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今月のことば
「主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし」。
~ルカ1:51~
飼葉おけの中には、一人の幼子が横たわっています。それが後に、人を「倒れさせたり立ち上がらせたりするために、定められている」人であり、この方のゆえに倒れ、この方のゆえに死ぬということも起こり得るのです。
クリスマスを迎えます。しかしもしかすると、私たちの中の多くの人々にとっては、クリスマスなど無縁の人、無くてもよいと思う人、その祝福など知らずに祝いもしない人もいるでしょう。
クリスマスは、子供らしい事柄や無邪気な出来事ではないのです。祝福の時であり、審きを招く時でもあるのです。
この飼葉おけの幼子は、私たちに対して光と希望と永遠の命をもたらす幼子でありますが、その光と希望と永遠の命を受け入れない者には、闇と滅びに留まることになるのです。
幼子の産声は、後の救いの呼びかけを告げ知らせるものであります。その呼びかけの声を聞こうとしない者、心の扉を閉ざす者は、棄却の中に沈むのです。しかしこの幼子(キリスト)の招きを受け入れる者は、キリストが所有者となり、救い主キリストと一つとされるのです。また人は、洗礼を受けキリストに属する者たちでありながら、今もキリストを十分に受け入れない人もいるのです。
聖書の中には、神の御業に戸惑い、迷い、悩む人の姿が描かれています。高齢のアブラハムと不妊の妻サラの懐妊(創世記18章)、そうして、イエスの母マリヤと夫ヨセフの姿は、それを物語っています(ルカ1:1~2:35)。
しかし、人の思いを越えた神の御業に、驚き怪しむ心を、御霊の働きによってその思いを喜びに変えるのです。
暗闇を覆うこの世界に、光をもたらす祝福が、あの飼葉おけの幼子なのです。
<讃美歌109番>
1 きよしこのよる 星はひかり、
すくいのみ子は まぶねの中に
ねむりたもう いとやすく。
2 きよしこのよる み告げうけし
まきびとたちは み子の御前に
ぬかずきぬ、 かしこみて
3 きよしこのよる み子の笑みに、
めぐみのみ代の あしたのひかり
かがやけり ほがらかに。 アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」