2018年4 月 月号 №128 通巻814号 号
 

  今月のことば

 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代わりにへびをあたえるだろうか。卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。このように、あなた方は悪いものであっても、自分の子供には、よい贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊をくださらないことがあろうか。

          ~ルカ11:11~13~  

 飢えて食べ物を求める子供に、パンや魚の代わりに、石やへびを与える父親は、人間よりも悪魔に近い者です。平和を求めて叫ぶ子供たちへ手渡す、美しい平和という包み紙の中身が武器と争いで、無慈悲にも手渡しているのが、今、現実に起こっている世界です。戦争を作り出すための武器商人が、平和をもたらすでしょうか。

 

 イエス様は、それをお求めではありません。無力と諦め、不完全という言葉の中に私たちは逃げ込みます。しかし、イエス様は私たちが悪い者ながら、子供らに良い贈り物をするという大切なことを、ここでお教えになっています。イエス様は、悪い者から、善い方へと導くために、このみ言葉下さったことに、希望と慰めがあります。

 「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊をくださらないことがあろうか」。

 

 イエス様のこのみ言葉に注意してみましょう。聖霊は私たちの求めうる最大の贈り物です。この素晴らしい宝を持つ人は、あらゆる、必要なものへの鍵を与えられるのです。神様のみ霊は、すべての真理へ導き、心にキリストを示し、争いと苦難に光を与える保証です。

 私たちは弱く、小さな者です。そのような者に、神様は平和を祈り求めることをお教えくださるのです。平和のための武器ではなく、平和のための愛の祈りこそ、大切であると信じます。

 

「平和」

 住む国も

 話す言葉も

 考えることも

 それぞれ異なる

 何十億の人々が

 父なる神さまの

 みもとに立ち返るように

 朝に祈る 夕に祈る

     水野源三「み国をめざして」詩集

 

  今月のことば

 わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕らえようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕らえられているからである。

          ~ピリピ3:12~

 人の喜びは、何かを求めて真摯に捜し、求め続けている時です。それを聖書は、私たちに教え示しています。それを「キリスト・イエスによって捕らえられ」と言うみ言葉で示しています。単なる心の開放とか願望の実現とかではなく、「キリスト(救い主)に捕らえられている、救いの中にある今を感じられることは、人生最大の喜びである」と言うのが、私たちに提供されている神様からの招きの言葉であります。その招きを知ることは、神様に捕らえられ、主イエス・キリストを追い求めている姿とも言えます。

 

 信仰によって救われるということは、信仰の目的に達したということではありません。それは目的に達する道を見出したということであります。私たちは救われるために、救われたのです。栄冠を求めて日々訓練・鍛錬・練習に励んでいるアスリートのあの汗の美しい輝きは、最高の冠です。神様が下さる信仰の冠はそれ以上のものです。

 

 こうも言えます。私たちが、危険から逃れている、また、全く悪より離れているという意味で「完全な者ではない」と言うことです。だから、追い求めているのです。私たちがキリストを仰ぎ見ると、キリストは全て完全です。私自身を見ると全てが不完全です。それゆえに、キリストにあこがれ、苦しんでいてもキリストからの栄冠を得ようとするのです。その時のゆがんだ顔、苦痛の汗、涙の滴は、追い求めている者の栄えある冠なのです。

 励まし合い、支え合い、祈り合って生きましょう。

 

  今月のことば

 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

      ~マタイ7:7~

 2018年も2月を迎えました。若い方々は受験という大きな扉に向かって果敢に挑戦する姿は、その経験をすでに終えた者は眩しい輝きに見えます。失敗を恐れず何かを追い求め、何かを捜し、何かを求め続けることを、生涯の友とする人生、日々は素晴らしいことです。

 

私たちが神様のもとへ、何かを願いに行く時は、誰も開けてくれない扉をたたくことではありません。心狭い者のところへ物乞いに行くのでもありません。私たちを迎えるために使いをよこされ、私たちに祈ることを教え、必ず得させると約束してくださった方のところに行くのです。

 

祈りを命令されたものであり、神様が私たちに負わせた重い義務であるかのように思うとき、祈り心はしぼんでしまうでしょう。私たちの無能と神様の全能とを示すことを捜し求めるなら、疲れ果ててしまうでしょう。

 

 そうではありません。祈りは、私たちが憐れみを受け、助けを必要とするときに助けてくださる恵みを見出すことのできる「時」なのです。神様のみ前にある扉を開いていただく、とても大切なことなのです。「義務」ではなく、「権利」であります。

 

 もし、この世ですべての扉が私たちに閉じられていたとしても、この世のすべての自由と力が奪い取られ、失っても、私たちには奪い去られない「祈り求め、捜し続ける」恵みの「祈り」があるのです。信仰の先人たちは、私たちは神様に、人生で自分に起こるすべてのことについてお話しすることが出来ると教えてくれます。救いのために祈ることから、罪の赦し、日々の仕事や家族のこと、健康のこと、そうして大切な隣り人のことを、神様に祈り、その答えを捜し求めることを、お許しくださっています。

 

「神に生きる」。それは、私たちの生活や仕事、健康や病気であっても、すべて、祈りの中で、神様に語り、希望と喜びを持って歩む「祈りの日々」でもあります。それは、誰にも等しく与えられている恵みです。 

 

  今月のことば

 8日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。

        ~ルカ2:21~

 私たちは誰一人例外なく、新しい2018年を迎えました。しかし、誰一人この年に何が起こるか予測する人はおりません。明白なことは一つあります。それは、私たちが受けた遺産は、罪と悲しみ、病いと死とであることを知っていることです。また、自分の身に逆らうものの多くは、この遺産のもたらすものでもあります。これもまた事実です。

 今年も私たちは、日々、霊的な面でも、肉体的でも頼りなく気落ちし、病いを負うでしょう。これもまた事実です。

 

 私たちはこの事実・現実を無視したり、無いかのように思うべきではありません。むしろ直視すべきです。しかし、そこには大切なことがあります。それは「主にあって」と言う「最善・大いなる希望」に「あって」ということであります。

 神様は、私たちに、あるものに信頼する権利をお与えくださいました。それは、「イエスのみ名を用いる」ことをお許しくださったことです。神様は、そのお許しと約束のゆえに、その「み名のゆえに」結ばれた祝福を果たしてくださいます。その約束の中には、光と希望に満ちた未来がありました。この「み名」の中に、私たちの罪の許しがありました。この「み名」によって求める必要を、お教えくださいました。

 「であろう~」ではなく、「ました」なのです。この約束に生きるとき、言い得ない勇気が与えられます。

 若い皆さん、キリストを捜し、知ってください。人生をあきらめないでください。一人ではないのです。キリストに聞いてください。あなたの隣に誰かはいるのです。

 仕事が人生などと言わないでください。家庭や家族があります。もっともっと輝く働きや日々があります。

 もう長く生きた、疲れたと諦めないでください。最後の最後まで、あなたはあなたらしく歩み、終わろうではありませんか。「主にあって」!!

 

  今月のことば

 しかし、わたしは考えた、「わたしはいたずらに働き、益もなく、むなしく力を費やした。しかもなお、まことにわが正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」と。

       ~イザヤ49:4~

 人は考える葦であるという言葉があります。ことの善悪は別として、何かの行動を起こすとき、「考える」ものです。考えなしに生きることは不可能です。しかし、この「考えること」が問題です。考える可能性を創造主が私たちにお与え下さったのには理由があります。しかし、正直に言えば、考えるということは、私たちの生きる道に障害物になることもあります。

実際に、考えないと同時に、考え過ぎるということもあります。そのために私たちの髪の毛を白髪にしてしまうこともあるでしょう。それは、考えるということは思い煩うということでもあるからです。「わたしは考えた、『わたしはいたずらに働き、益もなく、むなしく力を費やした』」と告白したこの神の人イザヤの魂の上にも、「問い」という病が、広がっているのです。ここでその姿を現しているのは、「思考という誘惑」です。私たちに、自分に課せられた職務を、過剰に疑わしく、見込みのないものと思わせる誘惑です。

 その結果、人は、結局一切は無益だということが分かったと思い、あらゆる仕事に、全く適していないと思って、途中で放棄したくなるのです。

 「思考という誘惑」が姿を現すのは、人が、自分が間違いなしの無能力者であると思い込むことです。しかし、それに対して神は「腕組みをして、思い深げに問うのはやめなさい。新鮮な気持ちで仕事に就きなさい」と言われます。そうして「もしそれを私が喜んでするなら、私は報いられる。たとえそれを喜んでできなくても、その職務は、私に命じられている、ということなのです。

 2017年を振り返る時、「費やすことができた」とするなら、なんと素晴らしいことでしょう。

 「正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」、という神の約束を信じ2018年を迎えたいものです。

 

 

 

 

  今月のことば

唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように。アーメン。

   ~ローマ16:27~

 2017年の月々カレンダーも2枚になりました。2018年に神の恵みを願い求めたいと思います。

 ローマ人への手紙のこの結びには、次のような三つの言葉が私たちを心から喜ばせます。

第一は「唯一の知恵深き神」という言葉です。ああ・・・憐れな自分の理性に頼るものよ、お前は、自分自身を、またお前の心に不安げに高鳴っている思いを、またこの世界をどのように理解できようか。

 しかし、神だけが、「唯一の知恵深き」お方なのだから、お前はそのようなものを、少しも理解する必要はないのだと。問題はお前の知恵やお前の無能さでなくて、単純に、その「唯一の知恵深き神」に信頼し、神のみ言葉をよろこぶことだ、と。

 第二は、「イエス・キリストにより、栄光が永遠にあるように」という言葉です。私が神の栄光ではないということ、神の栄光が私のよって左右されず、あるいは教会によっても左右されず、あるいはすべての善良な敬虔な人々によっても左右されず、ただお一人、イエス・キリストによってだけ左右されるということ。この神の、イエス・キリストの栄光によって、どれほどの恵みを得たでしょうか!

 第三は、「永遠より永遠に」という言葉です。神の愛と慈しみは、昨日も今日も、そして明日も永遠にわたって、与え続けられるという約束が、この後に続く「アーメン」と言う言葉でパウロは告白しています。

 この三つの言葉をしっかりと心に秘めて、2018年を待ち望み、迎えたいものです。

 

 

 

  今月のことば

 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためである。

    ~Ⅱコリント5:21~

 暑い夏の日々の疲れが、秋の気配と共に出てまいります。秋の虫の声を聴きながら、神様の愛に心を向けましょう。皆様の日々の生活の上に神様のお守りが与えられますように、お祈り申し上げます。

 

 イエス様の救いの恵みは、このみ言葉に無限に示されています。イエス様が罪の贖い主としてだけでなく、救い主であられることを、この短いみ言葉ほど余すことなく示されているところは、少ないと言えます。

 イエス様が私たちの代わりに、神の御前に出たという事実を認めることが、どんなに困難に思えるかということは、不思議なことです。イエス様が神の愛を、その苦難と死によって示してくださったことは筋が通り、偉大なことであると私たちは考えます。しかし、イエス様が私たちのために罪人とされ、私たちがイエス様にあって神の義とされるためであるということ、―この事実と真理を多くの人は受け入れないのです。

 イエス・キリストをそのなさったことが、私たちの救いについてであることを知らないならば、それは全く残念であり、人生の最大の損失です。生にも死にも私たちの立つ唯一の基礎・土台は、十字架上のキリストのお姿なのです。主は救い主として、私たちの罪のために死に、私たちの義のために甦ったこと、これこそが私たちの救いの希望の基盤であります。

 これを聖霊の導きによる信仰によって得ようではありませんか。神様から賜った救いの恵みを、日々の、人生の基としようではありませんか。

 季節の恵みも恵みです。しかし、永遠への恵みではありません。虫の声が慰めになっても、真の慰め、希望にはなりません。

 「今月のことば」は、本当の慰めは、神の愛のみであることを、私たちに語りかけています。

 

  今月のことば

 

(あなたがたは)神を信じた結果、約束された聖霊の証印を押されたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

   ~エペソ1:13~14~

 

欧米の日常生活がよくわかる読み物に、「童話集・民話集」があります。歴史の浅い日本人クリスチャンには、信仰が「生活そのもの」であることを知らされます。

家族そろって祈り、感謝し、ほめたたえ、捧げ物をする。喜びの場、交わりの場が教会であり、教会に集うことが、家族の絆を、隣り人との関わりを確かなものにしています。しかし、日本人クリスチャンの多くは、「一人信仰者」が多いために、この「信仰家族」とも言うべき場は見当たりません。信仰の交わりの場であるべき教会が、その役割を作り上げるために、集う一人一人の意識の中に、育てなければならない大きなテーマであるという自覚を持つことが大切ではないでしょうか。

心を一つにして祈る場、心を開いて語り合う空間から、隣り人への思いは育つでしょう。「一人静かな部屋で祈ること」「心を神様に向けて過ごすこと」はもちろん大切です。しかし、「一人信仰者」である私たちは、生活の中で、信仰の芳しい香を、家庭に、社会に信仰の証として伝えるべく祈り求めるなら、何かは変わると信じます。

神の国は広大です。あの詩篇23編の詩人が歌っている「緑の牧場」や「いこいのみぎわ」を受け継ぐなら、新しい歴史は始まります。

 

  「高原」

 

高原の短い夏に 御栄えを現わして咲く あの可憐な花のように

御栄えを現わす心を 与えたまえ 御霊(みたま)の神よ

 

高原の静かな朝に 御業をひそかにささやく あの黄色い花のように

御業を伝える言葉を 与えたまえ 御霊(みたま)の神よ

 

高原の光をあびて 御恵みをたたえて香る あのピンクの花のように

御恵みをばたたえる詩を 与えたまえ 御霊(みたま)の神よ

 

   水野源三 第四詩集

 

  今月のことば

 想像を超えた大雨の被害に合われた方々に心からお見舞い申し上げます。米国南長老教会の伝道活動には「ラジオ放送伝道と文書伝道」がありました。今回の北九州地域は以前ローカル局から放送された放送圏で、今はご高齢になられましたが数多くの信仰の友がおられ、今もお便りやメールの交換をさせていただいております。

 

 今月の聖書の言葉は「「神は」あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えてくださったのであります。」(ローマ8:30)です。

 

 私たちは困難に直面する時、ああ~神も仏からも見放されたという言葉を口にした時もありましたが、今、キリスト者とされた者として感謝なことは、全てのことが神にあってなされ、万事を益となしたもうという信仰の土台で物事を考えるようにされていることです。

 神中心であることを知り、「神が」「神が」「神が」―そうしてさらに「神が」であって、「私が」ではないということです。

 自分の人生を神に基づいて生き、神に向かって努力し、神の導きを信じ、神の栄光のために生きる喜びを覚えることが出来たなら、何と幸いなことでしょう。見捨てられた絶望から、召されている感謝へと呼び返されるなら、何と幸いなことでしょう。

 私たち一人ひとりは力弱く何の支えにもならないと思わないでください。主にある者として、被災された、東北の地にある方々を思い、今回の激甚の地にある方々を深く思い、全能の神様への熱い祈り人になろうではありませんか。

「執り成しの祈り人」こそ、光栄ある務めなのです。     

 

  今月のことば

 主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。

      ~詩篇32:2~

 聖書の言葉の表現に、時々戸惑うことがあります。この「その霊に偽りのない人」もその一つでしょうか。では、その人とは具体的にどういう意味があるのでしょうか。少なくとも、私たちが単純であるのを止めてしまったとき。ただ一つの目標だけに目を注がず、ただ一つの可能性だけを見ないとき。私たちの心が神様と富とに分裂するとき。キリストがもはや私たちの唯一の贖い主・救い主でなくなったとき。そのようなときに、私たちの霊は「偽り」ある者となっていると言うのです。

 不義・不信・猜疑・混乱と敬虔・純粋には大きな違いがあります。私たちの働く知的作業は、計算したり評価したり、駆け引きしたりであるとき、「不義を負わされ」ているのではないでしょうか。

 さて、単純なものがあります。それは、「神の愛と恵み」です。「キリストの十字架の救い」です。そこには曖昧さや「ぼかし」はないのです。この単純な救いの提供に、疑いの対応をする私たちは、どうしてなのでしょうか。それは、私たちの思いを、あまりにも超えた恵みの約束だからです。その未熟で疑い深い私たちに必要なものは、「聖霊なる神の助けと導き」です。神の側には救いがある。私たちの側には罪と滅びがある。神の側には光と命がある。私たちの側には滅びと闇だけです。

 神の側に立たせていただけるなら、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、全力をあげて、単純に「偽りのない霊」を請い求めたいと願うこの7月でありたいものです。      
 

  今月のことば

 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

       ~マタイ6:14~15~

 この聖書のみ言葉は多くの人が知っている言葉と言えます。世の中に、このみ言葉が、個人レベルだけでなく、国と国の関係に適用出来たら・・・と思うのです。「愛し、受け入れ、赦し、赦される」社会の一人として、このみ言葉を大切にするなら、どんな社会が生まれるでしょうか。夢物語と言われても、祈り願い求めませんか。

 神の愛と慈しみは、一人ひとりに当時も後の歴史の人類にも示し、与え続けています。罪と放蕩に明け暮れた私たちに、悔い改めを求め、常に扉を開いています。何か特別な心構えと身支度をしてではなく、ありのままの姿で来なさい、と招いておられるのです。人は疑い深いものです。無条件ほど疑うのです。裏に何かあるのではないかと不安になるのです。むしろ、ある基準、ハードルが示されることで安心し、励むのです。

 でもここにも条件があります。全くの無条件ではありません。それは神様への「悔い改めの心と赦された者とされたことを知って、感謝の心をもって、赦されている喜びで、赦す愛と信仰に生きる」ことです。

人を尊敬し、愛する心に変えられるなら、こんなうれしいことはないのではないでしょうか。

 

  「キリストによって」

 むなしく生きる私たちの所に こられたキリストによって

 父なる御神の招きを受けて 父なる御神のもとへ帰れよ

 

 悪に苦しむ私たちの所に こられたキリストによって

 父なる御神の正義を知りて 父なる御神の腕に頼れよ

 

 病に悩む私たちのところに こられたキリストによって

 父なる御神の恵みに触れて 父なる御神の安らぎを得よ

 

            水野源三 信仰詩集   

 

  今月のことば

 「見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも息にすぎません」。

    ~詩篇39:5~

 神様は、すべての者に等しく、24時間をお与えになっています。しかし、「あなたの前で」というこの言葉は、とても大切です。「あなたの前で」あれば、私たちの日々は、美しい。そして私たちの日々が美しくない場合には、それは一層長いのです。しかし、「あなたの前で」は、そうではありません。神様のみ前では、70歳が何でしょうか。さらに進んで80歳が何でしょうか。また「あなたの前で」あれば、私たちの生は、決して無ではないのです。たとえば、喜びと悲しみに満ち、影と光に満ち、富と貧しさに満ちている人生・・・。しかしそのような人生も、「あなたの前で」は、束の間の時間であり、泡であり、煙であり、朝開いて夕にはしぼむ花です。

 一週、一週は過ぎ去り、私たちの年々歳々は過ぎ去るものです。40歳となり、50歳は目前も事実です。天地でさえも、「あなたの前で」は過ぎゆき、地は「あなたの前で」は塵となるのです。

 しかし、神のみ前では過ぎ行かないものがあります。それは。「わたしの言葉は滅びることがない」(マタイ24:35)のです。神の言葉は単なる言葉ではありません。それは神の約束そのものだからです。

 今月も、私たち一人ひとり、神が私に何を約束していられるか問うことに、目を凝らすなら、私たちは「あなたの前で」聖書が示す神の愛、私たち一人ひとりに注ぐ神の眼差しを知るのです。

 「神の前に生きる」人生は、永遠に滅びを知らないということなのであります。

  「そうではない」

 歩むのは私ひとり そうではない そうではない

 私の弱さを知っておられる 主イエスが共に歩みたもう

 

悩むのは私ひとり そうではない そうではない

 私の弱さを知っておられる 主イエスが共に悩みたもう

 

祈るのは私ひとり そうではない そうではない

 私の願いを知っておられる 主イエスが共に祈りたもう

     =水野源三第4詩集=

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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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