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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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さんびか物語 ・・・45・・・

    (広く愛唱されている50曲) ・・・44・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美445番

 御神とともに

<神様のみ言葉>

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである」。

~ヨシュア記1章9節~

この讃美歌445番“御神とともに”は活気に満ちた歌で、特に青年たちの間で広く歌われているものの一つであります。しかし、この歌詞の主題は“強くあれ”とありますように、年齢に関係なく歳を重ねたすべてのクリスチャンのための讃美歌としても味わっていただきたいと思っています。

 

作詞者モルトビー・D・バブコックは、1858年8月3日にニューヨーク州のシラキュースで生まれました。彼は多くの才能の持ち主で信仰、音楽、勉学、詩人、競技者とどれをとっても秀でた学生でした。シラキュース大学を卒業してからニューヨークのオーバーン神学校で学びましたが、どちらの大学でも彼は学問の上でも、運動に対しても、また、オルガン、ピアノ、バイオリンのソロリストとしても、あるいは グリークラブの活動にも活躍しました。

それとともに、彼は自分の才能を誇るような人物ではなく、本当に信仰に立つ魅力のある人格の持ち主でした。

神学校を卒業した彼は、長老派教会の牧師として按手礼を受けて牧師となり、まずオンタリオ湖畔の近くにあったロックポートの教会で奉仕いたしました。その後、ボルティモアの有名なブラウン・メモリアル教会に招かれて、そこで特にジョウンズ・ホプキンス大学の学生のために14年間、素晴らしい牧会を続けました。

1899年にはニューヨークの有名なブリック・プレスビテリアン教会でも大きな働きを期待されていたのですが、あいにくのことに、そこでは18ケ月の間の牧会で終わってしまいました。それは、1901年にバブコック夫妻はパレスチナ旅行に出かけましたが、その帰りにイタリアのナポリで43歳の若さで急死してしまったからです。

彼の有名な二つの讃美歌は、どちらも1954年版の讃美歌に収められていまして、この445番の他に讃美歌90番の“ここもかみのみくになれば”であります。

 

讃美歌445番の曲はTAUNTONですが、この曲について、また作曲者のH・J・デイについては何一つわかっておりません。本当に残念に思います。それはともかくとして、このバブコックの歌詞とデイの曲とは本当によく合っていて、元気で活気に満ちた素晴らしい讃美歌と言えます。

私たちも、この歌を元気よく歌いたいと思います。そうして、原作と日本語訳とを比較しながら、そのことばを学んでまいりましょう。

<445>

  1 御神とともにすすめ 死もなやみもおそれず

    ただ御業をはげみて ゆけや、ゆけ。

1節ですが、この讃美歌に共通していることですが、原作で一番目立つBe

Strog(強くあれ)という日本語の“ゆけや、ゆけ”とのコントラストであります。私はやはり原作の“強くあれ、雄々しくあれ”の方が聖書的であり非常に力のあるもので、どちらかと言えば、“ゆけや、ゆけ”は信仰者の雄々しさから少しばかりかけ離れた弱々しさが感じられるように思います。また、原作ではこの讃美歌のいずれの節でもBe Strongという言葉で始まっているが、日本語訳では、いずれの場合も“ゆけや、ゆけ”が結びの言葉にもちいられていることであります。

いかがでしょうか。“強くあれ”という言葉の励ましのお言葉が最初に出てくる場合と、“ゆけや、ゆけ”との場合では讃美歌全体の様子が大きく変わってきましたが、私は“強くあれ”という言葉が訳の上でもう少し有意義に用いられたらと思っています。それは、この讃美歌全体に大きな影響を及ぼすからであります。

この讃美歌の背景にあるのは、神様がヨシュアに語られたお言葉であります。この神様のみ声は、ヨシュアばかりでなくイスラエルの民にとっても大きな励ましになったばかりでなく、警告の言葉でもあります。

長い間、彼らを指導してきたモーセが死んで、彼らは途方にくれていた時に、神様は「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである」(ヨシュア1:5~8)と言われました。

 作詞者のバブコックも、この“強くあれ”という言葉を通して私たちに、「この都の中に置かれている目的は遊ぶためでも、夢を見るためでも、漂うためでもありません。一生懸命に働いて、重荷を負うのは私たちのなすべきことです。戦いを逃れようとせず、それに立ち向かいなさい。それは神様よりの賜物です」と原作で力強く歌っています。

もちろん、ここで作者が言うことは、決して遊んではならないということではなく、いつも、まず第一にすべきことをするという意味であると思います。

主イエス・キリストのみ言葉にもありますように「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)ということであります。私たちの本当の目的、唯一の目的は「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」とあります(ウエストミンスター小教理問答書・問1の答)。

この第一になすべきことを“勇気をもって雄々しく”なしてまいりましょう。

 

 2 むなしきものによらず ちからの御手にたより

   まことの道をふみて ゆけや、ゆけ。

2節ですが、原作では「強くあれ、今の時代は悪の時代であると言ってはなりません。それはだれの責任でしょうか。あなたは、ただ手を組んで、おとなしく悪に同意するのですか。それは恥です。神のみ名によって立ち上がり、遠慮なく、また勇気をもって、その悪に敵対しなさい」と歌っています。何と素晴しいことでしょう。

私たちは、特に悪魔に試みられた時のイエス様が、荒野でサタンに対してどのようにして退けられたかを覚えなければなりません。イエス様はみ言葉をもって悪魔の誘惑を退け、退散させました。

私たちも、神のすべての武具を身に着けなければなりません。真理の帯、正義の胸当て、信仰の大盾、救いのかぶと、御霊の剣、神のことば、祈り、忍耐であります(エペソ6:11~18)。

この神様の武具を身に着けて雄々しく進みましょう。

 

 3 あだのいきおいつよく たたかいははげしくとも

   勝利(かち)は汝が手にあれば ゆけや、ゆけ。

原作の3節では「強くあれ、あなたに敵対しているその悪は、どんなに強いものであり、ひどいものであったとしても、それに負けてはならない。悪との戦いは、どんなに激しくとも、どんなに長く続いたとしても、臆病になったり疲れ果てたりしてはならない。戦いを続けよ。あしたには勝利の歌を歌えるからです」とあります。

この信仰こそ、勝利者の歌でありましょう。日本語訳では“たたかいははげしくとも勝利は汝が手にある”と美しく歌っています。この勝利は単なる希望ではありません。主イエス・キリストの十字架のみ旗をかざして進む主の民には、確実な勝利であります。それは、主イエス・キリストこそ勝利者だからであります。ですから、この勝利の確かさこそがこの讃美歌の最も素晴らしいクライマックスなのであります。

主イエス・キリストは、すべての王、主であられます。そして、そのみ業への道を歩まれる時、「天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられた」(ルカ9:51)。エルサレムに待つのは十字架の死でした。それは、罪ののろいであり、恥でありました。しかし、それは、メシヤ(救い主)の栄光でもありました。そうして主イエス・キリストはみ顔をまっすぐに向けてのぼられたのであります。

この讃美歌445番は、私たちひとりひとりに、そのような勇気と決断を与えようとしていると思います。私たちも、主とともに顔を天のみ国に向けて雄々しく、勇気をもって歩む決心を、神様のみ前にいたしましょう。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、 雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでください。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(へブル12:1~2).

<90>

  3 ここもかみの みくになれば

    よこしま暫しは ときを待つとも、

    主のみむねの ややに成りて、

    あめつち遂には 一つとならん。

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