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ビルマ 戦犯者の獄中記(77) 遠山良作著
―ハンストのビルマ人―
現政府に反対し、監禁されている共産党員たちは、監獄の給与改善を要求して「ハンスト」を実行した。瀕死の状態で担架で担ぎ込まれた5人は私の隣に入院した。彼らの顔は水ぶくれのように腫れていた。水も食事もとらないことを宣言してハンストに入り33日目であると言う。30日以上も水も食事もとらずによく生きられたものだと思う。
彼らの話によると水を飲んでいると15日位は歩行が出来るが、水を飲まないと1週間位で歩けなくなる。一番苦しい時は5、6日目である。幾日目には苦しい節目があるが、体力が消耗しないように寝ていた。30日目に同僚の一人は血を吐いて死んだことも話してくれた。入院した初日はほんの僅かな米を入れて焚いたおも湯である。毎日少しずつ、米の量を増やすのである。5日目にはビスケットが与えられた。彼らはまだ回復しないまま15日目には退院した。かつて英軍の給与が悪かったとき、ストライキすらできなかったわれわれのことを思い出し、彼らの勇気ある行動に敬服した。
―巣鴨拘置所―
8月26日(昭和26年)、英領地区の戦犯者227名を乗せた貨物船は横浜港の岸壁に横づけになる。夢だに忘れたことのない祖国日本に着いた喜びで誰もが上気していた。波止場にはわれわれの帰国をニュースで知った家族や知人と思われる人々の群れ、中には○○君と書いたのぼりを立てて出迎える人たちでごったがえしている。私たちはこれらの人々を遠くに見て、下船するや米軍の用意したトラックに分乗して巣鴨拘置所に向かった。
やがてひときわ高い3階建てのビルディングが見える。それが巣鴨拘置所だと教えられる。その手前の道路上にアーチ形の門がある。赤地に白くSUGAMO PRISONと書かれている。この門が正規の門、巣鴨拘置所のメインゲート(正面)である。その門を境に高さ3メートルのバリケードがはりめぐらされ、さらに灰色の高い塀に囲まれた内側に拘置所がある。
ここには、極東裁判で裁かれたA級戦犯者をはじめ、B、C級の戦犯者たち2000名近くが収監されている。何時の日に自由の身になれるかは予想することはできないが、とにかく日本に来たという実感は、いままでの苦しみのすべてを忘れ、その歓びは表現することすらできない。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」