忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

25 改革派信仰修養会・・3・・

 

 戦後、日本への宣教の仕事は山のようにあった。建物、会堂の再建、教育伝道、直接伝道と物心ともに多大な費用と時間と人手と物を要した。

 1948年、(昭和23)3月11日、金城学院の理事として南長老教会ミッション側よりマキルエン氏、マカルピン氏、スマイス夫人、アーチボルド女史が参加(日本人理事富田満、戸苅近太郎、赤石義明、番匠鉄雄、近藤武一の諸氏)して、ミッションとの提携問題が議せられ、原則が定められた。

1 日本基督教会大会決議の信仰告白を明記すること。

2 金城学院の院長、理事たるものは、この信仰告白を誠実に受容れること。

3 施行細則に次項を含むこと。

  A 己むを得ざる場合を除き、本学院の職員は基督信者たること。

  B 将来如何なる場合と雖も、神社参拝は之を行わないこと。

 

右のように南長老教会ミッションの教育方針がここに示され、旧日本基督教会の信仰告白の継承と神社参拝拒否による偶像崇拝への排除が明記された。

ミッションは金城学院に戦災見舞金として33,000ドルを寄附することになった。父マカルピン師の金城学院創立に続いて、子のマカルピン氏も本学院に奉仕、これをもりたてて育てる熱心を以て、夫妻で協力を惜しまなかったのである。

この年、8月29日、犬山市の丸の内公会堂を会場にJA・マカルピン氏と岐阜教会の浅倉重雄牧師(現日本基督教会)で、特別伝道集会が開かれた。出席者は560名で、これが契機となって犬山伝道は次第に定着して、同年10月8日、松原造宅(東丸の内96)に伝道所を開設して、毎週金曜日に定期集会を持つようになり、11月19日、岐阜加納教会の伊達量平教師が担当し、集会を毎水曜日に開いた。

=写真= RE・マカルピン宣教師が援助された金城学院(1920年)

PR

バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

25 改革派信仰修養会・・2・・

 

 主食の米持参ではあったが、戦後初めてのこの種の集会とあって、互いに数年振りの会合に手を握り合って喜び、また、一つ信仰にあるものの幸いを感謝して散会したが、マキルエン氏、マカルピン氏、モーア氏の三M(スリーM)によらずしては、こうした交わりの時は得られなかったであろう。この会合を通じて、戦後日本の前途に、改革派信仰の責任と決意を新たにさせられ、一致への歩みを固くしたと言えよう。マカルピン氏などは、この様な修養会を引き続き四国や愛岐地区で、たびたび開催し、教職、信徒の結束を固めて行った。

 

1948年(昭和23)6月12日、愛岐地区の伝道のためマカルピン氏は神戸から岐阜市九重町の米軍から返還された住居に移った。すでにこの年の2月1日には、岐阜県東濃地区の大井教会(現恵那教会)、中津川教会、土岐津地方、多治見教会と巡回伝道した。

当時岐阜県には、中央線に筆者と大垣教会に杉山豊胤教師、岐阜加納教会に伊達量平教師、岐阜市に浅倉重雄教師と飛騨高山に同盟教会の教職が一両名と言った状況で、戦火のために岐阜加納、大垣地方は会堂を失っていた。従って、集会することはとても不可能で、多く山地の中央沿線に、先ず強力な伝道が集中してなされ、マカルピン氏は毎月、箱型のステーションワゴンで悪路の山坂の険しい峠を越えて伝道を続けた。

一日も休みなく、廃墟の街、岐阜市内の伝道にもマカルピン夫妻は忙しかった。学生のため、児童のため、肺結核に悩む人々のため、病院訪問伝道が行われ、近所の婦人たちもポーリンさんに導かれ、宣教師間に集まって賑やかに楽しい集まりが開かれた。

そこには戦争による国境、人種の意識を少しも感じない主イエス・キリストによる暖かい愛の心と心の触れ合いがあった。聖書を読むことを学び、讃美する歌を共にし、涙をもって祈る信仰の一致と見えざる唯一の神を仰ぎ求める熱心が生まれた。戦争によって傷つき、敵意と憎しみと殺戮の声に駆り立てられた人々の心に、はじめて真の平和と安らぎと希望の光を見出すことができたのである。

マカルピン師夫妻の赴くところ、感謝と歓びがあった。

 

「外国の人がこんなにまで、日本の私たちを愛して、キリストのために働いてくださるのか」と感謝して、筆者に話しかけた山の中の農婦もあった。「全てが天地をおつくりになった、唯お一人の神の御栄えのため、また私たちを無条件で信ずるものを救ってくださるキリストの御為にです」と答えた。

 写真・・・岐阜県神淵地方訪問伝道とマカルピン夫妻・・・右は橋本隆三牧師・・・(1953年)


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

25 改革派信仰修養会

 

これより先、11月18日(火)から21日(金)の3泊4日に亘って、神戸市垂水区塩谷の山の家で、改革派信仰(リフォームド フェース)修養会が南長老教会ミッションの主催で開催された。

 

戦後、(昭和21年4月28日)日本基督教団から脱退して日本基督改革派教会を組織(教職9名、長老3名)した群れに、戦後の混乱や周囲の事情から同一信仰を有しながら交わりを持つ機会がなく、また加わり得なかった者たちの集会を目指して開かれたものであって、食料、寝具などの不足する時代とあって、マカルピン氏は自動車(ステーションワゴン)で寝具など何回となく駆り集めて会場に運ばれた。

                                   

第一日(18日)

 開 会 式  夕6時30分~9時30分  説教 マキルエン氏

                      司会 伊達量平氏

第二日(19日)

早天祈会   午前6時~7時30分    司会 大山忠一氏

 講 演    午前8時30分~11時30分 

「ウエストミンスター信仰告白の神学」 岡田 稔氏

                  司会 藤井重顕

聖書研究   午後2時~3時        橋本 亘氏

 懇談協議   午後6時30分~9時30分 司会 岡田 稔氏

    「伝道牧会上の諸問題」       発題 水垣 清氏

                         松田輝一氏

第三日(20日)

 早天祈会   午前6時~7時30分    司会 野田辰夫氏

 講 演    午前8時~11時30分   

    「長老制教会政治」         司会 杉山豊胤氏

 発題 田中剛二氏

聖書研究   午後2時~3時       マカルピン氏

懇談協議   午後6時30分~9時30分 司会 田中剛二氏

   「日本の教会の将来」        発題 モーア氏

第四日(21日)

 早天祈会    午前6時~7時30分  司会 朝倉重雄氏

 講 演     午前8時30分~11時30分

   「改革派信仰とデモクラシー」    司会 春名寿章氏

発題 マキルエン氏

 総感話会

 閉会式(聖餐式)             司会 山崎米太郎氏

                        以上


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

24  再び焦土の日本へ・・・2・・・

 

1946年11月10日、マカルピン氏の母堂、ミセス・アンナ・バラ・マカルピンさんは、82歳で逝去された。そして北カロライナ州のウインストンセーラムに葬られた。

1947年(昭和22)1月4日、愛する母を亡って間もなく、JA・マカルピン氏は廃墟の混乱と窮乏のドン底に喘ぐ東京に着いた。1月14日、神戸でWA・マキルエン博士と提携してミッション事業を検討することになった。1月30日には、世界伝道局書記長のダービー・フルトン博士と同議長WM・エリオット博士が、今後の日本伝道の協議のために派遣された。

マキルエン氏とマカルピン氏は、空襲で跡形もなくなった神戸市葺合区熊内町1丁目の中央神学校庭に焼け残った小住宅を仮住まいに、ここを根城に旧南長老教会ミッションの元伝道地を調査することになった。且つてミッションと協力した教職との連絡もできて、4月には熊内町の小旧宅で懇談の会合を持ち、ミッションの伝道再開についての協議がなされた。

そして8月、マカルピン氏は日本伝道再開のために家族を日本に移すため、またミッションの必要品を運ぶためアメリカに帰り、10月には敵製財産として日本政府に管理されていた土地建物も返還されて、神戸・熊内の小住宅に居住してミッション事業が始まった。

マカルピン夫妻は、この小住宅を開放して集会を開いて礼拝を守った。LW・モーア宣教師も軍籍を離れて高松に赴任し伝道を開始することになった。そして、その年12月30日から1948年1月1日にかけて、日本における戦後初めてのミッション会議(第55回)が、12名の宣教師の出席によって開かれ、マカルピン氏が議長として議事に当たった。そして、

神戸地区(本 部)  WA・マキルエン宣教師夫妻

四国地区(丸 亀)  LW・モーア宣教師夫妻

金城学院(名古屋)  ミセス・スマイス宣教師

愛岐地区(岐 阜)  JA・マカルピン宣教師夫妻

と担当が決まった。

(写真 岐阜県大井国立療養所聖書研究会 3人目マカルピン師、左隣り筆者・1950年)


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

24  再び焦土の日本へ

 

 悪夢のような苛烈な戦争が終わった1945年(昭和20)8月15日、日本は壊滅の焦土と化して、大、中都市は爆破されて見る影もなく、大衆はさまよい歩き、日本のキリスト教会もその機能を失って、互いにその連絡する方法もなかった。旧南長老教会ミッションの伝道地、高知、徳島、神戸、岐阜、名古屋は全て灰となって、ただ農山村の小都市が辛うじて爆撃を免れていた。

マカルピン氏は1946年7月31日、アメリカ海軍軍人への日本語教師の職を退くとともに戦後の日本伝道のため、その状況調査班として、WA・マキルエン師とともに日本に派遣されることになった。二人とも日本生まれの宣教師で、マキルエン師は高知市で、マカルピン氏は名古屋生まれである。日本語も日本人と変わらないほどなめらかで、マキルエン師は頭脳型の人、マカルピン氏は実行型の人として車の両輪のように打ってつけのコンビネーションであった。

 

特にマカルピン師の日本語は優れていて、祖父であったバラ先生は、聞く人が理解に苦しむような日本語を一生使われたという。それについての逸話があって、片言交じりの下手な難しい日本語の説教を聞いた老人が、それを英語と取り違えて「あのくらいの英語なら習わんでも話せる」と言ったという。またある日、料理人に「ネコを料理せよ」と言われた。コックは驚いて、よく聞きただしたところ、ネコではなく牛肉のニクとわかって大笑いしたり、礼拝で祝祷を間違えて「父と子と聖霊の御名においてバプテスマを授く」と全会衆に洗礼をほどこしたなどの間違いがあった」と言う(多田 素氏 牧会百話)。

 

しかし、熱意を以て、人を導くべく悔い改めを迫り、涙を以て祈る愛心の祈りは国語の不自由を補ってあまりあった。その孫のマカルピン氏は日本語とともに、またその愛と熱誠、忠実、実行を日本人にため、主のため、伝道に捧げた宣教師であった。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

23  ミッションの引揚・・2・・

 先の宗教団体法によって、南長老教会ミッション所属の伝道所中、宗教法人に認可されず、宗教結社として扱われたものに津島、名古屋西、安城の諸伝道所がある。こうしてミッションの自主的・信仰的宣教の自由は制限されるとともに、全て英国や米国に関係のある団体、個人はスパイの嫌疑ありと見られるようになり、救世軍、YMCA、宣教師関係集会、ミッションスクールは、疑惑の目で官憲の取り締まりの対象となったのである。

10月17日には、皇紀二千六百年に当たるというので、国内は日本の超国家主義の高調と相まって、キリスト教会連盟主催の「二千六百年奉祝キリスト教信徒大会並びに全教会合同宣言」などが行われるという有様であった。日本軍部の外国人に対する圧迫は、学校、教会などの教育、宗教施設から宣教師を放逐せよと命じた。

日本と米国との国際関係はますます風雲急となって、いつ戦争が起こるかわからない危険な状態となっていた。この10月、米国国務省は米国民の婦人や子供を日本から引き揚げるように勧告し、ミッションも全宣教師の引き揚げを決定した。

11月には名古屋の金城女子専門学校にも、教職として奉仕していた全ての宣教師が帰米して、外国宣教師は一人もいなくなった。JA・マカルピン氏はこの年が最初の休暇の年であった。12月28日、にった丸(新田丸)で帰米された(この船は翌年12月8日、日本戦争開始とともに撃沈された)。

在日宣教師も1938年(昭和13)には566名、1939年(昭和14)には539名、1940年(昭和15)12月193名に減じていった。特に南長老教会の宣教師として1941年(昭和16)12月8日の日米開戦時に、なお日本に留まっていたのは神戸のWH・マヤス博士夫妻、WA・マキルエン博士夫妻と徳島のE・ランプキン女史であった。そして1920年、マヤス博士は警察に拘引監禁され、マキルエン博士も拘留所に半年間拘留され、マヤス夫人、マキルエン夫人、ランプキン女史は自宅に軟禁された。LW・モーア宣教師は開戦前の12月1日、日本船でアメリカに帰る途中、戦争となり、再び船は日本に引き返して横浜拘留所に同師は収容された。帰米したJA・マカルピン氏はオクラホマのスチルウオーターやコロラドのボルダー、バークレーで海軍軍人日本語の教師として奉仕を1941年から1946年7月末まで続けられた。

(写真・・・RE・マカルピン宣教師が援助されていた金城学院・・・1920年)


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

23  ミッションの引揚・・1・・

 

1939年(昭和14)3月30日、マカルピン氏に次女のジェンさんが生まれました。二人の幼児をかかえてポーリンさんも毎日忙しい日が続いた。日本は準戦場と化して学校も軍事教練や学徒動員が必須となり、鉄製不急品回収、献納が始まり、物資も統制期に入った。すべてが日本の戦争目的へと、駆り立てられる時代に、しかも敵視の目で見られるマカルピン氏夫妻の日々は辛いものがあった。

 

そして8月26日、アメリカは日米通商条約の廃棄を通告、ここに日本とアメリカとの平和への通路は、全く閉ざされた急迫期に入ったのである。さらに、9月1日、ヨーロッパではドイツ軍がポーランドに侵攻し、同3日、英・仏の対ドイツ宣戦によって、 ここに第二次世界大戦は始まった。世界制覇を目指す日本・ドイツ・イタリアの共同体は、日本も極東の地に於いて同様の侵略戦争は回避すべくもないところから、戦争体制強化の一環として宗教統制の法令である宗教団体法が同年3月に成立し、翌1940年(昭和15)4月1日実施された。

キリスト教団体も全て許可制となって、国策に反するものは認可されず、認可されないものは文部省の管轄を離れて内務省の支配下にはいり、言論、集会、思想の取り締まりの対照となって警察力による検挙弾圧を受け、解散させられることは必定であった。

 

この1940年は日本全国が軍隊化したと言ってよいほどミリタリズムによって統制され、日本絶対主義の全体主義体制へと進行した。

写真…岐阜県大井国立療養所聖書研究会(1950年)


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

22  軍国主義下の伝道・・2・・

 岐阜の地にあったJA・マカルピン師は、1937年(昭和12)から1940年(昭和15)まで、ミッションの巡回宣教師として、またミッションの会計として働いた。専ら岐阜県下を中心にした巡回であったが、最も援助を必要とする岐阜加納、関、太田、中央線の大井、多治見の諸教会が中心であった。

1937年10月、日本基督教会第51回大会決議の「非常時特別伝道」は、当時、政府当局の要求であった「国民精神総動員」への追従であったため、外国ミッションの宣教師としての積極的な参加は敬遠され、また、これによって教会はいつしか国家主義思想の大きな濁流に知らず知らず流される方向へと進んで行った。

 

この年12月12に日、日本の南京攻撃戦で米軍艦パネー号を砲撃して撃沈し、レデイーバード号も砲撃した事件は、日本国民に米国との戦争危機感を一層強めた。後になって知らされた南京大虐殺事件によって、既に日本の前途に希望は失われていったのである。

 

1938年(昭和13)には、国家総動員法の公布(4月1日)。1,日本軍徐州占領(5月19日)、1,日ソ軍張鼓峰で衝突(7月15日)、1,武漢三鎮占領(10月12日)と戦争は進度を加え、キリスト教界も連盟による皇軍慰問、国民精神総動員講習会、日、独、伊親善協会との協議会などの行事が目につくようになった。

そして、キリスト教会の小崎弘道(3月1日)、神戸中央神学校のSP・フルトン博士(9月16日)、東北学院校長シュネーダー博士(10月5日)などが逝去されて、時代の急迫を一層重くしていた。そして在日宣教師に日本への認識を深めさせるため、数回外務省や海軍当局との懇談会が催されて、帰国中の英米宣教師への事変説明などが送られ、連盟名誉幹事のアキスリング氏のパンフレットが4万部世界のキリスト教関係者に配布された。

 

しかし、国内での宣教事業は制約されて、一般国民の動揺に加えて、個人との対話、特に外国人との接触は防諜上厳重な監視と疑惑を招くものとして、宣教師との個人的交際にも後ろめたさを覚えるようになった。ミッションスクールにも10月27日、天皇の「御真影奉載」を強制するようになった。

地方都市の岐阜の地にあって、周囲から常に異様な眼で見られたJA・マカルピン宣教師はその苦難に堪えて祈りの生活が続いた。

写真・・・改革派中部中会婦人会上より三人目は岩井修二牧師と講師のマカルピン夫人・1955年)


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

22  軍国主義下の伝道・・1・・

 

 1936年(昭和11)2月26日、日本の軍人によるクーデターが行われ、バラ塾で指導を受けた大蔵大臣の高橋是清氏も殺害された(2・26事件)。これを契機に日本の右翼化は進行して、8月7日五相会議で「国策の基準」が決められた。(大陸、南方への進出と対ソ、対米軍備の拡充など)。

1936年6月21日、マカルピン師に長女アンさんが、大阪の聖バルバナ病院で生まれた。

 

1937年(昭和12)10月7日は、RE・マカルピン師の結婚50年で、ちょうどアメリカに旅行中であったマカルピン師の信仰の弟子で、金城学院長の市村與市氏がウイントンセーラムにマカルピン師を訪問して、その金婚の喜びを分ち与えられた。市村氏は信州伊那谷の飯田出身で、ここは幕末には平田篤胤の復古神道を奉ずる門人が飯田、座光寺、伴野地方を中心に222人の多きを数える土地柄であった。

ここにバラ先生は伝道して飯田基督教会(現日本基督教団)の基礎をつくられたところ、そのバラ先生の娘婿マカルピン師に信仰を導かれて、キリスト教主義女学校の校長となった市村氏とマカルピン師との間には、深い関係があった。

さらに市村夫人の秀野さんは、東濃苗木藩並松(現中津川氏)の出身で、同藩は伊那谷のように平田学の復古神道によって藩内ことごとく廃仏毀釈を行ない、徹底した平田神道による変革を断行したところ、そしてRE・マカルピン師の伝道した中津川教会の会員として母娘共々入信されたのである。

神の不思議な御摂理の糸は、選びの民を一致せしめ御業のために用いたもう。また秀野さんの娘、佐々木据野(すえの)さん(当時中津川教会員)も、中津川にあった松本顕二氏と明治26年3月、中津川で初代信徒太田清十郎夫妻の媒酌で結婚式を挙げ、その年の9月14日、松本顕二氏は中津川から長崎の東山学院神学部に入学、のち明治34年4月、名古屋の金城教会牧師になられた。こうした訳で東濃伝道につながるマカルピン師との関係は、いろいろな実となって結ばれたのである。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

21 マカルピン二世の来日・・3・・

 マカルピン氏が着任して数日後の9月21日「室戸台風」のため関西地方を中心に死者2500人を出すという事態が生じた。キリスト教界は、「マルクス主義とキリスト教」の論争が盛んになり、「弁証法神学」によるバルト神学の流行が教会を圧倒した。

天皇神格化の国体明微運動と共に、キリスト教の宣教師の行動にも政府官憲の監視が強化され、特にアメリカ、英国の宣教師の行動にはスパイの嫌疑をもって終始する偏見が、その伝道に大きな障害となって来た。このように、若いJA・マカルピン夫妻にとって、その前途は決して安易な宣教の道ではなかったのである。

当時、愛岐地区のミッション所属伝道所の統計(1934年(昭和9)末現在)を見ると

岐阜県

伝道所 会員数 現住陪餐 朝礼拝 夕礼拝 祈祷会 受洗者 主任者

加納   44     16    15   12   10    1   伊達量平

関     43     18    6    7    6     0   雨宮正士

多治見  23     18    8    9    5     0   マキルエン

大井   83      60   19   26   15    3   伊藤庄太郎

大田   12      5     7   ―    8     2   雨宮正士

 

 愛知県

蒲郡   16      8     3    2    ―    0   モーア

東山   23     16    16   ―    8     9   スマイス

刈谷   50     16    15    16  16    4   前川敬雄

名古西  48     21    14    9   7     2   中村則秋

津島   18      8    10    10   8     2 幅銀右衛門

さらに岐阜県における宣教師の活動を困難にした問題は、美濃ミッション問題である。

1933年(昭和8)6月、米国宣教師ワイドナー女史の創設した大垣市の美濃ミッション問題の信徒の家庭の樋口繁美、潔美という小学生が、伊勢神宮の参拝を偶像礼拝として拒否した問題から時節柄キリスト教は非国民であるとして、一般および官憲の反感を招いたことであった。

それは信仰上、当然のことながら、当時警察当局がそれを天皇・皇室に対する不敬問題として取り上げ、弾圧した。信仰の道理を認めないほど、わが国はファシズムによる軍国化と国家主義体制へと狂奔していた。キリスト教は危険思想であって共産主義者と同様、国賊であるという見解であった。一歩家を出れば特高刑事の尾行が後を追うという時代である。日本の暗黒時代に宣教師としての活動がどんなに至難であったかは、当時の宣教師と共同して伝道した筆者も経験したところである。

写真は1935年、JA・マカピン宣教師按手及び日本伝道出張当時の父子。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

21 マカルピン二世の来日・・2・・

 マカルピン氏は1935年(昭和10)5月10日。ウエスタン神学校を卒業されたが、その間、ポーリンさんは神学校の聴講を許されて聖書研究の貴重な時を持たれた。

こうしてマカルピン氏はオランダの古式によって教師の准充を受け、さらに同年5月25日、南長老教会に転じ、ウインストン セーラムの中会で按手を受け、8月、同教会の世界伝道局によって日本への宣教師として任命されたが、この按手に父RE・マカルピン博士も手を置かれた。

そうしてJA・マカルピン夫妻は相たずさえて、生まれ故郷の愛知、岐阜地区伝道のためアメリカを出発、ちょうど日本、満州、朝鮮の北メソジスト教会の宣教師として任地に行かれるポーリン夫人の両親も同船され、9月12日、JA・マカルピン夫妻は岐阜に安着され、宣教の働きを始めることになった。

当時、岐阜市加納町、朝日町にミス・EO・ブカナン宣教師と明治町にVA・クロフォード宣教師が駐在していたが、クロフォード師は岡崎に転じ、JA・マカルピン夫妻は岐阜市美江町に住居された。

名古屋市にはWA・マキルエン宣教師夫妻がおられて、名古屋の西部と岐阜県東美濃の教会に責任を持っておられたが、この頃は休暇着米中で、マカルピン氏は関、太田、兼山地方、岐阜市内と中美濃地方を中心として活動された。

しかし、この頃の日本にはいわゆる「危機意識」と「非常時局」の声がやかましく、ファシズムとミリタリズムの横行する時代で、1932年(昭和7)、日本軍の満州侵略と満州国宣言による米国との不和、続いて日本の国際連盟脱退、国防の強化の提唱など、「1935、6年の危機」感ンが国内に戦争意識をますます昂揚させるようになって、日本精神を叫ぶ声は、軍部、政治家、教育家に高まって来た。

バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

21 マカルピン二世の来日

 1934年(昭和9)8月18日、JA・マカルピン氏とポーリン・スミス女史がカリフォルニアのバークレーにある女史の家で結婚式を挙げられた。

ポーリンさんの父は、フランク・ヘロン・スミス博士、母はアイバ・ガートリュード・バンフォート・スミスさんで、両親は北メゾジスト教会の宣教師として、1905年(明治38)名古屋に来られました。そして現日本基督教団名古屋中央教会の形成のため、またメソジスト女学校のため尽力され、その頃、当時、すぐれた宣教師として、同様に名古屋におられたRE・マカルピン師とも知り合いになっておられた。

1909年(明治42)、両親は九州長崎に転任され、夫君はメソジスト派の鎮西学院の校長になられ、ポーリンさんは長崎の幼稚園に通われ、兄弟4人一家6人の楽しい時代を過ごされた。

1912年(明治45)から1カ年休暇で両親と帰米され、ローレンスにある父祖スミスさんの家に住まわれて小学校に入学、1913年、日本に帰り、すぐまた夫君が朝鮮の京城に教区長として転任されたので同時に行かれた。さらに夫君は1926年から1946年までカリフォルニアのバークレーに転勤駐在し、太平洋岸からミシシッピー河までの全日本人メソジスト教会の監督の責任に当たられた。

ポーリンさんは、幼稚園は日本の長崎、小学校はアメリカと朝鮮で、高等学校はアメリカと朝鮮の外国人高校、さらに大学はアメリカのカンサス大学、カリフォルニア大学院へと修学された。修学中も、会計の事務や大学教授の秘書として働き、また高等学校の英語教師としても良い経験を積まれた。さらに結婚まで東京の青山学院で教鞭をとられた。

ポーリン夫人とマカルピン氏の出会いは長崎で、1930年の感謝祭(11月の第4木曜日)であったと言う。JA・マカルピン夫妻は結婚して最初の9カ月をミシガン州のポートランドで過ごされた。 

HOMENext ≫
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]