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小閑記
エシュルンよ、神に並ぶ者はほかにない。あなたを助けるために天に乗り、威光をもって空を通られる。
~申命記33:26~
長い生涯を生きる間には、キリスト者にとっても個々人としてやはり移り変わる事情があります。時には、全てのことが何かの呪縛にかかっていて、人生をひどい苦しみの連続、一連のこととしてしまうかのように、考え込んでしまうことを経験します。
次から次へと息つく間もなく来る困難や苦痛、次から次に発生する台風の凄まじさに慄く時、神様は遠くにおられるかのように思えます。弟子たちが嵐に出会い、恐怖のあまりに叫んだ、「わたしたちは死にそうです」の、無力感に陥ることがあります。
エジプトにいたイスラエルの民のエジプト脱出は、神様のお約束とは言え、荒れ野の40年の苦難の旅路は、想像すらできません。今日でも多くの難民が飢えと病と死の危険の中にあります。
しかし、それにもかかわらず、年月が経ち、約束の地に近づくにつれて、単なる約束ではなく、事実となる時、恵みの奇跡のように見えはじめます。見えざる神の導きの御手が絶えず私たちと共にあったことを悟り、その手は力強い愛の手であることを深く知ります。
モーセがその生涯を終えるにあたって、「神に並ぶものはほかにない」ということが出来たように、確かに、ためらい、迷い、呟くモーセの人生であっても、絶えず神様に尋ね、罪を犯しても許しを請いつつ生きた人生は、「多くの安らぎ」をもたらします。
聖書をお持ちの方は、いま一度ご自分の人生になぞらえつつ、モーセの生涯をみ言葉と共に読み、お考えになることを、お勧めいたします。私たちが勇気を失い、恐れた時に、神様は私たちを励ましていてくださいます。
約束の地を目指したモーセの人生は、「神ともにいまし、神に並ぶべきものはほかになし」とほめ称えずにおれませんでした。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」