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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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さんびか物語 ・・・39・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・38・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌391番

 ナルドの壺

<神様のみ言葉>

「イエスがベタニヤで、ライ病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ」。 

~マルコの福音書14章3節~

奉仕についての素晴らしい、そして美しい讃美歌391番“ナルドの壺”の原作者はエドウィン・パント・パーカーです。この讃美歌は、彼の故郷のアメリカでよりも日本の国の方でよく知られ、愛唱されていると思います。

パーカー(1836~1925)は、アメリカの東北にあるメイン州のカスティンという町に、1836年1月13日に生まれ、後にドーウドィン・カレッジとバンカー神学校で教育を受けました。卒業後、組合教会の牧師となり、50年の長い間コネチカット州のハートフォード市のセンター教会(中央教会)の牧会に力を注ぎました。

めずらしいことですが、パーカーは56歳になるまでは、讃美歌は一曲も作ったことがなかったのですが、この年のスタートとして、89歳で召される1925年までに、なんと200ほど作詞・作曲しました。そのうちの一番歌われているのが、この讃美歌“ナルドの壺”であります。

この讃美歌は、歌詞・曲ともパーカー牧師の作品で、1888年に作られたものであります。この歌詞は、パーカーが中央教会での、ある日の説教の締めくくりとしてこの詩を作ったものであります。

LOVES  OFFERING (愛の捧げ物)は、歌詞が作られて作曲され、翌年の1889年に The Christian Hymnalという讃美歌集に初めて発表されたものであります。

パーカーは音楽に対して強い興味を持ち、中央教会の牧師だけでなく、聖歌隊の指揮者としての責任をも果たしていました。そのような関係から讃美歌の歌詞・作曲・編曲という広い範囲に才能を持っていましたし、讃美歌集の編集などもしていました。

 奉仕の尊さを中心に歌っています歌詞をともに考えてまいりましょう。

 <391>

   1 ナルドの壺 ならねど

     ささげまつる わが愛

     みわざのため 主よ、潔めて

          うけませ。

 1節ですが、最初の言葉のナルドとは何を意味するのでしょうか。聖書辞典によりますと、ネパール、ブータン、チベットが原産で、おみなえし科の多年草で、根茎の部分から優秀な香料が採れ、これを石膏の箱に入れて遠路を運ばれていてとても高価なものとされていました。

 おもしろいことですが、原作ではナルドの壺ということばそのものは用いられていません。パーカーの歌詞では“主よ、私たちはマグダラの(マリア)のように香のよい値段の非常に高い持ち物をあなたに捧げることが出来ません。しかしながら、どうか、私たちの愛の香のように、いけにえよりもかんばしい香をあなたのみ前に放つように”と歌っています。

 原作では、“マグダラ”という名前が用いられていますが、これは、昔からの誤れる伝統によったもので聖書的ではありません。日本語訳の方が聖書に近いものとしなければなりません。

 マタイの福音書26章6節~13節やルカの福音書7章36節~37節に記されている「ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼをもってみもとに来て、食卓についておられたイエスの頭に香油を注いだ」この女とはベタニヤのマリヤと言われ、ルカの福音書8章2節の「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラと呼ばれるマリア」とは別人であることを知っていただきたいと思います。

 ですから、原作にある“マグダラ”という言葉は不適当としなければなりません。また、新約聖書には6人のマリアが登場していますので、それぞれをご自身で確かめるもよいことと思います。

 この讃美歌の背景にある出来事ですがマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと4つの福音書にそれぞれしるされていますから、それぞれの箇所をお読みになってください。場所はベタニヤという村に住んでいたシモンの家で、イエス様のために晩餐をひらこうとしているところです。ラザロの姉妹マルタは、そこで給仕をしていました。もう一人の姉妹マリアは、非常に高価なナルドの香油の入った石膏のつぼを割って、イエス様の頭に注ぎ、また、足に塗り、彼女の髪で足をぬぐったことが記されています。

 そこにいた何人かの客のうち、特にイエス様を裏切ろうとしていた弟子の一人のイスカリオテのユダが、それを見て憤慨して「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、300デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに」と言ってマリアを責めました(マルコ14:4~5)。しかし、ユダがこのように言いましたのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であった、とヨハネの福音書12章6節に記されています。

 イエス様はマリアを責めていた人々に「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。・・・埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。まことにあなたがたに告げます。世界中のどこでも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人の自らした事も語られて、この人の記念となるでしょう」(マルコ14:6~9)と語られました。

 イエス様は、これにまさるお褒めの言葉を他の誰にもお使いにならなかった

と思います。私たちも、彼女の愛の業に教えられて、よき業に励みましょう。自分の出来ることを必ず実行することであります。

  2 よわき民に  ちからを

    おぐらき世に ひかりを

    あたえて主の たかき御旨

       なさばや。

  3 怖(お)ずるものに 平和を

    なげくものに  のぞみを

    わかちて主の  ふかき恵み

       あらわさん。

 2節と3節では、実際に私たちに出来るような愛の業を、具体的に示しそれをなすようにという勧めを美しく歌っています。もちろんこの業は、いつもみ旨にかなうように、また、主の深き恵みをあらわすためのものであることを、常に祈り求めるべきであります。

 愛の業、それは、弱き民に力を与えること、おぐらき世を光で照らすこと、怖れる者に平和を与え、嘆く者に望みを分かちあたえることであります。それと同時に、クリスチャンにとって大切な務めは、迷っている人々を、まことの神様に主イエス・キリストへの道に導くことであります。この伝道についての言葉は、日本語訳にはありませんが、原作にはあります。

 ですから、ここでやはり覚えることは大切と思います。

  4 この世のわざ おわりて

    あまつ国に かえらば

    主よ、みまえに 仕えまつらん

       ときわに。

4節ですが、原作と日本語訳とでは少し違います。原作でパーカーが強調していることは、「この世の夕暮れまで、勤勉に主のために奉仕が出来るように」とはっきりと歌っていることであります。そうして「私たちがこの世での勤めが終われば、どうか、安らかに神様のみもとに去って行けますように」と歌うのであります。

 この4節の歌詞は、人生の一コマ一コマの中に神様を認め、ただ神様への愛と奉仕に生きようとする信仰者の姿を見る思いがいたします。日本語訳にありますように、私たちのまことのホームである、あまつ国に帰って永遠に神様に仕える喜びが歌われていますが、私たちの喜びが、実にここにあることを覚えて、この世の戦いに勝利いたしましょう。愛と奉仕こそクリスチャンの大切な宝であります。

 

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さんびか物語 ・・・38・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・37・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌384番

 我こそ十字架のつわものなれ

<神様のみ言葉>

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人の前で立派な告白をしました」。 

~テモテへの手紙第一、6章12節~

この讃美歌は、主にある戦士として、この世の荒波と思いと惑わしに勇敢に立ち向かう信仰者の姿と勝利の喜びをたたえた歌と言えるものでしょう。

讃美歌384番は、有名なアイザック・ウォッツが原作者です。彼につきましては讃美歌138番、286番をご参照ください。

この讃美歌384番は、説教の後に歌われるものとして書いた一つの作品であります。これは、「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい」(Ⅰコリント16:13)という聖書のみ言葉にもとづいた詩でありまして、ウォッツはこの詩に“聖なる勇気”というタイトルを付けました。

讃美歌384番の曲ARCADIAは、ウォッツの召された36年後に生まれたトーマス・ヘイスティングス(1784・10・15~1872・5・15)によるものです。彼は田舎の医者の息子としてアメリカのコネチカット州ワシントンで生まれ、12歳の頃両親とともに真冬の中を牛が引くソリでニューヨーク州のクリントンに移住しました。

トーマスは厳しい環境の中に育った上に強い近視に加え、生まれつきの白子であったため、独りでよく勉強すると共に強い信仰を持っていました。彼が18歳の頃、村の聖歌隊のリーダーとなり、またこの頃から讃美歌集の編集を始めました。

1823年から32年までニューヨーク州にあるユーティカ市の週刊誌の編集者となりましたが、これが彼に讃美歌による福音宣教のチャンスを与えました。彼は、「キリスト教礼拝には説教と音楽とを同じ程度に必要とする」と考え、礼拝の音楽をよくすればする程、神様に栄光を帰することが出来ると信じていました。こうして彼が書いた讃美歌は600種にのぼり、曲の方は1000曲を越え、ニューヨークに住んでいた40年間に50種類にのぼる讃美歌集を世に送りました。

アメリカ讃美歌史上ロウエル・メイスン、ウイリアム・ブラードリー、トーマス・ヘイスティングスの三人は、最も重要な讃美歌界のパイオニアとして尊敬され、また仰がれるようになりました。

1945年版の讃美歌にはヘイスティングスの歌詞のものが二つあります。それは216番の“ああうるわしきシオンの朝”と葬儀の時に歌われます473番の“とうときわが主よおもいは尽きぬ”であります。また、曲の方では7つあります。その中で一番よく歌われていますのが541番の頌栄“父み子、みたまの”でありましょう。

384番ARCADIAは明治時代からキリスト者の愛唱歌の一つとなってきました。

<384>

 1 我こそ十字架の つわものなれ

   争(いか)でか恥ずべき イエスの御名を。

1節では、十字架の兵士(主イエス・キリスト信じ、主に己れをささげた者)である私たちは、どうしてイエス様のみ名を恥じたり辱しめたりすることができるでしょうか。むしろ、十字架の兵士、信仰の勇者は主イエス・キリストのみ名を崇め、誇りとして、勇敢に信仰の戦いをたたかうべき者であると歌っています。

これに関連して、イエス様の警告を覚えなければなりません。それは、ルカの福音書9章26節の「もしだれでも、わたしとわたしのことばを恥と思うなら、人の子(イエス・キリスト)も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときは、そのような人のことを恥とします」というみ言葉であります。

否、むしろ十字架の兵士は使徒パウロのように「私は福音を恥とは思いません。福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」(ローマ1:16)と告白するものであります。イエス様とそのみ言葉とを恥とすることなどできません。あなたもこの十字架の勇敢な兵士となってください。

 2 わが主の軍(いくさ)の さきがけして

   血の海こえゆき 友は勝ちぬ。

2節では“わが主の戦の先がけとして、血の海を越えて信仰の勝利”を獲得した殉教者のことを歌っています。

まことの信仰の戦いは、いのちがけのものであります。私たちの主イエス・キリストは私たちの罪のために十字架につけられて血を流して、ご自分の死をもって私たちを贖ってくださいました。私たちは この主の弟子として罪の世、闇の世にあって光を放ち、地の塩として歩みますなら、光を嫌う者から迫害を受けうけるのは、当然ではないでしょうか。イエス様は「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:10)と力づけてくださっています。

私たちも初代の使徒たちのように「使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら・・・」(使徒5:41)と言うように、  主のために受ける迫害は光栄あるものとして喜ぶ者となりたいものであります。

 3 いかでか我のみ 花の床に

   うましき夢路を たどるべきか。

3節では、キリスト者は誰でも、ただのんびりと夢路をたどるような生活をしてはいけないことが強調されています。信仰生活はどこまでも悪との戦いですから、たえず目をさましているべきです。 

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っています」(Ⅰペテロ5:8)というみ言葉に耳を傾けていただきたいものです。

 4 み旗をかざして いざ戦わん

   なびかぬ仇なき この御旗を。

4節ですが、この日本語の翻訳は5節と共に素晴らしいものと言えます。それは、原作で作詞者は主にこの世では信仰の戦いを中心にして歌っているからです。また、この世での私たちの罪との戦いの武器として、神様より勇気と助けとを乞い願うと共に、み言葉に支えられつつ、どのような苦労、どのような苦しみにも耐え忍んで、戦い抜く信仰者の姿を歌い上げています。この姿こそ神様からの恵みのしるしと言えるものと信じます。

日本語の訳では、分かり易いたとえをもって、この世での戦いを、イエス様のみ旗のもとで戦っている者ですから、あらゆる仇にも打ち勝つことができ、勝利は決定していると歌うのです。私たちもキリストのみ旗のもとに立って信仰の戦いを戦い抜くものになりたいと思います。

 5 栄えにさかゆる わが主イエスよ

   世を統べ治むる 勝ちはちかし。

5節では、キリストの再臨について歌っています。イエス様ご自身が語っておられます。「そのとき人の子(イエス)が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。・・・すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます」(マタイ24:30~31)。

では、その時とは、いつであろうか。その日は‘近い’のです。その日、その時のいつかは誰一人わかっていません。しかし、近いのですから、また、確実ですから「目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないのです」(マタイ24:36,42)と言われていますように、選びの民、信仰の勝利者としてみ前に立ち得る者とあなたもなってください。

 

さんびか物語 ・・・37・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・36・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌365番

 わが主イエスよ

<神様のみ言葉>

「またこう言われた。『アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください』」。 

~マルコの福音書14章36節~

この讃美歌365番、‟わが主イエスよ”は、すべてを神様にゆだねまつるところの服従を、美しく歌っている讃美歌であります。

作詞者のベンジャミン・シュモルクは、シュレージェンのブラウヒッチドルフで1672年12月21日、ルーテル教会の牧師の子供として生まれました。ベンジャミンは優れた才能の持ち主で、小さい時から特別に良い、年齢以上の教育を受けていました。彼は15歳でブレスラウの高等学校に入学し、そこで5年間学んでから、一応、家に戻りました。

家にいた間、父親のすすめで、2、3回その教会の講壇に立ち説教をしました。その結果、彼はライプチッヒ大学に入学する道が開かれました。それは、教会で平信徒でしたが指導的な信者が、まだ若いシュモルクの説教を聞いて、彼の中に立派に牧師に成り得る才能と何かを認めて、大学での費用を出してくれるようになったのであります。

その後、1697年      にライプチッヒ大学を卒業してから、故郷に帰り70歳の父の教会の副牧師として任命されました。1702年にはラウバンの商人の娘アンアート・レィワ-ドと結婚してから、シュヴァイトニッツにあった教会の牧師に招かれました。

当時、この地方は非常に伝道のしにくいところでした。その理由として、1648年に署名された条約(Peace of Westphalia)によって、その地方にあったルーテル教会はほとんど全部カトリック教会の所有となってしまったからです。たった一つだけ残されたルーテル教会、しかも条件付きのものでした。その条件とは、町はずれに建てられ、土と木材の粗末な建物でして、当時、教会には塔や鐘は教会になくてはならないものでしたが、それらは条件の中に入っていて許されませんでした。そればかりか、この教会にいた3人の牧師の活動も非常に制限されていましたし、カトリックの神父からの迫害もありました。このような中にあった教会でしたが、教会員は、この教会の近くにあった36の村からの村民たちでした。

このような状態に置かれていたシュモルクは、35年間のむずかしい牧会・伝道を熱心に、しかも愛をもって続けましたが、彼が58歳の時にとうとう脳溢血で倒れ半身不随になってしまいました。それでも彼は、しばらくしてから、もう一度講壇に上がって5年間仕事を続けました。しかし、再び倒れるとともに疲労のためか白内障にかかり失明してしまいました。このようにしてシュモルクは、寝たままの盲人として65歳で、1737年2月12日天に召されました。

ある人は、その最後によって実に哀れな、と言うかもしれませんが、決してそうではありません。人の目には哀れでも、信仰の勝利者でした。そのように見ることができなければ、彼の讃美の歌は理解できないかもしれません。

シュモルクは、学生時代から詩を書くようになり、彼の手になる讃美歌と聖歌を1183曲ほど作詞し、讃美歌集を16巻出版しました。その後、彼の死後4巻の讃美歌集が追加出版されました。彼はパウル・ゲルハルト(136番など10曲が1954年版の讃美歌に収められている)についで、よく知られているドイツの詩人でした。

讃美歌365番の原作ですが、これは11節からなっていて、1704年に“聖なる炎”という本に初めて発表されたそうです。それが今日では3節だけを取って用いられていますが、原作の1節と5節と11節がそれです。

1954年版の讃美歌には、シュモルクの作品が3つありまして、この「服従」の365番と礼拝に用いられている61番“かがやくみとのよ”と洗礼式によく歌われる200番“いとしたわしき”で、この3つがともに強調していることは、服従と愛と神様との交わりの尊さと言えましょう。

この365番の曲は、カール・マリーア・フォン・ウェーバーの作曲した不朽のオペラ「魔弾の射手」の前奏曲から編曲されたものであります。ウェーバー(1786~1826)は、北ドイツのユーテンで生まれ、両親も音楽家でした。

ウェーバー自身も音楽家になるために多くの素晴らしい先生から学びました。しかし、ドイツの王の兄弟の書記になってから、宮廷で放漫な放蕩な生活を送るようになりました。しかし、彼にも立ち直るチャンスがありました。それは、キャロライン・ブラントという立派な女性と結婚したことにより、まじめな生活に戻り、作曲家としての才能を生かすようになりました。ウェーバーは、モーツアルト、ベートーヴェンと共に、ドイツ・ロマン派オペラの基礎を確立した人であり、カトリック教会音楽も数多く作曲しています。

JEWETTは、ボストンで生まれたジョウゼフ・P・ホルブルクの編曲によるもので、ホルブルク(1822~1888)は、主に讃美歌集の編集・編纂者として知られています。彼は1862年にウェーバーの「魔弾の射手」の前奏曲からJEWETTを編曲しました。この編曲は1954年版の讃美歌では365番の他に285番“主よ、み手もて”に用いられています。

では、シュモルクの美しい歌詞をともに学んでまいりましょう。

<365>                                                        1 わが主イエスよ あいの御手に

    身もたまをも ゆだねまつり

    禍が幸に われ言わまし

    「主よ み意(こころ) なさせたまえ」。

1節以下を考えてまいりたいと思いますが、まず、この讃美歌のテーマは‟主よみ意なさせたまえ”であると言えましょう。日本語訳にも、英語の訳にも、この言葉は1節、2節、3節の、それぞれの締めくくりとして用いられているところからもわかります。もちろん、この背景としてあるのは、残酷な十字架の死に直面しておられる、主イエス・キリストのゲッセマネでの真剣な祈りでありましょう。ルカの福音書2244節には「イエス(主)は苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように、地に落ちた」と記されています。

全人類の罪の重荷を背負おうとする主イエス・キリストの、その時の悲しみ、その時の苦しみはどんなにか大きかったことでしょう。イエス様は弟子たちに「わたしは、悲しみのあまりに死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい」(マルコ1434)といわれました。しかし、いくらたのまれても、彼らは祈りをもって主イエス・キリストを支えたのではなく、その大切な時に眠ってしまいました。少しもイエス様の役に立たない者たちでした。

私たちも、このような弱さを持つ者です。一番大切な時に祈りを忘れてしまう者のようであります。友だちのために、親戚のために、牧師のために、教会のために、とりなしの祈りをどれだけ捧げているでしょうか。私たちが祈らないために、教会はどれだけその発展が鈍り遅れたかを、現実の教会の姿を見ることによって、その事実がわかると思います。

次に、主イエス・キリストのゲッセマネの祈りによって、学ぶべきことが多くありますが、その一つは、神様には“お出来にならないことはありません”という大切な教訓であります。全知であり、全能であられるのが神様です。この神様の愛のみ手に身も魂もよろこんで安心して委ねまつらずして、誰に信頼し、どこに平安を求めるべきでしょうか。時がよくても悪くても、神様を心から信頼し、その導きに従い行くその人こそ、幸いな人であります。

主イエス・キリストは、「どうぞ、この杯(十字架の死)を私から取り除けてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」(マルコ14:36)と祈られましたが、自己中心の私たちには、このように自分を忘れて「あなたのみこころのままになさってください」と祈る者にされたいものであります。

 2 うれいの雲 むねをとざし

   なやみの雨 袖にかかり

   わがのぞみは 消えゆくとも                                       主よ、みこころ なさせたまえ。

2節での日本語の訳は、とても美しいものであります。この美しい言葉の中に、人生そのものが歌われています。私たちはみな“うれいの雲”につつまれているような時を経験しますし、“なみだの雨”が”袖にかかる“こともあります。主イエスご自身も涙を流された時もありました。しかし、信仰者にとって「希望の星」は決して消えることはありません。

 詩人ダビデは歌いました。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30:5)また「涙をもって種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る」(詩篇126:5)と。                          

 私たちは素直に、そのうれい、その悩みを神様にゆだねるべきです。神様はその愛をもって豊かに慰めてくださいます。イエス様はお約束してくださいました。「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」(マタイ5:4)。このお約束こそ朝明けの喜びの源であります。

 3 はかなき世を わたるときも

   あまついえに のぼる日にも

   ただみむねに まかせまつらん

   主よ、みこころ なさせたまえ。

3節では、“あまついえに のぼる日”のことについて歌っています。このはかなき世は、私たちの永遠のふるさとではありません。私たちの“永遠のホーム、まことのふるさと”は、主イエス・キリストが用意しておられる“あまつ家”でございます。ですから私たちは,“この世を渡るときにも”“かの世にのぼる日のときにも”ただ“みむねにまかせて”神様が導き給うままに進まなければならない、と歌っています。あなたのために、あまつ家が備えられていることを信じて、主イエス・キリストの贖いによって開かれた、天の門を通って、天の喜びに入るその日を希望をもって待ち望むことができるように今から決心いたしましょう。
 

さんびか物語 ・・・36・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・35・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌352番

 あめなるよろこび

<神様のみ言葉>

「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主に働きによるのです」。 

~コリント人への手紙第、3章17~18節~

讃美歌352番、‟あめなるとろこび”の作者チャールズ・ウェスレーはアイザック・ウオッツと肩を並べる最高峰に位する詩人であります。チャールズとこの兄のジョンは、オックスフォード大学で教育を受けていた間、同級生の霊的生活の乏しさに不満を感じ、神様を中心にした「聖なる会」をもうけました。この会のメンバーの厳しいルールやきちんとしたことの弁別によって「メソジスト」というあだ名がつけられました。その後、イギリスを中心に広まったメソジスト運動は、ここから始まったと言ってもよいでしょう。

チャールズは一生の間、父サムエル・ウェスレーと同じように、国教会の聖職としての任務を果たしましたが、同時に、メソジスト運動の創設者であった兄のジョンと一緒に、イギリスの信仰復興のために、大いに活躍いたしました。

チャールズ・ウェスレーにつきましては、この讃美歌62番をご参考になさってください。

チャールズ・ウェスレーは、全部で6500以上の讃美歌を作曲いたしましたが、その中でもクリスマスに歌われる‟あめにはさかえ”(98番)、‟わがたまたましいを愛するイエスよ”(273番)とこの‟あめなるとろこび”(352番)の三つは、最高中の傑作と言われています。

讃美歌‟あめなるとろこび、こよなき愛を”は、1747年にJesaus Show

us Thy Salvation(イエスよ、あなたの救いを私たちに表わし給え)という題のもとに初めて発表されました。

当時のイギリスの道徳的な水準は、今日の世界と同じように低下し乱れていまして、社会的にも、個人的にも、霊的にも下降の道に向かっていました。このような時代に主イエス・キリストとその十字架による救いを中心にしたウェスレー兄弟の伝道によって、多くの人々が神様のみ前に新しく生まれかえさせられました。今日も、このようなリバイバルがあることを信じて、お互いに熱心に祈るべきであると思います。多くの人々に、自分の罪を神様のみ前に認め、悔い改めて救われた者の喜びを味わい知る日が一日も早く来ることを切望いたします。

この讃美歌の曲BEECHER (別名LOVE DIVINE ZUNDEL)は、歌詞の出版の123年後の1870年に発表されたものであります。

作曲者ジョン・ザンデルは、1815年12月10日ドイツのホックドルフに生まれました。彼はまず聖ペテルスブルグ(今のレニンゴラード)で聖アン・ルスラン教会のオルガニストならびに、近衛騎兵連隊の楽長をつとめていました。彼は1847年にニューヨークに移って、30年間アメリカで教会のオルガニストとして素晴らしい奉仕をしていました。彼は主にブルックリンにあるプリマス教会での奉仕でしたが、この教会の牧師は有名なヘンリ・ウォード・ビーチャーでした。ビーチャーは当時の牧師でリンカーン大統領の知人であり、奴隷廃止論者でした。彼の説教とザンデルのオルガンの評判は、あまりにも広まっていたために、大勢の人々が日曜日ごとにプリマス教会に集まってきました。

ビーチャーと聖歌隊の指揮者であったジョンズとザンデルが協力して、1851年に‟テンプルメロデー”という讃美歌集を発表しましたが、ビーチャーは、それでは満足しなかったので、改めて、1855年に‟プリマスコレクション”という讃美歌集を出版しました。ザンデルも協力して彼自身の曲を28ほどここに収めています。その上ザンデルは、自分で讃美歌集を3巻発表しました。この曲BEECHERは1870年に発表した‟クリスチャン ハート ソングス”に収められていたものです。ザンデルは引退してから故郷に帰り、1882年に亡くなりました。

<352>

1 あめなるよろこび こよなき愛を

  たずさえくだれる わが君イエスよ

  すくいのめぐみを あらわにしめし

  いやしきこの身に やどらせたまえ。

1節で作者は‟わが君イエスよ、あめなるよろこび、こよなき愛をたずさえて、今一度くだり給うように”と歌っています。原作では、この切なる願いをいくつかの動詞をもって表現していますが、日本語訳では‟くだってください” ‟救いの恵みをあらわに示してください”また、‟いやしいこの身に宿ってください”と歌っています。

なぜ、このようにキリストのおいでになることを願っているのでしょうか。なぜこれが必要なのでしょうか。それは、私たちがほんとうに卑しい者、汚れた者だからです。また、キリストがみ霊なる神様が私たちの心に宿ってくださらないなら、霊的な進歩・発達はできないからであります。パウロはコリント人への手紙第一、6章19節で「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり…」と言い、成長させて下さるのは神なのです」(Ⅰコリント3:7)と言っています。この聖句にも示されていますように、主イエス・キリストへの信仰とみ霊が私たちの心に宿るように絶えず祈ることが大切であります。原作の2節ですが日本語訳では省略されています。この2節で作者は、‟主よ、私たちの悩んでいる心に、あなたの霊を吹き込んでください。どうか私たち一人一人があなたの相続人となり、あなたが約束された安息に入れてください“と歌われています。では、この‟安息”とはどのような安息でしょうか。それは、ヘブライ人への手紙4章11節に記されているような安息を意味するでしょう。すなわち、「私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者がひとりもないようにしようではありませんか」という力強い言葉をもって、ヘブライ人への手紙の著者は、私たちを励ましてくださいます。また、原作の2節の終わりで作者は、今一つの大切なことを歌っています。それは罪を犯そうとする私たちの傾向・性質を取り除いて、私たちのアルファとオメガになってください、ということであります。

このアルファ、オメガは、最初と最後を意味する言葉で、ヨハネの黙示録21章5節~6節には「御座に着いておられる方が言われた。『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる』」と言われています。

このアルファでありオメガであられる、まことの神様を己が神とするその人のみが、罪に打ち勝つことができるのであります。神様への信仰を、私たちの生活の‟初めと終わり”にすることは、どんなにか素晴らしいことでしょう。

2 いのちをあたうる 主よ、とどまりて

  われらのこころを とこ宮となし

  あしたにゆうべに いのりをささげ

  たたえのうたをば うたわせたまえ。 

2節(原作は3節)では、いのちを与え給う主を、ほめたたえています。もちろん、ここで意味する‟いのち”は、まことのいのち―永遠のいのち―であります。主イエスご自身のお言葉によりますと「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(ヨハネ10:10)。主イエス・キリストが私たちにとどまりますなら、私たちは豊かにいのちを持つことができます。そして、その豊かに持っている証拠が、神様を心から賛美することができるという事実のうちにみることができます。何と感謝でありましょうか。

3 われらをあらたに つくりきよめて

  さかえにさかえを いや増しくわえ

  みくににのぼりて みまえに伏す日

  みかおのひかりを 映させたまえ。

3節でウェスレーが心から歌っているのは、主が私たちをあらたに造り潔めて下さるということであります。昔、主イエス・キリストがユダヤ人の指導者であったニコデモにお語りになったように「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)。私たちも、あらたに造りきよめていただかなければ、み国に登ことも、神様のみ前に伏す日も迎えることはできません。

この讃美歌で歌っています‟さかえにさかえをいや増しくわえ”とか‟みかおのひかりを映させたまえ”という祝福を体験するためには、まず主イエス・キリストを信じる信仰による、また、神様を父とする新しい出生を経験することであります。

私たちは、お互いにキリストにある救いとみ霊の潔めと力を受けて、神様のみ前に伏すその素晴らしい日を目ざして前進いたしましょう。

 

さんびか物語 ・・・35・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・34・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌344番

 とらえたまえ わが身を

<神様のみ言葉>

「私は、すべてを得たものではなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追及しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです」。

~ピリピ人への手紙3章12節~

讃美歌344番は、多くの古い年代の讃美歌の中にあって、比較的新しいものであります。

讃美歌344番の作詞者ウイリアム・H・フォークスは、1877年6月26日、米国北長老教会の牧師の子供としてミシガン州で生まれました。その後、カンサス・ウエスレイアン大学、マコーミック神学校などを卒業後、1901年、フォークス家の5代目の牧師として、長老教会の牧師となりました。

彼は、西はオレゴン州から、東はニューヨークシティまで、多くの教会を牧会してのち、米国北長老教会の有力な指導者として、教会運営に活躍していた人物でありました。彼の発言は、アメリカの教会のみならず、広く諸外国にも影響を与えていました。1937年の教会の大会議長に就任した後、1941年牧会から引退して、避暑地ストニー・ブルック、ロング・アイランドの別荘で余生をおくっていたようです。

彼は、学生時代から詩を書き、多くの本を出版しています。その中の一巻は、アメリカ全土に放送されたHomespun Along Friendly Roadsは、彼の広く豊かな才能を物語っているものと思います。

この讃美歌には、面白いお話があります。1918年のある日、Dr・フォークスが汽車を待ってストニー・ブルックの駅にいましたが、その時、偶然、友人Dr・ローファーに会いました。その時、ローファーは作曲したばかりの、この讃美歌のメロディーをハミングでフォークスに紹介しました。ローファーは、このメロディーに敬虔な雰囲気をもたらす詩を書くことを熱望しました。

フォークスは、汽車に乗ってから、メロディーをハミングしながら、この歌詞の1~3節を1枚の封筒に書きとめました。それから数日後にストニー・ブルックの会議の時に初めて歌われました。最後の4節は、ある修養会の時に作って、1945年にこの讃美歌は完成したのであります。

讃美歌344番の作曲者キャルヴィン・W・ローファ(1874~1938)も北長老教会の有力な牧師でした。

フランクリン・アンド・マーシャル・カレッジとニューヨークのユニオン神学校を卒業して後、15年間牧会の任務に当たりました。しかし、彼の本来の才能は教会音楽とキリスト教教育に生かされています。彼は1914年から、長老教会の教育局に入り音楽関係の出版物の主幹として、また、教会学校の委員会会長として活躍いたしました。彼は、教会音楽についての、多くの本を発表し、長老教会の讃美歌の編集にも指導的は役割をはたしています。

讃美歌344番の最初の曲名はSTONY BROOKと言われていました。その後、ローファがHALLと変えました。それは、友人である有事であるDr・ウイリアム・R・ホルに敬意を表すためであった言われています。

<344>

1 とらえたまえ、わが身を、

    主よ、みこころしめして、

    日々まことをおしえて、

    はなちままえ、罪より。

  2 とらえたまえ、わが身を、

    われに宿りたまわば、

    とわの愛をつたえて、

    地にみくにを来たらせん。

  3 とらえたまえ、わが身を、

    主のみ手にぞおさめて、

    またき道をひらきて、

    ゆかせたまえ、みもとに。

  4 とらえたまえ、わが身を、

    みたしたまえ、みたまを、

    わがすべてをささげて、

    こたえまつらん、みむねに。

この讃美歌の歌詞をお読みになってお分かりのように1節~4節の一行目は‟とらえたまえ、わが身を”という言葉が繰り返されていることであります。この言葉によって、私たちに教える中心点は、「全てを主にゆだねまつる、まったき服従」ということであります。

1節では、“主よ、みこころを示したまえ”と歌っています。神様のみこころを知るためには、全き服従が求められます。この服従を考える時、私たちは、主イエス・キリストのゲッセマネの園での祈りが思い浮かんでまいります。

「わが父よ、できますならばこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにはなく、あなたのみこころのようになさってください」(マタイ26:39)と祈っています。

私たちも、「あなたのみこころのようになさってください」という全き服従の信仰をもって祈るべきであります。では、そのためにどのようにすべきでしょうか。それは、「まことの神様より学ぶこと」であります。日々、み言葉に教え示され、自分を捕えてはなさない罪の思いをまことの教えを学ぶことによって、捨て去ることであります。

そのことにこそ、「まことの源であるみ言葉」に求めなければなりません。また、その源とは、「わたしが道であり、真理であり、いのちです」(ヨハネ14:6)とお語りになられた、主イエス・キリストご自身でもあります。

主イエス・キリストは、私たちを罪より解き放ってくださる、唯一の救い主であられます。イエス様の弟子であるペテロがいっていますように、イエス様は「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(Ⅰペテロ2:24)とのみ言葉の通りであります。

2節では、主イエス・キリストが、私たちを捕えていてくださるなら、み霊が私たちに宿ってくださり、その力によって導き、永遠の愛の福音を伝え、地にみ国を来たらせることを歌っています。私たちは「主の祈り」を口にいたします。そこでは、「み国を来たらせたまえ」と祈ります。しかし、本当にキリストに捕えられ、つらなっていない限り、この祈りは、空しいものになってしまいます。

イエス様はこの事実を、語っています。「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き・・・。わたしにとどまりなさい。・・・わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。・・・あなたがわたしにとどまり、わたしのことばが、あなたがたにとどまるなら・・・、求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」(ヨハネ15:1~10)

3節では、‟人生の道について”歌っています。主イエスの愛のみ力の中にあって歩むその人には、まったき道が開かれているという感謝の歌声であります。それは、主イエス・キリストが、私たちを父なる神のみもとへと行かせて下さるからであります。主イエス・キリストは、私たちが本当に行き着かなければならない「目標」をご存知であるばかりではなく、案内者でもあられます。

目標のない、無意味な人生の道を捨てて、神様への道を歩み、声高らかに讃美の歌声を主のみ前に捧げましょう。

4節では、‟全てを捧げ、み旨にこたえまつること”を歌っています。全身全霊を捧げること、この世の歩みの一切を神様に捧げる献身の告白は、何と素晴らしいことでしょう。これこそ、クリスチャンの最もふさわしい告白であり、人生であります。しかしながら、神様に捕えられていない人には、まっかく不可能であるばかりではなく、そのような思いすら起こって来ません。自分は完全だと思う人、神様を信じていなくても人生を歩めると思っている人、み霊の恵みを頂いていない人には、神様に一切を捧げることなど絶対にできません。

神様を信じない人は、まず自分の不完全さ、罪深さ、神に逆らっていること、自分の力では、一歩も先へは進めないことを、心から認めなければなりません。このように真実の自分を認めて、神様に立ち帰るために、心から悔い改めて、一切を主イエス・キリストに委ねることであります。

「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」という、ピリピ人への手紙3章14節のみ言葉をあなたご自身の人生の歩みの目標にしてください。     
 

さんびか物語 ・・・34・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・33・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌337番

 わが生けるは

<神様のみ言葉>

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」。

~ピリピ人への手紙1章21節~

讃美歌337番は、神様に従って生きることの素晴らしさを歌った讃美歌といえるものですが、原作者も、年代も不明であります。一時はアメリカでも歌われたそうですが、今では英語の讃美歌集には見られません。私自身も、英語の言葉を一度も聞いたことはありません。しかし、日本では今日でも“わが生けるは”が歌われていることは、大変うれしいことであります。

337番の曲RIALTOの作曲者は、米国人のジョージ・F・ルート(1820~1895)でした。ルートは、ボストンで音楽を学んだ後、しばらくパリに留学しました。帰国後、19歳で教会のオルガニストや合唱団を指揮者となり、後に、公民学校の教師となりました。1844年にニューヨークユニオン神学校で声楽を教えました。また教会のオルガニストも続けておりました。ルートは再びパリに留学した後、ポピューラーな讃美歌や学校用唱歌をたくさん作曲し、彼の出版した讃美歌集は70種類にもおよびました。1881年には、ルートの功績が認められて、シカゴ大学からDoctor of Musicの学位が贈られました。

今日、ルートの作品は米国では、ほとんど歌われていませんが、以前には、広く愛唱されていました。しかし、日本では明治時代から今日に至るまで、RIALTOはさかんに愛唱されています。

今日の曖昧な信仰の時代に、この歌詞の意味を味わい、熱烈な信仰とかたい決心を学ぶことは必要であります。

<337>

 1 わが生けるは 主にこそよれ

   死ぬるもわが益 また幸なり。

 2 富も知恵も みな主のため

   力もくらいも また主のため。

 3 迫めも飢えも みな主のため

   うれいも悩みも また主のため。

 4 主のためには 十字架をとり

   よろこび勇みて 我はすすまん。

この讃美歌を十分に理解するためには、はじめの聖書のみ言葉の背景と意味とを知らなければなりません。ギリシャのピリピという町に住んでいたキリスト者に、手紙を送った使徒パウロはなぜ「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」と書いたのでしょうか。この偉大な使徒は、一生を、イエス・キリストの福音宣教のために捧げてきました。パウロは「むち打たれことは数えきれず、死に直面したこともしばしばであった・・・、幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難にあい、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(Ⅱコリント11:23,26~27)と言っています。

私たちの想像以上の、耐えられない迫害と苦難を受けていた使徒パウロは、この手紙を書いていたとき、信仰のためにローマの獄に入れられていたのであります。老人のパウロは、間もなく殉教の死をとげなければならない状態にありました。しかし、パウロは弱音など一言も言わず、むしろ、「わたしの身におこったことがむしろ福音の宣教に役立つようになった」と言っております。また、ローマにいたクリスチャンは、パウロの入獄によって「主にある確信を得、恐れることなく、ますます大胆に神の言葉を語るようになった」とピリピ人への手紙1章12~14節に記されています。

パウロの主な目的は、生きるにも、死ぬにもキリストがあがめられることでありました(1:20)。これこそは、すべてのクリスチャンの、目的でなければなりませんし、そうありたいものです。

神の栄光をあらわすこと、永遠に神をよろこぶこと、大胆に福音を語ること・・・。このことが、あなたの生きる目的になっているでしょうか。

2節をもう一度読んでください。

富も知恵も みな主のため

力もくらいも また主のため。

これは不思議な言葉ですね。“富は私たち自身のため”という考えは普通であります。“知恵も自分のため”と言って、知恵を私たちに与えたもうた、唯一の神を認めようともしないのが、現代の姿であります。“力もくらいも、また主のため”とあなたは心から、この歌をうたうことがお出来になりますか。

3節の言葉は、より素直で、私たちの心を本当に貫きます。

迫めも飢えも みな主のため

うれいも悩みも また主のため。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことをはたらかせて益としてくださることを、私たちは知っています」とパウロがローマ人への手紙8章28節で語っております。神様が“迫めも飢えも、うれいも悩みも”益としてくださることを知っていたパウロは、勝利の生活を送ることが出来ました。自分の十字架を負って、喜び勇んで進んで行くことが出来ました。

死を恐れることも、死ぬことも、かえって自分にとっては益であると確信をもって告白しているのであります。それは、この人生が耐えられなくなったとか、うれい、悩み、迫めなどが死によって終わるとか、死ぬことによって、逃れることが出来ると考えたからではありません。

パウロには、死ぬことによって、神のみ前に立ち「キリストのはかりがたい富」(エペソ3:8)を受け、永遠に神のみ国で神を讃美することが出来るからにほかなりませんでした。あなたも、このような、かたい信仰を持っていただきたいと思います。

 

さんびか物語 ・・・33・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・32・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌331番

 主にのみ十字架を

<神様のみ言葉>

「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい・・・』」。

~マタイの福音書16章24節~

この讃美歌331番“主にのみ十字架を”は明治の時代から今日まで、日本の多くのクリスチャンに愛唱されている讃美歌の一つと言えましょう。

原作者トマス・シェパード(1665~1739)は、英国教会から非国教会へと転向した牧師の子供として、イギリスの片田舎に生まれました。彼は大学を卒業してから国教会の聖職になりましたが、1694年に非国教会に転じ、ノティガムの独立教会の牧師となりました。その後、エセックスのボキングに移って、納屋の中で集会を始め、それを教会にまで育て上げたと、「讃美歌略解」に記されています。

彼の作品としては数巻の説教集のほかに、同時代の讃美歌作者ジョン・メイスンの詩であるPenitential Craiesの続きとして書いたものが数編あり、それらのあるものは、今日でも用いられているそうですSongs of Praise(1693)に納められていたものですが、原詩は1節だけで2節以下は誰が作ったか不明だそうです。しかし、2節以下は作曲者G・N・アレンによったものではないかと、想像する人もおります。

また、原作の詩よりも日本語訳の方が優れている歌の一つでもあります。英文には5節ありますが、日本語の方は、それが4節に圧縮されています。その上、英文の4節と5節は日本語の方には訳されていません。そのかわりに、英文の3節にあることは、日本語の3節と4節にあります。

作曲者ジョージ・ネルソン・アレン(1812~1877)は、シェパードのおおよそ150年後に、アメリカのオハイオ州のシンシナティ市に生まれました。アレンはまず有名な音楽家ロウエル・メイスンの教えを受けたが、その後、1838年にオハイオ州のオウベリン大学を卒業しました。

アレンは卒業後、同大学の音楽講師となり23年の長い間、教授として宗教音楽を担当しました。その頃彼は、オウベリン大学に合唱団と管弦楽団とを組織しましたが、これが1865年に名高いオウベリン音楽学校設立の動機となったそうです。

彼が編集出版したSocial and Sabbath Hymn Book(1844)は、米国讃美歌史上重要なものとなりました。ここに納められていた331番のMAITLANDは彼の代表作の一つであり、当時は全米の教会で広く歌われていました。日本の教会では今日に至るまで愛唱されている讃美歌の一つと言えましょう。

<331>

 1 主にのみ十字架を 負わせまつり

   われ知らずがおに あるべきかは。

 2 十字架を負いにし 聖徒たちの

   み国によろこぶ  さちやいかに。

 3 わが身もいさみて 十字架を負い

   死にいたるまでも 仕えまつらん。

 4 この世の禍幸(まがさち) いかにもあれ

   さかえのかむりは 十字架にあり。

この歌の背景にあるみ言葉によりますと、主イエス・キリストはその弟子たちに「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24)とお教えになられました。まずここで、注目しなければならないことは、イエスのみ言葉はキリスト(救い主)の弟子になろうとする人々に対して語られたものであるといことであります。

全ての人々は、二つのグループに別けられると思います。すなわち、イエス様のお招きの言葉を聞いて、従って行こうとするグループとキリストを信じず信仰の道を拒否するグループであります。

私たちの人生の道にも、この二つは深く関係してまいります。それは、イエス・キリストのみ言葉を聞いて、イエス様に従ってついて行くか、それとも無視するか否かという、二つに一つの道であります。しかも、その決意はどこまでも、私たち一人一人の自由意志にまかされています。

この讃美歌の1節では、キリストが負いたもうた十字架と、その十字架に対して自分とは何のかかわりもないかのように知らん顔をする人々の態度を美しい言葉をもってですが、せめています。すなわち、「われ知らずがおに、あるべきかは」という言葉であります。ですから、キリストのまことの弟子として、私たち一人一人が、自分の十字架を負って、キリストに従って行かなければなりません。というのが1節と3節に歌われているメッセージであります。私たちは、主にのみ十字架を負わせまつるのではなく、喜び勇んで、死に至るまで、自分の十字架を負ってキリストに仕えていく者でなければならないと力強く歌っています。

2節では、もうすでに召された聖徒たちについて歌っています。彼らはこの地上での十字架の旅路を終えて、神のみ国での喜びと幸いとを味わっている、その恵みについて歌っています。

また、4節では、「この世の禍幸(まがさち)、いかにもあれ、さかえのかむりは、十字架にあり」と歌っています。み言葉によりますと栄えの冠と十字架は常に一つに連なり、一体となっていて、切り離すことの出来ない結びつきがあります。ヤコブの手紙1章12節には「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです」と言われています。

もし、私たちが主イエス・キリストについて行きたいと思いますなら、次の2、3の点について、はっきりと知らなければなりません。

イエス様は、その条件をご自分の12弟子に率直な言葉をもって教えられました。

それは、まず「自分を捨てること」であります。この自分を捨てることとは何を意味するのでしょうか。それは、己を忘れて、キリストをすべてにおいて、第一にすること、また、私たちの主な目的を、神のみ旨にかなうものとすること、また従わせることであります。

また、キリストご自身が語られたみ言葉を私たちの言葉(自分自身)にしなければなりません。イエス様は「わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方(父なる神)のみこころを求めるからです」(ヨハネ5:30)とお語りになられました。神様のご栄光を現わし、神様を喜ぶことはイエス様の弟子としてふさわしいあり方と言えます。

その次の条件といたしまして、「自分の十字架を負うこと」です。この十字架は人によって異なるでしょう。ある人にとって、それが信仰のために受ける迫害であったり、またある人には、病気や悩み、苦しみ、試みなどでありましょう。

ヨブ記には「人は生まれると苦しみに会う。花火が上に飛ぶように」(ヨブ5:7)と記されています。しかし、キリストの弟子は、キリストよりの救いの恵みとみ力によって、自分の十字架を、不平なく負うばかりでなく、それを高くかかげ、迫害と悩みに打ち勝つことによって、より一層の神様のお恵みと救いとを、素晴らしい証しとして、かかげることが出来るのであります。

3つ目の条件として、主の弟子は「死に至るまで忠実でなければなりません」。キリストに「従わなければなりません」。この二つのことを心から願い求めますなら、神様から私たちは永遠のいのちの冠を頂くことができます。讃美歌の歌詞にありますように実に「さかえのかむりは、十字架にあり」であります。

「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ、悪魔はあなたがたを試すために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは10日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」(ヨハネの黙示録2:10)。

このみ言葉こそ大切です。
 

さんびか物語 ・・・32・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・31・・

      ホーリン・マカルピン著

         (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌320番

 主よ、みもとに近づかん

<神様のみ言葉>

「ヤコブは眠りからさめて、『まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。』と言った。彼は恐れおののいて、また言った。『この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家に他ならない。ここは天の門だ』。翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ」。

~創世記28章16節~18節~

女性の作詞者の手になる讃美歌ですが、本当に素晴らしいものであると思います。ある本では近代讃美歌の傑作であると言われています。

原作者セーラ・フラワー・アダムスは、1805年2月22日にイギリスのハーローで新聞編集者ベンジャミン・フラワーの次女として生まれました。セーラも姉のイライザ(またの名はエリサベツ)も素晴らしい才能の持ち主でセーラの方は主に文学にエリサベツの方は音楽にその才能を発揮しています。

父親が亡くなってから、このフラワー姉妹はロンドンに移りサウス・プレィス・チャペルの会員となりました。そこは独立教会でありまして、牧師のウイリアム・J・フォクスはユニテリアン派の有力な指導者でした。彼は特に女性の権利や出版の自由のために戦い、毎月「リボズィトリー」という雑誌に多くの記事や詩を執筆しました。

セーラもその雑誌に多くの記事や詩を執筆しました。そういう関係で彼女は、その同じ雑誌に政治的な記事を書いていたウイリアム・B・アダムスと知り合いになり、1834年に彼と結婚しました。主人のアダムスはもともと土木技師や発明家でしたが評論家としての才能を持っていた人物でした。

彼女は文学の他にも舞台人としての才能を持つ女性で、主人の励ましを得て、しばらくの間、レディーマクベスとしてロンドンのリッチモンド劇場で出演していました。しかし、女優としてのスケジュールは彼女にとってあまりにも大変だったために身体が続きませんでした。それで女優の夢を捨てて、執筆を一生の仕事としてもう一度ペンを取ったのであります。

1840年から41年にわたって牧師ウイリアム・J・フォクスが、Hymns and Anthemsと言う讃美歌集を発表しようとした時、アダムス夫人の才能をよく知っていたため、その書物に収めるためのものを書くように依頼したそうです。

彼女はその願いに従って作品を13ほど書いてフォクスに渡しました。この讃美歌Nearer My God To Theeは、その13のうちの一つで、その後、アダムス夫人の一番有名な作品となりました。

姉のエリサベツは、この本の150曲のうちのあるものを書き直したり編曲したりしましたが、63曲を自分の作品として納めました。悲しいことですが、エリサベツは結核のために1846年に亡くなりました。セーラも姉の長い看病の疲れで、同じ病気にかかって、その2年後の1848年8月11日に召されました。この二人の姉妹の葬儀の時には、彼女らが作詞・作曲した讃美歌が歌われました。40数年という短い生涯でしたが、その才能は多くの作品によって美しく実を結んでいます。

讃美歌320番の曲BETHANYは、アメリカの有名な作曲家ロウエル・メイスンの作品です。メイスンは1792年1月8日にマサチューセッツ州ノメッドフイルドで生まれました。この本の讃美歌62番に記されていますように、彼の少年時代については、ほとんど何も分かっていません。しかし、はっきりしていることが一つだけあります。それは、彼は音楽には大変な才能を持っていたということであります。また彼は、その才能を生かし活躍したため、その後、アメリカでは「教育音楽の父」と言われるほど重要な役目を果たしました。

アダムス夫人の歌詞“主よ、みもとに近づかん”は、1844年にすでにアメリカで発表されていました。それは、ボストンにある教会の牧師ジエムス・F・クラークが発表した讃美歌集に収められていたからです。その後、この歌は他の讃美歌集にも収められていましたが、本当に一般的になったのは1859年でした。

それは、アダムス夫人の歌詞にロウエル・メイスンのこのための新しい曲BETHANYが初めてあわさせられてSabb th Hymn and Tune Bookに発表されてからであります。その時から今日に至るまで世界的な讃美歌として歌われ、親しまれてまいりました。

<320>

1 主よ、みもとに 近づかん

  のぼるみちは 十字架に

  ありともなど 悲しむべき

  主よ、みもとに 近づかん

1節では、まずこの讃美歌のテーマを“主よ、みもとに近づかん”であると紹介しています。原作では、このテーマは12回歌われていますが、日本語訳では5回しか見られませんし、最後の5節には全然ありません。この方もなかなか味わいがあってよいかと思います。

この1節で歌われている“十字架”は、何を意味しているのでしょうか。苦しみでしょうか、病気でしょうか、悩みでしょうか。いずれにいたしましても、主イエス・キリストの十字架への道を歩み、主に近づくことを求めていますから主の愛と慈しみと慰めを、心ではっきりと知ることは確実であります。

苦しめられても、悩みの中にあっても唇に讃美の歌をもって主に近づこうとするのが、クリスチャンの取るべき道であると思います。昔、ダビデが歌いましたように、「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる」(詩編55:22)と私たちも歌いたいものであります。また、“十字架”は主イエス・キリストがお受けになった迫害を、自分のものとすることでもあります。

それとともに、悩み苦しみに耐えられるように神様は、私たちに歌をも与えてくださったのであります。その歌とは、「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります」(詩編42:8)という神様への信頼の歌であります。あなたの周りが暗ければ暗いほど神様への讃美を歌いつつ、主に近づこうではありませんか。

2 さすらうまに 日は暮れ

石のうえの かりねの

夢にもなお 天(あめ)を望み

  主よ、みもとに 近づかん

3 主のつかいは み空に

  かよう梯の うえより

招きぬれば いざ登りて

主よ、みもとに 近づかん

2節と3節は、旧約聖書に記されています、ヤコブの夢の物語が背景になっております。

創世記27章、28章には、ヤコブは父イサクをだまし、兄エサウの長子相続権を奪ったために、彼を怒らせてしまい、命がけで家から逃げなければなりませんでした。そうしてカランへと旅立って、ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにして石の一つを取り、それを枕に横になりました。

眠っていたヤコブは、そこで夢を見ました。その夢は「一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂きは天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立って居られた。そして仰せになられた。『わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である・・・。わたしはあなたとともにあり、・・・あなたを守り、決してあなたを捨てない』と約束されたのであります(創世記28:12~15)。

放浪者であったヤコブは、眠りからさめて恐れおののき「まことに主がこのところにおられるように、私はそれを知らなかった」と言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない」と言いました(創世記28:16~17)と、このように記されています。

私たちも、神様がいつも近くにいたもうことを忘れてはなりません。「神はあなたがたは御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう」(詩編139:7)とダビデが叫んだように、私たちは、いつも神様のみ前で生活していることを覚えましょう。「天の門」は、私たちのまん前に開かれていることをあなたは知っていますか。

4 目覚めてのち まくらの

  石を立てて めぐみを

  いよよせつに 称えつつぞ

主よ、みもとに 近づかん

4節では、ヤコブは翌朝早く起きて、枕にしていた石を立て、神様への感謝として、その上に油をそそいで、神様の恵みをほめたたえたことが歌われています。この4節の日本語訳は原作よりも聖書的であり、私たちにはっきりと語っています。それは、神様への感謝の正しいあり方、すなわち、神様の恵みをただ口先だけのこととするのではなく、私たちの行ないと捧げものとをもって感謝の心を表すべきであるということであります。

5 うつし世をば はなれて

  天がける日 きたらば

  いよよちかく みもとにゆき

  主のみかおを あおぎみん。

5節ですが、日本語の訳は実に素晴らしいと思います。この讃美歌のクライマックスの“いよよちかく みもとにゆき 主のみかおを あおぎみん”は、原作では歌われてはいません。原作では最後まで、神様に近づこうと言っています。もちろん、神様に近づこうとすることは、私たちの日々の中心的なことでなければなりませんが、神様に近づこうとする、本当の目的を忘れてはいけません。その目的は“主のみかおを あおぎみる”ことであり、“永遠に主と共にいること”であり、“主のみもとに住まわせていただくこと”であります。

へブル人への手紙4章16節には「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」と、私たちにすすめています。この勧めこそ大切であると信じます。

 

 

さんびか物語・・・31・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・30     

 ポ―リン・マカルピン著

       (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌312番

 いつくしみ深き 友なるイエスは

<神様のみ言葉>

「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりもたのもしい友もいる」。

~箴言18章24節~

讃美歌312番は、世界中で広く愛唱されている祈りとそれにお答えくださる神様への感謝の歌であります。

讃美歌312番の作詞者ジョセフ・スクリィビンは、1820年アイルランドのダブリンで生まれました。彼はダブリンのトリニティ・カレッジを卒業して後、25歳の時にカナダに移住しました。恵まれた境遇で育てられたスクリィビンは、なぜアイルランドを去ったのでしょうか。それは一つの謎ですが、多分彼のフィアンセが結婚式の2、3日前に溺死したからでしょうか。

とにかく、悲しい思い出に満ちたアイルランドを去った彼は、新しい生活と志しを持ってカナダに向かったのであります。カナダでの彼は、家庭教師をして生活していました。また、僅かな収入の中から身体障害者や貧しい人への奉仕と愛の業に一生を捧げました。寒い冬オーバーのない者へは脱いで与え、病人や未亡人のために、自分でのこぎりを引いて薪木を作り助けるという、信仰と愛の人でありました。

スクリィビンの毎日は、イエス様がお教えになった大切な戒め“あなたの隣り人を自分と同じように愛せよ”を実践する日々でした。高齢になった彼は、病に倒れた時、多くの友人が看病に来ました。ある日、その一人がふと一つの原稿に目を止めました。これが讃美歌312番であったのです。それは愛と慰めに満ちたものでした。それはWhat a friend we have in Jesusを自分の愛する母が非常に悩んでいた時に、母を慰め励ますために書いたもので、他人に見せるためではないと彼自身語っています。

1865年友人の勧めによってSocial hymns Original Selectedという讃美歌集に発表され、広く愛唱されて来ました。

讃美歌312番の曲WHAT A  FRIENDは、歌詞発表後3年たった1868年に作曲されたものであります。

作曲者チャールズ・C・コンヴァースは、1832年米国のマサチューセッツ州に生まれ、後にドイツで4年間音楽を学び、帰国後法学を研究して弁護士や裁判官にもなりました。また彼は才能豊かで発明家でもありましたが、彼の名声は、この讃美歌にのみ基づいています。

彼は自分の名前を用いずKari Redanというペンネームを常に用いていました。1870年Silver Wingsと言う讃美歌集にスクリィビンの歌詞と共に一つの讃美歌として発表されました。後に有名な歌集IraD・サンキーのGospel Hymns

No1におさめられ、サンキーが大伝道者ムーデーのあらゆる伝道集会で、この讃美歌を歌ったために、大いに人気のあるものとなりました。

<312>

 1 いつくしみ深き 友なるイエスは

   罪とが憂いを とり去りたもう。

   こころの嘆きを 包まず述べて

   などかは下ろさぬ 負える重荷を。

1節の1行目と2行目で作者は“いつくしみ深きともなるイエス”が、私たちになさった偉大なみ業を中心に歌っています。そのみ業はどの様なものでしょうか。それは、贖いのみ業です。キリストを信ずる全ての者の罪、とが、憂いを取り去るためのみ業であります。主イエス・キリストは、人の罪のために十字架にはりつけになる前夜、その弟子たちに、最後の大切な教えをなさいました。その一つは、「友」という言葉の本当の意味についてであります。

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」。(ヨハネ15:13)と、イエス様はお教えになりました。まことの友はとは、自分のいのちを捨てるほどに、その友を愛しているものであると言うのであります。その本当の、そしてまことの友とは、誰でしょうか。主イエス・キリストご自身です。

罪と憂いの鎖に縛られている私たちを、その鎖からとき放つために、十字架の上で私たちの支払うべき代価を、イエス様は身代わりとして支払われたのであります。「神が御子(主イエス・キリスト)を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:17)とお語りになったみ言葉も同じことを語っています。

私たちの唯一の友は、主イエス・キリストのみであって、このお方以外に私たちを罪より救って下さるお方は、誰一人いません。使徒の働き4章12節に次のように記されています。「この方 (主イエス・キリスト)以外にはだれによっても救いはありません」。あなたは―まことの友―あなたを罪より救う友―をあなたの友となってください。滅びに至らせる友に従ってはいないでしょうか。

間違った見せかけの宗教や友人に、心を惑わされないように、気を付けてください。また終わりの2行では、私たちに一つの根本的な質問をしています。それは、あなたは何故、心の嘆きを遠慮なく友なるイエス様に述べ、その負っている重荷をイエス様にお任せしないのですか、ということであります。

主イエス・キリストは「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしはあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)とお約束なさっているのですから。“すべて”とは、あなたも含まれています。スクリィビンが歌っていますように、あなたも主イエス・キリストのみ前にその重荷をおろしてください。

2 いつくしみ深き 友なるイエスは

  われらの弱きを 知りて憐れむ

  悩みかなしみに 沈めるときも

  祈りにこたえて 慰めたまわん。 

2節では、他の言葉をもって1節で強調していることを繰り返しています。まことの友であるキリストは、私たちの弱さ、悩み、悲しみに沈む心を知ってくださり、私たちの祈りにお答えくださると歌っています。これは真実です。私たちは決して絶望に沈むことはありません。主イエス・キリストはかならず、慰めと力をお与えくださり、勝利することが出来るのであります。

3 いつくしみ深き 友なるイエスは

   かわらぬ愛もて 導きたもう。

   世の友われらを 棄て去るときも

   祈りにこたえて 労わりたまわん。

3節では、イエス・キリストの変わらぬ愛について歌っています。世の友、人の心は変わりやすいもので、富み栄えている時の友が、滅び貧しくなった時の友でしょうか。人の心は、うつろいやすいものであります。しかし、主イエス・キリストは、“兄弟よりも親密”な友であられます。

詩人ダビデは次のように歌っています。「たとい、父母が私をすてても、主が私をむかえてくれるでしょう」(詩編27:10)。

「世の友われらを 棄て去るときも 祈りにこたえて 労わりたまわん」。

この“祈りにこたえて”と言う言葉は3節の一番大切なことばであります。いつくしみと恵みに富んでおられるイエス様は、私たちを友としてくださるのであります。主イエス・キリストは、そのことを「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友である」(ヨハネ15:14)と語っておられます。

友なるイエス様を、唯一の友として受け入れること、聖書を通して私たちに命じることを喜びと感謝をもって行うこと、また、祈りをもって深く、主イエス・キリストに交わりを持つことを願い求めたいものであります。このことを通して、私たちも主イエス・キリストのまことの友となることが出来るのであります。

主イエス・キリストは、そのような人々を友として愛し、受け入れてくださり、永遠のみ国へと招いてくださいます。

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

さんびか物語・・・30・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・29     

 ポ―リン・マカルピン著

       (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌310番

 静けき祈りの 時はいと楽し

<神様のみ言葉>

「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」。

~へブル人への手紙4章16節~

この讃美歌310番は、祈祷会でよく歌われている讃美歌の一つであります。

讃美歌310番の作詞者はウイリアム・W・ウォルフォードについては、残念ですがあまり知ることができません。生まれも、経歴も明らかではなく、学歴もない人であったようです。

それにもかかわらず、彼は、強い精神と記憶力との持ち主でした。彼は盲人説教者で、19世紀前半にイギリスのウォーリックシャーのコールズヒルで伝道に励んでいました。彼の説教は、聖書の言葉をほとんど全部暗記していて、それらを適切に活用してなされたと言われています。

また、ある著者は、彼はホミルトンにあるキリスト教の専門学校の助教授であったろうと言っています。それは、その学校に同名の教授が、同じ頃、17年間牧会志願者を教えてしていたこと、また、この人物は、祈りについての具体的な本を一冊出版していたからであります。1838年、コールズヒルの組合教会に招かれて、4年間、牧師の職にあったトマス・サーモンは、ウォルフォードを友人として知り、この讃美歌を、1842年に自らこの歌を書き取り、彼が帰米して後、1845年にNewYork Obeserverに発表して以来、一躍有名になりました。その後、アメリカの教会で広く歌われるようになりました。しかし、今日、次第に用いられなくなっています。

今でも熱心に祈祷会が続けられている教会で、愛唱されていますことは、喜ばしいことです。この讃美歌が歌われている限り信仰の灯は燃え続けることでしょう。

讃美歌310番の曲SWEET HOURの作者ウイリアム・B・ブラドべリは、1816年10月6日メイン州のヨークで、音楽を愛好する家庭に生まれ育ちました。その恵まれた環境に育った彼は、14歳の時ボストンに出て、音楽を専門的に学び、ボストン音楽専門学校を卒業後、彼は各地で音楽の講習会を開きました。彼は、特に子供の聖歌隊を指導するとともに、教会学校用の曲を多く作曲しています。

彼はイギリス、ドイツに留学して後59の聖歌集、讃美歌集を出版しています。彼の活躍は、多くの人々に音楽に対する興味を起こさせることにありました。また有名なブラットベリ・ピアノ会社を作り、活躍しましたが、そのために52歳でこの世を去ったのであります。1954年版の讃美歌には、彼の曲が14ほど収められています。子供のための讃美歌“主われを愛す”や199番“ わが君イエスよ、罪の身は”271番の“いさをなきわれを”280番の“わが身の望みは”などは、皆様の愛唱される讃美歌の一つと思います。

これらの讃美歌は、ともに信仰の喜びと、力とを兼ね備えたもので、この310番も、本当に歌いやすい、祈祷にふさわしいメロデーであります。

<310>

 1 しずけきいのりの ときはいとたのし

   なやみある世より われを呼びいだし

   父のおおまえに すべてのもとめを

   たずさえいたりて つぶさにつげしむ。

1節ですが、この讃美歌で気がつきますのは“静けき祈りの時はいと楽し”という言葉が、2節と3節にも用いられていることであります。

それは“祈りの時”とは、“静かに心を神様に向ける時”であり“神様との楽しい交わりの時”であるということです。心疲れ、魂に渇きをおぼえて、神様のみ前に出る時のおごそかな雰囲気と、神様との交わりの時は、本当に心楽しく喜ばしいものであります。

「祈り」は、騒がしく鐘や太鼓をうち叩いたり、大声でくどくどと祈ることではなく、心静かに、神様と語り合う静かな時でなければなりません。「祈り」は、私たちを“悩みある世より呼びい出し”て下さる、非常に大切な時であります。また、「祈り」は、私たちの“全ての求めをたずさえて”神様に“つぶさに”告げる時でもあります。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神様に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」と聖書(ピリピ4:6~7)は教えています。

私たちは、どのような時にあっても、感謝をもって、神様に願い、つぶさに告げるなら、神様はあなたに、愛をもってお答えくださいます。

2 しずけきいのりの ときはいとたのし。

  さまよいいでたる わがたまをすくい

  あやうき道より ともないかえりて

  こころむるものの 罠をにおがれしむ。

2節では、人の魂のさまよえる時、危うい道を、歩んでいる時を歌っています。私たちの人生に起きる悲しみ、魂の迷い、危うき道は、悪へと導く者の罪の罠に陥っている時であり、落とし入れようと待ち構えている罠が待っている時でもありましょう。

私たちが、一歩でも正しい道からそれて歩むなら、かならず、この罠に陥り、誘惑と堕落の坂道へ落ち込んでしまうのであります。この世は、悪へといざなう罠の世であります。この世にあって生きる私たちは、自分の力だけではどのようにしても、この誘惑に抗しきれるものでもなく、その力さえもない者であります。

このように弱い私たちは、その時にこそ、祈るべきであります。主イエス・キリストは弟子たちに次のように祈ることをお教えになりました。「私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください」(マタイ6:13)。この主イエス・キリストの奨めを心に留めて、日々、熱心に祈る者となりたいと、思わずにはおれません。

 3 しずけきいのりの ときはいとたのし、

   そびゆるピスガの 山のたかねより

   ふるさとながめて のぼりゆく日まで

   なぐさめをあたえ よろこびをみたす。

3節では、神の人モーセが長い生涯の最後を覚えて、ピスガの高嶺より、神様がモーセに約束なさったカナンの地を見せられた場面を歌っています。

モーセは荒野の旅路で、イスラエルの人々に水を求められた時、己れの力かのように岩を打って水を出させたために、神様からの裁きを受け、約束の地、カナンに入ることを許されませんでした。モーセにとって、ピスガの山から見るカナンの地は、心のふるさと、旅路の終着でした。しかし、モーセは入れません。

愛と恵みと慈悲の神は、裁きを受なければならないモーセにそびえ立つピスガの高嶺よりふるさとを見せてくださったのであります。この時のモーセの喜びは何にたとえることができるでしょうか。私たちも、「祈り」によって、私たちの前にある約束されている「永遠のいのちのみ国」を望み見ることができるのであります。私たちも、天国へ上り行く日まで、祈りによって、日々、なくならない慰めと喜びと望みを豊かにいただくことができるのであります。

私たちは、だいたんに勇気を持って、神様の恵みをいただき、時に適った助けを受けることができるのであります。

どうぞ、あなたも、この恵み、この慈悲、この助けを拒否することなく、あなたのものにいてください。

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

さんびか物語・・・29・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・28     

 ポ―リン・マカルピン著

       (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌292番

 はてしも知れぬ

<神様のみ言葉>

「夕方になって、イエスは弟子たちに『さあ、向こう岸へ渡ろう。』と言われた。そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、船に乗っておられるままで、イエスをお連れした。・・・。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。

ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。『先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。』イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に『黙れ、静まれ。』と言われた。すると風はやみ、大なぎになった」。

~マルコの福音書4章35節~39節~

讃美歌292番“はてしもしれぬ„は、水夫たちのために書かれたと有名な讃美歌であるとE・E・ライデンという人が言っています。なるほど、この讃美歌では、人生を一つの航海にたとえていますが、この航海をしているのは、水夫ばかりではなく、浮き世の荒波を渡っているあらゆる人々もそうであります。今、あなたもその船に乗っています。そうして、険しい人生の旅路を経験している私たちに、この讃美歌は、いろいろな非常に大切な教訓を教えてくれていると思います。その意味でこの讃美歌を共に考えてまいりましょう。

作詞者エロワード・ハパーは、長年の間ニューヨーク港にあったChuruh of the ea and and(海陸教会)の牧師として、特に水夫たちのために牧会を続けていました。ハパーは、1818年2月17日ニューヨーク市で商人の息子として生まれました。彼はニューヨーク大学とユニオン神学校を卒業後、まずニューヨーク州のグルーンビィル長老教会、またロングアイランドのセーグ・ハーパー長老教会で牧会の任務を果たしました。

彼は1870年からニューヨーク市に戻り、そこで水夫たちを相手に、心臓発作で亡くなる1888年まで、熱心に牧会伝道を続けたのであります。彼の多くの詩や讃美歌のほとんど全部、名前を付けずにペンネームで発表されていました。なぜでしょうか。

 この292番の“はてしもしれぬ„もやはり無名で1871年3月3日にSailors Magazinenに初めて発表されました。また、その同じ年に無名でバプテスト派の讃美歌集にも収められていました。

ハパー自身は数回にわたってこの歌詞を改訂して、1880年に最後の手を加えてから、自分のものとして発表しました。この改正した歌詞は、1880年5月10日、ニューヨーク市の大きな教会で、アメリカ水夫の“友の会„の52周年記念会で初めてうたわれたものであります。ハパーは、最後の改正で原作の2節と3節を省略して歌詞を6節から4節に短縮し、言葉も少し変えました。しかし、おもしろいことですが、今の英米の讃美歌集には、この原作、つまり1871年の歌詞の1節、5節と6節だけがこの讃美歌の歌詞として発表されています。結局、今日では原作の最高のところを原作のままで、人々に好まれていて、この美しい讃美歌は広く知られています。

292番の曲PILOT(水先案内者)は、ジョン・E・グードルの作曲であります。この曲は1871年に作詞者無名のJesus Saviour Pilot MeにあわせてThe Baptist Praise Bookという讃美歌集に初めて発表されました。

ジョン・E・グードルはメイン州のバンーガで1822年に生まれました。彼は小さい時から音楽に対して大きな興味を持ち、作曲をはじめ、まだ30歳にもならないうちに楽器店を開き、エドワード・L・ホワイトと一緒に音楽の本を4巻出版しています。

彼は1852年にニューヨーク市に移り、ここでも楽器店を経営しながら、もう4巻の音楽の本を出版しています。その中に50曲ほどはグールド自身の作品でした。グールドは結婚してフィラデルフィアに移ってからも、もう一人の作曲家W・G・フィシャーと共に楽器店を共同経営するかたわら、合唱団を指揮したりしました。しかし彼は、健康を害したために暖かい南ヨーロッパや北アフリカの方へ旅行に出かけたりしましたが、北アフリカのアルジェリアのアルジェで1875年3月4日急死しました。

彼が出発する前の晩に、このPILOTをピアノで弾いたそうですが、あくる日が彼の最後の人生の航海への出発とは夢にも思わなかったことでしょう。彼の場合でも私たちにいたしましてもこの“うき世の海のはて„は、ほんとうに‟知れぬ„ものでありますから、ハパーが歌っていますように、‟たしかな水先のしるべ„である主イエス・キリストに依り頼むべきであります。

この讃美歌の背景にあるのは、マタイの福音書やマルコの福音書にある有名な物語であります。

イエス様がガリラヤ湖をお渡りになろうと舟にお乗りになりました。すると激しい暴風が起きて、舟は波をかぶって、水で一杯になりました。ところがイエス様だけは、ともの方で眠っておられました。弟子たちは、イエス様を起こして言いました。「先生。私たちはおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」。そこで「イエスは起き上がって、風をしかりつけ、『黙れ、静まれ』と言われると風はやみ大なぎになった」とマタイの福音書8章23節以下やマルコの福音書4章35節~39節に記されています。

<292>

 1 はてしも知れぬ うき世の海の

   あさせあらなみ いわおの中を

   主よ、水先の  しるしたまえ。

1節で作詞者が描いていますのは、うき世の海の恐さであります。人生は大嵐の中にあるようなもので、私たちは一寸先のことすら知ることも察知することも出来ない者であります。ですから、私たちの人生の航海において、しばしば船を難破させる、危ない浅瀬や岩を発見できずに迷いや悲しみ、苦しみに沈むのであります。このような、か弱き私たちに、何よりも必要なものがたしかな水先案内人であります。ハバーが歌っていますのは、‟海図や羅針盤はあなた(イエス・キリスト)のものであり、救い主なる主よ、私の水先案内者になってください„と歌っています。

人には、いつかは大嵐が襲って来るものです。それが、何時であるかは分かりませんが、今日無事であっても明日はどのようなことが起こるかはだれ一人知りません。

このような私たちのなすべき備えは何でしょうか。それは、大波をかぶる前にゆるがぬ岩、たしかな水先のしるしを求めるべきことではないでしょうか。では、その水先案内者はどこにおられるのでしょうか。そうです。主イエス・キリストを他にして、どこを捜しても決して見出すことはできません。どうぞあなたも、イエス・キリストをあなたの拠り所、水先案内者になさってください。

 2 母のみどりご ねむらすごとく

   みこえしずかに あらしをおさめ

   主よ、水先の  しるしたまえ。

2節では、実に美しいたとえをもって、主イエス・キリストの私たちに対する守りと愛を歌い上げています。母親がみどり子を静かに眠らせるように、主イエス・キリストも私たちを見守っていてくださる、と歌っています。イエス様は逆巻く嵐をも静め給いましたが、私たちの人生に襲いかかって来る苦難という嵐をも静め、取り去ってくださるお方であられます。

原作では、救い主なる主イエス様は、ただ嵐を統め給うたと歌っているのではなく主は嵐をも静め給う力がおありになるお方であるということが強調されています。主が波に‟黙れ静まれ„と云われた時、嵐と波は創造主なる主に服従し、主が私たちの心にある嵐をも静めてくださる、力あるお方であることを認め信じることこそ大切であります。

 3 さしゆくはまべ まぢかくなりて

   磯うつなみの 逆巻くときも 

   主よ、水先の  しるしたまえ。

3節では、人生の終わり、つまり死が忍び寄ってくるときの場面を歌っています。私たちの人生の長い航海が終わって到着の浜辺に近づく時、私たちに力と希望と確信を与えてくださるのはどなたでしょうか。それは、私たちのために死に給うたお方、その死からおよみがえりになられた主イエス・キリストであります。死に打ち勝ち給うた主には、イエス様を救い主と信じる人に、死よりの勝利をお与えくださる資格がございます。

原作では、この讃美歌は“恐れるな„というキリストのお言葉で終わります。主が私と共におられますから、死をも恐れず、み手に引かれて無事に安全な港に導かれることを確信しているのがクリスチャンの信仰であります。あなたも、この信仰をお持ちになってください。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなた(主)が私とともにおられますから」(詩編23編4節)。 

 

さんびか物語・・・28・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・27     

 ポ―リン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌286番

 神はわがちから

<神様のみ言葉>

「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」。

~詩編46編1節~

この讃美歌286番は、「全き信頼」をテーマに歌い上げた素晴らしい讃美歌の一つであります。この讃美歌の主題は、どのようなことがあっても、神様は私たちの信頼にお答えになる、唯一の避け所、まことの力でいましたもうということであります。ですから、霊的に貧しい現代人にとって、この讃美歌は、希望と大いなる励ましと慰めとを与えるものと信じます。

この歌詞が書かれた18世紀前半のイギリスは、今日の社会と同様に、霊的にも信仰の面においても、道徳的な面においても、堕落の一途をたどっていた時代でした。このような時に、イギリス人に、再び真の避け所である神様に立ち返らせようと、世の人々に呼びかけた一人の作者があらわれました。アイザック・ウオッツであります。

作詞者アイザック・ウオッツについては讃美歌138番でもご紹介いたしましたが、彼は1674年7月17日、サウザンプトンに生まれました。アイザックの両親は、プライベート・スクールを経営し幼い子供たちを養育し、非常に信仰深い夫婦でした。

父のエノク・ウオッツは英国国教会の反対者で、信仰のために数回にわたって投獄されています。アイザックは8歳の時から詩才に恵まれていたのでしょうか、詩を書き始めると同時に、高等学校時代には、ギリシャ語、ラテン語、ヘブル語に優秀な成績であったとも言われています。

彼の才能を知ったサウザンプトンのある医者は名高いオックスフォードかケンブリッジ大学で勉学できるようにと奨学金を受けることを奨めましたが、それを辞退しました。辞退した理由は、当時の両大学の入学資格の一つに、英国国教会の信者でなければならないという条件があったからであります。

彼は非国教会の私立ストック・ニューイントンにあった大学へと進み、卒業後の2年間、自分の家に帰って、600ほどの素晴らしい讃美歌を書いています。それらを集めて、1707年Hymns and Spiritual Songsと題して出版しました。

この讃美歌は、イギリスの創作讃美歌集の最初ものであるばかりでなく、内容においても、旧来の詩編歌の型を破って自由な新しいユニークなものでした。当時の讃美歌は、詩編の言葉そのままを用いていましたが、彼は、詩編の本来の意味をそこなうことなく、詩編の生命的な意味を十分に生かした聖書の言葉を用いているところに、彼の特殊性があります。

彼は、1702年にマーク・レイン教会という大きな教会の副牧師として迎えられ、10年間牧会に全精力を注ぎました。しかし、以前より虚弱であった彼は、1712年病に倒れ、終生病の人となったのであります。病の中にあった彼は、マーク・レイン教会の会員であった、アブニー卿が彼を別荘に招いたのが縁で、その家の客となり、終生、その家の客として(36年間)そこで過ごし1748年に天に召されました。

36年もの長い間、彼の世話をしたアブニーご夫妻は、アイザックの信仰に、深い尊敬と愛とをもっていたのでしょう。この恵まれた環境にあって彼の才能はより一層発揮され、神学、哲学、論理学、天文学、地理学という広い範囲にわたって、60ほどの著作を残しています。彼の影響は、イギリスの教会は言うにおよばず、アメリカでも深いものがあります。

1954年版の讃美歌には、彼の書いたものが17曲ありますが、日本の教会で広く愛唱されているのは、286番のほかに138番、142番、330番があります。ともあれ、アイザック・ウオッツは「イギリス讃美歌の父」と仰がれた偉大な人物でした。

讃美歌の曲DUKE STREETについては、次のような話があります。

この曲は、最初、ヘンリ・ボイドによって発表された讃美歌集(1793年)の中に作者不明として発表されました。その後、この曲がジョン・ハントという無名の一信者の作であることが明らかになり、ハントが住んでいた町の名前であるDUKE STREETが曲名になったそうであります。この曲は、英米人、特にアメリカ人が愛唱し、1820年にアメリカに紹介されて以来、このメロディーは、いろいろな歌詞に用いられて多くの人々に知られるようになりました。

<286>

 1 かみはわがちから わがたかきやぐら

   くるしめるときの ちかきたすけなり。

 2 たとい地はかわり 山はうなばらの

   なかにうつるとも われいかに恐れん。

3 かみのみやこには しずかにながるる

   きよき河ありて  み民をうるおす。

 1節から3節までは、詩編46編にもとづいていますので、聖書のみ言葉と比較しながら学びましょう。

 聖書の詩人が歌っていますのは、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。・・・川がある。いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる」(詩編46:1~4)と記されています。

 1節では、作者は同じように、“神はわが力、わが高きやぐら、苦しめるときの近き助けなり„と歌っています。

 高慢な人は、いつも自分自身をたのみとするもので、信仰などは弱い者、病人のためのものに過ぎないと思っています。しかし、人には、かならず、悲しみや苦しみが襲ってきます。自分の力ではどうにもならないその時、どこに逃れ、どこから苦しみや悲しみに耐える力を得ようというのでしょうか。この世の知恵にでしょうか。そこにはありません。

 その知恵と力は“まことのより所である神様から„与えられるのであります。この生ける神様のほかに、助けてくださるお方はおられません。

 2節では“たとい地はかわり、山は海原の中に移るとも、われいかで恐れん„と歌っています。あなたは、天変地異の異変に出会う時、どのようにお考えになりますか。“われいかで恐れん„と歌うことはできますか。自然の災害は、人の知恵や力ではどうすることも出来ないものと、あきらめますか。作者も詩人も共に、「神様への信頼」がその避け所であると教えています。

 しかし、今日、自然の災害とは違った災害のあるのをご存知でしょうか。それは霊的な災害です。今日の世界は、霊的・信仰的には、まったくの砂漠であり、小さなオアシスさえない状態であります。この災害の中にあって、あなたは、その魂の渇きを、何によって潤そうとなさいますか。

 神様は、「聖書のみ言葉」を、いのちの水であると言われ、「わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎが来ます」とお語りになっておられます。この神様に、全てをゆだねて、神様のみ力と助けを待ち望むことこそ、キリストを信じる者にも、未信者の方でも正しいあり方であります。

 主イエス・キリストが、譬えでお教えくださいましたように「岩の上に建てられた家が、雨に打ち叩かれても、洪水に襲われても、倒れなかったように」たしかな土台の上に立たなければなりません。

 3節では、神の都にある、きよき川について歌っています。

 新約聖書のヨハネの黙示録22章1節では、「いのちの水の川」と言っています。また、イエス様は、サマリヤの女に「わたしが与える水を飲む者は誰でも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ4:14)と教えています。この永遠の水を、あなたも飲み、心の渇きをいやしてください。

 4 みことばのみずは つかれをいやして

   あらたなるいのち あたえてつきせじ。

 5 かみのみもとべは つねにやすらけく

   くるしみなやみも 消えてあとぞなき。

 4節では、聖書のみ言葉を、ふたたび、「いのちの水」にたとえています。聖書のみ言葉は、神様のみ言葉であります。このみ言葉を心にいただくことによって、魂の渇きも疲れもいやされ、新しいいのちへと生き返ることができるのであります。私たちが、日々聖書に接し、親しみ、このみ言葉を自分の血肉の糧、魂の糧によってのみ、私たちは、霊的に新たにされるのであります。

 5節では、神様のみ前にある「永遠のやすらぎ」について教えています。私たちが、心から神様に信頼し、神様が共にいたもうとの約束を信じる時、どこに不安や迷いがありましょうか。

 ダビデは神様に信頼する者の喜びを歌っています。

 「主よ。どうか、あなたのみ顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びをくださいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます」(詩編4:6~8)。

 私たちのよりどころ、それは神様のみであります。

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書籍紹介
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 社会意思決定

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ISBN978-4-535-55538-9
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東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

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 共著者・編者
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電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
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本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
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