[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
世田谷通信(224)
猫草
近所にある「食と農の博物館」付近で、卒業論文のための簡単なアンケート調査にご協力くださいと声をかけられ足を止めた。「生態系サービス」という言葉を知っていますかと質問され、「はい」と答えると、おやっという顔をされ、どういうものか説明できますかと聞かれ「はい」と答えると、嫌な顔をされた。そこは「言葉を聞いたことがないか、聞いたことがあっても詳しく知らない」というデータを取りたかったようだ。ごめんなさいね、思ったような回答者でなくて。調査なんてそんなもの。とにかく卒論はがんばってください。
「生態系サービス」という言葉は聞いたことがあるし、説明できる。しかし、納得しているかというとそうではない。違和感がある。生態系の中で人が特にその恩恵に浴しているものをそう呼ぶのだという。当たり前にそこにある自然、環境、生態系に経済的な価値尺度を与え、換算することでその恩恵を明確にする意図だ。それはこれまで人間が自然に対して収奪するだけの行為を繰り返してきて、その結果生態系のバランスを崩すまでに破壊してしまうことへの警鐘だというのも理解できる。環境はタダじゃないし、やりたい放題にすると汚染や枯渇でまわりまわって自分に不利益が起きる。快適な環境というサービスを受け続けたいならそれなりの対価を払おうという考えである。もっともだ。
でもまだ違和感がある。結局人間には何一つ作り出すことはできなくて、すべては地球環境からの借り物で生きている。空気も水も大地もエネルギーも食べ物も、全部。人は生態系のごく一部だろうに。
例えば人類が火星に移住して、地球にいるような環境を創出するために如何ほどのコストをかけなくてはならないのか、という設定で考えるのはどうだろうか。利用できるのは固い地面だけという状態からのスタートで。
まだアンケート調査中の大学生に、あなたの思う生態系サービスとは何か、聞いてみたい気がした。
<いきいき里山・山里ものがたり>
* 八重山は真夏みたいです。NHKTVの朝ドラは沖縄ですが、宮崎から来た私にはなにもかもが勉強と驚きです。お年寄りの方言には今も苦労しています。一度いらしてください。 沖縄県の観光大使? O・Bさん
* 5月号の草花です。 鉄塔広場のナツグミが強剪定されたので、見に行ったら花も咲いて虫も来ていました。よかった! スノーフレーク、控えめに俯いてますが、昆虫目線だとこんな感じですかね。 ニワトコの花は遠目には白いほわほわですが、近寄ると可愛い花束みたいです。 カジイチゴの優雅な花。やがて熟すオレンジ色の実も爽やかな甘さで楽しみです。 サクラを愛でながらです。暑くなりそうです。こまめなしに水分補給をしながら頑張りましょう!! いちめんの土筆です。食べるなら胞子の開き切っていないのを選び、袴をとってから甘辛煮や卵とじにするとおいしいですね。皆さんお一人お一人の味がありますから腕の見せ所でもありますね。 猫草
《写真の説明と投稿です》
世田谷通信(223)
猫草
「フォッサマグナ」って教科書の隅の方に何か書いてあったような、なかったような。興味を持って、関連する本を読んでみても理解も説明もできない。相手が大きすぎてイメージがつかめないのだ。1600万年も前から存在していて、本州の真ん中を貫通する、深さ6000m以上の深い溝。その範囲は首都圏をすっぽりと覆って余りある。そんな面白い地形の上に暮らしているなんて、これまで誰も教えてくれなかった。まあ、聞いたところで「ふうん」と思うだけですが。
巨大な溝といっても、ちゃんと固い地面と知って安心する。そりゃそうだ、日本沈没は小説やドラマの中だけにしていただきたい。長い年月をかけて堆積層、積み重なった地層が固い地面を構成しているのだが、フォッサマグナ地帯の基盤岩は6000mボーリング調査をしてもたどり着けないというのだから、また驚く。地球ってまだ分からないことがたくさんあるものだな、と妙に感心する。そうだよね、地球だってあの夜空に輝く星の仲間だもの、あ、惑星だから光らないのか。地球は動いていて、伸び縮みしていて、生きている。その巨大な活動の薄皮のような地面に線を引いて、国境とか名前をつけて暮らしているのだなと思う。
先日、区の資料室で探し物をしていたら、赤ちゃん連れの若いご夫婦が「断層のわかる地図はありますか」と聞いていた。自分たちの住む場所に断層があるかどうか調べたいからと。防災意識の高い方々だ、ネットで検索すれば国土地理院の活断層図が無料で公開されています、自治体別の土砂災害ハザードマップもありますよ・・、と心の中で呟いた。自分の地域の地形地質の特徴は知っておいて損のない情報だと思う。
<いきいき里山ものがたり>
* 子供の時からこの地に育ち、見慣れたこの地を、「里山・山里」などと言う感覚はないまま、主人と畑仕事をしてきましたが、都会生活の中にいる子供たちには、今で言う「癒し、癒される」地だそうです。そう言われて周りを見渡せば、小川?には魚が泳ぎ、虫たちが飛び交い、野山は淡い春霞、人々は畑の仕事、その穏やかな日々の中にいることへの感謝を、この「いきいき里山ものがたり」を読んで感じさせられています。まだまだ元気ですから野菜の出荷に頑張ります。裏山の筍が楽しみです。 愛媛県 O・Bさん
* ジャーナル友のみなさん、お変わりありませんか。季節は春ですね。ふと目を花々に注ぐといろいろの花が咲き始めています。ヒト目線だと小さな花でも、昆虫目線だとまだまだ朝晩冷える中に咲く大輪なのでしょうね。えーと 、これはトキワハゼでしたでしょうか。サギゴケ、シタバウオ・・・、これもヒト目線だと似たり寄ったり、ほわほわの毛が優しいハハコグサ。「綿屋さんの母子ね!」という絵本の言葉がぴったりです。こんな時期に大量のエゴノネコアシアブラムシ?と思ったら、ミツマタのつぼみでした。樹皮は和紙の原料になるそうです。書き始めるときりがありませんので、後はみなさんにお任せします。猫草
《写真の説明と投稿です》
世田谷通信(222)
猫草
川沿いの遊歩道を自転車で通ると、巨大なレンズを備えたカメラを川面に向けている方がいる。年齢は様々だが男性が多いような気がする。不動の背中に、「何を撮っているんですか?」なんて聞ける雰囲気はない。きっと何時間もシャッターチャンスを待っているのだ。声をかけた瞬間に機を逃したら取り返しがつかない。
知り合いが木の上に向かってカシャカシャカシャカシャと連写している所を通りかかった。エナガのヒナが1本の枝にぎゅうぎゅう並んで団子状態の様子を撮りたいそうな。親切に「ほらその枝」と教えてくださったが、どの枝やら。下から見てゴマ粒ほどのエナガがそこにいるのにどうやって気が付いたのか。例年巣があってこの時期にヒナがいるという経験値か、あるいはさえずりを聞き分ける知識なのか。
写真が上手な方の作品は、ちゃんと「撮りたい」の完成イメージが決まっていて、その瞬間を逃さずとらえるために構図も時間も季節もぜんぶ考えて、丁寧にじっくりと時間をかけている。自然を相手にした撮影である以上、偶然の要素はもちろん多く含まれる。それでも上手な人はやはり美しい写真を撮る。それは必然なのだ。
わあきれいとスマホを向ければ写真は撮れる。でも対象への向き合い方が違うのだと思う。人の見ている世界は違う、たとえ同じ場所にいても、ひとつとして同じものはない。そして二度と同じ瞬間はない。どう感じて切り取るかは、自分次第なのだと川風に吹かれながらそんなふうに思う。
<いきいき里山ものがたり>
* もう畑の土手には土筆が出ていました。寒い冬の間、土の中で逞しく根を伸ばし、暖かい日差しを受けて顔を出してくれたのですね。春を届けてくれてありがとう。 徳島県 寒がりや
* 都会の公園にも春がきました。川沿いの梅や桜、排水溝から植物が育って自然のハイキングバスケットみたいな感じが面白いです。ジュズ玉が美しい天然のジュエリー、アジサイの冬芽と葉痕はミシュラクラ(影、面影、まがいもの)現象と分かっていても、つい微笑んでしまう。ある時期、人面魚が話題になりますね。身近にある公園や広場は、季節、季節に展示物の変わる芸術館のようです。
《写真の説明と投稿です》
世田谷通信(221)
猫草
図書室に本を借りにきた低学年の女の子が松ぼっくりを差し出して、「これあげる!」と手渡してくれた。ずいぶん大きくて立派な松ぼっくり。どこで見つけてきたのだろう、よくわからないが「もらっていいの?」と聞くと、「うん!あげる」とニコニコしているので、こちらも笑顔でありがたく受け取った。
家に持ち帰って、そういえば昔、松ぼっくりで飾りを作ったことを思い出した。どこかに余ったビーズでも・・と探してみると、裁縫箱の隅に壊れたビーズネックレスのパーツが見つかった。テグスが切れてバラバラになったのを捨てずにとっておいたらしい。もったいない精神もたまには役に立つ。さっそく開いた笠の1片1片の端に木工用ボンドをつける。その上にピンセットで大小のビーズを乗せる。グリーン系の石のビーズで地味。透明ビーズも見つけてそれも追加。ネイル用の金ラメを上から足す。金色があるとぐっと華やかさが増すものだ。製作時間はわずか5分。しばらく乾かしてボンドが透明になったら完成。材料を探している時間の方が長かった気がする。
図書室のカウンターの一角に置いてみると、松ぼっくりをくれた子がやってきて、「すごーい!きれい、すごーい!」と喜んでくれた。高学年女子はさすがに目ざとく、「え、これめっちゃ可愛くない?超やばいんですけどっ!」と口々に出来栄えをほめてくれた。高学年男子はというと、気にはなるものの、素直にいいねと言いたくないらしく、「うーわ、時間かかりそう」、「どしたの?暇だったの?」、「細けえ~!」という反応。ともあれ一個の松ぼっくりをきっかけに、子どもたちのいろいろな声が聴けた。もう少し、飾っておこう。
<いきいき里山ものがたり>
* 雪深い今の新潟ですが、逞しく「雪椿」が咲いていました。今少し先になりますがスイセンも咲いてくれます。これからが本格的な大雪を迎えます。皆さんの所は如何ですか。 新潟県 寒がりや
* お隣りの家の近くに近寄るとスイセンの清廉な香りがしました。それぞれ少しずつ譲り合ってフェンス越しの陽を受けていますね。
* 里山農園の収穫物です。参加メンバーさんと仲良く分けあいました。これもまた楽しみの一つです。
《写真の説明と投稿です》
=沙耶香のつぶやき=
少し風邪気味で元気がありません。この時期は何時も風邪を引いてしまいます。お粥を食べています。英語の勉強も出来ません。まだまだ若いんだから元気になって頑張れば良いではないでかと大人の人に言われても焦っています。
近くにある病院でクスリを貰い飲んだら、少し元気になりましたよ。でもまだまだ、なかなかやる気が出てこないよう~です。お母さんは無理しちゃダメよと言うので素直に??聞いてお布団にくるまっています。
家族で教会のクリスマス礼拝に行く予定にしています。元気な揃っていたいたとこのことを思い出していたら何だか知んないが、讃美歌を唄っていた時、涙が出てきて少し恥ずかしかったが、家族が知らないふりをしてくれていて、うれしかったよ。
一年が過ぎようとしていますが、私は成長したのだろうかと、ふと思うことがあります。続いたと言えば定期検査のために通った病院行きのような感じがします。今年のはじめには、わかりやすい世界歴の本を読もうと決めて3冊ほど買いましたが、そのままです。そう言うのを、本箱読書というそうですが、その仲間入りになってしまいました。あああ~。
********
今年も、このコーナーで慰められました。引き籠ってしまってもう6年目です。会社の先輩の指導といういじめにあい、両親の世話になってしまいました。引き籠りという同じ仲間のグループの人との会にも入りましたが、ダメでした。焦る気持ちに、自分が押しつぶされそうになる時、このコーナーで、ほっとするのです。「眸」や「ほっとひととき・・・」も、わたしの好きなコーナーで投稿者の方々に、みんなそれぞれが苦労したり、頑張っているんだ・・・と言う気持ちにさせられます。新しい年、どんな感じになるのでしょうか。 福島県 41歳 男性
**この掲載は原稿の時にお送りし、手直しなどしていただき、全て了解を得ております。**編集子
猫草
綿の種を10粒ほどもらってプランターで育てている。春に小さな芽が出てすくすくと育ち、3本が30~50cmほどの高さになった。秋になってふとみると先端にいくつか実がついている。毎日ドアを開けるたびに目にしていたはずなのに花の記憶がないのはどうしたことか。晩秋のある日その実が割れてふわふわの綿が現れた。コットンボールは真っ白ではなく少し色がある。いわゆる生成りの色だ。
収穫した綿の活用方法としてはリースやツリーの飾りにすると良いとのこと。なるほど、子供が小さいならツリーに飾り付け、さぞ喜ぶだろう。綿をのぞかせた小さな実の姿が冬らしいので、そのまま玄関先に飾ることにする。3つに割れた実の中に白い綿がぎゅっと収納されている様子は愛らしい。
それにしても、この綿を集めて、糸に紡いで、織って、布にするとは。それを染め、切って縫って服を作るまでに何個の綿の実が必要なのだろう?綿100%の服は通気性が良く、肌触りもいいので大事にしているが、より一層のありがたみを感じる。布や服を捨てるなんてもったいない!と思ってしまう。着られなくなった服や使わない布は雑巾にして最後まで活用しなくては。
白い綿の真ん中には数粒の黒い種が入っている。来年また撒こう。そして次はちゃんと花を愛でよう。
<いきいき里山ものがたり>
《写真の説明と投稿です》
*もう顔馴染みで、お世話になっている園芸店で春を楽しみにアイリス、チューリップ、スカシユリの球根など数種類を買い求め、マイガーデンに植えました。暖かい愛媛県だからできることで、雪国の方には何だか申し訳ない気持ちになりますが、きっとお部屋の中でお花をお楽しみの方も多いことでしょう。
*私には山茶花と椿の違いがよくわからませんが、どちらもこの季節に咲いてくれますので、外に出るのが楽しみになります。健気に咲いてくれすの愛らしいです。
猫草
ほんの少しの違いが、大きな印象の差になることがあるのはどうしてだろう、とよく思う。自分ではできているつもりでも、予想通りに出来ていなかったり。そういうときに残念だなという気持ちと、上手な人はどこが違うのだろう、と不思議に思う。例えば、料理番組をみているといかにも簡単に手際よく、おいしいものができるように錯覚する。でも同じように再現できない。仕上がりが思っていたのと違う。それはそうだ、見ただけで誰もが同じようにできたらプロの料理人は失業してしまう。
盛り付ける手元をよく見ていると、料理の先生はちょっと食材の角度を変え、ほんの一瞬皿を回す。コツ、というわずかな違いが一皿を生き生きと見せる。
バスの中で若い女性がヘアゴムで髪を一つにまとめていた。単に一つにつめるのではなく、サイドの髪を少し指先で引き出し、結んだ位置をちょっと下にした。その微調整で急におしゃれになったので、なるほどと感心した。
首元にさらりと巻いたストールひとつで、いかにもセンスがいいと思わせる人もいる。きっと頭の中に「これはこうあるべき」という理想形がきちんと、あるいは無意識にイメージできているのだろうと思う。それは黄金比だったり白銀比だったり、ある程度説明でき、数値化できるものかもしれない。
思い返せば、小学校の書道の時間。先生が「横に一本、線を書いてください。」というのでみんな半紙に「一」と書いた。その「一」はみんな違っていて、整ってきれいな子も、やたら太い子も、弱々しい子も、真っ直ぐも、ぐんにゃりもいて。文字ですらない、横棒でみんなの実力が出てしまったのだ。
それも個性と言えばそうなのだし、今更悔やんでも一朝一夕には身につかない。今からでも少し気を付けて、せめて周囲に見苦しく思われないようにできればと思う。
<いきいき里山ものがたり>
* わが家の「いきいき里山ものがたり」は都心の15階建てのマンションのベランダです。洗濯物は乾燥機にしていますので、ベランダは家内の楽しみにしている小さなガーデニング?の場所です。季節の鉢植えに朝晩水やりと剪定?を楽しんでいます。
今はどこかに行ってしまったトンボも来てくれました。孫が秋の虫を敬老の日にプレゼントしてくれましたので、虫の声を楽しみにしています。ベランダの小さな秋のお便りです。 神奈川県 A・Lさん
世田谷通信(217)
猫草
「カシノナガキクイムシ」これはある害虫の名前なのだが、舌をかみそうなので、通称「カシナガ」と呼んでいる。ナラやクヌギの木を枯らし、全国に拡大している。そういうとさぞ恐ろしい昆虫かと思うが、5mmほどの地味なやつである。
たとえると、ほうじ茶の小さい茶柱のよう。最初に見たときは、「え、どれですか?」と聞いたほど特徴がない。でも大量発生する。木の内部を食い荒らし、菌を増殖させて樹液の流れを止める。夏なのに茶色く葉っぱが変色するので被害木は遠くからでもわかる。幹に穴がたくさん開いて樹液があふれ、葉が枯れると樹木は衰える。最悪の場合は倒木となる。
原因もその生態もわかっているのだから、対策はできよう、様々な論文や報告書も出されているし。はじめはそんな風に軽く思っていた。しかし生き物はそう簡単にはいかない。予防薬剤注入も捕獲トラップも顕著な効果はみられない、そして被害は出てしまう。雑木林の斜面にはあちこちに茶色くなったコナラやクヌギがみられる。対策をとらなかったらもっと被害は大きかったかもしれない。結果論なのでなんとも言えない。
近くに建物や遊歩道に危険が及ぶ可能性のある木は早めに伐る。混みあった林にぽっかりと空白ができて、地面まで陽が入る。そうなればまた新しい植物が芽を出すだろう。
被害木はカシナガが侵入した穴がいくつもあいて、その下におがくずのような粉が落ちている。穴から樹液が出る。樹液が出れば昆虫が集まる。昆虫が集まるとそれを捕食する動物も来る。私たちは木を枯らす害虫だから対策を、と思うが、生き物たちは美味しい樹液を喜んでいるようにも思える。
果樹園なら、収穫のために害虫は駆除しなくてはならない。だが雑木林はある程度のサイクルで循環させることが大事である。でも薪にも使われず、雑木林はどんどん高木化していたのだ。
ずいぶん何本も枯れたなと思うのと、森林の更新手段かも、と思うのが半々の気持ちである。害虫、益虫の区別は人間の判断だけだから。
<いきいき里山ものがたり>
* 季節、季節の変化によって、いろいろの草花が花をつけ実をつけ、生き物も秋を迎えています。色鮮やかなクサギの実、アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)のマメは服などにくっつきやすい形状をしています。子供たちのはしゃぎまわる姿がそこここに見られます。クズの花とヨウシュヤマゴボウの実。紫のグラデーションが秋らしいです。キンミズヒキから秋の訪れを感じます。木目調をベースに目玉模様がたくさん、森の生き物のデザイン戦略でしょうか。秋もまた色鮮やかです。
=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=
猫草
書類の整理をしていると昔、自分が書いたメモや付箋をみつけることがある。こまごまと丁寧に書いているなあと思う。これまで出来ていたことが年々いい加減になり抜けていく。作業して机を片付け、後ろを振り返るとだいたいハサミやゴミが残っている。これが見えていなかったのか?もしかしたら部分的に視野が欠如しているのかと疑いたくなる。
薬局の壁に「高齢者に多い目の病気セルフチェックシート」が貼ってあった。A4サイズの白い紙に黒い細かい格子が印刷してある。等間隔に見えて正常。視野に異常があるとグリッドがゆがんだり、ぼやけたり、部分的に見えないようだ。ちょっと下から見ると、所々白くムラがあり線が歪んで見える。正面から見ると焦点が合う。斜めからでは物が正しく見えていないかもしれない。
便利だからとスマホを使いすぎて目を悪くしているのかも。よし、できるだけ使うのをやめてみよう。というわけでスマホ使わない生活1日目。つい習慣でスマホを手に持ってしまう、「いや使わない」と戻すのだが、手持ち無沙汰。ちょっと検索、メール、ネットニュース、パズルゲーム、音楽・・と何気なく長時間使っていたのに驚く。我慢して制限されている気持ち。なんだかイライラする。あれ?これが世に言うスマホ依存症というものか。2日目、本を読んで過ごす。良く寝られるし、目も肩も疲れない。3日目そう言えばTwitterを更新していない。「元気ですか?更新がなく心配になりました。」と友人から連絡がある。「元気です、いまネタ切れなので、またそのうちやります、ありがとう!」と返す。そうか更新は生存確認の意味もあったのか。4日目、スマホを気にしなくなってきた。というか今まで何に使っていたのだろう。天気予報のチェックと仕事の連絡以外は不要だったのかも。電気代や通信費の節約にもなるし、目にも体にもよい。衰えたと嘆くより自分の手でできることを増やそう。
<いきいき里山ものがたり>
* 水栽培のさつま芋の蔓?茎?が伸びに伸び、葉も30枚くらい付けてくれています。言葉に出来ない薄緑の葉が机の横に3鉢おいて、疲れた目を癒してくれています。
* 短い夏、繊細な羽にキラキラの身体。警戒心のないセミの姿に愛しさと眩しさに命の強さを感じました。
* 水辺で鳥のストレッチ。
* ハゼノキに若い緑の実が沢山ついています。蝋燭の原料になります。
=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=
猫草
エゴノキという植物がある。公園、庭木、山でも見かける。初夏には白い花を釣鐘のようにたくさんつけ、その花びらが散ると地面は白い絨毯のようにみえる。花の後には少し先端のとがった球状の実がつく。石鹸の成分と同じサポニンが含まれているので、人間には毒で食べられない。えぐいからエゴという名の通り、苦いのであまり鳥も食べない。
でもそれを好んで集まる昆虫もいる。葉を丸めて卵を産むエゴツルクビオトシブミ、まるでバナナのような虫こぶをつくるエゴノネコアシアブラムシ、実に穴をあけて産卵するエゴヒゲナガゾウムシ。このヒゲナガという正式名称よりも、ウシヅラゾウムシという昔の呼び名のほうがわかりやすい。5mmほどの小さな昆虫だが、オスを正面からみると牛のような白い顔をしている。目が横に張り出しているのでそんな顔になる。7月下旬のエゴノキをよく観察すると見つけられるかもしれない。
いつも不思議に思うのだが、あの昆虫たち、ひと時の産卵シーズン以外はどこで過ごしているのだろう。ちゃんとその季節になると現れて、終わるとひっそり暮らし、やがて命尽きるのだろう。昆虫の生活史は謎が多い。
謎と言えば、そもそも植物もあんなにたくさんの花を咲かせ、実をつける必要はあるのだろうか。実生で苗木になる確率はとても低いのに。実の大半が虫に食われ、地に落ちて朽ちても、それでも代替わりに備えて、そのプログラムは毎年、律儀に繰り返される。
きっと植物も昆虫も知っているのだ。この環境は一定ではなく、ある日大きく変わる可能性があることを。生き物は長い年月の間に幾度もその試練を受け、それを超えられた種がいま存在している。経験や記憶は遺伝しない。でも生き残り戦略として、それぞれの生態に受け継がれていくのも事実。その「ある日」はいつ訪れるかわからない。何が起きるのかも予測できない。だから毎年備える。
<いきいき里山ものがたり>
* コロナ禍になって鉢植えや庭に花を植えるためにいろいろの花を買い求める人が多くなりましたと、お馴染みの花屋さんのご主人が言っておられました。今までは切り花を購入されていた方が、自分の家の庭に、好みの花を植えて楽しんでいる人が増えたのは、コロナは困りますが、嬉しい変化ですと笑顔で話してくださいました。花と向き合う時間が増えたのですね。
* わが家の小さな庭に咲いているアジサイの葉の裏に小さなカタツムリの子供がいるのを見つけました。時間を忘れ見惚れていました。ゆっくりゆっくり、時間をかけて滑るように動いています。何だか自分の姿のように思いました(わたしは滑るようではなく躓くようにですが・・・)。近くの郵便局まで行くのに、カメさん歩きと思っていましたが、子供のカタツムリのように動いていても、目的のところに行けるんだ、と何ともありがたい勇気をもらいました。
=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=
猫草
斜面、崖をみて、これまでと少し違う気持ちになる。これまでは断層がきれいだなあとか、あれは何という名前の石だろう、判別出来たらきっと面白いんだろうな、と眺めているだけだった。しかし本を読んで調べると素人にも見えてくるものがある。
白くてぽろぽろ、さらさらした粒、時々黒い欠片が混じっている花崗岩。これは空気や雨にさらされると崩れやすい。表面を触ってみると細かい砂が手につく。でもすぐ隣には硬くてツルツルした岩があったりする。高温のマグマで溶けてまた固まったようなのは簡単に崩れない。マグマは地球の奥深くにあって、噴火で地表面に出てくる。その噴出の仕方や量、冷えて固まるまでの時間、さらにもっと前の地殻変動の痕跡、地球の成り立ち。言葉が足らず、全体を説明できる知識もないが、何か大きな力が働いたんだろうな・・と想像する。
いま、その想像もできない大きな力のほんの端っこ、刹那の中で暮らしているんだなとも思う。ともすれば自分の経験や常識、知識、しがらみが世界のすべてのように思ってしまう。いつもそういうものに振り回され、その中で答えを見つけた気になって安心し。日常の繰り返しは絶えず、小さな同じを積み重ねてできているので、それで構わないようにも思うが、ふと岩石や崖をみると何もわかっていない自分も同時にいる。見ても目に入っていないこと、知らないこと、知ろうとしないこと。
「勉強とか、マジで意味が分からないんだけど!」道ですれ違った中学生が大きな声で友達と話していた。そうでしょうね。うん、「マジで意味が分からない」ことだらけ。それでも進まないといけない。ここではないどこかへ。だから勉強するんだよ、きっと。
<いきいき里山ものがたり>
*わが家のアジサイもサツキも競うように咲いています。お隣りも、そのお隣りの庭にも彩鮮やかに花をつけています。桜は見事ですが瞬く間に若葉に変身しますが、アジサイやサツキは鬱陶しい梅雨の季節に彩を添えてくれます。
*近くの草原に、アカバナユウゲショウが咲いていました。可愛い花です。散歩のときに、草むらに咲いていたのです。探してみると、散歩にも楽しみが増えますよ。私は写真して帰宅してから、花図鑑で調べて楽しんでいます。
*家の近くの広場にナツグミが真っ赤に色づいています。こんなに実がつくのは珍しく、今年は当たり年とか、そのようなこともあるのですね。
=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=
猫草
外来種がはびこって駆除とか、池の水を全部抜くとか聞くと、なんとなく違和感でむずむずする。そういう場合、外来種イコール悪者のように語られるが、そもそも人間の都合で拡大してしまったものが多い。それを再度、人間の都合で撲滅させるのも勝手な話だなあと思うのだ。もちろん周辺環境への被害や影響が大きく、やむを得ない駆除もあるとは思う。単一の種類で占領されるよりは、多様な複数の色々な環境と生態系があったほうがいいのはわかる。
でも絶対的な悪物はいないはずで、何かが何かの役に立っていて、生き物の世界は食べたり食べられたりしながら、緩やかにつながっているように思う。外来種といっても、その線引きはあいまいで困難だ。明治以降に日本にきたと言っても、もうすでに交雑して帰化しているものだって多い。外国から来たものが対象なのか、日本古来の在来種と言っても、何かのきっかけでそれまで生息していなかったほかの地域に移植したら外来種になってしまうのだし、判断は難しい。
クマゼミの鳴き声を世田谷でも耳にすることが増え、温暖化のせいで北上してきたという説と、街路樹の土の中に幼虫がいてそれが孵化したという説もある。ほかにも栽培品種の種が飛んだ、ペットとして飼っていたのが逃げた、大きくなったから捨てた、あるいは食用で導入したけどうまくいかなかった、ほかの動物の駆除で移入したけど意図しない方向に拡大した、輸入品のコンテナ荷物や船底と一緒にくっついてきた等々・・。外来種が拡大するきっかけは様々だが、やはり人間の都合である場合が多いように思う。
シロツメクサというのがある。春の野原のグランドカバーとして目に優しく、みかけると四葉のクローバーをつい探してしまう、あれだ。あれはその名の通り「詰め草」、かつて外国からガラス製品の輸入の時に詰め物に使われていた草だ。身近な草にもそんな名残がある。
池の底に泥がたまって対流せずヘドロ化したのは、悪臭のもとだし生物が住めなくなる、だからなんとかしなくてはいけない。でもできれば池の水も全部は抜かないで、外来種も全部はやっつけないでほどほどに。池の浚渫は環境をリセットする機会ではあるが、巻き添えで小さな生き物たちが住みかを追われてしまうことにもなる。その場所は外来種込みですでに生態系が成立していたのかもしれない。人間の都合と自然の都合、共生なんて簡単に言えない。
<いきいき里山ものがたり>
* 家族5人それぞれリュックを背負い連休に、近場の川や山歩きをするのが我が家の連休の過ごし方です。準備は行く場所を選ぶことからはじめ、小さい子供の楽しめる程度を基準にしてきました。それに見合った物を各人がリュックに詰めること、主人は天候を調べる係、それぞれマイスコップを持参します。それは、排せつ物の始末のためです。もう一つは、木や花を傷めないことと虫たちは観察するだけです。行きよりも帰りの荷物は軽くすることもあります。もう続いていることなので、心得ていて、それぞれ課題をもって出かけます。一番楽しいことは、家に帰ってからのミニ報告会の時です。私の楽しみはそれを聞くことです。コロナの中でも、楽しみはありますよ。
* 漁師をしていますので、海の上から里山の風景を何時も見て育ってきた者です。漁師にとって森や里山は恵みそのものです。谷川から流れ出る川には、山の恵みが海に注がれ、海藻や海そのものを守り育ててくれるのです。海の豊かさは山の豊かさ、恵みそのものです。災害で土砂は流れ込みますが、それも時がたてば豊かな磯部を作ってくれます。漁協では毎年、農林組合との親睦会を行い交流を深め、感謝のしるしとして寄付する仕来りがあり、これからも続くでしょう。
* 私の住むところは「千枚田」で知られているところで、例年、連休を利用して県外からのオーナーさんや家族で帰省し手入れや田植えを手伝ってくれたのが、このコロナの影響でそれが出来なくなりました。子供たちの「体験農業教室」も中止になり、数アールほどの階段状の棚田の作業は私たち年寄りの作業になってしまいました。見かねた農協の職員さんたちが田植えを手伝ってくれました。ありがたいことです。
* ナツグミが色づきはじめました。甘い香りのスイカズラは香ばかりでなく、花の形は艶やかで魅惑的で、アジサイとはまた違った趣がります。公園で見つけました。
=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」