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「キリスト教百話」
問30 「キリスト教を信じたら、どんな良いことがあるのでしょうか」
答・・6・・
キリスト教は、もともとユダヤ教の基盤の上に発生しました。それはキリストがユダヤ人社会に生まれ、ユダヤ人を相手に伝道し、ユダヤ人がその弟子になったからです。ユダヤ教の基盤というのは、金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日として、シナゴグ(会堂)での礼拝をする共同体であった、ということです。ところが、キリストが復活したのが安息日の翌朝、つまり日曜日でしたから、キリストの弟子たちは、このキリスト復活の日に集まって、集会をするようになりました。
キリスト教がユダヤ人以外の人たちに伝えられるようになりますと、この人たちには安息日と言う伝統がありませんから、日曜日に集まって礼拝をするようになりました。キリスト復活の日が日曜日でなかったら、日曜日を礼拝の日として休むということは、始まらなかったはずです。今日、日曜日が休みの日となっているのは、キリストの復活が日曜日であったことに由来しているわけです。
ところで、復活されて弟子たちに現れて語られた言葉は「シャローム」という言葉でありました。これは「平安」という意味の言葉です。日本人の場合は、さしずめ朝なら「おはようございます」とか、「こんにちは」とかが常用語でありまして、特に挨拶する側からのメッセージが伝えられているというものではありません。ところが、キリストの場合は「平安があるように」とか「平安あれ」とかいうように、語る側の意図と内容が込められていたわけです。
これはユダヤ人の挨拶の常套語であったことから言えば、特に取り立てて言うほどのことではなかったと言えますし、またキリストが十字架の処刑を受けたことから、自分たちにもその咎めが及ぶのではないかと心穏やかでなかった弟子たちに対する「心穏やかであるように」という挨拶であったかもしれません。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
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