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今月のことば
御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。
=Ⅰヨハネ5:12=
「御子を持つ者」と、ここに極めて大まかな言い方がなされていますが、私たちは、御子を持ったり持たなかったりすることが出来るのでしょうこか。また、自分は御子を持っていないなどと言うことが出来るでしょうか。言い換えれば、誰が神の民であり、誰が神の民ではでないと判断できるでのしょうか。
その答えは、次の言葉で分かります。「羊飼いの声を聞いて」他の者の声を聞かない者。神に呼びかけられ、召し出される者。神のみ言葉を聞くために来て、そのもとに身と魂と霊をもって立つ者。端的に言えば、聖書を読む者。それを、ちょうど命を保つための糧・パンを食べるように読む者。神のみ言葉が命の養いとなっている者。
これが「御子を持つ」とすること。それに生きる者とも言うことが出来ます。
そうして、神を持つことを信じ、公に告白し、洗礼を受けた者。それを、単なる儀式・形式として軽んじない者。そのような人は、「御子を持つ者」と言えます。
また、信仰を告白し、主の教会の聖餐への招きに応じ、謙虚に加わる喜びを感謝する者。すなわち、「単純さと純粋さを持ってみ言葉と聖餐に与ることを喜びとする」者が、神の御子イエス・キリストに覚えられていること。
それを知て、とこしえの命へと力づけられ、保たれることに感謝をもって祈り求める日々でありたいと願うことです。それを今年も大切にし、「御子を持つ者」になっていただきたいと切にお祈りいたします。
<讃美歌332番>
1 主はいのちを あたえませり
主は血しおを ながしませり
その死によりて われは生きぬ
われ何をなして 主にむくいし。
2 主は御父の もとをはなれ
わびしき世に 住みたまえり。
かくもわがために さかえをすつ
われは主のために なにをすてし。
3 主はゆるしと いつくしみと
すくいをもて くだりませり
ゆたけきたまもの 身にぞあまる
ただ身とたまとを 献げまつらん。 アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」