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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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世田谷通信(212

猫草

 

  小学校に新しい子どもたちが入学する。在校生の学年も一つあがって、6年生は中学生に。新しい先生が配属になり、みんなが心機一転。そうはいっても環境の変化になじめない人もいる、変わらないこと、ずっとそこにあることの大事さを思う。図書室はそんな場所でありたいと願う、普通の書店のように新刊がずらりと並ぶわけではない、いつもだいたい同じ、でも季節ごとに展示を変えたり、掲示物を新しくしたり、心地よく過ごせるようにしている。

昼休みは忙しい。たくさんの子どもたちが本を借りたり返したり、探したり。返却された本の表面をアルコールスプレーで拭いて除菌してから棚に戻すのは昨年度から続いている。そのお手伝いをしてくれるのが図書委員さんだ。やさしく接するように心がけている。「ゆっくりでだいじょうぶ」と話しかける。大人が早口でいろいろなことを言うとそれだけで緊張してしまうのだ。「こんにちは、来てくれてありがとうね」の気持ちを込めて私が用意するのは『図書委員会お仕事中』のネームプレート。それを首からさげて日誌に名前を書いて仕事スタート。

 本を持ってずらっと並んだ来館者に、パソコンを操作し、ミスがないように丁寧に対応していくのは緊張する。自分の役割がわからず、ぼーっとしてしまう子もいる。最初は「何したらいいですか?」と指示待ちだった委員さんが仕事の流れを覚えて、作業を分担してチームになっていく。自分の当番でなくても「忙しそうだから手伝います」と力を貸してくれる。数か月ですっかり「お仕事する人」の顔になっている。

 昼休み終了の音楽が流れるとみんなほっとした顔になる。「今日も忙しかったですね」「ありがとうございました」「お疲れ様でした」「来てくれて助かりました」一人一人に声をかけて頭をさげる。最初は「えっ」「あ、いや別に」「当番だから来ただけだし・・」と言っていた子たちが「お疲れ様でした」と返事をしてくれるようになる。

少し仕事が暇なときは他愛のない話もする。塾の宿題が大変、ピアノの発表会がある。「あのね、学校の竹馬って竹じゃないんだよ!知ってた?」「プラスチック製?」「ううん、鉄なの。金属。」「竹馬より金馬の方が強そうね。」「金馬いいね!かっこいいね」そんな会話も和やかな雰囲気になる。

 「仕事キツイけど楽しかった、図書委員やってよかった」と言ってくれる子もいる。子どもの成長ってすごいなと頼もしく思う。

 

<いきいき里山ものがたり>

 

*  祖父の話の中に今でも記憶にあるのが、桜を「種まき桜」と言っていたことです。村の者が料理を持ち寄り、今年の種蒔きの話や年頃の若者の縁結びの時になっていたそうです。桜にも、そのような趣のあるものだと、桜を見ていると祖父を思いつつ、畑の端にある数本の桜を見ていました。その頃の農作業には何もかもが先人たちの経験と苦労がしのばれます。今は、天気予報と農作業情報が頼りで、時の流れを感じます。孫が農業の専門の大学に進み、後継者になってくれることを楽しみにしています。

*  オタマジャクシが田んぼに泳いでいました。無農薬栽培で見かけない虫やメダカを見ることが多くなりました。学校の野外学習の一つに蛍の繁殖が10年近く行われていますが、その成果は、まだまだ先のようで、現れていませんが、ふるさと作りになれば良いなあと思っています。

*  長年、娘の小学校の野外学習は裏山の動植物探しで、生き物に興味を持ち、家ではメダカ用の大きな水槽が2つあります。我が家にはゴキブリ退治の殺虫剤はありません。庭の片すみには、野菜くずで土を作るとかで、娘が管理しています。虫が苦手な私も今はありません。

*  ヤマブキの花に小さな昆虫が集まってきます。ハムシの仲間でしょうか?食痕を探すのも面白いです。春の野原をよく観察すると、白・ピンク・紫・青等の色、様々な形、匂い、手触り、音や小さな生き物の存在に気がつきます。子どもたちと一緒に楽しみながら発見したいです。タンポポの綿毛に小さな種がびっしりと規則的に並んでいます。フィボナッチ数列の最適配置です。陽気に誘われて日光浴の中のベニシジミです。可愛いですね。

*  昨年からビニールでトンネルの形を見よう見真似でいろいろの物を作ってみました。出来栄えは度外視してイチゴ、絹サヤ、小松菜、ホウレン草、サニーレタスなどで、それを妻は料理してくれましたので、今年も挑戦中です。ご近所の畑が気になって仕方がありません。そんな私を見て、話しかけてくれますので、それもまた楽しみになりまました。

 

=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=

 

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世田谷通信(211

猫草

 

 里山も少し手を入れないと、斜面の土が崩れ、枝が歩行の邪魔になり・・と、見る間に荒れる。数年前に腐葉土を作るために落ち葉を入れる「落ち葉だめ」もボロボロに朽ちてしまった。数年で更新するが、最近はその作り方にも工夫している。電動ドリルを使って長い金属のネジで竹と杭を固定していたが、この方法だと改修するときに錆びた釘を引き抜くのが大変。放置しては危ないし、錆びた釘には破傷風菌の危険もある。途中で折れて木材の中に残ることもある。それなら釘を使わずにできないか、というのがきっかけだ。方法は簡単。竹と杭を井桁に組んで、下からシュロ縄で固定するというもの。竹の幅だけ隙間ができるが、中にぎっしり落ち葉を入れたら重なっているのでこぼれることはない。金属を使っていないので廃材の処理が簡単だ。ドリルを使わないので親子でチャレンジもできる。

 ササ刈りも1年半ぶりに少し行うことができた。アズマネザサは固くしっかりと成長して、刈るのは普段より力がいる。キンランなど野草周辺だけでもきれいにしておかないと、光も栄養も届かずササばかり優勢になってしまう。ササが茂ると落ち葉が地面に届かず固い土壌になる。春に植物の花が咲かないと昆虫も来ない。昆虫がいないとそれを捕食する野鳥も来ない。野鳥が来ないと・・ドミノ倒しのように悪循環がはじまる。一度途切れた循環を戻すのは大変な労力が必要になる。目立つ野草や大型の昆虫の陰にはもっとたくさんの土壌細菌や微細な生き物、小さな植物がいる。そのピースが失われたら復元できない。どんなバランスで生態系が構成されているのか、人間にはわかっていないことの方が多いからだ。今できることは鎖がきれてしまう前に、細くてもつないでいくこと。何の役にも立たないような地味な植物がそこにあることで、ほかの生き物の住みかとなり、食草となり、水を吸い、土壌を豊かにして環境を守っている。ササも根は残っている。その根が斜面を網の目のように支えている。

 刈ったササは斜面の下部に竹串を打ってその間に据えて土留めにする。持ち出さず、足さない。循環の手助けをする。翌日の筋肉痛はこたえるが、自分もまた自然の一部であると思うために、作業を繰り返す。

 

<いきいき里山ものがたり>

都会の整った公園は多くなりましたが、小鳥や小さな虫たちの姿が消えていく感じがします。ふるさと札幌の公園にはエゾリスが元気に走り回っていると聞き、ほっとしています。名古屋でも郊外には10~15年前までは、甲高い独特の鳴き声のキジの家族を見ましたが、どこかに消えてしまいました。皆さんの「里山ニュース」をお送りください。お待ちしています。

 

* 春ですね。明るい斜面でイチリンソウが芽を出しました。これからの成長が楽しみです。土筆も顔を出すころですね。

* 寒風ですが澄んだ空気に早咲きのサクラが映えています。公園の様子も、木々の枝に芽が出て淡い紫に変わりました。もう直ぐ桜、そして緑の新芽と共に虫たちも動き始め、池の底にも小さな魚が動いています。春到来ですね。

* ひと足早く春を告げる河津サクラを見ることができました。オオシマ桜はこれからです。皆さんのところは如何ですか。花をつけない木々の枝先にはふっくらした若葉が暖かい陽気の中にありました。

* 紫色の小さな花ですが、空き地や庭先で見かけるカラスノエンドウはよく見るととてもおもしろい植物です。先端の巻きひげは、三方向から固定する優れものです。探してみては如何ですか。小さな動物やウサギの好物でもありますよ。

* 春になると田圃に小型の耕作機が入り始める。それが棚田になる。これは先人たちの苦労の証し、今は後継者のいないこの地や山は荒れ放題になりそうなので心細いです。それでも谷の鶯が囀り始めた。

* 「薹がたつ」とは旬を過ぎてネガティブなイメージがありますが、葉牡丹もフキノトウもなかなか瑞々しくきれいなものです。

* 池にカルガモが訪れました。水際の植物を食べて行ったそうです。緑地は多様な生き物の拠点になっています。

=写真の説明も兼ねています=

 

 

 

世田谷通信(210

猫草

 

 生活は色々制限されるが、小学生たちはその中でも日々笑ったり、はしゃいだりしている。我慢している部分もあるだろうが、精一杯、順応しているようにみえる。

 いま、本を読む楽しみがある子どもはとても良いと思う。頭の中でいくらでも冒険して、笑って泣いてどきどき、すっきりできる。子どもたちが本を読むことを制限する大人はいないだろう。しかし、長い文章を読むのが苦手な子も少なからずいるし、本を敬遠する子もいる。親や先生に「本を読め、読まないとダメだ」と言われて嫌いになる場合も多い。本を読む子は思考力、想像力が育つだろう。では読まないからそれがないのか?そんなわけはない。写真でも映画でも漫画でもゲームでもなんでもいい。動物でも自然でも電車でも石ころでも、「何か」と触れ合って、あ、面白い。と思えたらそれはきっかけになる。

 毎週1回、低学年のクラスに行って絵本の読み聞かせをしている。子どもたちはお話を聞くのが大好きで「今日は何を読んでくれるの?」と歓迎してくれる。熱心に聞いて、最後に感想を先生が聞くと「はい!」とたくさんの子が手を挙げて、自分が面白いと思ったところを言ってくれる。ただ笑えて楽しい本、ちょっとしんみりする本、不思議な気持ちになる本、ラストが意外な本、絵が美しい本、そしてお腹がすく本もある。

 先日は『ひみつのカレーライス』(作:井上 荒野、絵: 田中 清代、出版社:アリス館) という絵本を読んだ。家族でカレーを食べていると子どもの舌の上に一粒の「カレーの種」が残る。お父さんが本で調べて、庭に植えて家族で世話をすると、やがてカレーの実とライスの実がたわわに実る。町がいい香りに包まれ、それに誘われたたくさんの人たちと一緒に美味しいカレーを食べるのだ。そして最後にまた「カレーの種」が一粒・・。という物語。

挿絵の家族はお父さんもお母さんも着物姿、昭和の中頃の感じで、今の子どもたちの心に響くかな?と思ったが杞憂だった。とても集中して聞いてくれてほっとした。一人が、「あの!この“カレーの種”は本当にあるんですか?」と真剣なまなざしで私に聞いた。そんなことある訳ない、でもあったらいいな、いやひょっとしたらあるのかも?とさえ思わせる。ファンタジーの面目躍如といったところか。

 教室を出るとき、子どもたちが「あ~、なんかカレーライス食べたくなっちゃった!」と言っていた。それもまた一つのきっかけ。

 

<いきいき里山ものがたり>

*急勾配の竹林。杭と竹で土壌流出を防ぎます。

*落ち葉だめはシュロ縄で固定。釘を使わず環境に優しいです。

*落ち葉をいれたら土壌の微生物にお任せです。良い腐葉土になります。

*サザンカが朝の光を浴びて艶やかです。冬の貴重な彩りですね。

*日当たりの良い壁面に咲くツタバウンラン。ムラサキサギゴケやカキドオシにも似ています。

*近所の方が子供の頃は家から持ってきたパンとハムに野生のクレソンを添えておやつにしたそうです。ハイキング気分ですね!

*土壌断面を見ると、根が網の目のように土を支えています。微生物も活躍しています。

*散歩、通学、保育園や幼稚園、高齢者施設など多様な年齢の方々が利用する広場。 

*陽当りの良い場所に咲くホトケノザ。春の七草のホトケノザはコオニタビラコのことです。

*雨後は流れが速いのでカモたちが全員同じ方を向いています。自転車競技のようです。

*しゅんせつ前に池の水生生物レスキューも行います。長靴が必需品です。

=写真説明も兼ねています=

 

 

世田谷通信(209

猫草

 

 睡眠は不思議だといつも思う。眠い時は寝てはいけない時だし、寝なければと思うと寝られない。以前は仕事の前日はちゃんと「眠らなくてはいけない」がプレッシャーになって、寝られないと自分を責めたりした。それは「夜は寝るもの」という強い刷り込み。大事な試験やイベント前に寝られないと悪い結果をもたらす、睡眠不足は諸悪の根源との思いこみがあったからだと思う。

 もうそれは最近どうでもいい。ごく短時間目を閉じていてもいいし、寝られなければ別のことをすればいい。本を読む、動画を見る、文章を書く、明日やるべきことを書き出す。やらなければならないこと、やりたいこと、買うもの、行きたい場所、欲しいもの、気になっていることをリストアップする。そうすると、どこかで自分の中でコツンとぶつかる。あ、これか。このせいか。

 自分の中に眠りを妨げていた棘のような、時に石ころのような、そんな塊がある。解消はしなくても不安の存在がはっきりするだけで、ちょっと勝った気になる。

 気を紛らわす方法もいろいろある。最近のお気に入りは塗香(ずこう)である。それを耳かき一杯ぐらい、ほんのひとつまみを手で温めると掌に芳香が広がる。白檀などの香木のブレンドらしいが、数種類のサンプルの中でこれだ!と思った。昔、長男が小学生の時に、一緒にいった旅行先の奈良で嗅いだ香り。根拠はないがそう思った。その時の風景が瞬時によみがえったからだ。人間の記憶は脳のあちこちに格納されているのだろうが薫りで開くこともあるらしい。

 夜中に目が覚めることも何かのきっかけと思えばいい。24時間の使い方は自分で決める。睡眠は敵ではない、義務でもない。単に自分のリセット時間なのだ。起きているときに何をするかを考えたらいい、当たり前のことだが、あえて言葉にすると、自分がとらわれていることから少しだけ解放されるような気がする。小さなことから越えていけたらいい。ちょっとずつ。

 

世田谷通信(208

猫草

 

208も書いてきて、何を書いたらいいのかここにきて立ち止まる。楽しいことや嬉しいことをそのまま書いていいのか、誰に対してかわからないが、気が引ける。かといって悲しいことや滅入ったことを拾い上げて書く気持ちにもならない。そんな中で気が付いたことがある。最近友人と連絡を取るとき、文章が短い。日本人は略語が得意だし・・いやそういうレベルではない。「了解しました」は「りょ」。OK自体が略語なのに、親しい仲間内なら「おけ」。オーケーぐらい縮めなくてもいいだろうにと思う。LINEなら文字すら使わずスタンプで済ませてしまう。便利なので自分もつい使う。通じるのでいいだろう、という安易さがある。

昔、作文で一文が長いから二つに分けろと赤で添削された記憶がある。冗長な文章が良くないのは事実。でも今はある程度、長いまとまった文章を書く練習も必要なのではないだろうか。添削はいくらでもできる。短文しか書けないと削りようもない。

近所に世田谷文学館という場所があり、世田谷ゆかりの作家たちの作品などを定期的に紹介している。手書きの原稿も展示してあるのだが、原稿用紙に万年筆で書いてあって、赤で修正されていたりするとガラスケース越しに見入ってしまう。元の文章を入替え、消して、また直して。パソコンだったら残らないその推敲の跡が思考のプロセスとして可視化できる。反故になったのもある。大きく×で原稿の半分ぐらいがカットされているのもある。なぜその言葉ではなくこの言葉に変えたのだろう。そしてまた戻している。きっと後半とつじつまが合わなくなったのだ。その思考の流れ。文豪と言われる人たちの修正だらけの原稿は見飽きない。また原稿用紙がいい。インクの色がいい。特注品を誂えてこだわっている作家あり、市販品で結構の作家もあり。それも興味深い。

 書くこと。考えること。文字にすること。自分で書いたものを見ている自分は、一瞬前に考えていた自分よりも確実に少しだけ前に進んでいる。それに救われる。歩くのにも似ている。どこかに向かうには足を動かさなくてはいけない、移動した分、立ち止まっても、戻っても、それは進んだことになる。

文章が短くなっていることに不安を感じたのはそのためか。深く考える前の思考停止。「りょ」では推敲の余地がない。「了解しました」なのか「了解致しました」なのか「了解です」なのか、そもそも「了解」なのか、承知しました、わかりました、分かりました、承りました、もっと的確な表現はないのか。答え一つにもその相手との関係性を含めた、自分のあり方を問われている。それを面倒に感じるコミュニケーション。違和感の隙さえない速度。略語と顔文字の応酬も新しい文化なのか。言葉は生きている。人と同じ速度で。

 

世田谷通信(207

猫草

 

かつて運動会は秋の行事で、体育の日は10月10日だった。それは東京オリンピックにちなんでいたはず。だが連休を取りやすくするため月曜に移動し。なるほど、と納得しかけたところで、名称が変わって「スポーツの日」、7月に移動して終わっていた。10月に休みがなかったのはそのせいか。来年はまた10月に戻ると。もう変更が多すぎて把握できない。

しかし最近の10月は雨が多い。ひとたび台風が発生すれば大型、長期化して悪天候が続く。といって9月までは運動するのが危険な猛暑。学校も1学期に行事があったほうがクラスをまとめやすい等々から5月に運動会を実施する学校が増えたのだ。それが休校で、やっと再開した1学期は学校も手探り。一つ一つできることを積み重ね、試行錯誤を続けた。夏休みを経て2学期がスタートし、世田谷を含め秋の運動会を決めた学校が多かった。今年は感染拡大防止のため、様々な工夫が凝らされている。まずプログラムが短縮され午前のみ。競技も組み体操など児童がくっついて行うものはなし。となるとできるのは徒競走、あとは距離を空けたダンス。保護者の参観も児童1人に1人限定。もちろんマスクに消毒に検温。声援は控えめ、静かに見守り、自分の子どもの学年が終わったら速やかに帰る。学年別に曜日や時間を分けた学校もあるようだ。こうなると体育の授業参観に近い。従来に比べるとあっさりしたものだが、お弁当づくりの手間がなく母親には好評のようだ。

運動会を1日かけた大イベントと張り切る人もいる。朝から場所取りのレジャーシートを敷いて、ビデオで必死にいい位置から子どもの姿を撮影し、昼は家族でお弁当を食べて過ごす、そういう運動会を期待した人は寂しいと感じるだろう。でもプログラムの準備や長時間の練習は負担が大きかったのも事実。運動や団体行動が苦手、いつもと違うことを苦痛と思っていた人もたくさんいるはずだ。どちらが良いとか悪いでもない。来年はどうなるのか誰にもわからない。とにかくできることを慎重にやる。

手作業がしたくなって久しぶりに編み物を始めた。編み棒を黙々と動かす時間も良い。網目はガタガタだが、やり方は手が覚えていた。古くなったタオルを雑巾にして、サッシにたまった汚れを掃除してみた。気が付くと昔から母や祖母がやっていたことをなぞっていた。庭の雑草が気になって抜いたら、思いがけない場所にシソとミツバが増えていた。なんだかご褒美のようにうれしくなった。来年もそんな小さい「嬉しい」を重ねていこう。

 

世田谷通信(206

猫草

 

前々から被害拡大の話は聞いていたが、ついに来た。カシノナガキクイムシという5mmほどの害虫である。林野庁によると「平成30年度の全国のナラ枯れ被害量は、前年度より減少し、約45千立方メートルとなりました。」ってさっぱり広さの実感がない。東京ドーム何個分か。神宮球場なら実感がわくのに。それはさておき、グラフをみると平成12年から被害が拡大し、ピークは平成22年の32.5万立方メートル。いまは減少傾向にあるので、対策は有効ということだろう。

さてこの通称カシナガ。全国で猛威をふるってナラやカシの森をまるごと枯らす。大径木が好みで、幹に無数の穴をあけて中に侵入する。木の中にアリの巣のように大量の卵を産み付け、幼虫が木の内部を食い荒らす。水を吸えない木は枯れ、夏だというのに真っ赤な葉となりやがて枯れる。やっかいなのは単に食い荒らすだけではなく、ナラ菌というカビの仲間を運ぶ。つまり伝染病を媒介している点だ。わざわざ雌の背中には菌を運ぶ穴が開いている。確信犯だ。この菌のせいで木質部がスカスカになる。森ごと立ち枯れ多発、やがて倒木となると被害は甚大だ。

成城の里山でも、数本の木に沢山の穴、そしてフラスとよばれる大量の木くずを発見。カシナガが内部に侵入した証拠だ。狙われたのは80年以上の古木、弱っている木で遊歩道近くなので心配である。

カシナガが本領を発揮するのは翌年の梅雨前だ。木の中ですくすく育った何万という幼虫が成虫になり次のターゲットを求めて一斉に飛び立つ。特に被害にあうのは近くの特定の古木に集中するらしい。これをマスアタックと呼ぶ。

ここまでわかっているのだから対策もある。薬、伐倒、フェロモンのおとりなどの方法が試されている。殺虫剤は木へのダメージがあるし他の希少種も死んでしまう。伐るにしても伐った後の木は食い荒らされ材として使えない。

というわけでトラップだ!ということになった。今回は簡単にクリアファイルを使った。品定め中のカシナガが幹の周囲を旋回する習性を利用し、幹にクリアファイルを貼ってその下に洗剤入りの水を貯め、衝突させて水に落として駆除、というシンプルな作戦だ。毎週トラップの回収をする手間もあるが、毎回数百もかかっているとちょっと嬉しい。しかしたとえカシナガをやり過ごしても、クビアカツヤカミキリや新種の菌や伝染病は発生するだろう。ヒトだけではなく、植物も、動物や昆虫も新たな脅威と戦っている。目に見えない菌の世界でも新旧の戦いがある

 

世田谷通信(205

猫草

 

買い物中、聞覚えのある曲にふと立ち止まった。ジョン・デンバーの「Singing Skies and Dancing Waters」が店内に流れているではないか。代表作の「カントリーロード」は色々なカバーで耳にするけれど、何故、メジャーではないこの選曲なのか。

懐かしくて、帰宅してからスマホで検索した。音源はYouTubeにあり、歌詞も検索出来た。どういうからくりか、大抵の古い音楽は無料で聞ける。オリジナルだけでなく、素人の「歌ってみた」やら「演奏してみた」も含めたら膨大な量である。素人といってもレベルは様々。プロ並みの歌唱力、アレンジ力の人たちもたくさんいて、世の中才能のある人は多いんだなあと感心する。

最新の曲は有料の配信サービスを利用しているが、月額ワンコインで高音質、聞き放題というのもある。音楽だけではなく、ドラマや映画、スポーツ中継、教育、文化あらゆるものが配信されている。電子書籍もそう。紙より安価だし、何百万冊が読み放題というサービスもある。便利だなと思う一方、これでは紙の本が売れないなと思う。図書館に関わる立場としては微妙な気持ちである。

『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』(著:香月美夜)という大人気の長編ライトノベルがある。無類の本好きの女子大学生が司書になる寸前に不慮の事故で亡くなり、5歳の女の子に転生する。そこは中世ヨーロッパのような異世界で本は貴重品、貴族しか読めない。そこで前世の記憶を頼りに「本がないなら自分で作る!」と奮闘が始まる・・というファンタジーだ。これを読むと改めて文字を記録すること、共有することの貴重さ、難しさに気が付く。

『Dr.STONE』というコミックもそう。一度失われた文明をもう一度よみがえらせるための途方もなく地道な軌跡。ここでもレコードという形で歌が保存されたものが、物語の大きなカギを握っている。

そう、1世紀前までは書籍は貴重品、情報統制もあり、簡単に入手できるものではなかった。つい最近まで音声や動画の保存も難しかった。それが当たり前のように、溢れているのは、奇跡のような瞬間だと思う。そしてその無数のアーカイブから40年以上前に聴いていた曲と再会できたのもまた、巡り合わせ、僥倖とも思う。

 

世田谷通信(204

猫草

 

最近の極端な気候を前に、川と地面が気になって仕方がない。雨雲レーダーを何度確認しても急な雷雨や低い雨雲には対処できない。最近、地質と地盤工学、都市防災の本を立て続けに読んだせいもあるだろう。近所のコンクリート擁壁に斜めに入った亀裂をみつけては、これは断層でずれたのだろうか、次に豪雨が来たら大丈夫だろうか・・?など余計な心配をしてしまう。

でも土木工事ができるわけではない。当面は自分にできること、自分の身は自分で守る、自助しかできない。ちなみに先の擁壁の工事は公助。もう一つ共助という考え方は避難所運営や地域の防災対策などがこれにあたる。

自助と書いたが、熱中症になれば自分もつらく、周囲にも迷惑をかける。救急車のお世話になるような事態は避けたいので、外にでるときは近所の買い物でも、小さな水筒を持ち歩いている。容量130mlなのでとても軽い。昔は真っ黒に日焼けして、喉がカラカラでも平気だったが、今はそんな訳にいかない。コップ1杯分でも水分を持っていないと不安になるのだ。

里山作業はより一層の準備が必要。今年は口元を覆う幅広の帽子が大活躍した。布製で襟足から首、口元まで全部カバーできる。果樹園作業の女性がかぶっているタイプだ。明るい水色にレモンの柄にしたので、うす暗い里山でもよく目立つ。それを褒められた。誰がどこにいるかすぐ分かるのは広い里山での安全確保のうえで大事なことなのだ。女性陣に好評で果樹園スタイル勢力拡大中である。

やぶ蚊対策で腰から携帯蚊取り線香も下げている。大きいのは作業の邪魔なので、子ども用の手のひらサイズでカワウソ柄。煙が切れるとすぐに蚊が来るので効果はあるようだ。

果樹園帽子、首に手ぬぐい、アームカバー、ガーデニンググローブ。腰のウェストポーチから蚊取り線香を下げ、膝までのフットカバーにトレッキングシューズ。自分なりの里山装備完成!と思ったら隣のベテランボランティアさんは腰から鉈を下げ、上半身をすっぽり覆うメッシュジャンバーに足元は地下足袋だった。ヘルメットに作業服、安全靴の人も居る。恐れ入りました、そこまで本格的にはできない。自分の安全は自分で守るのは基本、作業も自分にできることをする。鉈はうまく扱えないけれど、まだまだ工夫の余地はありそうだ。

 

世田谷通信(203

猫草

 

5月末、急に声が出なくなった。在宅勤務、自粛など人と話す機会が極端に減った、家庭内のストレスもあるだろう。全くでないわけではない、簡単な単語は言える。ただ長文や、何か判断を伴うと、ぐっと喉がつまって頭の中が白くなり、とたんに言葉が出なくなる。ぱくぱくして、声もかすれる。心療内科で「心因性失声症」とのこと。機能面に問題がないならそうでしょう。薬をもらって帰る。幸い土日なので特に不便はない。問題は仕事に支障がないかだ。

体は普通なので買い物に行く。スーパーは会話なしでできる、むしろ今はしゃべらない状況だ。店内の音がいつも以上に気になるのでワイヤレスのイヤホンをしていく。音楽を聴いているわけではなく、ノイズキャンセリング機能で、周囲の音は聞こえるが雑音は拾わないのだ。長男に教えてもらった。便利なものである。

帰り道ホームセンターに行こうしたが気持ちが乗らず、またにしようと引き返した。すると、さっき通ったばかりの交差点で人が倒れている。交通事故。自転車の男性が横にいる。周囲の人が高齢男性を歩道に移動させている。

男性の意識はあるが、右側頭部をさすっている、手足に擦過傷、ふらついている、脳震盪、救急車!と思ったが、悲しいかな声が出ない。私の隣にいた女性が「頭打ってるなら、動かしちゃだめですよ、救急車呼びましょうか?」と言っている。そう、その通り!いつもなら私も言えるのに。大きく頷いて賛同をしめす。

でも自転車の男性も倒れた男性も「大丈夫、大丈夫」と救急車も警察も呼ぶ気配がない。信号が変わる。当事者同士が大丈夫と言うので、気遣いつつみんなが立ち去りはじめる、どうしよう。いや、放っておけない、頭を強打しているなら脳内出血があるかもしれない。すぐ近くに交番があったのを思い出す。中に居た巡査が私の表情をみて「どうしました?」とすぐに出てくる。「・・事故・・」とだけ絞り出して、場所を指さす。あとは紙に状況を走り書きして対応を任せる。危機管理に慣れている人は的確に動いてくれるのが良い。ほどなく救急車のサイレンが聞こえた、きっと適切に対処してもらえたと思う。

声のほうは薄皮をはぐように改善し、幸い仕事には支障なかった、何より小学生の子供たちと話すのが良かった。むしろあちらの方が話すのに緊張している。(大丈夫だよ、大人だって緊張すると声でなくなるんだよ。)心の中でそっと思う。

 

世田谷通信(202

猫草

 

この原稿を作っているノートPC67年は経過している古いものだ。当然劣化はしていて、動画の再生はスムーズにできない、なので別のノートPCも使っている。こちらは画面が綺麗で軽い。しかしキーボードが薄っぺらでどうにも気持ちが悪い。ミスタッチが増えるので、作業スピードが落ち、結局古いPCに頼っている。

毎日便利に使っているパソコンだが、寿命はある。もう使えなくなったが処理が面倒・・と放置していたノートPC数台をこのほどリサイクル業者にだした。個人情報の漏洩防止には、初期化だけでは不十分で、専用のソフトによるハードディスクの完全削除が必要。1台結構な時間がかかり、そもそも動作に問題があるので、途中でエラーが起きるし、面倒ではあるが、ここまですれば心置きなく回収業者に出せる。

コンピュータなどを動かす基盤の中には地球上でほんの少ししか採取できないレアメタルが含まれているそうだ。大量に廃棄されるPCや携帯電話、これらの基盤から純度の高い希少金属だけを取り出すことができれば、一つ一つのパーツは微量でも、何万台と集めれば大きな資源となる。いわゆる「都市鉱山」と呼ばれるものだ。地球のどこかで新たな鉱山を発掘するより、手間をかけても適切に分別処理するのはどう考えても環境に良い。一度山を削ってしまったら、もう人の力では元に戻せない。わずかな金属の採取のために大量の土砂は捨てられる。残土は谷を埋める。削ったところから浸食は進む。埋まった谷は災害のきっかけになる。環境破壊としか言いようがない。

しかし、大変な作業なのだ、機械の分解は。もう10年以上前、カラープリンターが壊れて捨てることになり、小学生だった息子と一緒に興味本位で「分解してみよう!」とドライバー片手にやってみたことがある。外装は簡単にネジで外せる。しかし内部は複雑な構造でがっちり接着。溶接、配線されていて全然とれない。モノづくりをなめてはいけない。簡単に取れないように作ってあるのだ。当然だ。途中で嫌になってきたけれど、プラスチックと金属は分けないと捨てられない。ここまで分解したら回収業者さんにもだせない。要するに引くに引けない。コンパクトに収まっていたのを分解したら嵩が増している。かえってゴミ、増えてない?元にも戻せない。結局力任せに何かを捻じ曲げたら、残っていたインクがタコ墨のように噴き出して顔と服に浴びた。子どもと笑ったいい話・・ではない、一瞬で部屋に赤インクが飛び散って事件現場さながら。自業自得の悲しい話である。インクはあちこちを汚し、なかなか取れなかった。この一件で大変反省したので、あれ以来、もう機械の分解はやっていない。

きちんと処理した古いPCは、自治体推奨の信頼できる回収業者さんに渡す。その他の家電も同じ。多少の処理料は当然かかる。分解は大変なのは身をもって知った。そして爪の先ほどのレアメタルを回収するのは重要だけれどすごく根気のいる仕事。専門の方に任せたい。そして願わくば新しい鉱山の発掘が少しでも減りますように。地球からの際限のない収奪が止まりますように。

 

世田谷通信(201

猫草

 

球根や種というのはつくづく不思議な存在だと思う。冷暗所なら休眠状態を長期間続けられ、発芽できる環境が整ったらプログラムが発動する仕組みである。

そこには休眠打破のきっかけになる条件や複雑な化学物質が連鎖的に反応している。あらかじめ「自分がちゃんと育つ安全な環境」と「過酷すぎて育たない環境」があることを知っている。いや、その対応力のある種が生き残ってきたというべきか。

チューリップが良い例だと思う。原種系チューリップは植えっぱなしでよい。環境に適応することを優先して、丈は低く、花も小ぶりで地味だ。何もしなくても毎年時期が来れば芽を出して成長しそっと花をつける。

園芸品種はそうはいかない。丈の高い華やかな花は、咲き終わったら、茎や葉を切り、追肥して球根に栄養を与え、一度掘り返して保管し、再度植え直すプロセスが必要となる。人の手が加わることを前提として作られている。

それを品種改良と呼ぶのは人間側の主観だ。人を楽しませるために観賞用の植物を成立させるのも、多様性の一つだと思う。植物は命をつなげるのが目的で、昆虫や動物や風、雨、さらに人間も含めて利用しているといえよう。

さて近所の里山農園で、年末にボランティアが植えたチューリップの球根、ちゃんと春に見ごろを迎えた。活動休止・自粛で訪れる人は少ないが、植物は気にしない。

ちなみに球根には膨らんだ方と平らな方がある。平らな方を手前に植えると茎がきれいにそろうのです、と指導役のガーデナーさんが教えてくれた。植え時を少し逃し、廃棄寸前をタダでもらってきた球根だとか。「まあ植える時期とか言いますけどね、植えたらなんとかなります、ならないこともあるけど。」とそのガーデナーさんは言った。コロンと固い球根が、土に埋められ水を得て、芽を出し、花をつける、その真っ直ぐな成長に迷いはない。六条大麦もさわ、さわと風に揺れていた。ちょうど良い背丈なので、数人の小学生がかくれんぼをして遊んでいた。

人の思惑はあれこれと動揺するが、麦は鮮やかな緑から、やがて頭を垂れて金色に熟すだろう。収穫して麦茶を頂く季節にはこの事態が落ち着いていますように。

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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