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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (183)

4月29日

 こちらは雨の連休の初日となりました。雨はここ数日降っていませんでしたから、木々にとっては恵みの雨となっていることでしょう。昨日は診療所へ定期健診で行ってきました。連休前とあってとても多くの高齢者たちが来ていました。ソーシャルディスタンスが取れないほど密になってしまいました。男の方は黙ってじっと待っているのですが、女性はとても賑やかにしゃべり続けています。私は本を持っていったのですが、集中できずにじっと順番を待ちました。待つこと2時間。私は5番目でしたが。結構待ち時間が長くて、疲れてしまいました。今は朝からの雨で村中が静かに感じられます。

雑木山絵画となりぬ木の芽かな。

芽に染むや池に一本若柳。

白椿天使降りくる気配とも。

高原の桜に若きペダル踏む。

木々の芽や朱色も混じり急ぎける。   馬塲路哉

野良猫のレオが姿を見せなくなって20日過ぎました。すると今朝、全く知らない猫が我が家の庭に居座っているのです。動物たちの世界も厳しいものがありますね。

5月4日

 大型連休も明日一日だけとなりました。山添村の田んぼはもうすっかり田植えが終わり、水が張られています。早いですね。この連休を活用して田植えをこなしてしまったのです。また今年は春先に暖かい日が続いたので、お茶の芽がぐんぐん伸びているようです。田植えと同時進行で茶の葉っぱを刈り取っています。

今はお茶を刈り取るのも大きな機械が動いています。人手は最低限でよくなっているようです。今までのように急須でお茶の葉っぱを入れて飲むことが非常に少なくなったものですから、最近はお茶の葉っぱを刈り取った後は粉茶にするそうです。それらがペットボトルのお茶として売られているのです。山添村でもほとんどのお茶農家さんが粉茶に切り替えています。遠いところでは鹿児島からお茶の葉っぱを送ってもらっているようです。そういえば我が家でもめったに緑茶を飲まなくなりました。番茶を冷やしてペットボトルに入れて一人が1本ずつ飲み干しているのです。

ジェット機の雲の生まれて春の空。

矢先めき出そろ費にけるギボシの芽。

その昔忍ばす老樹桜かな。

山の上の茶畑にも霜ふれり。   馬塲路哉

 4月に撒いた朝顔の芽が双葉になりました。また今年もきれいな花をたくさん咲かせてね、と声を掛けました。燕は一度目の雛がピーピーといってお母さんから餌をもらっています。親鳥はせっせとどこからか虫の幼虫のようなものを素早いスピードで運んできます。目の前を横切る時など、ぶつかりそうになります。でも決してそのようなことにはなりません。ツバメたちの感度の鋭さに驚かされています。昨日はモンシロチョウがひらひら舞っていました。なんとものどかな山添村です。

5月7日

 雲行きが怪しくなってきました。まもなく雨が降り出しそうです。五月晴れは一回だけでしたね。主人は、季節の移り変わりが早すぎて俳句を作るのが難しいと言っています。若葉が美しいころだと思いきや、はや、梅雨前線の停滞ですから。

地味なれど色合ひ好むグミ若葉。

巻舌のツバメ鳴くとて早起きす。

春雨の止まず辛苦の郵便夫。(郵便配達するものにとって雨はとても大変なようです。)

初蝶の黄が消え失せて白が舞ふ。

床しさよ貧しき庭のシャガの花。   馬塲路哉

リハビリから帰ってきた主人は雨がもう降りだしてきたといっています。予報では午後3時からと伝えていましたのに。洗濯物を慌ててしまいこんで何とか雨にぬらさずに済みました。来週は雨の日が多くなりそうです。

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

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 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (182)

 

3月15日

 朝から気持ちの良い春の一日となりました。明日は中学校の卒業式です。山添村全部合わせて20数名だそうです。我が家の子供たちの時には80名近くいましたから、少なくなったものです。今度入学予定をしている新一年生も20名だそうです。都会では30人学級をと叫ばれているのに田舎では一クラスがやっと成立するくらいの人数です。子供たちにとってはどちらが良いのでしょうか。余り少ないと部活動も一つか二つしか成立せず、やりたいものを選べないということが起きてきます。ある程度多くの友達と出会ってもまれることは、これからの人生では大切なことかもしれませんね。

おきつもの名張の奥の山霞む。

一帯が柔和となりぬ枯れすすき。

見晴るかす伊賀の上野の春灯。

お水取り籠ると頭刈りにけり。(東大寺のお水取りもようやく13日に終わりました。)

落椿今誌のことと訴ふる。    馬塲路哉

 

庭では八重の大きな椿が花を咲かせ始めました。ピンクと白のグラデーションがとても見事です。雪柳の葉っぱが緑を増してきました。もうすぐ白い小さな花が咲き誇ってくれることでしょう。

待ち遠しいのです。

3月17日

 昨日の夕方玄関先を見ると小さな白いものが落ちていました。まさか?ツバメのものだとは思いませんでした。例年よりも一週も早いのですから。今朝天井を見上げると、いるではありませんかツバメたちが去年作った巣の中に・・・。私の方を見てはくれませんでしたが、ぴっぴ、ぴっぴと今年もよろしくと言っている様子です。主人に大きな声で“燕がやってきたよと伝えると、やはりあの白いものがツバメのものだったんやと二人でツバメが来てくれたことを喜び合いました。これからしばらくにぎやかなツバメたちと過ごすことができると思うとうれしいのです。

このような風景は田舎でしか見られないことでしょう。どんなふうにして遠い国から飛び続けてきたのでしょう。考えるだけでゆっくり休んでねと言いたいのです。

賛美歌で打ち勝たむとす春愁。

料峭託つリハビリ翁どち。

小ぬか雨続く里山梅の花。

子魚のちらちらすなり春の水。

足腰の強さ残さむ青き踏む。   馬塲路哉

3月28日

 今日は礼拝をお休みしました。またアレルギーで喘息の発作のようなものが毎日起きてしんどいからです。それでも家事をしなければならず、主人にはずいぶん手伝ってもらいました。晴れの日は気持ちがよいのですが雨が降ると気持ち的に落ち込んでしまいます。

北の空紺碧にして春日陰。

常盤木に濃淡ありて風光る。

黄梅を塀にのぞかせ山家かな。

窪にある平安遺跡梅の花。(梅はもぷすっかり散って、今は新芽を出し始めています。)

この曲は春水ながれ行く如し。

里山に農小屋ありて梅の花。

春眠の夢で恩師微笑まれ。

ねんごろに手入れす茶畑風光る。   馬塲路哉

 

定期の検査に診療所へ出かけました。いつもと変わりないですかねに、“はい”と答えるとじゃお薬を出しておきますね、ひと月分のお薬とシップ薬をいただいて帰りました。帰りは少し遠回りして散歩しました。畑で懸命に草を退治している方、玉ねぎの苗を植えておられる方、あちこちではいつくばっての仕事ぶりです。とても声をかける気にはなれませんでした。

4月12日

ようやく、少しずつぜんそくの発作が収まり、やれやれというところです。すべてに時があるのですね。発作が出始めて2週間が過ぎた頃が一番焦りました。病院へ行こうか、もう少し我慢しようかと、でも発作が少しずつ減ってきているのがわかりましたので、自宅療養で過ごしました。しっかりたべて、しっかり歩いて、しっかり休んでの生活に徹しました。

受難週この苦しみに耐へむとす。

畦塗られ棚田の姿決まりけり。(もう田植えの準備が始まっています。)

玄関を我より早くツバメ出る。

丘の上の墓に風ありイースター。

お苦しみはいかばかりとぞ受難週。   馬塲路哉

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

     (181)

 

2月17日 

 非常に激しい風と小雪が舞っている山添村です。それにとても寒いです。3日ほど前には暖かい日がありましたので、この寒さには小鳥たちも庭の梅の花も椿の花もみな震えあがっています。北海道では数年に一度の猛吹雪になっているようですね、車が横転しているのがテレビ映し出されていました。北国の方たちのご労苦、忍耐強さが伝わってきます。私たちは比べ物にならないほど平穏に過ごしているのですね。にもかかわらず、不平、不満の多いこと。罪の頭であることに深く反省しています。

早く暖かい春が訪れますようにと祈っています。いよいよ今日からワクチン接種が始まりますね。このことを通してコロナが終息してくれたら何よりですね。薬を開発してくれた方々に感謝と敬意を表します。昨夜は慎重に水道が凍結しないようにお水を出していたのにもかかわらず、また水道の凍結です。未だに一滴も出てきません。仕方なくバケツに蓄えてある水を大切に少しずつ使って何とか朝の食事とお弁当ができました。やれやれというところです。

冬の夜静かにバッハ聴きにけり。(バイオリニストの五嶋みどりさんが独奏しているものです。)

お水取り備えに籠る余寒かな。(近くの方がお水取りの籠りに出かけました)

冬麗の真っ青な天へ昇らばや。

聴きなれしイムジチなる春の曲。(ビバルディの四季です)

青き踏む癒えたる足で一歩ずつ。(大きな手術を受けて14年になります。)  馬場路哉

 

低気圧さん早く日本列島から抜け出てください。と叫んでいます。

3月1日

 3月号の発送を心から感謝いたします。先ほどから目を通していますと希望と喜びがあふれています。イエス様が私たちの罪のために十字架上でのお苦しみを思います時にこれほどの大きな愛はないと確信するのです。神様のご栄光を表すために私たちにできることは隣人にキリストを知らない方たちにキリストの愛を伝えていきたいものです。それは言葉ではなくへりくだっての行いであり、思いであると信じています。

数々の草の芽を踏み歩きけり。

水温むまではと鯉の動かざる。

椿咲き増えて来たりぬ鳥の影。

春暁や山の端強く光初む。

主に出会ふ期待のありて青き踏む。    馬塲路哉

3月4日

 畑の草引きをしようと、畑に行くともうフキノトウがあちこちに出ているではありませんか。その横には辺り一面春の野の花“オオイヌノフグリが”青色の小さな花を咲かせているのです。毎日そのあたりを散歩で通っているはずなのに、今日初めて気が付きました。やはり3月の声を聞いて一気に地面を押し上げて外に出てきたのでしょうね。空を見ると青い空がなんだか急に黄色を帯びて見えるのです。黄砂ですかね。

昨夜は久しぶりに童心に帰ってアンデルセン童話を読みました。“醜いアヒルの子”です。童話ですが、年老いた今でも読んでいると人間が優越感を抱いて生きている姿を目の当たりに感じ取ることができました。人は他人といつも比べて生きているように感じられます。自分が誰よりも低いものだと聖書では教えられています。牧師の家で育った私はいつもそのようにして生きようとしてきました。でも、こちらが低く出れば狡猾にやられてしまうことが何度もありました。その時は悔しい思いをしましたが、それでよかったのではと今は振り返っているこの頃です。

 昨日からこぶしが花を咲かせ始めました。こぶしの花はまるで造花のように見えるのです。というのも葉っぱが全くついていないのに和紙で作った花びらのように美しく整っているからです。不思議な花です。そして花がすべて消えていった後に葉っぱが茂ってくるのです。春の花々の美しさに毎日生かされている喜びを感じています。

3月10日

 昨日から朝だけはストーブを付けていますが、日中はつけずに過ごすことができるようになりました。とてもうれしいのです。服装はまだ真冬のままです。午後になると一枚羽織っているものを減らすことができるようにもなりました。春の夜賛美の歌で帰りまつ。(息子の帰りをまだかと心配しつつも賛美して平安を得ています。)

春暁や清少納言も眺めける。

リハビリやヨモギの土手に休みもし。

口閉づる椿ありけり山の寺。

春疾風里山の竹倒すかに。   馬塲路哉

 

小学校の卒業式は19日、中学校は16日だそうです。本来ならば在校生、卒業生が一緒になって盛り上げるのですが、コロナ禍で卒業式がリモートでする学校もあるとか。小さな村の学校ですからそういうところはよいのかもしれませんね。新しい道へ進もうとしている子供たちのこれからを祈るものです。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (180)

 

1月20日

 曇っていた空にお日様が顔を出して、明るくなっています。明日からは気温が上がって3月並みになるというのですから、うれしい限りです。大寒というのにです。これからは三寒四温という形で暖かい日が増えていくのでしょう。そして立春を迎えるのですね。早く来い、暖かい春さんと春を待っているのです。

滅びゆく村の賑はふ二日かな。

聖餐に侍りもしたる老いの春。(久しぶりに聖餐の礼典にあずかることができて感謝しました。)

寒椿もう開くかと見上げけり。

一月の山の細流鳴りにけり。

北風の轟き渡る並木道。(毎日の散歩道です)  馬場路哉

何かと不便な毎日ですが、最後まで耐え忍ぶものは幸いである、とのみ言葉を覚えて平安が訪れるのを待っています。

1月28日

 3日ほど前までは春を感じさせるような日和でしたので、ついつい、浮かれ気分になってしまいました。朝の散歩では足元に気を付けながらです。雪が降っていなくても雨の後は滑りやすくなっていますから、ぼちぼち歩きです。毎朝、散歩の途中で出会う方も同じようにして歩いています。つい、長話になってしまいます。皆さん発散したいのでしょうね。いつまでも同じ調子で家の中にばかりでは退屈になってくるのでしょう。散歩で出会うと村のあちこちの近況を伝え合うようにしています。最近ではひと月足らずのうちに4軒も空き家になってしまいました。転倒して足の骨を骨折した人。顔の頬の骨を骨折した人。発見が遅れて救急搬送されたのですが亡くなられた方が二人。散歩道にある家ですからその家の前を歩くたびについ最近までは声を掛け合っていたのにと、とても寂しくなります。これも年を重ねてのことですから仕方がないことなのでしょうが。

131

 礼拝に行こうと思って準備をしていたら急な来客で遮られてしまいました。賛美歌を後で歌って礼拝をしました。今朝の散歩であちこちに梅の花が咲いているのが目に入りました。1月にこの山添村で梅の花を見るというのは初めてのような気がいたします。寒波がやってきたのに、その前に何度か暖かい日が続いたからでしょうか。春の花を見ることができるのはとても感謝です

旭川作家を思ふ寒波かな。(三浦綾子。のことです。)

山峡や鈴鹿の雪を望みもす。

初雪や桜の枝を鮮やかに。(散歩道の土手に大きな桜の木があります。)

山燃ゆるかの夕焼や日脚伸ぶ。

湛えたる緑も深し冬の湖。   馬場路哉

あまりにも良い日和です。家の中にいるのがもったいなく思い、しばらく外で日向ぼっこをしていました。太陽の光を浴びて居眠りが出てきそうです。

2月7日

 春を告げる蝋梅が土手に花を咲かせました。香りがよく、そばを通り過ぎるとほのかな酸っぱい香りが漂ってきます。お隣の方と久しぶりに日向で雑談をしました。若いころの話が多かったのはお互いに年を重ねているからでしょうか。外はとても暖かく、気持ちがよかったです

寒の月雲を出れば光りけり。

一人居の翁と話す四温かな。(90歳になられますが元気にしておられます。)

早梅の白固まりて屋敷跡。

腱鞘炎恐れて少し剪定す。

八朔の不作や苦み残しける。(今年の八朔はどうしたことかとても口にできるようなものになりませんでした。)  馬場路哉

こうして少しずつ暖かさが増してくると、散歩で出会う方からも笑顔がこぼれます。温かくなってくるのはとても感謝なことですね。

2月13日

 花粉が飛び出してきたのかくしゃみや鼻の調子がおかしいこの頃です。目の調子は順調に回復されていることとお察しいたします。でもまだまだ元のようにとは行きませんからしばらくはゆっくり静養なさってください。お祈りしています。また来週は寒の戻りで寒くなるとか。体調管理をしっかりして春を迎えたいものですね。庭には梅が八分咲きです。近づくとよい香りを放って春の訪れを告げてくれています。古木なのですが、よく咲かせてくれているなと感慨深いものがあります。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (179)

 

12月19日

 ゴダート先生からクリスマスカードをいただきました。91歳になられたそうです。それでも車を運転されて週に一度はドラッグストアーに出かけられるとか。後は犬と二人で暮らしておられるということです。私たち金城学院生はゴダート先生たち、南長老派の宣教師の先生たちのご奉仕があったからこそ、イエス様を救い主と信じる若者たちが輩出されたのですね。感謝の思いを決して忘れてはなりませんね。その当時、日曜日の午後は礼拝を終えてから病院へ宣教に出向かれ、熱心にみ言葉をお伝えになられましたことで多くの実を

結んでいました。

12月22日

 今朝は氷点下2度まで下がりました。辺り一面真っ白に霜が降っていました。散歩をしているとまつげが凍っていくように感じられました。この冷え込みは年末にもやってくるとか。

年の暮れ二百五十年の第九聴く。

殉教は奈良にもありぬクリスマス。

名曲を聴くや玉なす冬日和。

今年また煎茶歳暮送りけり。

寒風や奥伊賀の垣高き事。    馬場路哉

 

昨日の朝、お隣りの一人暮らしの方が家の中で転倒して大腿部を骨折されて、救急搬送されました。この二か月の間にお二人の一人暮らしの方が転倒されて、骨折という事態になっています。なんだか我が身もよろよろしてきたので転倒の恐ろしさを痛感しています。

11

 新年あけましておめでとうございます。こちらは大雪の降っている地方の方たちには申し訳ないのですが、雪が降らずに何とか一日持ちそうです。郵便の配達をされている雪国の方たちの映像がニュースで流れました。バイクに乗っているというのでなくバイクを押しているのです。そのような状態で一軒一軒の年賀状を配っているのを見ていると“大変でしょうが、最後まで頑張ってください”という思いでいっぱいになります。

息子たちはこの十日余り不眠不休です。今朝を無事に迎えることができて、ほっとした様子で暗闇に出勤いたしました。無事に配り終えて帰ってくるのを祈りながら待っています。

故郷塚過りもしたる桃青忌

津から伊賀峠で来る初時雨。

バス停や寒風ひしと抜けにける。

寒風は刃を持ちて唸りけり。

寒波急スコット隊をふと思ふ。   馬場路哉。

厳しい寒波ですね。なんだか今年も大変な年になりそうです。でも信仰を与えられていることの幸いを覚えて日々歩むことができるのですから感謝です。

1月3

 久しぶりに主の日の礼拝を捧げることができました。懐かしい皆さんとともに賛美し、祈ることができて、心から感謝いたしました。聖餐式にもあずかることもできて、イエス様の十字架上でのお苦しみを思い、涙が流れてまいりました。日々の生活がどんなにか罪深いものであるかを神様にお許しください、と祈っています。

中庭に数本ばかり水仙花

後を見て微笑みにけり落ち葉掃き。

この山に銀髪に似る枯れ木あり。

病棟の茜色して日脚伸ぶ。

差し掛かる伊賀の峠の初時雨。   馬場路哉。

1月8日

 この寒さにうっかりしていました。少しでも水道水を流していたら、このような凍結はしなかったでしょうに、朝、起きてびっくりです。ガスが凍ってしまったようで全くつきません。水道も全く出ません。洗濯機のところは別の場所なので出るかと思ったら、ここもだめです。さっそく、ガス・水道の業者さんに電話を入れましたら、すぐ来てくださいましたが、これは下手にいじると水道管、ガス管が破裂してしまうので自然に溶けていくのを待たなければ仕方がないとのことでした。さっそく、ガス、水道を凍らせないように電熱線を配線してもらう手配をいたしました。このようなことはここ十数年起きたことがなかったのでうっかりしていました。これから気を付けます。

寒波急年賀配達出発す。(主人もやはり息子のことを心配しているのですね。)  

慈しみ多く賜り年暮るる。

閑かにも滝響くなり去年今年。

余韻ある句を味はひぬ青畝の忌。

梅早し頼山陽の思ひ入れ。(月ヶ瀬湖畔にて。)   馬場路哉

このような時に簡単に食事ができるものを備えておくことがとても大切なんだと思い知らされました。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (178)

11月21日

 体調が少しずつ戻りつつあるので感謝です。ことしはクリスマスカードを出せないかと心配していましたが、アメリカにおられるゴダート先生にはたどたどしい英語で何とか感謝の気持ちをお伝えすることができました。信仰の先輩にも感謝の気持ちをお伝えすることができました。12月に入ってからでもよいのですが、アメリカはやはり3週間はかかりますから、何とか間に合いそうです。クリスマスには心からの感謝の思いをお伝えしたいのです。救い主イエス様のご誕生を心からお祝いできることは、本当に幸いですね。

過りたる車に踊る落ち葉かな。

山裾哉落ち葉の多き詩仙堂。 

山峡に紺碧の空冬日和。

茶の花や祖父の守り̪し畑荒るる。

川浪の勢ひ紅葉促しぬ。      馬場路哉

 

喘息の発作のような状態になってから家事を少し減らすようにしました。週に二度は台所、玄関先、トイレを掃除していたのですが、週に一度にすることにしました。埃が多いのは見苦しいのですが仕方ありませんね。夜明けに咳が激しくなります。

11月27日

 12月号のジャーナルを読ませていただいて、救い主イエス様がご誕生くださったことの意義がよくわかり、心からイエス様を信じる信仰を与えられていますことに感謝いたしました。

教会に頌歌の湧きてクリスマス。(今年はできませんね。)

小春日や木漏れ日の庭草を引く。

山峡や漆紅葉の目立ちもす。

日向ぼこ神より賜ふひと時と。

道々の紅葉を眺めて買い物す。    馬場路哉

 

朝は冷え込みましたが日中は暖かくなってきています。いつもの散歩コースに出かけてみると、う2軒隣の96歳になられる方が、車いすに乗せていただいて、同じようにでこぼこ道を散歩していました。久しぶりでしたのでご挨拶をすると、“お世話になりましたね。私は今日限りで実家に帰ります”と言われるのです。ご実家はずいぶん離れた榛原だそうです。介護される方は私と同年齢の方だそうです。

124

 お日様が午後から照りだしてきました。西の空から台所の窓に向けて光線が明るく入ってきます。窓越しから入る暖かさで今はストーブもエアコンもつけていません。一日でもほんのわずかな時間でも暖房を使わずに過ごせるのは感謝なことです。

小春日や木漏れ日の庭草を引く。

富有柿こそ故郷の風味なれ。

谷戸の灯の減りし在所や冬に入る。

ピアノ曲人偲ばせて身に沁みぬ。

行滝の響き鋭く冬に入る。

天国を思へる小春日和かな。

茶の花やかぎろひ赤し津の辺り。

山の端にあか星光る待降節。

裾の篠広く刈られて山眠る。

病院に展示されたる紅葉の絵。   馬場路哉

 

朝から主人はリハビリに出かけました。筋肉の弱りを少しでもカバーし、今のままでいられたらという願いを込めて必死です。毎朝聖書の通読をしているようです。その後、カルビニズムについての本を読んでいます。大事だと思ったところはノートに書き留めています。私は、「朝の祈り、夜の祈り」を参加しています。

129

 干しものに湯気立つ小春日和かな・

散り紅葉綾を成しては重なりぬ。

つくづくと眺む紅葉の黄落渓。

生垣を蝶高く超ゆ小春かな。    馬場路哉

主人は今日は月ヶ瀬まで車で出かけて、梅渓を散歩してきたようです。眺めは絶景で気持ちがよかったといっていました。月ヶ瀬は山、川のバランスがとれていて、とても見事なのです。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (177)

 

10月17日

朝から冷たい雨です。気温は11月下旬の寒さということです。台所での朝食の準備は冷え込みますのでストーブを付けました。ほっこりと部屋全体が暖かく、気持ちよく朝の準備ができました。散歩には長靴を履いて出かけました。葉っぱたちは雨で流されて道幅が広く感じられました。この雨で一層秋が深まっていくのでしょう。

秋の夜やチェンバロ曲は神秘的。

虫の音に雨加はりて奏づなり。

早々と山の隙間に月昇る。(中秋の名月の日のことです。)

冬瓜を味はひをれば薄日差す。

一枚の絵画と思ふ柿紅葉。     馬場路哉

 

10月19日

 山添村の朝は12月の半ばの寒さでした。震えあがりました。秋があっという間に過ぎてしまうようで悲しくなりました。そして午後3時ごろまで激しく雨が降り続きました。食料を買い求めに上野まで出かけました。今日は5パーセント引いてくれる日だからです。スーパーの中は沢山の人で混雑していました。家に戻って手洗い、うがいをしっかり致しました。

 

10月23日

秋の雲写真撮りたき朝かな。

草刈って千草の中に憩ひけり。

台風の終日雨に配達す。

秋高し吉野の山を越えにけり。

長雨にめげることなし朝の虫。   馬場路哉

例年なら今頃はどこからとなく聞こえる笛の音色に秋祭りの近づいているのが感じられるのですが、今年はとても静かな秋の夜です。主人は草を刈る時に一番大切にしているのは野の花が一輪でも咲いていたら、野の花を刈り取らないように気を付けているといっています。野の花の美しさに心惹かれるというのです。また雨が降りしきっています。

 

11月1日

 11月に入りました。日の暮れるのが短くなってきて気ぜわしさを感じます。のどの痛みは取れましたが、非常に激しくせき込みます。以前、このようなことが起きていても、ほっていたら“肺炎”になってしまいましたので、昨日は土曜日で午後から診察をしている医院は限られていますが、でもこのままじっとしていては悪くなるだけと上野に向かって主人に車を走らせてもらいました。すると最近開業されたような耳鼻咽喉科が見つかりました。そこで今までの経緯をお伝えすると、それは抗生物質を飲んだほうがよい、ということになって激しい咳を和らげるお薬と抗生剤などを処方していただいて帰りました。今朝の食後に服用すると、今日は今までとは違って少し体が動きました。今日からは主人がのどの激しい痛みにうなっています。でもやはり男性ですから食事の準備をしなくてもよいので安静にしていたらよくなることでしょう。

点点と土手のツユクサ目を受くる。

灯火親しアンデルセンの物語。

伊賀の霧大和山峡まで溢れ。

キリシタン悲話をつたへて奈良の秋。

夕筒と並びて眩し後の月。       馬場路哉

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

   (176)

 

9月22

沢山のジャーナルの信仰の友に支えられて今、生かされていることに改めて心から感謝いたします。もう70歳を超えていて、いつ召されてもの覚悟はできていたはずなのですが、今回の出来事で、信仰弱い私はパニックになってしまいました。精神科の先生からたくさんのお薬をいただいて帰り、しばらくはお薬なしでは眠りにつくことができませんでした。今ようやく落ち着きを取り戻しています。こうして皆さんに支えられ、祈っていただいていることにとても心強さを覚えています。一度もお会いしていない方たちから心からのお励まし、お支えをいただいて信仰の友のありがたさを心から感謝しています。

永遠をふと思ひけり星月夜。

道の上や鳶の背見ゆる秋初め。

木犀や枝に頼り近く寄る。(金木犀もいつもなら甘い香りを放ってくれる頃なのですが。)

昼はセミ夜は虫との配慮なる。

白浪の立ち続けをる秋の川。    

墓石の倒れてをりぬ秋彼岸。

気が付けば家の周りに草の花

爽やかや初めに言葉神有りと   馬場路哉

 

今日は雨の予報でしたのに今のところ雨が降らずに一日持ちました。主人は今リハビリとかの散歩運動から帰ってきました。秋の涼しさの中でのリハビリは頑張れるようになったのか、帰ってくる時刻が遅くなってきました。

 

10月2日 

 今朝も朝はとても冷え込みましたが、日中はよく晴れて心地よい秋晴れでした。診療所で悪玉コレステロールを下げるお薬を2か月分、肩の痛み腰の痛みに貼るシップ薬もいただいて帰りました。

そろそろ夏物を片付け、冬物へと衣類の整頓です。大切にしていたものがありますが思い切って処分することにしました。全く普段は着ないようなものをしかも20年も前のものなどは少しずつ手放すことにしました。なかなか思い切ることができなくてほんの一部だけにとどまっています。

コスモスの田園に溢れ大柳生。(地名です)

朝焼けやほどなく来る秋時雨。

山峡を丸く覆ひて星月夜。

穭田に白鷺一羽づつ立てり。

明星に近き弦月皿をなす。   馬場路哉

 

郵便受けを覗くともう年賀状の申し込み受付のはがきが入っていました。もうそんな時期なのですね。

 

10月14日

 今朝のラジオから流れるニュースを聞いていると、どんぐりの実がなくなってきているというのです。ナラの木が害虫によって枯れてしまっているというのです。山添村ではまだその現象が見られませんが、各地で深刻な状態だというのです。どんぐりの実を餌にしている動物たちにとって、生き延びるために必死で探し回ることでしょうから。

山添村ではイノシシが昼間でも出てきて土手を壊したり、畑を荒らしたり、と散々だといって皆さん嘆いておられます。先日のこと、主人が山に向かって散歩をしているとガサガサと音がするので誰がいるのだろうと辺りを見回したらイノシシが現れたので、じっとその場で突っ立っていたら、静かに逃げてくれたのでほっとしたといって帰ってきました。

私もよく散歩で行く裏山の道でしたから。その話を聞いて以来、裏山方面には、行かないように気を付けています。山に餌がなくなってきているのですから仕方がないのでしょうが、何とかならないものかと考え込んでしまうのです。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

  

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

   (175)

 

812

 一日に何度も励ましのメールを下さい、心から感謝いたします。やはり娘の近くの病院にしてよかったと考えています。自転車でも15分で行けるというのですから。15日に診療所の先生が予約を入れてくださったのはとてもうれしく思います。若いころから何かあるとなかなか寝付けなかった私です。生まれ持ったものなのです。亡き父の一番下の妹。私からすると叔母は38歳で乳がんになりました。当時はその治療法も進んでいない中、東京まで出てきて治療を受けていたようです。その叔母は元気になり、一昨年90歳で亡くなりました。そんなことも思い出されるのです。

 

814

 こんにちは。入院の準備を整えて家を出発いたしました。市民病院の前で娘と出会うことができました。いろんな手続きを娘がほとんどしてくれました。助かりました。娘が一緒に診察室へ入ってくれました。先日のマンモグラフィーの写真を手渡しました。

すると主治医の先生はこれではわからないわね、と言われ、胸のエコーを撮りましょう、ということで念入りに撮ってくださり、また触診もしっかりしてくださいました。その結果、先生曰く、“これはお水が溜まっている水疱というものです”“がんではありません。”“えー!

私は山添村の検診結果を聞いてから、ほとんど毎晩眠れず、胃腸の調子も壊してしまっているのです。今日はきっと組織の検査入院があると思って入院の準備もしてきました、とまで言いましたが、はっきり水の溜まっている様子をエコー写真で見せていただくと納得しました。

このようなことがあるのだなと・・・。がんと言われて一週間の長かったこと。娘はまだ信用せずにこれががんになるかもわからないから安静にしているようにと言って別れました。

 

816

やはり昨夜からは今までとは違う眠りができました。薬には頼っていますが、自分でも眠る力が出てきたように感じられます。私自身本当に信仰的にも、肉体的にもなんともろくて弱いものかということを思い知りました。このような者ではありますが、これからも「ジャーナル友の皆様」のお祈りでと支えてくださいますようにお願いいたします。

 灯火親し人魚姫の一途さよ。

うつうつと草木茂り過疎進む。

秋立つや聞かむとすなる神の声。

西行の眺めし秋の夕日かな。

草の露好き通りもす朝日かな。  馬場路哉

 

817

 この暑さ。名古屋はさらに暑さ厳しいことでしょう。私も今週に入って少しずつ平常心を取り戻しつつあります。8月7日からは取り乱してしまいました。それを何度も受け止めてくださり、支えてくださり、申し訳なさでいっぱいです。でも心から感謝しています。昨夜は薬の力も借りましたが眠り方がさわやかでした。私のようなこんな鈍いものでもこれだけ大きなダメージが体のあちこちに影響するのですね。今朝、主人が精神科の先生が処方してくださったお薬を上野まで取りに行ってくれました。

忙しき日々なるツバメ帰りけり。

朝顔の紫浅くまた深く。

白雲の近くへ上る帰燕かな。

荒梅雨や一方ならず長引きぬ。  馬場路哉

 

9月3日

 大型、超大型と二つも相次いで日本列島を襲いかかろうとしています。平和な、平穏な日々をお与えください、と祈る日々です。最近はシューベルトのピアノソナタを毎晩聞きながら休むことにしています。というのもシューベルトは曲を作り上げるときに“永遠の命”があることを確信していたと、添え書きれていました。確かに聞いているうちにどこか秋めいた雰囲気の中、平安な気持ちになり眠りへと誘ってくれるのです。

緑陰に新型特急眺めけり。

朝顔に庭の景色の定まりぬ。

灯火親し情熱的なリルケの詩。

秋暑この四隅は風通る。

マスカットイエスの言葉瑞みずし。    馬場路哉

 

9月8日

9月に入ったばかりなのに、実った稲穂が見られません。よく見るとどの家の田んぼもすっかり刈り取ってあります。稲の収穫は10月頃でしたのに。この頃はひと月以上も前倒しです。台風の被害にあわないようにするためと、獣たちに食べられないようにするために早めているそうです。でもどの稲穂もまだ青いのです。うっすら黄緑色になる景色を見てきた私には、信じられない光景です。

すべてが大きな機械で手際よくなされていきます。秋を感じることもなくあちこちの田んぼは刈り取られた後の株だけが残っています。山添ではお米作りの後継者がおらず、大阪から業者さんを雇っているとのことです。なんだか不自然ですが致し方ありません。

熟睡のでき有難き秋初め。

朝顔の盛りと揃ふ朝かな。

演奏するかに風鈴売られけり。

広ごれる棚田の脇や破れ芭蕉。

灯火親し一心に読むリルケの詩    馬場路哉

 

そろそろ秋風が吹き出してもよいのでは、と空を恨めしく眺めています。毎日、朝、起きるときにしこりの状態を触ってみます。大きくなっていないか調べるためです。どうしてこのようなものができたのか、またできるのか、詳しく知りたい気持ちになります。何を考えても仕方がありませんから、無心になって散歩に出かけます。朝の散歩では皆さんと声を掛け合って励ましあっています。ちょうど散歩コースには同じような年齢の方が3人います。

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」
 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

   (173)

 

714

 今朝から猛烈な雨が降り続きました。今、ようやく小雨になっています。予報では今週末まで雨だそうです。被害に遭われた方たちはどんな思いで後片付けに追われているのでしょうか。皆さん精いっぱいの力を振り絞っておられるのですね。

高気圧が日本列島に近づいて、この停滞前線を押し上げてほしいと願っているものです。温暖化の恐ろしさを毎年目の当たりにし、自然災害で人間は押しつぶされてしまいそうです。最近は、口の中は口内炎だらけの私です。この大雨がかなりのストレスになっています。

アジサイや坂道多き鄙に住む。

緑濃き川のうねりや合歓の花。

貸し農園帰りの道なるスイカズラ。

夕立ちや尾根の飛沫の白さ増す。   馬場路哉

 

7月29日

 梅雨明けを知らせるかのように雷が今鳴り響いています。久し振りの曇り空で雨が降らずに済みました。洗濯物を外へ出して雨が降ったらすぐに取り入れる準備をしていましたが、降らずにほっとしています。何日振りでしょうか。乾燥機を使わなくて済んだのは。これからは暑さとの戦いになりますが・・・。何とか乗り切って過ごしたいものです。

祖父の額和して不同夏座敷。(なくなる一日前に筆で書かれたものです)

梅雨の草ひけば美しシマミミズ。

草刈りし跡に小鳥の餌を探す。

一段と打つと茂りぬ過疎の村。

青田より白鷺発ちぬおもむろに。   馬場路哉

 

主人のおじいさんは書家であったようです。書がたくさん掲げられてあります。私にはどれも読むことができません。主に李白などの漢詩が書かれてあります。昔の方は筆で文を書くのが日常だったのでしょうね。信じられませんね。

 

88

 お祈りください。今回のこと、いろいろ考えましたが、「つのぶえジャーナル」に乗せてくださって結構です。山添村の総合検診の結果で、左の乳房に乳癌の疑いがあるしこりができているというのです。さっそく自分で触ってみたらわかるほどの大きさです2掛ける1、7の大きさです。奈良市立病院へ電話で相談しましたら、この14日に緊急の精密検査を受けることになりました。たとえ癌であっても生きられるだけ生きたいと祈っています。

 

810

 携帯を持つことにしました。入院の時など病室で本を読んだりしながらと考えていましたが、携帯で送受信したり、CDを聞いたりと時間を費やすことができるかもしれません。でも、こうして親身になってくださる長村さんの一言、一言が私の日々をどんなにか支えてくれているかと思うと、主人も携帯購入に理解してくれました。主にある方々の励ましの言葉は、購入時のお金の問題ではありませんね。支えてくださる方、長村さんに感謝です。

私には出産のときの大変さ。それ以来の入院となります。「ジャーナル友さん」にお祈り頂きたいのです。お願いします。それで、わたしも「ジャーナル友さん」の仲間入りさせてください。でも、今はとても不安ですし、多くの方のお祈りが必要なのです。支え、助けてください。今はそう思っていても、入院、手術、治療になったら、メール報告なんかできないと思います。どうぞ、お祈りください。

 

=追記=

814

病院でのエコー検査結果は、嚢胞でした。組織検査は不要だそうです。お祈りありがとうございます。先ずは、急ぎ結果お伝えいたしますとのご家族からの連絡です。(編集子)

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

   (172)

 

6月17日

 梅雨時の晴れ間はとても貴重です。毎日何も考えずに洗濯物を干してしまいこんでいます。それがその日のうちに乾ききるというのはとても感謝なのです。どうしても乾燥機を頼ってしまうのですが、乾き方はやはりお日様の力で乾ききったのとは肌触りが違います。今年の梅雨は雨が降り出したらとても激しく降るとの予報です。山添では朝からその予報に備えてか、有線放送から避難指示の、備えて下さいの放送が大きな音で家中に鳴り響きました。

しもつけの夢見心地に咲き初むる。

笹ユリは幻となり山荒れる。

梅雨入り哉大きなカメが道に出ぬ。

朝ツバメ一心不乱にまず鳴きぬ。   馬塲路哉

 

7月号のご準備で御忙しくされていることでしょう。無事に皆さんのところへ発送できますように、お祈りしています。

 

6月21日

 梅雨の中休みというのに、吹く風はとてもすがすがしく感じられました。県を超えての移動が許されての初めての週末です。皆さん、はじけた笑顔で久しぶりの外出を喜んでおられるのがテレビの映像からよくわかります。庭の片隅に植えたミニバラがピンクの花を咲かせてくれています。小さな小さな花なのですがそれがまたとてもいとおしいのです。

なん百年立ち尽くしけむ棕櫚の花。

散歩する向かひの山の若葉風。

幾重にも連なる青領遥か。

ところ得て慎まし都忘れかな。

アジサイや一画家青を好みける。  馬塲路哉

 

先週は村の草刈りで大変でしたが、今週は我が家の家の周りの草狩りに追われています。

草刈りを終えると、今まで見えなかったピーマン、ミニトマトが実を付けているのがわかります。

はじめてピーマンとミニトマトを5個ずつ収穫し、夕食の野菜たちと仲間入りしました。自分の家でとれた野菜を口にするのはとてもうれしいのです。でもまだ酸っぱいのですが。

 

6月27日

 何か仕事をしようと体を動かすと汗がぽたぽた落ちてきます。外での仕事は特にきびしいようです。温暖化の影響で7月から9月まで暑さが続くようです。

荒梅雨や合羽で挑むトユ掃

微妙なるガクアジサイを見つめけり。

犬の墓十薬多く刈りにけり。(犬たちが死んでもう3年がたちました。)

孟宗の直線多く涼し刈り。(竹があっという間に大きくなっています。)

主に任せ祈り続けぬ梅雨湿り。   馬塲路哉

 

半年間続いた町内の納税などの仕事が終わりました。やれやれというところです。村の細かな集金や水道の代金などを集めて事務所まで届ける仕事です。ほっとしています。

 

72

 主人が懸命に練っている俳句ですが、同じようなものが並ぶことがありますね。こうして自然をよく観察しながら俳句を作るのはとても大切なことだと思います。

時惜しみツバメ鳴くなり明易し。

アンデルセン童話のをかし夏夕べ。

青空に湧き上がるかに桐茂る。

伊賀遥か望む鈴鹿の青峰かな。

テントウムシ日差しの強き道作り。   馬塲路哉

 

この頃の、この蒸し暑さですが、外の空気も吸いたいので、思い切り窓を開けて深呼吸をしています。朝の散歩でふと土手の向こうの荒れ地に目をやると、誰にも手入れをされていない場所にくちなしの花が一輪咲いているのです。近寄ってその甘い香りを思い切り吸い込みました。朝いちばんに出会ったくちなしの純白さにこちらまで清く美しい気持ちにさせられました。

我が家に植えたくちなしは、どうしたことか虫に食べられて、葉っぱを出すだけで精一杯のようです。誰も住む人もいない荒れ地からこのような気品ある花を見つけることができて、神様のなさることはすべて時にかなって美しい、というみ言葉が浮かびました。

 

7月8日

 名古屋の雨は非常に激しそうですね。ここ山添村では午前7時頃がピークでした。たたきつけるような雨とともに西寄りの風が吹き荒れてまるで大きな台風に見舞われたようにおびえてしまいました。村の有線放送からは避難場所が設定されたから直ちに避難してください、との連絡。外の雨風の様子を見る限り自宅待機がベストだと考えました。2階がない我が家は土砂崩れの恐れが少ない場所へ移動しました。裏山は大きな木が倒れ掛かり見るのも恐ろしい状態です。

 名を知らぬ鳥の良き声梅雨晴れ間。

棕櫚細くすっと伸びたる涼しさよ。

空青く朝日の明し梅雨晴れ間。

木を立てし塀や緑の蓑虫庵。

ペストとの闘ひ知りぬ梅雨湿り。   馬塲路哉

 

この激しい雨は日本列島を縦断していますね。岐阜、長野県ででも警報が発令されました。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

  

 

『その愛のゆえに』

   =時々の記=

   (171)

 

515

 薄雲に覆われている山添村です。燕のひなたちが元気よく育ち、二回目の卵が温められているようです。朝の目覚めはツバメのさえずりで目が覚めます。自然豊かな山添村で生活できていることに心から感謝しています。

さえずりに始まる杣の一日かな。

山の上にほんのり登る朧月。

大地読み続けて春を惜しみけり。

渕緑川浪白く夏めきぬ。

夕づつも月も出てをる五月かな。    馬塲路哉

 

5月も折り返し点に来ました。コロナで振り回されています。まだまだ第2波、第3波に脅かされるのでしょうか。

 

525

 蒸し暑くなっています。教会の礼拝も今までのように一緒に集まっての礼拝はこの時期だけは考え、見直す必要があるのかもしれませんね。オンライン礼拝が行われていますが、パソコンが苦手なものには文書伝道という形に礼拝できます。その時々の対応で今を迎えていることでしょう。

ゆかしさよかつて農家の桐の花。 

樫切って五月の空の明るかり。

癒されぬ薔薇を読みたるリルケの詩。

餌を運ぶツバメの実にリズミカル。

夏の川朝日の低く眩しかり。  馬塲路哉

 

今、リハビリの散歩から主人は返ってきました。汗だくです。

 

529

 とても暑い一日となりました。昨夜のことです。野良猫のレオが3度も悲痛な声で鳴きました。これはほおっておけないと思い、外に出てみましたが、猫の姿は見られません。きっと屋根裏へでも逃げたのでしょうか。その時です。私の数メートル前を狐がぎらぎらと目を光らせて走り去りました。初めて狐を見た私です。怖くなって足が震えました。野生ですから俊敏さはたとえようがありません。今までイタチ、鹿、さるは目の前を走っていくのを見たことがありましたが、狐は初めてです。裏山のタケノコもすっかり食べられてしまいました。危険を冒してまでも人間の住む所までやってくるなんて。よほどおなかが減っていたのでしょうね。世の生き物たちが必死で生き延びようとしている姿は学ばなければなりませんね。戸締りをしっかりしなければとあちこち開け放っているところを点検して回りました。

偲びもす農家の昔桐の花。

五嶋みどりバッハを奏づ聖五月。(友からCDが送られてきました。)

過疎進む古き杜なる椎の花。

柿若葉老木にして瑞々し。   馬塲路哉

 

毎日日中は30度近くまで気温が上がります。マスクを着用しての散歩はかなりきついです。ラジオから流れるマスクをつけての激しい運動には気を付けましょうの声で誰もいない山の道ですから帰りはマスクを外してしまう私です。

 

61

 いよいよ6月です。学校も動き始めました。2か月遅れの始業式ですね。子供たちの中には生活のリズムが整わなくてスムーズに一歩を踏み出せずに苦しんでいる子供たちがいることでしょう。私はどうしても長いお休みの後は苦手でした。

代々の石碑に撒きぬ除草剤。(草を刈るのが大変な年齢になってきました。)

夏の川弧を描きをり慰霊の碑。

過疎進む古き杜なる椎の花。

一陣の風おほでまり吹雪けり。

藤の花肩の力を抜くべしと。   馬塲路哉

 

70歳から80歳までの高齢者たちが毎月、お掃除のボランティアをしています。

中には来るだけが精一杯で何もできずに帰ってしまう人もいます。それでも来てくれてそばで見てくれているだけで励まされます。人間って不思議なものですね。そばにいてもらうだけで、元気がもらえるのですから。

 

6月7日

 朝からとても暑くなってきましたが、村中の高齢者も、若者も、一軒に一人が草刈り機をもって、道や土手の草刈りの「出会い」です。最高齢者で80歳です。それ以上になるとやはりこの暑さの中での草刈りは無理なようです。都会に出られた息子さんが帰ってきたり、近くにいる親せきが手伝ったりということになります。来週もあります。田舎に住んでいるとこうした草刈りの「出会い」が大変です。でもみんなの力で2時間ほどでとてもきれいに草が刈り取られていきました。

朝ツバメやる気満々鳴きかわす。

朝霧のゆるりよぎる山若葉。

チョコ色に光るもありて樫若葉。

棕櫚の花傘添へらるる姿かな。

五月雨は加太の山を隠しけり。   馬塲路哉

 

我が家も蚊取り線香の出番がやってきました。それに蟻の行列が台所のあちこちで見かけるようになり、かわいそうなのですが、殺虫剤を吹きかけてしまう私です。

 

6月16日

 今日も一日暑くなりそうです。息子は対面でのやり取り以外はマスクを外してもよいとの指示が出たと喜んで出かけました。マスクをしての肉体労働は蒸れてきて大変なようです。書留、小包があれば対面になりますから、マスクを着用しなければならないので時間的には遅れがちになるというのです。今は一人一人にGPSという機械が取り付けられ、どこで何をしているか今どのようなものを配達しているかを掌握できるようになっているというのです。良いように考えれば何かあった時にはすぐに助けに来てもらえるのでしょうが、あまりにも拘束されすぎてしんどいですね。時代の流れですからそのような動きにも順応していかなければならないのでしょう。息子の顔も日ごとにたくましく日焼けで真っ黒です。

明けむとす山峡渡るホトトギス。(ホトトギスの声で目が覚めます。)

咲かせもす都忘れや雛住まひ。

一所日差しを避けて雪の下。

草引けば一隅と言へ明るかり。

朝の間に道草を刈る鄙暮らし。(午前中は何とか草を刈る元気があります。) 馬塲路哉

 

田舎では今、どんどん大きくなる草との戦いです。皆さん、朝早くから草刈り機の使える方はブーンブーンと音を立てながら頑張っています。その音を聞くと皆じっとしていられなくなり、草刈り機の大合唱になります。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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