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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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さんびか物語・・・27・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・26     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌282番

 み栄は主にあれ

<神様のみ言葉>

「律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められない。・・・しかし、今は、律法とは別に・・・神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による義であって、それはすべての信じる人に与えられ・・・」。

~ローマ人への手紙3章2お節~22節~

この讃美歌は、宗教改革を記念して作られたものであります。

作詞者由木康は1896年鳥取県に生まれ、関西学院大学で聖書と神学を学び、1921年東京二葉独立教会(現在、教団東中野教会名誉牧師)の牧師として長い間、牧師の任にあたっていました。現在は、キリスト教音楽学校理事長として、また、青山学院大学神学科の講師として活躍されています。

彼の創作による讃美歌は、1954年版讃美歌に10程収められています。この讃美歌の創作には、次のようなお話があります。

彼は以前から宗教改革記念日に歌われるものを作りたいと思っていましたが、昭和6年版の讃美歌の編集を終えて、その資料として用いたフランス聖歌集を見ていた時、その中にアウグスグスト・ドウコペ(1836~1907)の作った宗教改革記念日の歌のあるのを見出し、その作からヒントを得て、この歌を作ったそうです。その翌年(1936年)作者の讃美歌集「竪琴」に発表され今日に至っています。 

作曲者小泉功は、1907年11月3日大阪に生まれ、大阪商科大学を卒業後、しばらく同大学で経済学の講師をつとめていました。その後、実業界に入り、現在は、湯浅株式会社社長室長として活躍されています。また、音楽評論家として、同時に音楽学会監事などの要職にあります。

彼は幼い頃から音楽的な家庭に育ち、1926年から合唱を長井斉に作曲法おとびオルガン奏法を大中寅二に学びました。

彼はまた西宮市の今津二葉教会、東京東中野教会などのオルガニストを歴任し、その間に「讃美歌前奏曲集」2巻のほかに「音楽教育」を出版しています。彼の作品は、1954年版の讃美歌に9曲ほど収められています。

おもしろいことは、その大部分のものが、彼がメロデーに、和音をそえた曲であるということです。例えば37番Bの讃美歌は、390年頃の非常に古いメロデーですが、このメロデーに和音をそえて、書き直したものであります。また、245番の曲は日本の古いメロデーである「今様」であります。彼はこのメロデーを1954年に和音をそえて、やさしく歌えるように改めたのであります。

讃美歌282番REFORMATIONは、由木康が宗教改革記念日のために作詞したものを、1953年小泉功が曲を作って出来上がったものであります。

<282>

1 み栄えは主にあれ めぐみの御神は

  死の陰に座したる み民をかえりみ

  み救いをもたらし みとのをきよむる

  かがやける使者(つかい)を つかわしたまえり。

2 み栄えは主にあれ つみびとをゆるす

  限りなきめぐみは あらたにしめされ

  律法(おきて)より解かれし 自由のよろこび

  主に頼るこころに ふたたびあふれぬ。

3 み栄えは主にあれ 権威(ちから)のもとなる

  さかえある聖書(みふみ)は われらの手にあり

  世の智者よ退け 聖なるみたまは

  その旨をしたしく ときあかしたもう。

4 み栄えは主にあれ とうときゆずりを

  さずかりし我らは おののきかしこみ

  うえもなき宝を たえせずたもちて

  暗き世にかがやく ひかりとならばや。

歌詞をお読みになって気づくことは、み栄えは主にあれという言葉が4回繰り返して用いられていることであります。それは、全ての栄えは主にあることを強調しているからであります。詩編57編5節に記されていますように、わたしたちも歌うべきであります。「神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように」。

神様のみ手の業によって造られた私たちの一番大切なことは、常に心から神様を讃美すること、神様のご栄光をあらわすこと、神様の救いの恵みを喜び感謝することであります。

1節では、神様の救いの恵みを歌っています。すなわち、恵みの神様は、私たちが罪の結果の死の影におびえ、不安と悲しみの中に神の民を捨て去ることなくかえり見て下さると同時に、救いの使者を私たちにお与えくださるという事実を歌っています。それは、主イエス・キリストが救い主として、この世に来られた時、預言者イザヤの言葉が成就した事実であります。

その言葉とは、「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上がった」(マタイ4:16)という言葉であります。同様に宗教改革以前の教会は、迷信や偽りの教えに陥っていた暗黒の時代でした。このような暗黒の時代に、再び偉大な光であるみ霊を教会にお与えてくださり教会を聖め、お救いくださったのであります。

 2節では、罪人を赦す神様の限りない恵みを、感謝と共に歌っています。特に感謝しているのは、主イエスに頼る人々は、律法より解き放されているということであります。この自由、律法よりの解放を心に与えられている喜びを、イエス様は「もし、子(神の独り子・キリスト)があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ8:36)と語っておられます。

 このおきてとは、宗教改革以前では、教会の権威という名のもとに作り出された、人の手になるいろいろの戒律であり行事のことであります。当時の教会は、この戒律と行事の上に成り立ち、このおきてを守ることによって救われると教えられていたのであります。

 しかし、聖書の教えはそのようなものではありません。「義人は信仰によって生きる」(ローマ1:17)という教えであり「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません」(エペソ2:8~9)という事実であります。

 3節では、権威のみなもとなる聖書はわれらの手にあるという讃美の歌声であります。当時、一般の人々は、誰も聖書を持ってはいませんでしたし、聖書のみ言葉を、たまにしか聞けませんでした。ですから、当時は聖書については、無知の時代と言えます。しかし、文化が発達し印刷技術が発明されるとともに、聖書が自国語に翻訳され、直接自分で手にすることが出来るようになったのであります。

 聖書は教会の特別な人々の所有から一般の人々の手にもどり、人々は自分の目で聖書を読み、神様の福音に直接ふれる喜びを、この宗教改革の戦いを通して、特権階級から勝ち取ったのであります。今日、聖書は世界中のベストセラーになっていますが手にするだけでなく、日々聖書に親しみ、この世の唯一の光として聖書を読むことをおすすめいたします。

 私たちに取まして、聖霊の導きによって聖書を学ぶと共に、聖書こそが、神様のみ言葉であり、誤りなき真理であり、生活と全ての唯一の基準であることを心から告白すべき時でもあります。

 4節では、神様がお与えくださる贈物について歌っています。私たちに取りまして、この贈物は本当の宝であります。では、この上ない宝とは何でしょうか。それは、神様を信じる者は、相続人であるということであります。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光を共に受けるために苦難をも共にしているなら、私たちが神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」(ローマ8:17)と言うことであります。

 この意味は、主イエス・キリストの贖いの死を信じる全ての人がいただくことのできる特権です。すなわち、永遠のいのちの相続人であるということであります。主イエス・キリストが十字架でいのちを捧げたもうた時、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたとマタイの福音書27章5節に記されています。この事実は何を意味するのでしょうか。それは、キリストの贖いの死によって、信じる全ての人が直接神様のみ前に立つことが出来るということであります。

 主イエス・キリストの仲保者としてのお働きによって、もはや一切の人為的な何ものをも必要としないということであります。私たちは直接神様との交わりを持つ特権を持っています。この宝を大切にすると共に、キリストにふさわしい証人として、暗き世に輝く光として歩む責任と特権とを持っている者であります。

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

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さんびか物語・・・26・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・25     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌272番

 ナザレのふせやに

<神様のみ言葉>

「私たちはみなこの方(イエス・キリスト)の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」。

~ヨハネの福音書1章16節~

讃美歌272番ナザレのふせやには、私たちの救い主イエス・キリストが、地上におられた時に語られたみ言葉やみ業に対する信仰を中心にして歌われている讃美歌であります。

 

讃美歌272番の作詞者ジョン・H・グーニーは、1802年イギリスの貴族の子としてロンドンに生まれました。グーニーはケンブリッジ大学で学んだ後、英国教会の聖職となりました。彼は特に、貧しい人たちのために17年間ルターワス教会で奉仕しました。

1847年ロンドンに移り、聖マリア教会、聖ポール大聖堂で牧会を続けました。グーニーは、多くの讃美歌を書き、2巻の讃美歌集を編集しています。その一つは、ルターワス教会の会員のために発表されたものであります。それは、A Collection of Hymns for public worshipでした。その中の一番目の讃美歌がナザレのふせやにであります。

今一つの讃美歌集は、グーニーの奉仕していたロンドンの教会のために1851年に発表されたものです。グーニーは1862年ロンドンで亡くなりなりました。或る文芸批評家は、この讃美歌のテキストは、「純粋な創作ではなく、その4年前に発表されたアン・リッターの歌を焼き直したに過ぎない」と言っています。しかし、よく似た箇所があるとしても、一般にはグーニーの歌詞の方が広まっていますが、グーニーがこの讃美歌の作詞者であることは誤りのないことでしょう。

 

讃美歌272番の曲ST・PETERSBURGは、1752年ロシアのウクライナに生まれたディミトリー・S・ボルトウニヤンスキーによって書かれたものあります。彼は、はじめモスクワで音楽を学びましたが、その後、有名なイタリアの音楽家B・ガルッピのもとで音楽を学びました。当時、カルッピは、聖ペテルスブルグのカペルマイスターでした。やがて、イタリアから帰ることになりましたが、カタリーナ皇后が留学資金を出してくれることになったためにガルッピに従って、1768年ベニスやローマ、ナポリなど各地でイタリア音楽を研究することが出来ました。

1779年彼は祖国ロシアに帰り、皇后付教会(後の帝室礼拝堂)の聖歌隊指揮者となりました。彼の作品の中には、オペラやソナタなどもありましたが、その大部分は教会用合唱曲であります。

ST・PETERSBURGは、彼が1822年に書かれたミサ曲の一部分から編曲されたものであります。

<272>

 1 ナザレのふせやに つかれをいとわで

   いそしみたまいし むかしは知らねど

   のこりしみわさに わが主としるかな。

 2 スカルの井戸べに かわきもわすれて

   さとさせたまいし むかしにおらねど

   いのちのしみずを わが主にくむかな。

 3 カルバリの丘にて 世びとのつみとが

   なげかせたまいし むかしは見ねども

   あふるるめぐみに わが主をみるかな。

 4 エマオのみちにて かたれる弟子に

   あらわれたまいし むかしにあらねど

   もえたついのりに わが主とあうかな。

 5 オリブのやまより みちちのもとへと

   かえらせたまいし むかしに住まねど

   みくにのひかりに こころもすむかな。

 このさんびかのテーマは、あなた(主イエス・キリスト)が、この地上においでになられた時には、あなたにお会いすることが出来なかったが、しかし、今は主イエス・キリストを知り、キリストの溢れる恵みをいただいいているという、はっきりとした信仰の告白であります。

1節では、イエス様が幼少の時に過ごされたナザレのみすぼらしい大工の家が背景になっています。神ご自身であられた主イエス・キリストは、人間をその罪から救い出すために、ご自身を低くされ、人間となられました。そうして飢え、渇き、悩み、苦しみ、否、十字架の死おも味わいたもうたのです。また、そのみ苦しみの中にありましても、素晴らしいみ業にいそしみたもうたのは、ナザレのイエス様でした。グーニーはむかしは知らねど、のこりしみわざに、わが主としるかなと歌っています。

それは、キリストを実際に見ることのできない彼には、そのなされたみ業によってキリストが彼の心の内になさった、救いのみ業によって、キリストは、わが主である、と知ることが出来ると歌っています。

2節では、サマリヤのスカルの近くにあった、ヤコブの井戸を歌のテーマにしています。新約聖書のヨハネの福音者4章5節~26節をお読みください。

イエス様は旅の途中、井戸のかたわらに腰を下ろしておられました。その時、水を汲みに来たサマリヤの女に「わたしに水を飲ませてください」と言われました。しかし、当時サマリヤ人とユダヤ人とは、付き合いがありませんでしたので、女はイエス様の求めを断りました。イエス様は女の道徳的にも堕落し自分の心の渇きを認めていなかったのを知って生けるまことの水をお示しになられました。

その生ける水とは、目に見えない、霊的なものです。キリストを信じる人の心を、洗いきよめる水であり、この水をいただくことによって、その人の心に内で、泉となり、永遠のいのちを約束する水であります。

私たちのまわりにも、自分の心の渇きを知らずに、永遠の滅びの道を歩んでいる人が多くあります。この滅びの道より救って下さるお方は、主イエス・キリストであります。

いのちの水の源であられるお方、昔も今も信じる者は、イエス・キリストから、いのちのしみずを汲むことが出来るのであります。

3節では、カルバリの丘に移ります。イエス・キリストはこの丘の上で、世の人々の罪のために、身代わりとして、十字架の死をとげられたのであります。私たちが、もしその残酷な死を見ることが出来ますなら、本当に自分の罪の深さを知り得たかもしれません。しかし、その死を目撃しなくても、その贖いによってイエス様の与えたもう溢れるばかりの恵みを、今いただくことが出来ます。あなたはその恵みをいただいていますか。

4節では、エルサレムから11キロ離れたエマオという村への道に変わります。時にイエス様が死から甦えられた日曜日、最初のイースターであります。その日、イエス様の甦りを疑っていた二人の弟子がエマオに行く途中に、イエス様ご自身が二人に近づいて、彼らと共に道を歩いておられました。しかし、二人の目はさえぎられていて、イエス様であることはわからなかったのです。(ルカ24:13~16)。

イエス様は「歩きながら話しあっている」その二人に尋ねられました(17)。「私たちの心はうちに燃えていたではないか」と言って、すぐさま、エルサレムにいた他の弟子たちのところへ、帰って行きました(32~33)。私たちも燃える信仰と祈りの中に主イエス・キリストとお会いできるのです。しかし、疑いの心であってはいけません。

5節では、オリブの山へと私たちを導きます(使徒1:12)。イエス様が、み父のもとにお帰りなる昇天の日勝利の日であります。イエス様は弟子たちに、最後のご命令と教訓とをお与えになってから、手をあげ祝福しながら彼らをはなれて(ルカ24:51)雲につつまれて見えなくなられました(使徒1:9)。

イエス様のご昇天を自分の目で見た弟子たちは、どんなに幸せであったでしょうか。しかし、この讃美歌を通して、今一度その出来事の恵みを味わう私たちも幸せであります。このイエス・キリストの恵みを受けた昔の弟子たちと同じように、私たちもみ国の光に住む者でありたいものです。

「あなたがたは、以前はやみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい」(エペソ5:8)。

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

さんびか物語・・・25・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・24     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌260番

 千歳の岩よ

<神様のみ言葉>

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩、わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがさない」。

~詩編62編1節、2節~

 

讃美歌260千歳の岩よは、世にある讃美歌の中でも最高峰と言われる有名なものの一つであります。それは、主イエス・キリストがなしとげてくださった完全な救いと贖いのみ業が、この讃美歌の中心になっているからでありましょう。キリストの十字架でのみ苦しみとその死と三日後のよみがえりによって、私たちの罪が赦されているという確信が与えられているからであります。

死からいのちへと解放されているキリスト者は、この素晴らしい讃美歌を声高らかに歌わずにはおれないことでしょう。

作詞者オーガスタス・M・トップレディ(1740~1778)は、この作品を書いた時には、まだ36歳の若さでした。彼は戦死したイギリス陸軍将校を父としてサリーのファーナクムで1740年11月4日に生まれました。

信仰深い母親は彼をロンドンのウエストミンスター校に入学させましたが、その後、彼らはアイルランドに移住しなければなりませんでした。彼はそこでダブリンのトリニティ大学で教育を受けました。

1762年に彼は国教会の牧師に任命され、まずデブンシャーのブロードヘンムベリー教会の牧師となりました。また1775年にロンドンのリスターフィルドにかわり、そこでフランスからイギリスへ亡命したカルヴィン主義者のために牧会を続けました。

牧会の他にも多くの讃美歌を作詞したり、宗教的な本を数冊書いています。しかし、彼の作品のまとまったものは、彼の死後まで出版されていませんでした。1794年にそれらのものは、6巻の著書として初めて発表されたのであります。この讃美歌260番はトップレデイが1776年に編集者であった雑誌「ゴスペルマガジン」に初めて発表されました。

トップレデイは生まれつき健康的には恵まれていなかったようで、38歳の若さで結核のため、この讃美歌を発表した2年後の1778年8月11日に召されました。

1954年版の讃美歌260番の曲には、二つの曲がつけられていますが、日本では下の曲とTOPLADYの方がよく歌われているようです。この曲は1830年、有名なトマス・ヘイステングスによって作曲されたものであります。初めて発表されたのは次の年の1831年でロウエル・メイスンとヘイステイングスが編集したSpiritual Songs orocal orshipに収められていました。その後、特にアメリカでは、この曲は大変な評判になりました。トマス・ヘイステングスについては、讃美歌384番をご参照ください。

イギリスでは、この讃美歌はいつもREDHEAD別名AJALONで歌っています。作曲者リチャード・レドヘド(1820~1901)は、イギリスのミドルセックスのハローで1820年3月1日に生まれ、オックスフォードデマヅダラ・カレッジの聖歌隊員になり、そこでオルガニストのウオールタ・ヴィカリからオルガンを学び、1839年にロンドンのオールド・マガレット・チャペルのオルガニストに任命され、25年間そこで任務をはたしました。     

その後30年間、聖メリー・マグダラ教会でオルガニストとして勤めました。また彼は、特に少年聖歌隊の優れた指揮者として活躍し、聖歌隊等のために多くの聖歌集や詩編誦などを出版しましたが、その中には自分の作品や他の作曲家の作品が含まれているため、その作品が彼のものかが分からない場合が多くあるそうです。

この曲が初めて発表されたのは1853年で。Church Hymn unes ncient and odernという讃美歌集におさめられています。この曲はその巻の76番目にあたるもので、時にはREDHEAD76と言われています。

次に歌詞を共に考えてみましょう。

<260>

 1 千歳の岩よ わが身を囲め

   さかれし脇の 血しおと水に

   罪もけがれも 洗いきよめよ。 

 

1節で作詞者が歌っている千歳の岩よとは、どのような、また、どなたを意味しているのでしょうか。もちろん、それは、私たちのために裂かれた岩、主イエス・キリストご自身を意味いたします。

使徒パウロは次のように私たちに語ります。「そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊を飲み物として飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです」(コリント10:1~4)。

旧約聖書で26回も岩なる神と名付けられた神様は、雲の柱をもってイスラエルの民の長い砂漠の旅路をお守りになりました。天からマナを食物として降らせ、岩から水を出させて彼らの渇きを潤し、たえず彼らを導き守られました。

この神様のイスラエルに対する愛と恵みと同様に、主イエス・キリストも神様のご計画に従って、十字架上で私たちの罪の身代わりとして、そのいのちを捧げ給うたのであります。ですから、私たちはキリストの裂かれた脇の血潮によってのみ、罪から解放され、み霊の洗いと潔めにあずかることが出来るのであります。

 2 かよわき我は 律法(おきて)にたえず

   もゆる心も たぎつ涙も

   罪をあがなう 力はあらず。

2節では、人間の方からは自分の罪を贖う力も方法も全然ないということが歌われています。それは、神様の規準によって人の行為や思いをはかりますなら誰一人として、神様のみ前に義と認められる者はありません。神様に律法を完全に守った人は、世のはじめから今日に至るまで一人もいません。どのような修行、苦行をいたしましても、それをもって自分を救うことは出来ません。神様のみ前にあっては信仰なき行為は無駄なことなのです。今日のよき行いが昨日の罪のつぐないにはなりません。もえる熱心があっても、反省の涙を流しましても、それによっては救われません。

神様の救いの恵み、また救われる条件は、この世の規準や神無き人々の考え方とは、まったく逆であります。慈善事業をしたり寄付をしたりすることによって、天国の門が開かれたりは致しません。偶像崇拝者のように人の力やお金で天国への道は買えないことをはっきりと知って頂きたいと思います。

大切なことは、キリストのみが私たちを救う資格を持っておられること、この主イエス・キリストのみがいのちの門であり、この方を通してのみいのちに入ることが出来るのです。主イエス・キリストを救い主と信じる信仰こそ大切であります。

 3 十字架の外に 頼むかげなき

   わびしき我を 憐れみたまえ

   み救いなくば 生くる術なし。

3節ですが、原作で作者がかさねて歌っているのは、罪人が罪人である自分を救うことには無力であると言うことであります。

私は神様に何も差し上げるものはない。私の手はからっぽですと歌っています。私たちの求めることは何でしょうか。それは、主イエス・キリストの十字架につらなることです。裸の私が義の衣をキリストからいただくことを願うことです。キリストに救いと恵みを求めることを願うことです。キリストに救いと恵みを求めることです。汚れた私たちを主イエス・キリストのみもとに行き、潔められることを乞い願うことであります。

この潔めがなければ、生きる方法も道もないと歌っています。実にへりくだった率直な祈りではないでしょうか。3節はその意味で日本語訳は今少し甘いものになっておりますのは残念なことと思います。

 4 世にある中(うち)も 世を去る時も

   知らぬ陰府にも 審きの日にも

   千歳の岩よ わが身を囲め。

4節で作者は、世にある中も、世を去る時にも、岩なる神様のみ守りにより頼むと歌っています。この世での私たちの旅路は、ほんのわずかなものであります。モーセが詩編90編10節で歌っていますように「私たちの齢は70年。健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです」と言っています。

人は、この地上でいかに生きるかを問題にいたします。それはそれでよいのですが、十分ではありません。私たちが真剣に考えなければならないことは、飛び去ってからのこと、この世を去ってからのことを考えることによって、はじめて、本当の意味でのいかに生きるべきかの問に正しい答えを知りたいと思うようになります。

その真剣な求道を、唯一の神様に求める人は、何と幸いなことでしょう。主イエス・キリストを知ることが出来るからです。主イエス・キリストを救い主と信じる人にとりまして、もはや何の心配もいりません。それは、私たちの裂かれた千歳の岩はその贖いと愛をもって、私たちを囲んでいるからです。言い換えますなら、原作にありますように、私たちは千歳の岩の裂け目にわが身をかくして、神様がたえず私たちのすべての嵐、この世のあらゆる大波より守って下さるのであります。

あなたも、この唯一の避け所なる神様を、あなたご自身のなくてならない宝、魂の避け所となさってください。まことの神様に立ち帰り、主イエス・キリストの贖いの恵みをあなたご自身のものとしてください。

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

さんびか物語・・・24・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・23     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌250番

 つみのちから せまりて

<神様のみ言葉>

「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう』。すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました」。

~詩編32編5節~

 

この讃美歌は、罪のしつこさ、深さ、恐ろしさを美しい言葉の中に表現していると共に、主イエス・キリストの十字架の贖いの死による、罪への勝利を歌い上げている、素晴らしい讃美歌であります。

讃美歌250番の作詞者ホレイシャス・ボナーは、イギリスの5大讃美歌作者の一人と言われています。また、スコットランドでは一番有名な讃美歌作者として、人々に知られています。

1954年版の讃美歌にも、ボナーの作品は、10ほどあります。その中には、皆さんもご存知の247檻をはなれ”285主よ、み手もてなどは、特に有名であります   

ホレイシャス・ボナーは、1808年スコットランドの教会で重要な地位にあった名門の家に生まれ、エジンバラの大学を卒業後、同地のリースの副牧師として牧会生活に入りました。1843年、国教会が分裂した時、彼は自由教会の側に立って、同教会の重要なメンバーとして活躍されました。

この讃美歌が書かれた1866年に、エジンバラのチャーマース記念教会に移り、23年間忙しい牧会活動を続けました。彼が1889年その生涯を閉じる数年前には、自由教会の総会議長にも選ばれています。

彼は、数多くの著書の他に、10巻近い讃美歌集を発表しています。また、彼の手になる讃美歌は600曲ほどと言われています。

当時の教会で用いられていた讃美歌は、詩編歌のみでしたから、彼の創作讃美歌はスコットランドの人々に大いに歓迎されていました。今日でも、100ほどが歌われ、世界のクリスチャンは、大きな力と励ましを受けています。

この讃美歌250番は、1867年、彼の讃美歌はHymns of Faith and Hope(信仰と希望の聖歌)の中に収められ、発表されたものであります。

作曲者アン・B・スプラトは、イギリスの婦人で、彼女は1829年に生まれ、1866年にこの曲を作曲したこと以外何も知られていません。本当に残念に思います。この曲はKEDORONと言う曲名で知られ、この曲名は主イエス・キリストがゲッセマネの園に向かわれる時に渡られた川の名前であり、十字架の死に向かわれるイエス様のお心を思います時、この曲名の意味は深いものと思われます。この実に美しい讃美歌をお味わいください。

<250>

 1 つみのちから せまりて、

   おさえがたく なやまし。

   されどわれは などか嘆かん、

       主ませば。

 2 追いはらえど つみとが、

   おりを見ては かえり来。

   みめぐみもて すくいたまえ。

       わが主よ。

 3 主よ、たまえや みゆるし、

   つみになやむ この身に。

   きよき血こそ わがいのちの、

       あがない。

 4 げにもやすし わがたま、

   みひかり満つ こころに。

   いさみ進まん 主のまさみち、

       今しも。 

この讃美歌は、罪とは何か。罪の性質とはと言う面と、罪に対する主イエス・キリストの救いの恵みを、力強く、そして美しく歌っているものです。

ボナーは主よ、罪に悩むこの身に、み赦しをたまわるようにと、奨めています。或る人は、自分は罪の問題には関係がないと言われるかもしれません。また、キリスト教は、いつも、罪!罪!と言うので、嫌だという人もあることでしょう。

しかし、そのように言われる人は、本当に罪とは何かについて、罪の性質について知っているでしょうか。自分自身と罪との深いかかわりを、理解しているでしょうか。イエス様の弟子ヨハネは「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません」(ヨハネ1:8)と言っています。自分を欺くことなく、自分の心を素直に見つめてください。そうして罪の本質と恐しさを知ってください。聖書は、私たちに、その方法と真実を教えてくださいます。

また、罪について、ウエストミンスター小教理問答書の問14には次のように言われています。「罪とは、神の律法に少しでもかなわないこと、または、これを犯すことである」。罪とは、唯一の生ける真の神様を知らないこと。神の律法を守らないことです。

自分を欺き、神様を信じない人は、まずはじめに、神様のみ言葉であります聖書を読んでください。神の家である教会に行って、まごころをもって、救いの神であられる方を尋ね求めてください。この態度にこそ、神様の救いの尊さと、自分の救われなければならない哀れな状態を知ることが出来るのであります。                                                    

 

ある日律法学者の一人がイエスのみもとに来て、次のように尋ねました。全ての律法の中で、どれが一番大切ですか、イエスは答えて「一番大切なのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の神である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ』。次はこれです。『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ』・・」(マルコ12:28~31)。 

しかし、世の始めから今日に至るまで、この2つの大切なご命令を、完全に守った人は主イエス・キリスト以外に、誰一人いませんでした。むしろ、人は全て罪の支配下にあるのです。義人はいない、ひとりもいないのです。

自分は、罪とはかかわりがない、などとは絶対に言えない者が、私であり、あなたなのです。むしろ、罪の下にある者、罪に悩む者です。

1節では、されどわれは、などか嘆かん、主ませばと歌っています。それは、主イエス・キリストがお約束なさったように、「世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいてくださる」という恵みを信じる者はいただき、また、いただく望みを持っているからであります。

2節では、追いはらえど・・・と歌いますように、罪は私たちの心に、いつも挑み迫っています。サタン(悪魔)は、常にその機会を狙っています。しかし、その時にこそ、私たちは、わが主よ、みめぐみもて、救い給えと叫び求めなければなりません。主はわが助け主であられますから。

3節では、カルバリの丘を歌っています。カルバリの丘とは、罪なき主イエス・キリストが、私とあなたの罪の贖い(代償)として十字架の上で、聖く尊い血を流し、ご自身のいのちをささげてくださった丘のことであります。

この十字架の聖き血しおこそが、わがいのちの贖いであることを信じ告白すべきですし、この信仰によってのみ、神様から罪の赦しをいただくことが出来ます。

4節ではいさみ進まん、主のまさみち、今しもと歌っています。

ダビデは、詩編32編の中で、次のように歌っていました。「私のそむきの罪を告白しよう。すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました」。神に対して犯した罪が神に赦されるという喜びは、何にたとえることができましょうか。

この喜びをいただく時、はじめて神様からの平安と光を心に受けて、喜びに満たされて、主に清きまさ道を力強く進むことが出来るのであります。「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人よ」とダビデは歌っています。あなたも、赦された者の幸いをいただくために、主のまさ道を求め歩んでください。

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

さんびか物語・・・22・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・22     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌240番

 とざせる門(かど)を 主はたたきて

<神様のみ言葉>

「見よ。わたしは、戸の外に立って叩く、だれでも、わたしの声を聞いて戸をあげるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」。

~ヨハネの黙示録3章20節~

この讃美歌は、私たち罪人に対する神様の招きを歌い上げたものであります。讃美歌240番の作詞者ウイリアム・ハウは、弁護士の子として、1823年12月13日、イギリスのシュルーズベリーに生まれ、1845年オックスフォード大学を卒業し、翌年、国教会の聖職となりました。

彼は、故郷のキダミンスターの副牧師をはじめに、各地の教会で奉仕を続け、1879年東ロンドンの副司教となりました。

東ロンドンの貧民街での彼の宗教活度は、実に素晴らしいものでした。彼は自分の名誉や財産を投げうつばかりでなく、己を捨てて、貧しい人々のために、すべてを捧げたからです。それは、彼に対する、人々の呼び名からも知ることが出来ます。人々は彼を、「子供の司教」「平民司教」「乗合馬車の司教」と呼んでいました。この呼び名こそ、彼が人々からいかに愛され、尊敬されていたかを私たちに教えています。当時の司教は、立派な家、広い庭、美しい四輪馬車に乗っているのが普通でした。

彼らの対象は、金持ちや貴族であったのに対して、ハウのそれは、貧しい人々であり、平民であり、その生活は、貧しい者たちと同じものでした。彼は宗教活動の傍ら、多くの著書の他に、美しい讃美歌を60程書いています。

1854年には、T・B・モレルと共著の讃美歌集     psalms and hymnsを出版していますが、1867年には、この讃美歌集に手を加え大きくして出版しています。

1871年には、Church hymns という別の讃美歌集の編集にも携わっています。1888年ウォクフイルドの司教となり、1897年アイルランドで亡くなりました。この讃美歌は、ハウが、ジーイン・イングローの詩Brothers and

a Sermonに感動して作ったものであった、と彼自身語っています。

この詩の内容は、漁師の村の教会で、2人の兄弟が、日曜の礼拝で牧師の説教を聞いています。その説教の主題は、ヨハネの黙示録3章20節のみ言葉です。それは「見よ。わたしは、戸の外に立って叩く」であります。それは、主イエス・キリストが今、あなたのところへ私たちの心の扉の前にお立ちになっておられるというのであります。

C・S・ロビンソンは、この詩の創作にはホルマン・ハントの名画「世の光」の影響が強いとみています。しかし、いずれにいたしましても、ハウがヨハネの黙示録3章20節から、霊感を受けたものと言えましょう。この詩は1867年に作られ、同年彼とモレルが編集したPsalms  and Hymns の付録に収められて世におり出され、次第に広まり愛唱されていきました。

 

この讃美歌の曲ST・HILDAには他の名も付いています。それは、ST・EDITHです。また、曲も2人の作曲家の手になっています。最初の8小節は、ドイツ人のユスティーン・H・クネヒト(1752.9.30)のものであり、そのおよそ80年後の1871年に、イギリス人のエドワード・ハズバンド(1843~1908)が、終わりの8小節を加えて出来上がったのがこの讃美歌であります。

ハズバンドは、国教会の牧師として一生を終えましたが、その間、教会音楽の講義に、また礼拝用音楽の作曲にも携わっています。

<240>

1 とざせる門を 主はたたきて、

   こたえいかにと たたずみたもう。

   ながく外部(そと)に 立たせまつる

   われら御民の こころなさよ。

1節では、かたく閉ざされている私たちの心の扉の前に、たたずみたもう主イエス・キリストのみ姿と、私たちの態度が中心になっています。ホルマン・ハントの名画「世の光」には、その扉が、いばらと雑草におおわれ、その扉以外には入るところもなく、外からは、いばらと雑草の入り口の他には誰も入れないようになっています。しかし、キリストは、灯を手にして、ご自分を拒否する人々の心の扉の前に立ち続けています。

無論、いばらと雑草の扉は、私たちの不信仰な心、罪に覆われている心、神様のみ言葉を受け入れない心を、あらわしています。このかたくなな私たちの心の扉を忍耐と愛をもって、主イエス・キリストは、たたき続けておられます。

ハウが歌っていますのは、たたきたもう主イエス・キリストのみ声に、どのように答えたか、ということであります。

あなたは、どういたしますか。耳をふさいで拒否しますか。それとも、またされたキリストが、どこかへ行くのを待っていますか。いいえ、キリストは耳をふさごうとも、行くのをまっていようとも、あなたの心の扉をたたき続きます。

しかし、人は拒否し続けるのです。私たちとって、このような心は実に神様に対する忘恩的行為であり、罪そのものでなくして、なんでありましょうか。

ハウは、人の心の罪深さを、まごころから悔い改めることをすすめています。それは私たちが、神の民であるにもかかわらず、主イエス・キリストを拒否しているからであります。

 2 みつくしみの なみだもて

   今なおやまず、 おとないたもう。

   主イエスの愛の そのひろさよ

   われらが罪の そのふかさよ。

2節では、愛といつくしみに富みたもう、主イエス・キリストのみ姿を描いています。みいつくしみのなみだもて、今なおやまず、おとないたもうと歌っています。キリストは、何故に、涙をもって私たちをおとずれたもうのでしょうか。それは、キリストのみ声を受け入れようとしないからであります。

昔、イエス・キリストの愛と救いを、好まなかったエルサレムの市民は、神の審きを受けて、滅ばされてしまいましたが、今に至るまで、キリストを救い主と信じ受け入れない人々は、滅ぼされます。キリストは人々の滅ばされるのを、見過ごしにならず、その悲惨を、ご自分の悲しみとして、涙をもって、私たちにおとずれてくださっているのであります。

どうぞ、あなたも、この主イエス・キリストの愛と救いを受けてください。自分の罪の深さ、ひどさを認めてください。また、主イエス・キリストの愛のひろさを味わってください。

  3  「汝(なれ)らがために 死にしわれを

      などか拒む」と おおせきこゆ。

      今はいかでか ためらいおらん。

      主よ、戸を開く、 入らせたまえ。

3節では、閉ざす扉の前に立っておられる主イエス・キリストが、あなたのために死んだ私を、なぜ、拒むのですか、と言われています。この質問は当然であります。あなたは、あなたを救うために、そのいのちを捨てて、あなたのために命を与えようとされた方を拒みますか。むしろ感謝で涙があふれることでしょう。

キリストのみ声を拒む者は、自分は罪人ではない、と思い込み、信じきっているからでしょう。自分の本当の姿や状態を知らないために神様の愛をも理解出来ないでいるのです。キリストの贖いの死の深い意義、キリストの死によって与えられる罪の救いのありがたさは、自分の本当の悲しむべき姿を知っている者のみが、知り得るものであります。

パウロは、ローマ人への手紙5章8節で、次のように語っています。「しかし,私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」。

私たちは、このようにみ言葉を通して、キリストの救いのみ業と、神様の愛について教えられ、また、知らされているにもかかわらず、何故に、躊躇しているのか、と作者は言っています。

あなたも、いばらと雑草におおわれた、かたくなな心の扉を、かなぐりすてて、主よ戸を開く、入らせたまえと告白して、主イエス・キリストの救いを受け入れてください。

そのためには、あなたは扉を開くこと、主イエス・キリストを、今、お迎えすることであります。「だれでも、わたしの声を聞いて戸をあげるなら、わたしは、彼のところにはいる」との素晴らしい約束を、あなたのものとしてください。  

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (58)  遠山良作 著

昭和22年

  タキン党事件の裁判の状況・・6・

 -裁判-

 タキン党事件に思うー・・1・・

 死刑は免れることはないと思っていた二回目の事件は、穴沢弁護士や、ビルマ人の友情によって助けられた。15年の刑を受けて東独房に帰って来た私を、運動に出ていた出田大佐たちは、「よかった、よかった。生きていればいつか必ず日本に帰れるからなあ」と肩を叩いて喜んでくれたのである。

今まで自分の裁判のことのみで死刑の判決を受けている東大尉たち10名の友が西独房にいることすら忘れていた自分が恥ずかしく、申し訳なかったと思う。

タキン党事件で死刑を受けている多くの友は、怒涛の如く攻め寄せる優勢な敵の包囲網を突破して、ようやくモールメンに辿りついた者たちである。タキン党事件で殺されたあのビルマ人たちが、日本軍に対してどのような役割をなしたのか、詳細には知らないと思う。ただ命じられるまま、現場に行き彼らを斬ったからである。

そもそもこのタキン党事件で彼らを逮捕したきっかけは私のような気がしてならない。否、張本人かも知れないのである。

昭和20年2月も終わりに近い暑い日の出来事であった。私と親交の深かったモールメン地区のタキン党の幹部であった、タキンタント〈印緬混血〉から、「明日の夕方6時に街外れにあるモッポのパゴダ〈寺院〉に通訳を連れず一人で是非来てほしい。話したいことがある」との連絡があった。私は唯事ではない・・・。「何かあるな」との予感がした。拳銃を懐に忍ばせ高鳴る胸の動悸をおさえて指定された場所に行った。日中の灼けつくような太陽はすでに西の空に沈み、僅かにそのあたりはぼんやりと明るさが残っている。

しかしパゴダの付近は薄暗かった。まだ早かったかなと思いつつ、塔の中央付近まで歩いて行くと、何処ともなく現われた大柄なタキンタントは人目を避けるようにパゴダの陰に身を寄せて、“マスターと呼びかけて来た。そして私に思いもよらない情報を知られてくれたのである。

彼「ビルマのタキン党とビルマ軍は間もなく、日本軍を叛乱するであろう」

私「それは本当であるか」

彼「本当である。タキン党員でモールメン地区の責任者である私が言うのだから間違いない」

私「モールメン地区のタキン党員もその一味であるのか」

彼「そうです。ただ誰と誰がその関係者であるのかの名前は私の口が話すことではない。その人物はマスターの方で調査して下さい。これ以上詳細にお話しすることは出来ない」と一気に私に話してくれた。私は彼の言葉に驚きつつ、質問を続けた。

私「こんな重大な情報を何の理由で私に話すのか」

彼「私は同志を裏切るような行為は本当はしたくない。むしろ同志にはこころ苦しく思っているが、再び英軍がこのビルマに来ることだけは許せない。この英軍に協力しようとしている同志たちにときには憎しみさえ感じる」と言う。

    *文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

さんびか物語・・・21・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・20     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌217番

 あまつましみず

<神様のみ言葉>

「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。あなたがたに与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます』」。

~ヨハネの福音書4章13節~14節~

讃美歌217番"あまつましみずは、日本の讃美歌作詞者の作品のうちでも、最も古いものの一つであると言えましょう。それは、この美しい讃美歌が1884年(明治17年)に発行された「基督教聖歌集」におさめられていたからです。そしてこの作品は、この聖歌集から明治版「讃美歌」を経て昭和版「讃美歌」に編入された歌であるからであります。

 また、この讃美歌の作者についても驚きです。それは、作者が作詞した年齢であります。この作品は永井えい子の17、8歳の頃のものであったそうですから、まだうら若い乙女の頃と思います。ですから、その若さと詩の美しさに驚きを禁じえません。

永井えい子は1866年(慶応2年)に、松本貞樹の子として上総国(千葉県)馬来田村に生まれました。彼女は幼い時から文学を学び、書をよくし、和歌なども作ったりしていました。そうして、1875年(明治8年)頃、東京の救世学校(青山女学院の前身)に入学して、キリスト教主義の教育を受けたのであります。

彼女は、わずか17歳にしてジャン・キャロル・デピソンというメソジスト派の宣教師を助けて「基督教聖歌集」に収める歌を作ったり訳したりしていました。この伝道的な217番あまつましみずはその時の作品の一つでした。

また彼女は、ムス・ホルブルック(後のミセス・チャペル)というカナデアンメソジスト派の宣教師を助けて、四谷あたりで伝道もしていました。1883年(明治16年)には女子高等師範学校の助教授となり、さらに華族女学校、実践女学校で教えもしました。そして、その後、毎日新聞の記者にもなっています。

1902年(明治35年)にはアメリカに渡って、Ide Tama(いでたま)というペンネームで日本の風俗等について講演し、パシフィック大学から学位を授けられています。彼女は1928年(昭和3年)に62歳で亡くなりましたが、遺構「永井えい子詩文」は1300ページもある大きな本だそうです。

 

讃美歌217番の曲HOME(この曲は430番の結婚式にも用いられています)は、日本では明治時代から広く親しまれてきた曲であります。しかし、残念なことに作曲者ジョン・H・マクノートン(1829~1901)についての詳しいことは、ほとんどわかりません。

彼はたぶん無名のアメリカ人であったようです。なぜなら、この曲はアメリカの宣教師が、日本伝道用にもってきた、伝道用福音唱歌であったからであります。それはともあれ、この讃美歌の作詞者永井えい子と作曲者マクノートンのコンビは本当に素晴らしいものと思います。歌詞と曲とが実にうまく組み合わされていて、メロディーとことばが一本の絹糸のように、なめらかに流れているようです。また無駄なことばは一つも使わず、伝道の必要性と歌われた者の喜びを身にしみわたるように歌っています。

<217>

 1 あまつましみず ながれきて

   あまねく世をぞ うるおせる。

   ながくかわきし わがたましいも

   くみていのちに かえりけり。

 1節ですが、この讃美歌全体の背景にあるのは、主イエス・キリストがヤコブの井戸のかたわらで、サマリヤの女に語られたお言葉であります。 

ヨハネの福音書4章6節以下には、ある女がスカルの村にあるヤコブの井戸に水をくみに来たとき、旅の疲れで、井戸の傍らに腰を下ろしていたイエス様が「わたしに水を飲ませてください」と言われました。するとその女は、「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女に私に、飲み水をお求めになるのですか」と聞きました。「ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである」とヨハネは記しています。

そこで主イエス・キリストは「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者が誰であるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう」(ヨハネ4:10)と答えられました。

これらの聖句で明らかなことは、この女は神の賜物をまだ知らなかったばかりでなく、キリストご自身についても知らなかった、ということです。もし彼女がこの二つのことを知っていましたなら、彼女の方からイエス様に「いのちの水」を求めたことでしょう。そして、イエス様は彼女に生ける水を与えたことでしょう。

作詞者永井えい子は、主イエス・キリストが与えようとしておられるこの「生ける水」をあまつましみずと言っています。つまり、この水は天からの聖いまことの水であって、世のすべてに流れ渡り、世界のあらゆる国々の人々の心をうるおすことのできる水であります。

国籍や人種は問題になりません。ガラテヤ人への手紙3章28節にありますように、「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからである」。

大切な点は「キリスト・イエスにあって」というところにあります。主イエス・キリストを救い主として知り、受け入れていないなら、決してあまつましみずを飲むことは出来ません。むしろ不信仰はあまつましみずを飲んでいないというところにその証拠を見ることが出来ます。

 2  あまつましみず 飲むままに

    かわきを知らぬ みとなりぬ。

    つきぬめぐみは こころのうちに

    いずみとなりて 湧きあふる。

 2節では、このあまつましみずを飲んだ結果と、味わい知った恵みについて歌っています。キリストを信じ受け入れてから、かわきを知らぬ身となりぬと言われていますが、これは神様から祝福をいただいた者が証しする信仰の喜びです。また、キリストがお約束なさったように、救い主なるキリストが与え給う水は、信仰者の心の中で泉となって、尽せぬ恵みがたえず湧き溢れると歌っています。

この恵みは、生ける水を飲む者にのみという限られたものですから、主イエス・キリストを信じるか否かは大切な問題であります。

 3  あまつましみず うけずして

    つみに枯れたる ひとくさの

    さかえの花は  いかで咲くべき

    そそげ、いのちの ましみずを。

3節で積極的にすすめていることは、私たちが〝いのちのましみずを注ぐようにということです。この世の中にあって、罪の支配に打ちのめされてしまっている魂、息もたえだえに歩んでいる人々がいかに多いかは想像できないほどと思います。

罪に押しつぶされた人々の集団である現代は、罪の温床、魂のない死せる大地・砂漠のようなものです。この一本の草をも芽生えさせない砂漠に誰が命の水を注ぐのでしょうか。

それは、自分以外の誰かでしょうか。そうではありません。クリスチャンであるあなた自身であり私です。クリスチャン一人一人は、その責任を神と人の前に負う者でもあります(マタイ28:19~20)。

私たちはこの尊い責任をはたしているでしょうか。教会は宣教のみ業を今こそ十分に神と人の前になさねばならないのではないでしょうか。

作者が歌っていますように、永遠の花が咲くためには、生ける水・あまつ水が必要なのです。その生ける水・あまつ水を、まずあなたが十分に神様からいただき、そのいただいた祝福の水を愛する隣り人にわかち与える人になってください。

日本の国の救いには、あなたがいただいた信仰の喜びと証しの伝道が必要なのです。栄えの花が満ち満ちるために祈りましょう。 

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

さんびか物語・・・20・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・19     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌206番

 主のきよき つくえより

<神様のみ言葉>

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません』」。

~ヨハネの福音書6章35節~

讃美歌206番は、聖餐式でよく歌われる美しい陪餐の歌の一つであります。

原作者エドワード・ヘンリ・ビカーステス(1825~1909)は、イギリス国教会の牧師の子供として、1825年1月25日、ロンドンのイズリントンで生まれました。

エドワードはケンブリッジ大学を卒えて1848年に国教会の聖職となりました。そうして初めにバニンガム、ノーフォーク、その他の教会を牧して後、1885年にエクセターの司祭に選ばれました。

彼は父親の跡を継ぐかのように牧会者として歩みつつも、詩人としても大に活躍した人物でした。彼は詩の本を12巻以上も書き、彼の編集した讃美歌集も数巻に及んでいます。特に、1870年に出版した讃美歌集The Hymanal Companionは非常にポピュラーになりました。

有名な著者ジェームス・ジュリアンはビカーステスの歌について、「彼の歌は主題を明確に強くとらえ、詩的に表現し、純粋なリズムを持ち、おだやかな感じをとらえているものです」と言っています。また、普通の讃美歌のように大衆的であるよりも、むしろ、どこまでも個人的、主観的なものでありましたが、多くの人々の興味を引くものであったとも言っています。

日本のクリスチャンの中には、彼の讃美歌206番よりも彼の作品である「やすし罪の世にも」の295番の方がよく知っているかも知れません。讃美歌295番の場合には、早くから日本語に訳されて用いられていました。

おもしろいことに、彼がアジアを旅行していた時に、この讃美歌の中国語訳の讃美歌を、興味深く聞いていたそうです。また、彼の長男エドワードは、当時、東京へ宣教師として来ていた聖公会の司教でした。彼は1897年(明治30年)に父親に先立って天国へ召されましたが、その葬りの時に讃美歌206番が歌われたそうです。

 

讃美歌206番の作曲者ジェームズ・ラングランは、1835年11月10日ロンドンで生まれ、1909年6月8日にこの世を去りました。彼はジョン・B・コーキンやJ・F・ブリジからオルガンを学んでから、ウド・グリーンやトトナムの各教会でオルガニストとしてつとめました。

彼は49歳でオックスフォド大学から音楽博士の学位を受けました。ラングランは1870年以降トトナムの聖パウロ教会でオルガニストとしてつとめ、1878年からは同じトトナムの聖キャサリン大学の教授に選ばれました。

彼の一番よく知られている曲は日本の讃美歌集にありませんが、DEERHURSTと、この206番のLANGRANの二つです。

<206>

 1 主よきよき つくえより

   こぼれたる くずをだに

   拾うにも  あたいせぬ

   この身はいかにすべき。

 1節では、自分のみにくさ、欠け多きこと、汚れを悔いて、〝主のきよき机よりこぼれたるくずでさえも拾うに値しない者であると歌っています。ここで対照されていますことは、〝神様の聖さと〝罪の染まっている人間の不純な心であります。

預言者イザヤは、神殿の王座に座しておられる主を見たとき「わざわいなるかなわたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」(イザヤ6:5)となげいています。聖餐の食卓につくとき、私たちがいつも覚えていなければならないことは、神様の聖さと自分のみにくさであり、この罪にそまった者には、どのような誇りもないということであります。

 2 みゆるしの ちかいをば

   ひたすらに たのみつつ

   みまねきに したがいて

   みもとにゆくほかなし。

2節では、神様ご自身が、罪にそまり、汚れの中にいる、すべての人類のために備え給うみ赦しの誓いと、救いへの招きについて歌っています。

この神様の赦しと救いへの招きを受け入れたいと心から願い求める人は、神様の恵みをいただくことが出来ます。ダビデ王は姦淫の罪を犯した時、その犯した罪の深さとひどさを心から認めて、神様のみ前にその罪を告白し、神様に赦されることを求めたとき、神様からの赦しときよめをいただくことが出来ました(詩編51編)。

また、ヨハネの手紙第一、1章9節には「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」と記されています。

自分の罪を言い表すことによって赦されるとは、本当に感謝すべきことではないでしょうか。しかし、この感謝をいただくためには、正しい順番に従うことが求められます。それは神様に赦しを乞い願う前に、神様の招きのみ声に耳を傾けなければなりません。主イエス・キリストは当時のユダヤ人たちに次のように語られました。

「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」(ヨハネ6:35~37)。

私たちもあなたも、本当にイエス様をキリスト(救い主)と信じようとしているでしようか。イエス様にいのちのパンをいただこうとしているでしょうか。自分の罪を告白しキリストのみもとに行って罪の赦しを求めているでしょうか。この応答こそ大切であります。

 3 あいの主よ みめぐみは

   はてもなく うえもなし、

   つみびとの かしらなる

   われおもゆるしたまえ。

3節では、使徒パウロの言葉を引用して「罪人のかしらなるわれを、赦し給え」(テモテ1:15)と祈っています。主イエス・キリストは愛の主であられ、その恵みははてもなく、うえもない恵みです。ですから、罪に汚れた者でありましても、大胆に神様の赦しを願い求めることが喜びをもって出来るのであります。同時に、その勇気さえもお与えくださいます。ですから、私たちは、神様の豊かな恵みをいつも感謝すべきですし、また、私たちはダビデが祈っておりますように日々祈るべきであります。

ダビデ王は、「神よ、みこころの時に、あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください」(詩編69:13)と祈っています。

 4 みことばの うれしさに

   わが身をも わすれつつ

   客人(まれびと)の むれにいり、

   むしろにわれをもはべらん。

 4節では、救われた者の喜びを歌いつつ、神様のみもとに招かれた者の群れに入れられて、その恵みのむしろに加えられている場面を讃美しています。罪人である私たちが、どうして、聖なる神様の祝いの宴に招かれるでしょうか。むしろ、サタンの滅びの座にこそふさわしい者です。しかし、神様の救いは、また、招きは私たち罪人を、この歌詞の通りに、神様の招きに加えてくださるのであります。あなたも、この喜び、この素晴らしさを味わってください。

ペテロは神様の素晴らしいみ業を次のように言っています。「あなたがたを、やみの中からご自分に驚くべき光の中に、招いてくださった」(ペテロ2:9)。この神様のお招きにすべての人々は応答しなければなりません。

  5 またとなき 今日の日の

    よろこびに つつまれて、

    とこしえの ふるまいに

    たえせずおらせたまえ。

5節では、神様の家での、永遠のふるまいに絶えずおらせ給えと歌っています。この永遠の喜びを味わい知るために、私たちは〝いま〝きょう主イエス・キリストを信じる者とならなければなりません。明日ではもう遅すぎるかも知れないのです。むしろ、〝今日という日があなたの入信への決断の日となりますようにお祈りいたします。

「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか」(ローマ13:12)。

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

さんびか物語・・・19・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・18     

 ポリン・マカルピン著

    (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌192番

 ああなつかし いのちをもて

<神様のみ言葉>

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたようにあなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです」。

~エペソ人への手紙5章25~27節~

 神の家である「教会」をテーマにして歌っています多くの讃美歌の中で、192番のこのああなつかし、いのちをもて、あがないたまいし主のみとのやは有名であります。その理由の一つは原作の素晴らしさにあります。また、この歌はアメリカの最初の公認讃美歌であると共に、世界に貢献した秀歌でもあります。

讃美歌192番の原作者ティモシ・ドワイト(1752~1817)は、イギリスの植民地であった当時のアメリカの精神的指導者でした。彼は有名な伝道者ジョナサン・エドワーズの孫として、マサチューセッツ州のノースハンプトンに生まれ、4歳で聖書を、6歳でラテン語の勉強を始め、13歳でイエル大学に入学し、17歳で卒業したという秀才でした。

彼は、しばらく母校で教えていましたが、1775年の独立戦争が起こった時に、アメリカ独立軍付牧師となりました。戦争の間、彼は礼拝と説教のほかに、兵士たちを慰め励ます詩や讃美歌を数多く書いたそうです。

1795年には母校イエル大学に招かれ総長に就任しました。そうして、20年の間、特にドワイトの深い信仰によって数多くの学生が神様に立ち返り学校の精神は無神論から神様を信じる信仰へと変えられていきました。

彼の教育家・著作家としての功績には著しいものがあります。讃美歌の方面ではコネチカット州の長老教会当局から、アイザック・ウォツの歌集(Psalmsand Hymns)の改訂を委任され、完成させました。この改訂は実質的にはドワイトの創作と変わらないものです。この歌も詩編137編にもとづいていますが、その内容はドワイトによって新約化されています。また、この讃美歌は1800年に出版・発表されましたが、現在に至るまでアメリカやイギリスの教会で愛唱されているものであります。

讃美歌192番の曲STATE STREETの作曲者はアメリカ人のショナサン・C・ウドマン(18131894)で、彼は1840年頃、ボストンで有名な音楽家ロウエル・メイスンと知り合いになり、この頃からオラトリオの独唱者として活躍したそうです。1880年以降は、ニューヨークやブルックリンで音楽を教える傍ら、教会のためにも活躍した人物であります。讃美歌192番はアメリカではSTATE STREETの他にST・THOMASという曲にも利用しています。ご参考のために讃美歌63番のいざやともよ542番の世をこぞりてなどをご覧ください。やはり、日本語訳の場合には、ST・THOMASよりもSTATE STREETの方が歌詞によく合うように思います。

この讃美歌の原作は、8節からなっていましたが、現在アメリカでは5節と6節が省略されて用いられています。日本語訳はさらに7節も省略して、結局1節~4節と8節が用いられているに過ぎません。

<192>

1 ああなつかし いのちをもて

  あがないたまいし 主のみとのや。

1節では、いのちをもて、あがないたまいし主のみとのやすなわち、教会について歌っています。原作で作者は、教会を「神の家」「神の住んでおられるところ」と言っています。またわれらの聖き救い主が、ご自分の尊い血をもって、この教会を救って下さったが故に、教会を深く愛していると歌っています。

エペソ人への手紙525節以下にありますように「キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、・・・キリストがそうされたのは・・・教会をきよめて聖なるものとするためであり、・・・」と記されていますように、私たちもこのように教会を愛さなければならないと思います。

 2 軒はたかく 床はひろく

   いしずえうごかじ 主に置かれて。

2節では、教会のあらゆる部分軒、床、その石ずえは主イエス・キリストの上に置かれているのですから、この世のどのような力が迫り来るとも、決して揺るがすことは出来ないと歌っています。

使徒パウロは若い弟子テモテに次のように教えています。「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は真理の柱また土台です」(テモテ3:15)。真理の上に建てられ、真理を宣べ伝えるキリストの教会は、決して滅びることはありません。ここで思い起こさせるのが、キリストのペテロへのお言葉であります。「あなたはペテロです。わたしはこの岩(キリストを救い主として受け入れる告白)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」(マタイ16:18)また、マタイの福音書724節以下にある、砂の上に建てられた家と岩の上建てられた家の譬話をご自身で一度お読みになって下さい。そこでは、キリストのみ言葉を聞いてそれを行う人、それを信じる人は、岩の上に建てる賢い人のようである、とお教えになりました。

あなたの生活は、キリストとその教会という土台の上に建てられていますか。

 3  わがなみだ これにそそぎ

    いのりののぞみも これにかかる。

3節には私たちばかりではなく、全人類の涙も祈りも望みも全てキリストとその教会にかかると歌っています。すなわち、私たちの全ては、キリストのものであり、キリストのためにのみ奉仕が出来るように与えられていると言うことでしょうか。また、私たちの涙も苦しみも全て、キリストの教会に注がれる時、暗黒から希望へと変えられると歌っているかのようであります。

自分の都合のみを考える一般の人と、全てを神様に捧げる人の生活とではどんなにか大きな隔たりがあることでしょう。

「私は主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」(ピリピ3:8)と使徒パウロは告白しています。

私たちもこの告白を主イエス・キリストに捧げたいものです。

 4 わがよろこび ほかにあらじ

   たのしきまじわり きよきちかい。

4節では、教会で行う聖餐式また洗礼を受ける時のきよい誓いと主にある聖徒の楽しい交わりを中心にして、歌っています。まことの喜びは、このような主にある者たちの信仰に立った交わりの中にのみ、味わい知ることが出来ると、強調しています。罪から解放されている私たち信者は、心から喜ぶはずではないでしょうか。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」とピリピ人への手紙4章4節に言われていますが、このみ言葉の中心点は言うまでもなく‘主にあって’であります。主を知らぬ者には、まことの喜びは知り得ません。

 5 かみのまこと つきぬかぎり

   いのちのいずみは ここにぞ湧かん。

5節では、神様は永遠から永遠にいたるまでの存在者であることが讃美されています。ウエストミンスター小教理問答書の問4の答えにありますように、神様は「無限、永遠、不変の霊」であられます。この神様の本質と同様に、神様の真実も決して終わりのあるものではありません。むしろ、その望み、恵み、いのちは泉のように湧き出でるのであります。

神様のみ言葉である聖書、また、神様の家である教会の中で、神様のご本質は湧き出で光り輝くのであります。

イエス様が私たちにお約束くださいましたみ言葉を信仰を持って受け入れ、持ち続けましょう。

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」。(ヨハネ4:14)

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

さんびか物語・・・18・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・17     

 ポリン・マカルピン著

    (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌187番

 しゅよ、いのちのことばを

<神様のみ言葉>

「イエスは彼らに答えて言われた。わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来た生けるパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」。

~ヨハネの福音書6章43節、48~51節~

 

讃美歌187番の主よいのちのことばをは、1954年版の讃美歌「聖書」というタイトルのもとにおさめられています。しかし、主よ、わがためにいのちのパンをさき給えという原作の詩によって、聖餐式の讃美歌としてもちいられて決して不自然ではない讃美歌と思います。ですから、アメリカでは主に、聖餐式の讃美歌として広く歌われています。

この187番で特に注目させることは、歌詞と旋律の完全な一致ということであります。原作者メアリ・A・ラスベリーと作曲者ウイリアム・F・シャーウィンの優れたチームワークで、この二人の共同の作によっていくつかの美しい讃美歌が生まれました。たとえば、187番の他に、同じ1877年に讃美歌50番黄昏ややに四方を覆えばもその一つで、この讃美歌は今でも夏のショトークアで毎晩の夕拝で歌われています。

 

原作者メアリ・A・ラスベリー(1841~1913)は指を折って数え上げられるほどの女性でした。彼女はニューヨーク州のマンチェスターでメソジスト教会の牧師の娘として生まれました。メアリは小さい時から美術に対する才能を持ち、大人になってから画家として知られましたが、詩などもよく書き、数巻の文学的な書物も出版しています。その他に、美術の教師や青少年の雑誌の記者などもしています。

また彼女は、教会学校事業にも関係し、メソジスト教会の監督ジョン・H・ビンセントと共に有名なショトークア運動をおこしました。ショトークア運動とはニューヨーク州の南西にあるショトークア湖畔のほとりで夏の間教会員がキャンプをしながら、修養に励み、神様のみ言葉を学ぶと共に、有名な講義者を招いて、講演を聞いたり、一流の音楽家による音楽会を開いて、休暇を霊的にも精神的にも満たされるようになされた催しでした。

ショトークア湖畔から始まったこの運動は、当時のアメリカ中に広まって、自然に恵まれたいろいろな所で同じようなプログラムをショトークアの名のもとに行われました。ニューヨークのシュートクァ湖畔では、今日に至るまで、毎年同じようなプログラムをもうけて行われています。

主よ、いのちのことばをはミス・ラスベリーがビンセント牧師の依頼を受けて作詞したもので、ショトークア湖畔で催されたショトークア文学科学サークルの会のために作ったもので、「聖書研究の歌」という題がついていました。

187番の曲BREAD OF LIFEならびに50番のEVENING PRAISE(またの名はCHAUTAUQUA)、さらに7番の素晴らしい曲MONSELLはみなウイリアム・F・シャーウィン(1826~1888)の作品であります。

BREAD OF LIFEとEVENING PRAISEが作られたのはシャーウインがショートクアに在住中、ミス・ラスベリーと交わりがあり、二人の協同の作品で、どちらも本当に素晴らしい非常に美しいメロデーであります。

シャーウインは1826年3月14日マサチューセッツ州のバックランドで生まれ、15歳の時から音楽を有名なロウェル・メイスンのもとで学ぶようになりました。その後、シャーウインがボストンの音楽学校で声楽の教師をしていた時、ショトークアの聖歌隊やコーラスの指揮者として任命されました。彼は非常に厳しい指揮者で時には合唱隊のメンバーを泣かせるほど叱ったそうですが、かえってその厳しい中にも人格的に優れていたために非常に愛されたそうです。ですから、ショトークアのコーラスグループの音楽の素晴らしさは申すまでもないことでしょう。

<187>

1 主よ、いのちの ことばを

   あたえたまえ わが身に

   われはもとむ ひたすら

   主よりたまうみかてを。

 2 ガリラヤにて みかてを

   わけたまいし わが主よ、

   いまも活ける ことばを

   あたえたまえ ゆたかに。

この美しい讃美歌の背景にある聖書の出来事はなんでしょうか。そうです!主 イエス・キリストがガリラヤの湖のほとりで、空腹の群衆をあわれと思い5つのパンと2匹の魚をもって5000人を満たされた、あの素晴しい5000人給食の奇跡のみ業であります。

マタイの福音書14章14~20節には「イエスは船から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を治された。夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。『ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください』。しかし、イエスは言われた。『彼らが出かけていく必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べ物を上げなさい』。しかし、弟子たちはイエスに言った。『ここにはパンが5つと魚が2匹よりほかありません』。すると、イエスは言われた。『それを、ここに持って来なさい』。そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した」。と記されています。 

 

原作の1節では、‘湖のほとりであなたがパンを裂かれたように、愛する主よ、わたしにいのちのパンを裂き給え。生きていらっしゃるみことばよ、わたしはひたすらあなたを求めている!と歌われています。このいのちのパン(日本語訳‘主よりたもうみかて’)は何を意味しているのでしょうか。それは、主イエス・キリストご自身が、主のみもとに寄ってきたユダヤ人に語られたように、キリストご自身が、天から下って来た生けるパン、いのちの糧なのです。

使徒ヨハネは「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」と証言しています(ヨハネ6:51)。つまり、主イエス・キリストの十字架の贖いの死を受け入れるその人は、主イエス・キリストよりのいのちのパンを食べている主より給う糧を頂いていることにとって永遠のいのちを獲得していることを意味しています。

 

多くの現代人は、物質を次から次へとひたすら求めていますが、主が与えようとなさっている永遠のいのちのパンに対しては、おろそかにし、見向きもしないのであります。その結果、心の糧が欠乏しているために、世の中は霊的にも道徳的にも非常に乱れ、無残な姿になりつつあります。ですから、100年も前に書かれたこの讃美歌は、私たちにとりまして、いろいろな面で大切であると共に、まことの糧は主イエス・キリストであり、キリストのみが私たちの心の空腹を満たしてくださるお方であることを知らなければなりません。

また、いま一つおろそかにされていることがあります。それは、神様の生けるみ言葉である聖書に対してであります。2節は、ガリラヤ湖のほとりでみ糧を分け給うた主が、今も生けるみ言葉を豊かに与え給うように、と歌っています。今では日本の国におきましては、この生けるみ言葉の聖書を何の制限もなく手に入れることが出来ますが、昔はそうではありませんでした。また、今でもある国では、聖書を持つことに非常な危険をともなうことが多々あります。

しかし、聖書は真理でありますから、決してこの世の力に屈してしまうことはありません。むしろ、このいのちのみ言葉を受け入れず、信じず、読まずを続けているその国、その人は永遠の滅びを自らに招いていることを知らなければなりません。

 

さて、日本語の讃美歌は2節までですが、原作には3節と4節がありまして訳されていないのは本当に残念に思います。皆様のうちチャンスがありましたらなら讃美歌の資料などをご参照になってご一読下さい。しかし、アメリカでも歌われていませんが、3節と4節でミス・ラスベリーは、あなたの聖なるみ言葉はわたしを救いに導くものであるとか‘主よ、み国であなたのご家族の一員として生かし、そこで共に糧を頂けるようにしてくださいと歌っています。また、最後にあるまことを見させ、また、みふみによって主を見ることが出来るようにしてください、とも歌っています。

どうか読者の皆様も、ショトークアの詩人と言われたミス・ラスベリーの主へのあつき信仰にふれて、すべてを神様に任せて、熱心にみ言葉を学ぶキリストのよき証人になることを人生の目標になさって下さい。

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この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

 

さんびか物語・・・17・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・16     

 ポリン・マカルピン著

    (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌184番

 みさかえに入りし           

<神様のみ言葉>

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなた方とともに住み、あなたがたのうちにおられるからです」。

~ヨハネの福音書14章16~17節~

この讃美歌は、聖霊についてのすぐれた歌であります。

讃美歌184番の歌詞は、イギリスの女流詩人ハリエット・オーバーの手になるもので、彼女(1773~1862)は、1685年にイギリスへ亡命した、フランスのプロテスタント派のカルヴィン主義(ユグノ派)の信者の子孫でした。彼女はロンドンに生まれましたが、その89年の長い生涯を、静かな田舎町ハートフォードシャーで過ごしました。

ミス・オーバーは、英国国教会の信者として、信仰生活をおくっていましたが、それまで教会内で用いられていた詩編歌聖歌の改善を熱望していました。ミス・オーバーは、その改善の実現のために旧約聖書から、いろいろの大切な主願をとりあげて、美しい詩を書きました。

1829年に、それらを詩集‘The Spirit of the Psalms’におさめられて出版しました。この讃美歌も、この本におさめられていまして、早くから広く使用され、特にアメリカでは、大変人気がありました。

 

讃美歌184番の曲の作者は、ジョン・B・ダイクス(1823~1876)ですが、彼については讃美歌66番をご参考になさって下さい。

讃美歌184番の曲STCUTHBERTは、ペンテコステの曲として、英国やアメリカで広く歌われています。この曲は、1861年に出版された‘Hymns Ancient and Modern’におさめられていたものです。

<184>

 1 みさかえに入りし 主にかわりて、

   くすしきみたまは くだりぬ。

1節では、イエス・キリストが、十字架におかかりになる前の晩に、弟子たちとともに食事をなさいましたが、そして、その時、彼らに最後の励ましのお言葉をお語りにましました。その励ましとお約束には「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがとともにおられるためです」(ヨハネ14:16)とあります。

作者オーバーは、この約束のみ言葉を中心に歌っているのであります。みさかえに入りし主にかわりて、くすしきみたまは、くだりぬとは、どのようなことでしょうか?それは、主イエス様が約束なさったもうひとりの助け主のことであります。

この助け主の役目は、何でしょうか。それは「私たちにすべてのことを教え、キリストが話されたすべてのことを、思い起こさせて下さること。また、罪について、義について、さばきについて、私たちにその誤りを認めさせる」(ヨハネ14:26、16:8)ことであります。私たちも、み霊のみわざを頂いて、自分自身の心の状態を教えられることを求めましょう。

 2 もえたてるほのお はげしきかぜ

   たえなるちからを しめしつ。

2節では、ペンテコステに起こった聖霊降臨を実に美しく歌っています。もえたるほのお’‘はげしきかぜ’‘たえなるちからは、新約聖書の使徒の働き2章1~4節に記されています。

「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また炎のような分れた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされた」。このように、主イエスがお約束なさった助け主なる聖霊が、降ったのであります。

 3 へりくだるものの うちにやどり

   あふるるめぐみを たまえり。

3節では、神様が私たちひとりひとりに、この素晴らしい助け主を、お与え下さったことを歌っています。しかし、世の人々は、なぜ、この恵みを喜んで心に受け入れないのでしょうか。

「世人はその助け主を見もせず、知りもしないからです」と、記されています(ヨハネ14:17)。また、み霊の溢れる恵みを頂くことのできる者となるためには、条件がともないます。それはへりくだった謙遜な心であります。自分の罪と弱さを知り、そして悔いる人にのみ、み霊がお降りになるのであります。

へりくだる者の内にのみ、宿るのであります。作者はへりくだるもののうちにやどり、あふるるめぐみをたまえりと歌っています。

 4 いい知れぬきよき みこえきけば

   うれいもおそれも あとなし。

 5 なぐさむるものよ みちしるべよ

   くだらせたまえや われらに。

4節と5節では、み霊をいい知れぬきよきみこえ’‘なぐさむるもの’‘みちしるべと呼んでいます。神様のみ声とみ霊の、その呼びかけに、耳を傾けるその人にのみ宿るのであり、そのみ恵みによって憂いも、恐れも消えて行くのであります。

神様ご自身が取り除いて下さり、なぐさめ主なる神様が、私たちを本当になぐさめて下さるからであります。イザヤ書40章1~2節には「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」と、あなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え二倍のものを主の手から受けた」とあります。

また「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ」(イザヤ55:3)とも記されています。

私たちが、この「まことの慰め」「愛のとこしえの契約」にあずかりたいと望みますなら、「神の御声に聞き従い、己が心に御霊の力を与えたまえ」と祈るべきであります。

また、正しい道しるべであられる主イエス・キリストに立ち返り、まっすぐに、雄々しく歩むべきで、そのために、主イエス・キリストは、迷える弟子に、そして私たちに、「わたしが道であり、真理であり、いのちです」(ヨハネ14:6)と、また「狭い門からはいりなさい。・・・いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(またい7:13~14)とお語りになられました。

あなたも、まことの道を歩むために、まことの道しるべであられる、主イエス・キリストに従うことを決心して下さい。まことの慰めと永遠の命を得るために心を開いて神のみ声を聞いて下さい。

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さんびか物語・・・16・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・15     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌174番

 起きよ 夜は明けぬ           

<神様のみ言葉>

「ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えよ」。

~マタイの福音書25章6~7節~

讃美歌174番起きよ、夜は明けぬは主イエス・キリストの再臨について歌っているまことに素晴らしい16世紀の歌であります。この讃美歌の背景になっているのは、イエス・キリストがご自分が再び来られる時、また、世の終わりについて弟子たちに語られた有名な10人の娘たちの譬話であります。

起きよ、夜は明けぬ(174番)並びに詩編45編に基づいて歌われているたえにうるわしや(346番)の二つの讃美歌はキング・オブ・コラール‘クイン・オブ・コラールと呼ばれ、傑作中の傑作であり、非常に早くから普及していて、今日では世界各国の讃美歌集に取り入れられています。

優れた才能をもったこの二つの讃美歌の作詞者並びに作曲者のフィリップ・ニコライは1556年8月10日、ドイツのメンゲリングハウゼンでルーテル教会の牧師の息子として生まれました。彼はエルフルとウイッテンベルクの大学を卒業してから、1583年にルーテル教会の牧師とし按手礼を受けました。

その後いくつかの教会でその任務をはたしてから、1596年にウインの教会の牧師となりました。彼がその教会在任中の1597年から98年にかけて同地方に疫病(ペスト)が大流行し、ウインの町民1、300人ほどが、次々と倒れてニコライは連日10回もの葬儀を行なわなてればなりませんでした。

彼は教会の墓地で数多くの葬儀が行われるのを見て、死と永遠のいのちについて深く考えさせられたのであります。彼はその時の感想や作詞を一つの本にまとめて、それを喜びの鏡という題のもとに1598年に発表されました。ニコライの有名な二つの讃美歌はこの本の中に収められて初めて発表されました。ちょうどその頃、スペイン(カトリック)の軍隊がドイツに侵入したため、プロテスタントであったニコライはいのちがけでウインから逃げなければなりませんでした。しかし彼は決して気落ちせず、あらゆる困難を乗り越えて、忠実に牧師としての任務を遂行しました。また、1601年にはハンブルグの聖キャサリン教会に転じて、そこで非常に名高い牧師となりました。

ニコライは、当時の教派的な闘争の影響を受けて、ルーテル教会の戦士として勇敢に戦い、論争的文章も多く書きました。そのために彼は、「ルーテル教会の大黒柱」として仰がれ、その教理の守護者として認められたのであります。

彼は1608年10月26日に召されました。

ではキング・オブ・コラールと言われている讃美歌174番を共に考えてみましょう。

<174>

1 起きよ、夜は明けぬ 夜警(ものみ)らは叫べり

   起きよ、エルサレム。

  おとめら、目覚めよ 新郎(はなむこ)は来ませり、

   めさめて迎えよ。

  さかえの主は くだりませぬ ハレルヤ。

  ともしびかかげて いざむかえまつれ。

 1節で、まず気がつくことは「起きよ」「目覚めよ」「目覚めて迎えよ」というように、起きなければ、目覚めていなければならない緊急なことがあるということであります。夜警は誰に向かって何度も繰り返して「起きよ」「目覚めよ」と叫んでいるのでしょうか。

2行目には「エルサレム」とありますし3行目には、「おとめら」とあります。この「エルサレム」と「おとめら」は誰のことを意味しているのでしょうか。それは、主イエス・キリストを主、また、救い主として認めている、私たちクリスチャンであります。すなわち、「あなた」であり「私」なのです。そうです。目を覚まさなければならないのは、神の選びの民であります

では、神の選びの民はなぜ起きなければならないのでしょうか。それは、夜が明けて新郎が来られるからです。この新郎とは、栄えの主のことであり、主は降り給うたがゆえに、私たちはともしびをかかげてお迎えに行かなければならない時になっている、と歌っています。

ここで教えられることが多くありますが、その一つは、私たちはいつも用心していなければならないということです。その理由をマタイの福音書24章44節は「だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子(イエスご自身)は、思いがけない時に来るのですから」と言われています。

イエス様が教えられた譬え話では、待ちに待った花婿は夜中になってから、思いがけない時、みんながうとうとと眠っている時に来られるのです(マタイ25:5)。

ノアの日に洪水が来てすべてのものをさらってしまうまで、彼らが分からなかったように、キリストの警告に聞き従わない多くの人々も、その最後の日が来るまで、神の義と裁きを恐れないのであります(マタイ24:39)。

あなたはうとうとして眠ってしまうグループですか? それとも用心して目を覚ましているグループですか? これこそ大切なメッセージであります。

2 よろこびあふるる 夜警(ものみ)らの叫びに

      おとめらは覚めぬ。

  さかえにかがやく 主の降りたまえば

      ひかりはさしでぬ。

  主よ、よくこそ、ましましけれ、ハレルヤ。

  祝いのむしろに いざつかせたまえ。

日本語訳では、譬え話にあるように、その娘たちは叫ぶ声に目が覚めてみな起きて自分のともしびを整えて花婿を迎えに行こうとしたのです。そして喜びにあふれて栄えに輝く主をお迎えし、祝いのむしろにつかせたまえと歌っています。

しかし、聖書にありますが、油の用意をしていなかった愚かな5人の娘と用意していた賢い5人の娘の区別が見られません。この区別こそ聖書が私たちに教える一つの中心点であります。なぜなら用意していなかった5人の娘たちは婚礼の祝宴には入れなかったのです。「戸がしめられた」と聖書は記しています(マタイ25:10)。

どんなに警告を受けても、それに耳をふさぎ主イエス・キリストを迎えようとする心の準備をしないその人は到底その恵みのむしろに入れられません。また、ある人々が想像しているように、まだ遠い将来に起こるかもしれないイエス様の再臨のこととして考えてはなりません。私たち一人一人の最後の日、死そのものをも意味するとも思います。

むしろ、いつ来るかはだれ一人知ることが出来ないことですから、必ず来る確実なこととしてその備えをしておくことこそ大切です。悔い改めと信仰は戸が締められてからでは遅すぎます。この警告を恐れをもって味わって頂きたいと思います。

この讃美歌は2節の英訳は夜警らの声を聞くのはシオンであるとなっていますが、シオンというのは教会全体を意味するでしょう。シオンは喜びにあふれて栄光の主を迎えるのであります。この栄光の主は恵みに満ちた方であり、真理そのものであり、まことの光であり、神の愛されたひとり子であると歌っています。また私たちは招かれた食卓につくまでキリスに従っているようにと歌っています。

3 あめつちこぞりて 稜威(みいつ)たぐいもなき

      主をたたえまつれ、

  みくらをめぐりて かち歌をうたえる

      みつかいとともに。

  待ちにまちし 主はきませり、ハレルヤ。

  栄(はえ)あるかちうた いざ共にうたわん。

この3節は、天地にあるすべてのものが、神の栄光と権威と主をたたえている素晴らしい讃美の歌であります。この場面は輝く神のみくらまた、それをめぐっているみ使いたちの姿であります。選ばれた者救われた者が天使たちのコーラスの声に合わせて、栄えあるかち歌を共に歌いつつ、待ちに待った主の再臨がいま来たかのようにハレルヤと讃美しているところであります。

願わくば、あなたも私もこのコーラスの一員として、永遠に神様を讃美できるように、今から心の準備をして待ち望みましょう。

  *****************  

この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
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東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
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東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
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電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
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「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
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「聖霊とその働き」
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…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
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 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
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われらの教会と伝道
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キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
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