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今月のことば
「さあ、かわいている者は、みな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。」
~イザヤ55:1~
今回の西日本豪雨で大雨と川の氾濫、土砂崩れで、多くの被害と人命が失われました。心から、お悔みとお慰めが与えられますようにお祈りいたします。多くの方が「ジャーナル友」として、今のお気持ちをお届けくださいました。このような心の交わりが、この「つのぶえジャーナル」を介して与えられていることを痛感いたしました。その使命を神様からの「召し」と信じ、励んでまいります。どうぞ、『ほっとひととき「みんなのコーナー」』をご覧くださり、祈りに覚えていただければと思います。
人の思いと心とは本当に不思議に思えます。私たちの心の中にある、なやましい不安と、深い心の慟哭を、神様は「飢えと渇き」と呼んでいます。人々にお金や名誉や、権力や快楽を追わしめるものは、この魂の飢えであり、その多くの者が放蕩や恥辱に走るのも、これに由来するといえるでしょう。
人はこの地上の富をもう少し持っていさいすれば、また、情熱の命ずるままに生きることができたならば、幸いであろうと考える者も多いのです。この間違った人間の価値観、人生観は、私たちの内に深く根を下ろしていて、誘惑する悪魔(サタン)方は、実に多くの人々を永久の不幸へと追いやることが出来ます。
神様は、この私たちの絶望的な道に行くのを見たもう時、心から憐れみをもって私たちを呼び、「帰って来い」と言われるのです。神様には、満腹させる食物があります。渇きを止める飲み物もあります。そしてそれを、「ただでもらえる」と言われます。この招きには誰もが与れるのです。しかし、この招きに来ないのです。
この「今月のことば」の1節に書かれているのは、全てただで頂けるにも関わらず、私たちは買わなければならないというのです。無価値なものを買わなければならないとは、納得しかねます。無料、無代には疑いを持ちます。しかし、ここでは、「無料、無代」ではないのです。それは「来る」という値を払わなければなりません。特に信じられない、「ただであるというものを受け入れる」という値段があるのです。そうして、それを神様からの愛と憐み、恵みであると信じて受け入れる思い(信仰)を言い表す(告白)ことです。
信仰とは、神様がお与えくださるお約束を信じ、より確かなものとするために生きる、生き方そのものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」