんから 

       

  雪国でも雪下ろしの便利さを考えた急傾斜の屋根の家が多くなり、昔のような軒先に滑り止めを付けた家はあまり見られません。私の住む家々の軒先には、1メートルはある氷柱が何本も垂れ下がっていて、天気の良い日は陽射しを浴びてレンズのようになっていてキラキラ輝いています。今は、それが解け始めて、どさっという音を響かせてねっこ(ねもと)から落ちるのが春を告げる音です。氷柱(つらら)の先から雨のようにボトボトと滴り落ちてもいます。外に出るときは、濡れないようにそれを見て外にサッと飛び出すのですよ。これから畑には融雪剤の散布が始まり、いろいろの模様が畑アートに変貌するのですよ。  秋田県 LKさんから

 

  まだあまり日にちは経っていないのに娘が使っていた部屋にはその姿はありません。新しい大学の院生になりまして、うれしい反面、寂しくてつい携帯を触ってしまいますが、主人からは、我慢、我慢と無言の言葉。本心は主人も娘の様子が知りたいのに・・・、と思いつつ、二人で親バカしています。今は、老齢者になった両親もそのような経験をしたのかなあ~と思い、両親とは毎日、メール交換しています。  宮城県 M・Lさんから

 

  奈良公園には梅林が有り、2月末になると仄かな香りが懐かしく、よく見に行きます。山
    地の多いこの地には人手の足りない配達業務の郵便の仕事にドローンを使うなどの見見直し
  で光が当たった事は大変な感謝です。地域の皆さまのお
役に立つ一助になるかも知れないと
  思いました。もう3年前になるのでしょうか、突如始まったコロナで今までの生活が混乱し
  ましたが、過疎地への支援が急がれ、いろいろの方のご尽力で改善されましたが、今回の全
  国で初のドローン
を使う取組みが決まり、山間地の方々は日々の生活の不便さや孤独感を感
  じることも多々おありでしょうが、人と人との心の繋がりを大切にして、地域が成り立って
  いることを今回の出来事で学び、将来に希望が持てました。  奈良県
 N・Rさんから

 

  梅の花に続いてスモモの花が咲き始めました。梅とは違ってダイナミックです。野生的
  にさえ感じるのです。こんな美しい春爛漫の日々を、心の病や病床にあられる方たち。
  施設に入っておられる方たち。窓越しにでも外の美しさを見る
ことができるのでしょうか。
  また忙しくお働きの方々や、工場や職場でお働きの方々には、それは難しいことかもし
  れませんね。私は朝早く船で漁に出ての仕事ですが、出来るだけ、緑に触れたいと思
  って過ごしています。  三重県 T・M
 さんから

 

       ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

  

      <匿名ご希望の方のコーナー>

 

  ももいろの すきとおる みみに

    きこえてくるの はるの ひびき

    おかのうえから らん・らん

    たんぽぽの ふかふかのうた

    本を読んでいましたが、このような詩に出会いました。日常の営みに、大切な何かを忘れていたかのような春の招きがあるのを思わせてくれました。いい天気になると本当に誰かと話しをしたくなる。人でもいい、花でもいい、忙しく動き回るアリさんに、元気だね!と声をかけていました。

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいておりす。= 編集子

 


  『ありがとうございます』

 

 嬉しいニュースが役場の広報誌に乗っていました。ふるさと納税や寄付金で来年の4月からは村営の老人ホームが出来ることの知らせがありました。高齢者の多い農業の地域にあって、長年活躍して来られた方々のために と役場   の方々が長年計画してきたものが、このような形になったのはうれしいことです。利用できる人数は限られますが明るい出来事なのでメールしました。これは地域におられる方ばかりでなくその親族の方々にとっても朗報です。維持管理の諸問題は建設費などの知恵で書き決で期すことと信じて、一人の住民として協力したいと妻と話し合っています。訪問介護や看護の受け入れやスタッフのこともあるでしょうが、焦らず少しでも充実したサービスが、いろいろの高齢者問題の解決のために起爆剤になればうれしいです。・・・・。  

 今朝、ツバメがやってきました。まだ3羽でしたが去年よりも十日早い飛来です。きちんと我が家のことを覚えていて帰ってきてくれたのですね。何よりも今年の春の一番のお土産です。“よく覚えていてくれたね。”と話しかけました。鶯 が盛んに少しは上手になったでしょ、と言わんばかりに、“けきょけきょ”と木々を飛び交いながら庭中を駆け回っています。燕、鶯、梅鶯、とても賑やかな我が家の庭です。感謝でいっぱいの春です。

 

2023年2月16日から2023年3月15日までにお送りくださいました方々です。      

井上三郎様 加納さおり様 宇佐神正武様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名1名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

「つのぶえジャーナル」の文書伝道事業は、キリスト教の名の下に行う霊感商法など旧統一教会・歴史的キリスト教の聖書を軽視するエホバの証人(ものみの塔)とは、一切関係はありません。どうぞ一人で抱え囲まずに公的機関か伝統的キリスト教会か、「つのぶえジャーナル」宛にご相談ください。

 

 

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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