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「今月のことば」
恐れてはならない、わたしはあなたがたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたがたの神である。
わたしはあなたがたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。
=イザヤ41:10=
このみ言葉で、世界の多くの人がどれだけ勇気と力と希望を見出したことでしょう。何時の時代も不安と希望を奪う出来事で生きる希望を見出せず、勇気と言う大切なものを見失ってきたことでしょう。そんなに深刻に考えるのは止めて、今日を一日、思いのままに過ごす方法を考えようではありませんか、と言う声が聞こえてきます(箴言の中の言葉)。
その誘いは魅惑的です。しかし、日々の在り方が頼りなく感じ、不安と恐れ、自分自身のこれからに失望してしまった時、魅惑の声や言葉は強力です。しかし、私たちに必要なことは、難しい言葉ではなく、病める者に手を添えるような優しい愛の手と心ではないでしょうか。
私たちにとって神の存在が遥かに遠く、理解しがたいお方と考えているなら、それは違います。「今月のことば」が、私たちの身近にあるとするなら、何と幸いなことでしょう。私たちが、主イエス・キリストを知るために、その歩みを「聖書」と言う全人類の宝の書物を開いて読み、何かを感じては如何でしょうか。この「つのぶえジャーナル」の「主の祈り」のコーナーに掲載されている「主の祈り」をご自分の大切な事柄・指針としてお考えになっては如何でしょうか。
神様はその弱く、生きる光を求めている人の姿をご覧になり、それは、今で言う「自己責任」として突き放すお方ではありません。その声に耳を傾け、その嘆きの言葉をお聞きくださるお方であることが「今月のことば」は示しているのです。
「恐れるな」といういう言葉は、聖書の中に365回もあると言われています。もしそうなら、一日一回とするなら神様は私たちに365日、絶え間なくお声をかけておられることになります。即ち、神様を求める者に、毎日、慰めや希望や明日への道をお示し下さっているということです。その招きを信じ、生きようではありませんか。その救いの道を、先に信じるようにされている私たちキリスト者は、それを、今、伝えなければならないのです。「今月のことば」は、私たちへの言葉であると同時に、まがい物宗教に惑わされたり、この世的な喜びを求めておられる人々に、心を低くして伝えなければならないのではないでしょうか。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」