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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・67・・・

問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。

答・・10・・

 許されるはずはないと思っている者にとって、許しの宣告に接することは、「ほっとする」ことであります。死ですべてが終わりだとしか思えない者にとって、その終わりをも包み込む新しい世界が突如ぽかっと目の前に展開されること、「これはこれは」とばかりに驚くことであるに違いありません。しかし、この「ほっとする」ことや、「たまげる」ことを経験した者は、それ以前の自分の状況にこだわることがない歩みを踏み出すことができるものとなることは当然のことと言えます。これは、今までの自分から解放されて自由になるということと言えます。

 この「自由を得ている者」が「ユ―モア」をもって人生を生きることができる人だと思います。それはユーモアというものは、いつもその状況を超え、それに縛られていない人の中にあるのであり、それは復活のキリストに出会った人が得ている境地であると思います。

先述した「ユーモア」についてですが、日本語の辞書には「人を傷つけない上品な洒落」という説明がされていました。大正から昭和初期には「ユーモア小説」と銘打った作品が多く発表されていました。日本語で言うなら「滑稽小説」とでも言うことになりましょうが、十辺舎一九による「東海道中膝栗毛」などは、その部類に属する江戸時代からのものと言えましょう。

「ユーモア」というのは、もともとは体液、特に人間の体液のことを言うのでありますが、その体液の結果である気質や気分を意味している言葉であるそうです。しかし、その気分が単に生理的や感覚的なものにとどまらないで、人間存在の全体的な状態としての気分をあらわす言葉の一つとされています。

いささか難解な話になりましたが、これまで述べてきた「復活」ということに即して言いますと、イエスの復活のことを告げている記事には、実にユーモアが溢れていると言えるように思います。それは、復活したイエスを、弟子たちが亡霊を見ているように恐れおののいたのに対して、イエスは手や足を見せて亡霊ではないことを示すと共に、「ここに何か食べるものがあるか」と言い、差し出された焼き魚の一切れを弟子たちの前で食べた、ということにあります(ルカによる福音書24:36~43)。

弟子たちにとっては、イエスは十字架につけられて死んだ、というのが事実です。ですから、イエスが現れたのは、亡霊としてのイエスとしか思えません。イエスは手足を見せました(十字架に釘づけされた跡がある、ということで、正真正銘のイエスであることを示されたことでしょう)。

亡霊の現れ方はいろいろあるようですが、足を出して見せる亡霊などは極めてユニークです。しかも焼き魚を食べる亡霊なんて言うのは、古今東西聞いたことがありません。第一、亡霊が焼き魚を食べる必要など全くないのです。そういう観点からすると、復活のイエスは自分が自分であることを知らせるために、ずいぶん苦労されたなあ、と思います。食べなくてもよい魚をむしゃむしゃ食べるなんて、まあなんて楽しい方かと思いますが、如何でしょうか。

   篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

<2018年7月のラジオ放送予定>  

7月 1日 楠本 茂貴 (名古屋学院名古屋高校聖書科教諭)

8日 大藪 博康 (名古屋学院名古屋高校宗教部長)

15日 葛井 義憲 (名古屋学院大学名誉教授)

22日 柳川真太郎 (名古屋学院大学キリスト教センター職員・伝道師) 

  29日 黒柳 志仁 (名古屋学院大学国際文化学部准教授)

     (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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